清水正の『浮雲』放浪記(連載22)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載22)
平成△年6月11日
ゆき子は遅ればせながらおせいと富岡の関係を疑いはじめ、おせいの様子をうかがうようになる。一度、疑ったゆき子の眼差しに、おせいは限りなく疑わしい存在に見える。おせいは再び、亭主とゆき子に酒を飲ませて酔いつぶそうとするが、もはやゆき子はその手に乗ることはない。おせいは富岡と、今朝早く駆け落ちしなかったことを悔いたであろう。富岡は生温き男で、自分から決断をくだすようなことはしない。おせいが強く自己主張しなければ、富岡はゆき子との関係に決着をつけることができない。
 この場面で、おせいの亭主向井清吉だけが、男と女のドラマに参入できていない。向井はひとのいい亭主ぶりを相変わらず発揮しているが、このひとのよさはおせいにとって何の魅力にもなっていない。向井には可哀想なくらい想像力が欠けている。若い妻のおせいが何を望んでいるのか、富岡に対してどのような感情を抱いているのか、まったく感じることができない。こんな鈍感な五十年配の男が、どうしてまたおせいのような娘と出会い、結婚するまでになったのか理解しがたい。富岡は狡くて図々しい男で、向井の人の良さにつけ込んでおせいと関係しておきながら、口数すくないダンディな男振りを平然と演じて、なんら恥じるところがない。

平成△年6月12日
林芙美子は向井の内面をいっさい描かない。描かれた限りで見れば、向井はおせいにも富岡にも何の疑いも抱いていない。それほど向井は、一八、九歳のおせいと、元農林省の役人富岡を信用していたわけだが、女と男の間を〈信用〉したこと自体に向井の人間認識の甘さがある。向井の頭は「東京へ出て一旗あげたい」という思いで一杯で、若いおせいの気持ちを汲み取ることができない。東京へ出て「本所の焼跡に、一杯屋でも建てたい」と思っている向井と、東京へ出てダンサアになりたいと思っているおせいが、たとえ二人で東京へ出たとしても、遅かれ早かれ別れは免れがたい。しかも、すでにおせいが富岡と関係を持ってしまった後に、そんな暢気な思いを口にしている。向井は「いつまでも、こんなことをしてもいられねえし、居抜きのまま売りに出してるンだが、何しろ、夏場のところで、それまで命をつないでゆく根気はねえし、いっそ、築地の兄弟分のところへ、二人で転げこんで行こうなンて話してもいるンですがね」と話しているが、おせいにしてみれば、築地に転げこんで行く気など毛頭なかったであろう。自分一人の思いを、おせいと二人の思いと疑っていない向井が哀れである。

  富岡はときどき眼をあけて相槌を打つように返事をしていたが、人の話なぞどうでもよかった。萎縮した無気力さで、盃を唇へ運んだ。亭主は、無口な謙遜家の富岡がすっかり気に入り、何事も相談したい様子で、現在のこの商売にほとほとおせいといっしょに、飽きが来ているのだと言った。風はなかったが、底冷えのする寒い夜だった。珍しく按摩の笛が窓の下を通った。 (285〈三十一〉)

 日本人の場合、相槌を打っていることは同意を意味しない。が、同意を求めて話す者は、相手の相槌を同意と決め込む傾向にある。向井が富岡に好意を抱いたのは〈無口な謙遜家〉であったからではなく、富岡が相槌を打つようにして返事をしたからである。富岡の相槌は、おまえの話などどうでもいい、という無関心の信号だが、向井にはこの信号を正しく解読する力が備わっていない。向井はバーの商売にほとほと飽きが来ていると話すが、おせいが向井にほとほと飽きが来ているということには気づかない。あるいは、気づいていてもどうすることもできなかったというのが本当のところかも知れない。まさに〈底冷えのする寒い夜〉とは、単なる気温上のことを指しているのではない。向井とおせい、富岡とゆき子、向井と富岡、ゆき子とおせいの関係そのものの隠喩である。この寒い夜に「風はなかった」と作者は書いているが、彼らの間に眼に見えない冷たい風が吹いていたことは確かである。