清水正・ドストエフスキーゼミ・第七回課題

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清水正ドストエフスキーゼミ・第七回課題

櫻井遥日
私はまず理想の恋人云々を語る以前に恋愛にさほど興味がありませんし、そもそもいえば多くの若い人はあまり深く恋愛すべきでないと考えています。
これは自分の高校時、めんどくさい境遇にある男女に板挟みにされていた経験から得たものです。恋愛は互いを支え合う杖である以上に、自らの心身の面倒を充分にみられる人が人の世話をやく、そういった行為であると考えます。人として恋愛するためには、まず自らを人間としてコントロールできるようにならねばならない。そうでなければそれは性欲を知った幼稚園児のおままごとと大差ないお遊びになってしまいます。どうも最近は恋人たちのみならず大の大人の夫婦までがこの当然をわきまえておらぬようで、全く悲しいものです。
 ちょうどよく清水ゼミ課題である「罪と罰」という作品は、私のこの持論を支持するかの如く描写があります。同じ貧乏学生でも、稼ぎ口を探し出し心身ともに健康な情熱ある青年のラズーミヒンはだらしがないほど女性関係をうまくやっていますが、精神不安定で生活もままならないラスコーリニコフは(そもそもの彼の人嫌いも手伝って)超絶美男子であるにも関わらず作中でロマンスが終章までないばかりか自らに尽くすソーニャにまで自分の方から近づいておきながら勝手に苛々を募らせてつらく当たったりとまともな男女関係を築けない。彼らの場合は最終的に結ばれましたが、しかそれは「ソーニャが強固な柱として彼を支えていた結果できた関係」であり、八年の後ラスコーリニコフが自らを変えこれを律する人間になっていなければ「恋愛」として大成することはないでしょう。

 私は確かに一般的な大学生ほどの教養も知性もない、人としてかなり未完成な部類にはいるものですが、しかし前述の恋愛云々を抜きにしてもやはり恋愛に積極的に情熱をもって没頭できる気がいたしません。恋人を作ることのメリットもあまり感じませんし、そもそも思春期に入って以降さして没頭できる人が見あたらなかったからです。人間は本能が壊れた存在だとか度々言われますが、まったく異性を食いものようにむさぼり散らすかそもそも全く興味を示さないかのいずれしかいないのではないかと近頃私は思います。こんなことを日々考えていて、いったいなぜ恋愛が出来ましょうか。つまるところ私は恋愛に希望だの夢だのをあまり見いだすことができないのです。
 しかしまだ私も若い内ですから、ふと人恋しくなることもあります。また、恋愛感情とまでいかなくとも誰かを魅力的に感じる事はあるのです。
 時にそれはフィクションの、作品中の人間であったりします。彼らは場合によると、現実の人間とは別物の清らかさを持って描かれております。だから私は実際に恋愛はせずとも彼らを見ていると「こんな人がどこかにいることもあるのかもしれない」と安心するのです。 しかし「罪と罰」という作品に登場する人物は、みな全く確かな人間です。紙一枚の中から血を流し体臭を放ち泣き叫ぶ人間です。そういった点では彼らには魅力を感じません。強いて言えば、私とまだ年齢の近いドゥーネチカ・ソーネチカ、特に前回のレポートでも申しましたようにソーネチカがメインの女性キャラクターでは最も恋人として考えやすいと感じました。これは彼女が比較清らかに描かれているとかそういった理由でなく、単純に彼女の大人しい、はにかみ屋の性格が私の気に入ったからです。しかしまた彼女は美点である一方デメリットでもある「狂信者」という面を強く持っており、それは宗教観念の薄い日本人の若者である私には興味こそ引かれるものの実際に近くにいれば息の詰まる要素でしょう。彼女も結局恋愛に至るような興味対象にはならず、そしてその興味はまた永続的なものではありません。ちょっと気になった漫画の中身を片手でぱらぱらめくり見ているようなもので、興味がなくなれば何食わぬ顔で棚に戻すことになりましょう。
そういえば、経済の発展が頂点を極めて以降、(その初期に私は生きていませんが)日本という国は物を消費し、さらには人をも消費するシステムが人の心に定着し始めているのではないかと思います。今日ではもうテレビ界で大スターは生まれず、ヒットソングは生まれず、文学的名作と奉りあげられる作品も生まれない。首相も顔と名前の一致せぬうちに引きずり降ろされ、離婚をしても後ろ指をさされることなく平気で再婚でき、さらに個人的で少々ニッチな話をすればヲタクカルチャーにおけるキャラクターたちは性的目的を前面に出した形で売り出され、企業側からもユーザーからもまるでダッチワイフか何かのようにいいように扱われている。この虚無的消費社会をもっとも顕著に表しているのが実はこのヲタク文化、ひいては昨今騒がしいアイドル歌手文化なのではないかと私は思います。そしてかつてはサブカルチャーと呼ばれたこれらが、今や学生など若者をを中心に簡単に話が通じるメインカルチャーになりつつあり、どの作品のキャラクターと結婚したいだのアイドルグループの誰々とつき合いたいだのと笑いながら語ることがかなり普通の、ありふれた会話になってきています。これはお笑い種にもならない事態であると、その消費癖を持つ張本人である私が主張したいのです。これはいわばアダルトビデオやホストクラブを真っ昼間から利用しているようなものです。若者は実在・非実在に関係なく安直な恋愛ごっこをするくらいなら、いっそ肉体関係イコール結婚ぐらいの貞操観念に縛られて青春を過ごす方が誤りなく後遺症を残す事なく永久的な恋愛を見定められると思うのです。
ぐだぐだと偉そうなことを言いましたが、世の中には若くとも終わった恋を糧にし、使い捨てずに次につなげている人もいましょう。そういう人は恐らく恋愛というものについて聞くに耐えうる理想も説けるのでしょうが、そうでない人などは口にすることすら噴飯ものの笑い種となることでしょう。というわけで「自分の理想の恋人」という議題について、私は自らを語るべき人間ではないと判断し逃げることで終いにします。

