「日野日出志研究」第二号、刊行へ向けて着々と作業がすすんでいる。

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日野日出志研究」第二号には「雑誌研究」受講者のレポート以外に、日野日出志研究家や文芸評論家、大学教師、大学院生のエッセイや論文も掲載する。今回は映像研究家の牛田あや美さんの力作論文を紹介する。


牛田あや美さん(右)と放送学科教授の菅原牧子先生。笑顔が素敵なお二人、似ていますが親娘ではありません。
マンガの運動/時間/色
牛田あや美
 日本において映画とマンガとのかかわりは深く、ストーリーマンガの父と称される手塚治虫は映画監督になることを夢見ていた。手塚が青年期を送った時代は、当然のことながら、今のように安価な映画作品を製作することができず、莫大なお金と大きな映画会社なくしては成立しなかった。映画監督に代わる者として、マンガ家は、物語を絵(画面)で表現することができた。誰に頼ることもなく、ペンと紙さえあれば、自分のつくった物語を司ることができる表現方法であった。
 日本のストーリーマンガの起源となったと言われている昭和二十二年に発表された手塚の『新寶島』冒頭場面では、映画のカット割り手法を見事にマンガで表現している。この表現は、それ以前のマンガではなかった登場人物・場面の「運動」「時間」を見事に表したコマ割りとなっている。
 一頁目は表扉。二頁目は章の題名である「冒險の海え」と登場人物が車に乗り波止場へ向かっている場面。三頁目は均一に三分割されており一コマ目は登場人物が大急ぎで車を走らせている車の後ろを描き、二コマ目では登場人物の車に乗ったアップ。三コマ目は波止場に車が入り込む。四頁目もコマは均一に三分割され、一コマ目は船のアップと大きな字体で「ボウー」。まさに今、船が出発する場面である。二コマ目は船が接岸地点から少し離れ、あわててやってくる登場人物と小さな字体の「ボウー」。この画面により、登場人物と船との位置が離れていくことが明確となる。三コマ目は、乗船に間に合わなかった登場人物を後ろからとらえ、登場人物の目線からの船を描いている。
 この冒頭場面は映画における登場人物と対象物の位置を観客に一目で理解させることのできるイマジナリーラインを踏まえたカメラアングルである。これは手塚作品に多く用いられる手法であり、日本のストーリーマンガに「運動」と「時間」を入れた最も顕著な例である。
 映画が好きでマンガ家になった人物は手塚治虫だけでなく、多くのマンガ家がインタビューにおいて自身の映画愛を語っている。その一人に日野日出志がいる。日野は手塚よりも若い世代であるため、すでにマンガにおけるイマジナリーラインは初期の作品から多用している。しかしながら日野の作品にはこのイマジナリーラインが必ずしも効果的に使用されていないという面がある。例えば日野の代表作である昭和四十五年に発表された『蔵六の奇病』の冒頭部分を見てみたい。
 一頁目は表扉となっている。二頁目と三頁目は見開きでおどろおどろしい一枚絵が描かれている。
マンガは、単色が基調となっている。雑誌の場合は、カラー単色も多いが、単行本となるとき、多くは白と黒になる。そのためマンガは、読者に色を想像させるだけの物語構成と絵の力がなくてはならない。もちろん手塚の『新寶島』も単色で描かれているが、驚くべきことに、そこには色を想起するだけのスピード感と魅力ある登場人物が現れている。しかし、『蔵六の奇病』においては色を想起できない。蔵六の身体から七色の膿、色とりどりの毒キノコやカビという「色」についての言及が多いにもかかわらず、色が見えてこない。それはこの見開き頁でも同じことが言える。そこには死の村と化した光景が広がっている。画面の上半分には、葉の生えることのない枯れた木々。その枝に停まっている無数のカラス。画面の下半分には、動物たちの屍。それを食い散らかしているカラス。人間の骨とも読み取れる生き物たちの骨、骨、骨。絵の真ん中には次のような言葉が羅列している。

