猫蔵による日野日出志氏へのインタビュー(2)

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日野日出志氏へのインタビュー
インタビュアー:猫蔵

「怪奇と叙情」を語る。そしてこれから
2005年12月 所沢市日野日出志先生のご自宅にて

猫蔵 日野先生、以前おっしゃっていたんですが、怪奇と叙情の、怪奇の部分を今まで強調されてきて、逆にこれからは叙情の部分を強調したいということは、つまり、『蔵六』の世界との決別という意味なんでしょうか?

日野 いや、決別というよりも、これまでは怪奇の色合いが強かったので、シフトを少し叙情に移して。一番はじめにやりたかった、子供向けのマンガということを考えるとね、いま、それを漫画の世界でやることは難しいので。雑誌なんかの関係で。そうすると、児童図書とか絵本とか、そういう方向なのかな、と。ただ、それも結構挫折していてね。言い始めてからもう二年ぐらいになるのかな。やってはいるんだけど。やってはつっかかり、やってはつっかかりなんで。漫画っていうのは、ある程度フォーマットが決まっているでしょ?方式がね。その方式の中に、自分の個性を出せば済むことなんで。原稿サイズも決まっているし。
ところが、それ以外の、絵本・児童図書なんかの場合、そういったものが全然ないんだよね。まったく形式が自由でいいわけ。逆に、コマ割り絵本なんていうのもあるから。特に欧米なんか、40、50ページのオールカラーコミックスというかたちであるんだよね。ただ、絵はものすごくリキ入っていて、アートに近い。そういうものまで含めると、多種多様。それで、日本のものも調べたんだけど、児童図書って言ってもしぼり切れないくらいジャンルもあるし、表現方法の幅があるんですよ。
今まで自分がやってきた、マンガという表現方法の積み重ねがあるんだけど、逆にそれが足を引っ張っちゃう部分もあるんだね。正直言うと、そこで、はたと行き詰って、立ち止まっているところなんだけれども(笑)。試行錯誤でね。
実際、今までやってきた怪奇もの、一般でいうとホラーっていうのかな、やめたいって思ったことが何回もあるって話しは、前にしたと思うんだよね。でも、やめようとすると、いつも引っ張られちゃうんだよ。

猫蔵 怪奇の世界に?
 
日野 うん。平成元年ぐらいもそうだった。例の宮崎事件のときに、マスコミに相当いじくられて、くたびれちゃったんだよね。面倒くさいなと思う、こういう問題が起きるのはね。だから、もともと自分の本来の出発点だった、子供向けをまた一からやってみたいな、って思ったりしたのね。で、俺の知り合いで、イラストレーターでデザインもやる奴なんだけど、そいつと組んで、当時スタジオ1という名前のプロダクションを作ったの。とにかくどんなカットでも、絵を中心とした仕事でやろうということで、いろいろ営業して。実際、1年半ぐらいはいろいろ大変だったんだけれども。やがて仕事が来るようになって。例えばアニメブックかな。そういうものを作ってたのよ。『赤毛のアン』とかね。大変は大変なんだけれども、ゼロから自分の作品を作ることを考えると、はっきり言って遊んでいるようなものなの。そういっちゃ失礼かもしれないけど。自分で単行本書き下ろすよりも、遙かにいいわけね(笑)。これはいいな、これでホラーを止められる、と思ったわけ、その時は。で、一年半ぐらい、その仕事をずっとやっていた。そしたら、ホラー雑誌が出始めたってこともあって、そこから注文が来たのね。あんまり乗り気じゃなく、始めたんです。当時、8ページ、16ページだったかな。

猫蔵 読み切りで?
 
