清水正の『浮雲』放浪記(連載58)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載58)
平成△年8月15日
加野はゆき子が帰った後「富岡と決闘してまでこの女を欲しがっていたのだろうかと、妙な気が」し、「一種の魔がさしていたのかもしれない」とさえ思う。厳しい取り調べや刑期(作者は具体的に記していない)を終えて、ようやく日本へ引き揚げてくれば家は焼けてなくなり、過酷な労働で肺病を病んで床についている加野にしてみれば、ゆき子は、はたして自分の悲惨さに値する女だったのだろうかと思わずにはいられなかったのであろう。ゆき子への慾情は一種の魔がさしただけだと思う加野と、加野を改めてみじめな男だと思う女の再会は一時間で終わった。この二人には深く混じり合う会う接点がない。もし、ゆき子と加野の間に肉体関係が生じていたのであれば、富岡との三角関係ももっと込み入ったものになっていただろうが、二人はその一線を越えることはなかった。今、ゆき子と再会して加野は、かつては傷害事件を起こすまでに夢中になった〈虹〉が消えていくさまを実感している。

  ゆき子が戻ると言った時に、加野はそれでも、もう少しそこへ坐っていて貰いたかった。逢うまでは、ゆき子を、まるで女神のように考えていたが、逢ってみると、加野は、何の負け惜しみでもなく、人間的なゆき子の現実に、白々と夢の覚める思いだった。
  ゆき子のほうもまた、加野に逢って後悔してしまった。行かなければよかった気がした。あの時のままの加野さんと考えておくほうが、よかったようにも思える。……富岡が、加野に逢いたがっているゆき子を、甘いと言い、物好きだと言ったが、おせいに嘘の住所を教えた、富岡の心の底がいまになって判ったような気がした。その場かぎりの感情で、物事を切り裁いて行く男の強さが、ゆき子にはいまでは憎々しい程の魅力になってもいる。(303〈三十五〉)

 林芙美子は「その場かぎりの感情で、物事を切り裁いて行く男の強さが、ゆき子にはいまでは憎々しい程の魅力になってもいる」と書いた。加野に会ってその〈みじめな男〉を確認したゆき子は、ここで再び富岡に〈憎々しい程の魅力〉を感じている。ゆき子にとって加野の存在は、この時に限らず、いつでも富岡の魅力の再発見の確認となっている。加野は相変わらず、ゆき子と富岡の関係、その腐れ縁のダシになってしまう。
 それにしても、「その場かぎりの感情で、物事を切り裁いて行く」ことに、ゆき子は〈男の強さ〉を感じるが、加野はそこに〈男の狡さ〉以上のものを感じていない。ゆき子は性愛的次元で富岡に惚れているから、富岡の狡さにも憎々しいほどの魅力を感じて離れることができない、それまでのことである。
 とりあえず、加野はゆき子との再会場面において、富岡の狡さの一面を告発する役目を果たしたとは言えよう。しかし、加野は富岡のその〈狡さ〉を断罪することはできない。加野は富岡のように巧妙に身を交わすことができなかっただけの〈運の悪い男〉として自分自身を認識することしかできない。林芙美子はついに加野を、卑劣漢富岡と対極的な人物として造形することができなかった。作者が、もし加野を、ゆき子を純粋に情熱的に愛し続ける男として設定し、それを終始一貫していれば、彼は富岡との違いを際だたせることも可能であっただろう。加野は、『浮雲』において、単に運の悪い〈富岡〉の域(鏡像)を越えることはできなかった。