清水正の『浮雲』放浪記(連載53)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載53)
平成△年8月10日
 加野の母親と弟が今ここに不在であるということは、加野とゆき子の思いが赤裸々に語られてもよかったはずだが、加野が傷害事件に触れようとすると、ゆき子がそれを遮ってしまう。加野が謝ってそのことに同意してしまったことで、事の真実は曖昧なままに幕を下ろされてしまう。加野が富岡を殺そうと思い詰めた直接の原因は何であったのか、ゆき子が自分の代わりに刺されたことに対して、富岡はどのような対応を示したのか。〈事件〉に関して、当事者の二人が揃って口を噤んでしまえば、真相は永遠に分からない。
 林芙美子の描き方は、どんな障害も打ち砕いてただひたすら垂直的に掘り下げていくというのではない。深淵を覗き、深淵を体感しながらも、それを言葉ですべて表現しつくそうという意思はない。深淵は深淵のままに、曖昧なものは曖昧なままに提示するという姿勢を一貫して崩していない。ドストエフスキーの文学のように、人物たちの言葉が恥も遠慮もなく、露骨に相手の核心部に向けて投げつけられるということはない。
 もし、この場面をドストエフスキーが描けば、加野はゆき子の狡さや欺瞞を遠慮なくさらけ出したに違いないし、ゆき子もまたその言葉に遠慮なく応えたであろう。後から顔を出す弟や母親も、加野に負けず劣らずゆき子を罵倒したであろう。貧しい二階屋の一室が、罵詈雑言の飛び交う恐るべきカーニバル空間へと変貌したことであろう。が、林芙美子ドストエフスキーのような手法は採らない。加野もゆき子も十分過ぎるほど自己を抑制して、作者にあてがわれた役割をつつましく演じている。
 「おふくろも働きに出てるンで、お茶もあげられませんが……。かえって、病気がうつらないからいいかもしれませんよ」という加野の言葉にゆき子は〈千万の刺〉を感じるが、しかし「さからわないようにして黙って」いる。林芙美子は、加野が投げつける〈千万の刺〉に〈千万の刺〉を投げ返すような修羅場を回避する。ここでゆき子は加野の言葉を黙って受け止め、やさしく投げ返すキャッチャーのような役目を果たしている。
 加野は「おふくろと弟の邪魔をしないように生きているのが、せめてもの私の感謝ですからね」と言い、さらに一拍おいて「人の邪魔をしないというのが、このごろの僕の悟りです」と言う。このセリフが、富岡とゆき子の〈邪魔〉をして傷害事件まで起こした事を踏まえていることは容易に察しがつく。
 加野の言葉にはゆき子に対する皮肉と嫌味がたっぷりまぶされているが、ゆき子は知らん振りを決め込む。ゆき子は〈人の邪魔をしない〉という加野の悟りの次元に立つことはできない。先刻、ゆき子は「私は一人だわ。富岡さんは富岡さんですわ」と口にしたが、その実、一時も富岡のことを忘れてはいない。ゆき子は〈富岡とおせい〉の邪魔をせずに、おとなしく身をを引くことなどできない。
 加野にしてみたところで、肺病に倒れてさえ、ゆき子から会いたいというハガキが来れば、それを黙殺することがしできないで返事を書いてしまう。人間は生きている限り、さまざまな欲望の支配下にあり、「死ぬことには自信がつきましたよ」という加野も、自殺もせずに生き続けている。不治の病を抱えて床に伏している加野は生きていること自体が母親と弟の〈邪魔〉をしているということになるが、加野本人はもとよりゆき子もそういった点については触れない。
 一度足を滑らせて落下すれば、二度と這いあがってこれない深淵を前にして、ゆき子は敢えてその底を覗かないように、細心の注意を払って言葉を発している。加野の寝ている貧しい部屋全体が、少し力を入れただけで深淵に落下しかねない危険を孕んでいる。ゆき子の言葉は優しいが、他人行儀で、共に地獄を這いずりまわってもいい気持ちなどさらさらない。富岡を引きずりながら、罪滅ぼしにやってきたなどという、その思い自体がまやかしであり、本来、このゆき子のまやかしは批評によってではなく、加野によって徹底的に暴かれ告発されなければならない。

 「心細いことを言わないで、早くよくなってくださるといいわ……」
 「絶対に、よくなりませんね……」
 「どうして、そんな心細いことをおっしゃるのかしら……。気の持ちようですわ。昔の元気な加野さんに戻ってほしいわ」
 「昔の加野さんは、戦争で死んだと思っています。この戦争で、僕は心身ともにめちゃくちゃになりましたよ。ひどい目にあったもンですよ。でもね、これも仕方がないとあきらめています。ときどき、仏印の事を思い出して、僕の生涯のうちで、一番印象深い時代だったなアと思ってね……。どうです、その後、手の傷は痛みますか? 左の腕でしたね」
  ゆき子は腕の傷を覚えていてくれる、加野の純情さにほろりとしている。
 「あなたには、本当にすまないと思っていますよ」
 「厭ッ! 私こそ、加野さんに、我ままをしてすまないと考えてるンですよ。あのころは、どうかしてたのね。みんな狂人の状態だったのね」
 「まったく狂人の状態だったな。あなたがわざと僕の刀の方へもたれかかって来たような気がしてね。僕は富岡を刺すつもりで、部屋へ行ったら、ゆき子さんがいたので、なおさらかあっとしてしまったンです。いまから考えると、ばかなことをしたものだ」
 「もう、その話はやめて……」
 「ごめんなさい。ついあなたに逢ったら、昨日のことのように思えたものですから……」
  ゆき子は、薬臭い部屋の空気に圧迫されて、立って、硝子戸を少し開けた。冷い風がすっと流れこんでいい気持ちだった。(299〜300〈三十五〉)

 加野は自分の病気は絶対に直らないと断言する。昔の加野は戦争で死んだとも言う。戦争の勝利を疑っていなかった加野にしてみれば、日本の敗戦は衝撃であったろう。敗戦を予測していた富岡でさえ、魂のない腑抜けになってしまったのだ、ましてや加野は、肺病で倒れる前から自分自身の存在を〈生きながらの死骸〉と見なしていたことだろう。敗戦ということは、今まで日本人の生を支えていた基盤が根底から崩れさることを意味している。