日野 いや、連載で。どうしようかなと思いながら、でも、いつこっちの仕事がまた駄目になるか分からないところがあったんで。
ごく、お手軽に、子どもの世界、学校というものを舞台に出して欲しいってことを、編集長が言ったから、「学園百物語」にしようということになった。単純に始めたの。始めたら、そちらのホラー方の仕事が弾み付いちゃって。本来、そちらの路線でやってきているわけだから、決して嫌いじゃないんで。だんだん本気になって来ちゃった。気が付いたら50回まで続く様な状況になって。それ以降10年ぐらい、ホラー雑誌で相当な量の仕事こなしてきちゃったの。
でも、またそのときに、結局、ホラー雑誌そのものが、そろそろ限界というのもあって。また自分自身も惰性でやっているのを感じていて。このままやっていて良いのかな、みたいのがあって。年齢も考えて、自分があと何年描けるのか、というのを考えてみた。そうすると、自分がいま一番なにをやりたいのか、ということを問い直したときに、もう一回原点に戻ってやってみたい、というのがあったんですよ。

猫蔵 その部分が、叙情なんですか。

日野 ファンタジーというかね。まだ具体的に掴んでいるわけではないんだけど。イメージとしてはある。もう何度か絵本を書き出したんだけど、途中で止まっちゃうんだよね。まるで新人のときみたいだよ。

猫蔵 それが、この前ちょっとお伺いした、宮沢賢治を構想してらっしゃるという部分につながってくるんですか。

日野 いや、あれは清水先生が、『宮沢賢治論』を出したいから、そこで絵を描いてみない?っていわれたの。しかも年内って話しだから、描く側としては、そう簡単には…。宮沢賢治は、初期の頃よく読んでいたし、好きなんだけれども。当然、ある種の影響は受けている。やってはみたいですよ。だけれども、宮沢賢治の作品っていうのは、文章で完璧に完成された世界。あの完成された世界にはね、そう簡単には手は出せないんですよ。心の準備もないしね。自分でやろうとすれば、もう一回読み直して、文章の一つ一つを自分のなかで熟成させてから、っていうのはありうるけど。すぐに書きますよ、という風にはいかない。清水先生にはそう説明したんです。だから、僕の方からやるということではなかった。

猫蔵 もし、「怪奇と叙情」の、怪奇ではなく、叙情という部分に戻るとしたら、宮沢賢治の世界とどこか通底するところに立ち返るといいますか、異なるとしたらどの部分が異なるのか、現時点ではどの程度まで構想されているんですか?

日野 そこまで行くとすると、凄く難解な話しのつくりかたになってしまう気がする。もっと単純に、娯楽としての、子供向けのものを考えているんだよね。いずれにしても、物語を作れば、必然的に何かしらテーマ性みたいなものは付随してくるんだけれども。どっちかって言うと、今まで自分がこだわってきたのは、テーマ性のほうであって、それが嫌な人にはヘビーなわけよ。見たくない、って風になっちゃう。難しいけどね。とはいっても、やっぱり娯楽性というのは常に頭にある。

猫蔵 漫画業界といいますか、出版についてのお話しになるんですが、ホラー漫画という規定がある以上は、どの程度までホラーを使わざるをえないんですか?

日野 雑誌の場合、ホラー雑誌はホラー。

猫蔵 実験的な試みで、例えばホラーを全く出さないホラー漫画とか、どの程度までギリギリできるものなんでしょう。

日野 うーん、いまの雑誌ってそんなキャパはないな。

猫蔵 求められたものを?

日野 うん。だからこの間も清水先生が、「日野日出志は娯楽漫画を描かないで『蔵六』を描くんだよ」って。そこなのよ。『蔵六』の場合、娯楽性と、自分のなかにあるテーマ性・メッセージを、ギリギリのところで押し合って。それで、自分としては解答だと思った。
娯楽性だけに引きずられているわけでもなく、テーマ性だけにのめりこんでいるわけでもない。両方を兼ね備えるために、一年もかかった。でも、なかなかね。そんな作品、沢山は描けないんだよね。俺の場合、やっぱり自分のことから、自分の身体の中から発想しているので、そこから派生して、自分の親兄弟、血筋みたいなことから出発しているから。当然限界はある。例えば、今回は親指一本、次は人差し指、ってふうに身体の一部を切っていけば、いずれ無くなっちゃうからね。腕も足も。
結局、三十代で壁がきたんですよ。だんだん、どうやっていいかわからなくなってきた。雑誌の方も、俺に注文が来なくなっちゃった。単行本の書き下ろしって方向にやむなく流れるしかなかった。10年ぐらいそれが続いて。しんどかったんだよ。ただ、単行本の書下ろしの仕事をやったのは、後になって考えてみると、よい勉強になったし。ホラー雑誌からガバっと注文がくるときに、30ページ、月三万くらい、なんということもなく描けるようになったからね。二十数年たって、自分の中のいろんな引き出しができたんだろうけど。それに、やっていて面白いところもあったし。俺、こんなに描けるのかって思うくらい、量をこなせたんだよね。二十代の頃より、よっぽど描くの早くなったんじゃないかな。多分、人の使い方もうまくなったんだろうけど。
それも十数年やって、ちょうど2000年に入った辺りかな。それにも疑問を感じてきて。デジタルでなんかやりたいって思ってたんだよ。ホームページ作ったりして。2001年にデジタル系の会社と契約したりして、2002年の秋まで。だけど、やること全部うまくいかなくてね。契約切れたときに、2003年は、なんとなくどかっと疲れてたんだよね。絵本とかはじめたんだけど。やはりストップしちゃって。2003から2004、それでもう今年(※2005年)も暮れるよね。