むかし さる国の
あるところに
死期のせまった
動物があつまる
ふしぎな沼が
あった
人々は その沼を
ねむり沼とよんで
だれひとり
近づく者は
なかった

 マンガは絵と文字から成立しているものであるが、引用した文章は、そのどちらかを手がかりにしたところで、色を想起することができない。まさしく色のないねむり沼のある死の村そのものでしかない。見開き頁は、色よりも死臭を出している画面として登場している。
 三頁目は七分割されている。上画面の六割強が、ねむり沼の秋、あるいは冬を表す絵となっている。残り四割の内、半分は登場人物である蔵六の顔半分と右手、残り半分は蔵六のバストショット、それと右手を描いている。均等に割れているこの二場面は実は距離を少し変更しているだけであり、ストーリーを動かすための「運動」と「時間」を表しているとは言い難い。蔵六の顔半分の画面には「蔵六の顔一面に……」という文字が入っており、蔵六のバストショットの画面には「毒キノコのような七色のでき物がふきだしたのは…」と書かれている。蔵六の特徴を表す言葉を入れるためにはこの文章を二分割にしていれる必要はあったのだろうが、画面だけを見たときには必ずしも入れる必要のないコマとも考えられる。限られたページ数で成り立つマンガにおいて、ストーリーの「時間」を進めるためにはいかに省略して描くかが問題となるからである。
下画面のなかで最も大きなコマのなかで、蔵六は縁側に小さくなっている姿が描かれている。そこにも文字が書かれている。「村の桜も満開のころであった」と。この一文を読み、再度上画面の六割を占めているコマを見直した。どう見ても秋か冬にしか見えない。画面の左に花のようなものが描かれており、それが舞っている。しかしこの画面で最も目を奪わるのは「枯れた木」である。それは遠近法によって画面の最も近くにある「枯れた木」を中心に、遠方において山が広がっている。文章のとおりに読むならば、画面左半分、全体の二割くらいであるだろうか桜の花はピンク。春を表している場面であるのだから、この遠方にある山は緑でなくてはならない。しかしながら、この「枯れた木」が前にあることから、この画面のなかでピンクや緑を想起することはできない。仮に『蔵六の奇病』がマンガでなく、文字だけの小説であったのなら、文章表現だけで読者に「色」を想起させることができただろう。しかしながら絵がそこに描かれていることによって、「色」がなくなっている。
蔵六が縁側で小さくなっている画面を再度見返してみる。文章にたよって想像するのなら、地面に落ちている黒いものは桜の花びらなのであろう。黒く塗られている虫は、蝶々を描いているのであろう。しかしこの文章に頼らず画面を見ると地面におりている黒いものは枯れた葉や花のようであり、黒く塗りつぶされている虫はゴキブリのように見える。なぜ言葉と画面が矛盾しているのであろうか。そうさせている仕掛けは何であるのか。
この画面においてもやはり生きているとは思えない木を右側に描いている。この木の描写から見ると、この木は地面から生えている木である。縁側に使われている木。障子戸に使われている木。家の中で使われている木。木の模様が同じように描かれている。すでに木材となってしまった木と、辛うじて地面から伸びている木の生死の境界がないのだ。
次の画面では縁側で小さくなっている蔵六に兄が小言をいっている。この画面においては、蔵六、兄ともに全身の九割は画面のなかにおさまっている。そして次の画面でも兄の小言は続く。しかしそこは全身を描くのではなく、兄のバストショットが描かれ、クローズアップの手法をとっている。クローズアップ効果を使うことにより、兄の小言とともに顔を大きくすることによって、「怒り」を蔵六に向けていることがわかる。次の画面では何も言葉を出さない蔵六のクローズアップとなり、四頁目は終わる。兄に小言を言われている蔵六の画面も、上画面の三コマ目の蔵六のアップ同様にそれほど必要な画面ではない。なぜなら、この何もいわないクローズアップの場面は、言葉に出さない蔵六の気持ちを代弁しているのであるのだが、この頁に続いていくコマで繰り返し蔵六の声に出さない気持ちを表している画面が描かれているからである。