ただ木野允彰さんのメガネについては非常に同意だとだけ言っておきます。


罪と罰』の男子メンバーで彼氏にするなら誰だ!?
福田 紋子

罪と罰』この人間の心理を描いた小説?の登場人物はどこか狂っているような奴らばかりである。この中から一人彼氏にすると考えるだけで頭が痛くなる。
そして、苦渋の選択の結果、この中であえて私が彼氏にするならルージンかなと思う。
理由としてはまだ一緒にいても不快じゃないからというところである。
不快ナンバーワンとしてはラズミーヒンが第一位にあがる。ラズミーヒンは女の敵である。ラズミーヒンは単純で率直で勇士のようにたくましい男であると本書には書かれている。
文面を読む上で友人としてのラズミーヒンはとてもいいやつである。
友人であるラスコーリニコフに仕事を紹介してあげようとしたり、病気のときには看病してあげたり、必要なものを用意してあげたり、ラスコーリニコフが金貸しの老婆アリョーナの殺害を疑われたときはラスコーリニコフの無実を訴えてあげたりとなんて友人想いのやつなんだろうか。
しかも彼に友人が多いことからして、彼が日ごろ気さくで明るく、みんながよってくる人気者だということがうかがわれる。
ただ、彼には最大の欠点がある。女性関係にルーズだということだ。
ラズミーヒンはその容貌と気さくで親しみやすい性格から女性にもてる。モテ男なのだ。
そのためなのかかなり軽い。
ラスコーリニコフの下宿を探しだした・・・のところまではいいが、そのあとにラスコーリニコフの下宿の大家パーヴロヴナと交際関係をもつ。
その期間約三日。たった三日で四十半ばの未亡人を口説いてしまったのである。
おそるべしラズミーヒン。
そして自分にメロメロのパーヴロヴナを使ってラズミーヒンはラスコーリニコフの看病をする。もうパーヴロヴナはラズミーヒンのヒモ状態である。
それだけならまだよかったのか?いやよかったとしよう。だが、何分ラズミーヒンは惚れっぽいのかなんなのかラスコーリニコフの妹であり絶世の美女ドーニャに一目みただけで恋に堕ちる。いわゆる一目ぼれってやつだ。で、そうなると、交際関係をもっているパーヴロヴナの存在が鬱陶しくなってきて・・・このあとの彼の行動は最低である。なんと友人である医者のゾシーモフにパーヴロヴナを押し付けようとしたのである。なんかパーヴロヴナのすべてを分かりきっているかのように偉そうにゾシーモフに彼女の取り扱い方なんてのを語っていた。本当に最低なヤローである。
さあさあこんな感じでラズミーヒンは結局パーヴロヴナを捨てて、ドーニャも口説きおとしちゃうわけである。本当にラズミーヒンは罪深い男だ。彼にこそ罰が必要である。
幸せに夫婦円満という終わり方がなんとも気に食わない。
さてさてお待たせしました。そう、彼氏にしたいナンバーワンはドーニャに捨てられたルージンさん(笑)です!彼の紹介をしますと、お年は四十代後半。髪はちょっと白髪まじりですが、理髪師の手でキレイに櫛をいれられていてカールしており、お洒落をしていなくても若くみえる風貌であります。しかも男前。弁護士で小金もち。
服装は仕立ておろしのもので青年らしい明るい色合い恰好でよくお似合い。頬ひげがチャームポイントであります。
とまあ外見的には不快要素ゼロの優雅な紳士なおじさん的な感じでありますよ。
まあ中身にちょっと問題があるんですけど。
その問題ていうのがなんというか・・・ナルシストなんですよねぇ。
自分大好きというか、だから自分に歯向かってくるやつとか大嫌いで、だから結婚相手はお嬢様嫌で貧乏人がいいとか。そのくせ顏にはこだわるんですけど。あと金持ちのくせにケチなんですよね。お金もっているのにフィアンセのドーニャとそのお母さんの旅費とかもだしてあげないし。・・・捨てられて正解かも・・・あっ・・・言っちゃった。
まあ他のメンバーが最低過ぎるんで彼の欠点なんて可愛いもんですよ。ラスコーリニコフは顏はいいし、勉強もできるけど、変な妄想に取りつかれて頭おかしいし、気難しいのでついてけないから無理でしょ。
マルメラードフは家族には優しい一面もあるけど、飲んだくれおやじでどうしようもならないし、なにより自分が彼に酒を貢ぐ感じになりそうだから嫌。
ゾシーモフは医者で金もってて仕事できるけど、太っていているからのろのろしてて、気難しくて、偉ぶる嫌味野郎だから嫌。金の指輪つけて金持ちアピールが気に食わない。
ザミョートフは自分の好奇心から人をおとしめようとする最低野郎だから嫌。
ポルフィーリィは白っぽい睫にうるんだ瞳。獅子鼻でどす黒く不健康な色の顏。まず外見が怖そうである。それにも関わらずかなり元気そうな態度で人を小馬鹿にしたような態度というのも気に食わない。
とまあ私が中間の半分まで読んで検討した結果、いまのところルージンさんが一番彼氏としてマシだと言えます。