猫蔵 原点回帰ということで、当時『蔵六』は、怪奇の部分に特化したやり方だったと思うんですが、現在の日野先生が、あの時とおなじ情熱で、もういちど叙情の部分に光を当て直して、新たなものを表現しようと?

日野 意気込みはあるんだけどね。体力とか落ちているのかなって、ふと不安になるときがあるのよね。ダメなんじゃないか、って。それを、「今はあの頃とはもっと違うものがあるんだ」って自分に言い聞かせることで。もしかしたら自分をごまかしているのかも、って思いながらね。内面はじくじたるものがあって、これでも苦しんでるんですよ。
去年、アメリカで単行本が十数冊でたりして、今年またスペインで2冊、また来年2冊出したいって話しがあって。去年フランスのエンブレムってところで、国際漫画フェスティバルっていうのがあるんだけど『地獄変』が、どこかの部門に最終ノミネートに残りましたって言う連絡があったんです。

猫蔵  先生ご自身はご存じないのですか?

日野 フランス版が去年出たんです。青林堂経由なんだけど。『地獄変』と『赤い蛇』2冊ね。20年以上前の作品だし、実感ないから。今年ね、アメリカ版の『ザ・バグボーイ(毒虫小僧)』が、アメリカで毎年、ワールドホラーコンベンションというイベントがあるんですが。ホラーというジャンルの中の、映画だとか小説、コミックやゲームを集めたイベントがあって。漫画部門で賞取ったって。あれなんか30年前の作品だからね、実感がない。ホラーやめようっていうのに困るよな、っていうのがある。
その前に、アメリカ版出したときに、世界じゅうから取材が入って。カナダ、アメリカ、メキシコ、イギリス、あとイタリアもあったかな…反響があったみたいで、戸惑っているのが今の状況です。

猫蔵 先生のお名前だけが一人歩きして、別の人格を作っているということですか。
 
日野 そう、やめようとすると、必ずそういうことが起きるの。そうすると、気持ちがぶれるじゃない。ホラー物やれといわれれば、いつでもできるのよ、正直。その気になりさえすれば、今日からでも考えられますよ。
だけど、昔、『蔵六』やったときみたいに、すごい情熱で描けるか、っていうと、わかんないんですね、自分でも。いま、この年になって、非常に大きな壁にぶつかっているんですよ。

猫蔵 ビデオ作品も、アメリカでDVD化されました。あれも、日野作品のひとつではありますが、純粋なホラーと呼ばれるものから抜け出そうとした、ひとつの試みだったように僕は思うんです。『ギニーピッグ』などは。

日野 当時、あのビデオを作ったときは、一番しんどかったときだから。漫画では単行本やっていた時代ね。もうやめたいな、みたいなのがあって、単行本やっていた10年間のいろんな想いを『血肉の花』でぶつけたんですよ。そういう意味では、挑戦的な作品だと思うのね。
去年、日芸の講義でもお話したじゃないですか。「あのビデオは犯罪だと思いますか?」と俺が問いかけたら、みんな「思いません」とリアクションを返したよね。現実にはそうかもしれない。だけど、本心を言うとね、俺としてはそうじゃないんだよね。ある種、社会に対して、刃を向けたつもりである。『地獄変』も描いた後だし、ある種、挑戦状みたいな気持ちはあった。

猫蔵 ストーリー性も「叙情」も、一切なしで、挑戦状の為の挑戦状として?