 ストーリーマンガの起源と言われている『新寶島』から二十年以上も経て、『蔵六の奇病』は発表されている。『新寶島』以降、ストーリーマンガはいかに絵によってストーリーを描くのか、ストレスなく読者に提示することを挑戦し続けてきた。『蔵六の奇病』が発表された時期にはすでにストーリーマンガの文法は確立し、また別のストーリーマンガ文法を作り上げる時期であったのかもしれない。
 『蔵六の奇病』の方が現在に、より近い時代であることから、現代の人には読みやすい構成になっている。『新寶島』はもちろんそれより二十年以上も前であることから、画面構成などは現代とはかなり異なっている。しかし、ストーリーマンガにおける「運動」と「時間」、さらには「色」を想起させる点においては、『新寶島』は明確である。
『新寶島』は古典的ハリウッド映画の文法における「運動」と「時間」をストーリーマンガに見事にあてはめている。手塚自身が映画に夢中になっていたこと、さらには前述した「運動」「時間」を意識的にコマに描いている事から明らかである。
マンガはよく「癒し」であると言われているが、映画の基本的文法を築いた古典的ハリウッド映画もまた「癒し」としての効果があった。そこには観客が自身を忘れ、登場人物になりきり、ストーリーに没頭してしまう仕掛けを生み出した。辛い現実を少しの間でも忘れることのできる一瞬を人々は求めていた。辛い現実を映画やマンガの中で再確認する必要などないのである。しかしながらそこにとどまっていたのなら、映画もマンガも芸術としての可能性をなくしてしまう。第三者へのコミュニケーション、そして作品に対してのイマジネーションがなくては、芸術は成立しない。
 今回『蔵六の奇病』を読み直すにあたって、ペンギンカンパニーから発行している『日野日出志 怪奇・幻想作品集』に収録されている作品すべてを読んだ。そして日野日出志作品に通底している作家の問題に気がついたのである。マンガに描かれている絵・文章すべてが隠喩でしかないということである。『日野日出志 怪奇・幻想作品集』を読んでいる際、ドイツの映画監督ミヒャエル・ハネケの作品が浮かび上がってきた。ハネケの作品のなかで、手に入れやすい二〇〇九年にカンヌでパルムドールを受賞した『白いリボン(DAS WEISSE BAND)』を例にとってみたい。当然のことながら時代も国も言葉もすべてが『白いリボン』と日野作品には共通点がない。しかしながら、前述した『新寶島』と比較した際に出てきた「運動」「時間」「色」については共通点を持っている。「運動」「時間」においては両作品ともにダブってしまう場面がある。
白いリボン』は白黒映画である。カラー映画作品が珍しい頃には、通常映画は白黒であったのだが、現在のようにカラー映画が一般的な時代において、白黒映画は奇妙に感じるかもしれない。さらには白黒映画をいま撮るということは、カラー作品を撮るよりもお金がかかる。それをあえて白黒映画にしているということに意味をもたせていることになる。題名に「白い」が入っているので、観客は「白」と認識できるが、白黒映画で「白」を強調している点は作家のこだわりであるだろう。にもかかわらず、『白いリボン』も色を想起させない作品となっており、色のない世界を描いているのである。
『蔵六の奇病』では文章と絵を矛盾させているがために色を想起させないように、『白いリボン』も題名に色をいれているにもかかわらず、色のない世界を描いている。ある村に起こる殺人事件をも含む次々と起こる奇妙な事件。結果だけを画面は提示し、原因が全く不明なまま終わっていくように、『蔵六の奇病』においてもなぜ蔵六にだけなぜ奇病がでているのか作品は示さない。しかしそこにこそ、観客・読者とのイマジネーションが生まれている。作品はラストシーンがあるにもかかわらず、その後に続く未来を考えずにはいられない。「嫌な予感」が現れているのだ。それは作家自身にもわからない何かが作品に隠喩としてでている。そこにこそ「癒し」ではない芸術表現が生まれるのである。

【参考文献】
酒井七馬 原作・構成、手塚治虫 作画『完全復刻版 新寶島』小学館クリエィティブ、二〇〇九年。
日野日出志日野日出志 怪奇・幻想作品集』ペンギンカンパニー、一九八七年。
【参考映画】
ミヒャエル・ハネケ白いリボン』独・墺・仏・伊合作ドイツ映画、二〇〇九年、モノクロ/ドルビーSRD/二時間二十四分。