「マンガ論」第十一回目(2010/7/12)

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「マンガ論」第十一回目(2010/7/12)は実存ホラー漫画家・日野日出志の「蔵六の奇病」の第三回目。蔵六の全身にできた毒きのこのようなものとは何を意味しているのか。愛は悪臭と痛みを超えることができるのか。くさい臭いを全身から発する蔵六を抱きしめることができるか。母にさえ見捨てられた蔵六を、しっかりと抱きしめられるものがいれば、そのひとは愛を体現できているのか。ナチスは愛する母と娘に痛みを与えることで、愛の破綻を実証した。今回は学生に問いかけることで授業をすすめた。


受講生の感想
今日の授業は人間の両面性について先生の話を聞いた。とても意味深いです。ちなみに蔵六の顔のできものについて個人的な意見には才能だと思う。つまり才能を持つものはふつうの愚かものからみると違う! この怖くて気持ち悪いできものは蔵六の才能の証明だ。逆に体から何もでてこないのは凡人だ!
(文芸 李麟)


人間は、極限にまで追い込まれると結局は様々な理由付けをして、自分の方が生きていく価値があると思って、自分の子や恋人すら見捨てるのだと思います。
“生きたい”という願望は最もつよい欲望だと思いました。
(演劇 三田悠希)


蔵六と私について、近いものがある様で、でも今の私の思いからすると、近いようで少し違う道を歩もうとしているのかもしれないと思います。。そのあたりも含めて、休み中に色々悩んで考えたいです。
(演劇 丸山詩野)


今日は先生の話を聞いて、どうして自分が芸術学部に入ったのか、を改めて思い出し、認識することができた。
これからも初心を忘れずにがんばっていきたいと思った。
(放送 藤岡晃維)


においは愛に勝つか。
勝てるホドの愛を私はもっているのか、ちょっと考えてしまいました。
(演劇 飯野愛希子)


蔵六の吹き出物の相対について考えるとなんだか切なくなった。周りに伝えたいことは、たくさんあったのだろうけれど、頭がそれに追いつかず、言葉に出来なかったのではないかと思う。その結果、できものが体中にできたのかな? と思う。だから、この招待は「苦しみ」である気がする。
(文芸 亀本実世)


すいません蔵六を抱きしめることは出来ないと思います。
臭いのだけは嫌です。
(放送 江越美紀)


人は共食いのかわりに他の生き物を殺している...くらいに元々考えていたので、先生の話にはわりとうなずくばかりでした。
(文芸 篠崎早貴)


「君達は蔵六側なのか、兄貴側なのか」という質問はとても難しいと思った。夏休み中しっかり考えたい。
(文芸 吉川萌)


なぜ七色の吹き出ものができるのか夏休み中にしっかり考えたいです。蔵六と芸術の関係性についても改めて考えさせられました。
(映画 小野寺志織)


きっと、蔵六のことえを抱きしめられます。
(文芸 藤塚玲奈)


蔵六のできものについてのみんなの答えが、すごく気になりました。自分の答えは夏にじっくり考えます。
(文芸 飯島辰典)


“愛は痛みをこえられるか”という議題おもしろかったです。
確かに難しい問題ですが、それは最終的には“愛する人のために死ねるか”ということですよね。
(文芸 粼田麻菜美)


私は、入学当時には特に志しがありませんでした。が、今は小説家になったら嵐の櫻井くんにあえる、という動機で頑張ってます。私には、なによりもつよい欲望ですから。
(文芸 菅谷七海)


熱い講義を聞くことが出来ました。元気が出ました。
ただテスト続きで疲れました・・・・・・。
(文芸 北村哲士)


ヘンゼルとグレーテルの裏の話? を聞いて、もう1度読んでみたいと思いました。グリム童話って怖いですよね。
今日の授業はいつもより考えさせられることが多かったと感じます。人間ってなんだろう。。。
(美術 石井悠子)