日野 一切なし。

猫蔵 まったくストーリー性がないという部分で、僕は一番はじめに日野作品に触れたんです。

日野 だから、あれは逆に、最初話が来たときは、物語性のあるものをやりたい、って思ったのね。予算がないから難しいと。カメラも長回しで、一箇所で撮れるように。一体なにが作れるんだよ、そんなもの、となって。考え出したのがあの方法だった。どうせやるんであれば、ちゃちなテーマとかいれたりすると、かえって安っぽくなるから、一切なしで。単に変な趣味の男がいて、まあ社会では大きな犯罪だけど、淡々と、カメラを回している。男の心象風景とか、そんなものには一切触れないでね。自分がバラしている行為をとり続けている、ってだけで。ただ、カメラアングルやカメラワークを考えると、誰か一人、撮影者がいることにはなるんだけれども。

猫蔵 その当時は、やがては「怪奇」とはまた別のものに、いずれ回帰するだろうということは、どこかで意識されていたんですか

日野 その頃は、自分がまた漫画を描けるようになる時代がこようとは思っていなかったんだ、正直。とにかく、いつでもやめてやる、みたいな気持ちでいましたね、常に。だからこそ、思い切ったことがやれたんじゃないか。

猫蔵 そのような変化球といいますか、世の中への挑戦状は、もうそろそろなされるような時期なんでしょうか?

日野 うーん、映像の場合、やるという会社なりプロデューサーがないとね。去年は俺の原作で作品を映像化したじゃないですか。映画で6本。そのプロデューサーは独立したんだけど、もうひとり若いのがいて、「自分もやってみたいんですけど」みたいな話しはしてたんだけど。 監督ってどうなのかな。やれっていわれればやりますよ、みたいな話しはしているんだけど。映像の世界は先が読めないんで、なんともいえませんが。

猫蔵 僕の勝手な考えなんですが、やっぱり日野先生の世界は、実写ドラマでは出ない気がするんです。やるなら、例えばクレイアニメだとか。

日野 実写だと、なかなか出ないですね。絵の持っているメッセージ性が。実写になっちゃうと、誰が撮っても、映像はそんな変わらない。
なんだろうな。キタノブルーなんてあるけど。大抵の場合、カットだけで切り出したら、誰がやっているか分からない。だから、漫画で固定したイメージを、実写の映像にするのは並大抵じゃない。

猫蔵 映画を見ていて、ただストーリーを追ってしまったんですよ、僕。原作を読んだときの、空気に浸るといいますか、その場に寄り添うといいますか、それができなかった。蔵六じゃないんですけど、佇んだり、臭いを嗅いだり、ぼーっとみつめることができなかった。起承転結で、ずっと一本のストーリーを映像化して、ああよかったね、で終わってしまった。そこが悔しかった。僕が日野先生の世界を映像化するとしたら、粘土をこねて、臭いをまず再現するんですが。

日野 まず、キャラクターを作るとき、粘土細工をこねるように、顔の向こう側を感じさせるような絵を描きたかったんです。風景にしてもそうなんだけど、ただの紙っぺらとは違うから。向こうがありますよね。それを感じるような質感。絵の存在感につながると思うし。あと、人形アニメってあるでしょ、一コマ撮りの。僕、好きなんですよ。ああいう作家になってみたいという想いもあったんで、そういう絵柄になったのかな。

猫蔵 テーマと、ストーリーというものの関わりについてはどうお考えですか

日野 ストーリーというのは物語だよね。始まって、動き出し、終わるとき、誰が作っても、ちょっとは何かしらのテーマが出るんじゃないかな、意識しなくても。

猫蔵 先ほどの『ギニーピッグ2血肉の華』のような?

日野 俺は全然意識しなかった。むしろ、意識させないように作った。だけど、観る人によっては感じているみたいだから、難しいと思いますよね。自分の作り方でいうと、例えば『蔵六』の場合はね、当時俺はバイトで、印刷工場でゲラ刷りの少年雑誌を刷っていた。そこでちょうど、「お腹の中にできものが出来る」って書かれた、ちょっとした囲み記事を見つけたの。不思議でね、それがちょっと頭に残っていた。実は僕は、小学生時代の図画の時間に、「色の足りないクレヨン」で悔しい想いをした苦い記憶があって、ずっと色にはこだわりや渇望があったの。その記憶へ、そのとき「ポン」、と飛んだんですよ。自らの膿を絵の具にして、絵を描くのはどうだろう、と。ちょうど、自らの心象風景と重なるところがあったの。これはいいものが出来るぞ、と、とりかかったわけ。

猫蔵 漫画家としての目に対し、批評家としてのご自分の目というのは、描いている際、どの程度まで働いていたんですか

日野 清水先生も書いていたけど、蔵六の兄貴が鍬を洗うシーンがあるじゃない。あれは明らかに、彼の性的な衝動の象徴だった。それはズバリですよ。あんなコマからよく読み取るよね。当時は、一コマ一コマ考えながらやっていたのは事実。だから、構図も何回も変えたし、石ころ一個にこだわったっていうのはそういうことなんです。石ころ一個あるか否かで、道の状況は違ってくる。例えば、歩いている道の先の、落ちているその石に、つまずくかもしれない。読者は無意識のうちに危機を感じる。その一個の石に、意図的な意味がなければ、描いちゃいけないんです。特に短編において、一コマはそのくらい重要。それは、相当意識して描いています。

猫蔵 日野先生の作品というのは、一回ストーリーを読んだらお終いではなく、また読めば、またおなじ空気の中に入っていける、という様なものがあるように感じます。僕はいま「見世物小屋」というものについて調べているんですが、見世物小屋とは、常に何かと対面できる場所じゃないですか。かつて入ったことがあるとしても、空気に触れるために、もう一回中に入る。一回入ったからもう行かない、ということはない。それに近いものを感じる。読者自身も、蔵六であり、その場に立ち会っているというイメージを抱くんです。

日野 当時は、マンガ描くときに、特に見世物小屋を意識したというのはなく、僕の場合、考えていたのは、杉浦茂という漫画家。影響を受けて。大好きだったんです。目の描き方とか、雰囲気が少し残っていると思うけど。何回でも読み返せる漫画を描きたいと思った。杉浦の作品をよく見ると、細かいところに花が咲いていたり、ディティールに凝っているんですよ。今見ちゃうと古いんだけど、一個一個がたまらなく愛しいのね。そういう絵を描きたかった。草一本、花一本にこだわったのはそういうことなんです。一回読んだら読み捨てじゃなくてね。当時から既に、漫画は、スピード感なんかが重視される時代になりつつあって、僕はある意味、時代に逆行していた。読むたびに、違う発見があるような、そんな作品を書きたかった。その意識はずっと一貫してあるね。

猫蔵 作品を読み返して気づいたんですが、見開き一ページの構成が、浮世絵のように形を持っている。そして、次のページにつながる、何かしら期待を抱かせるものがありますね。

日野 ええ、当然それも意識しました。漫画って、上から順に読むんだけれども、見開くと、どうしても全部目には入っちゃいますね。今も、見開きから、こまの構成を考えるんです。 本となる以上は、書店に並んで、不特定多数の読者に送る。娯楽というものはね、まず大前提に考える。お金を出して買ってくれるんですから。語る以前にある。だから自分は、そこにプラスして、自分の世界を塗り込めていきたい。

猫蔵 エンターテイメントと自分の世界を対比させた場合、エンターテイメントの方を否定しがちじゃないですか。

日野 それは大間違い。表現するもので、純粋絵画とかはよく分からないけど、僕が目指したところは漫画家ですから。芸術って何なのかと問われたとき、一言で言える人はそういないと思う。なにをもって芸術とするか。だから、それ以前に、漫画は娯楽なんだ。遊びの世界としてある。それを意識した上で、物を作る人間の端くれとして、何かしら自分のもっている想いだとかを、少しずつ、作品に塗り込めていきたい。それだけのことなんです。そこでどんな立派な哲学を語ろうとも、読んで面白くなければ何の価値もない。漫画として読めなかったら一切ね。

猫蔵 漫画に限らず、何を伝えるにしても、見世物小屋の話しではないですが、お客に興味を引かせるじゃないですか。啖呵や口上にしても。それで、最終的に何かを見せるか否かは別問題として、見せようとするところにもっていくところが、日野先生の漫画の、み開いたときに、次のページをめくりたい、読み終わっても、もう一回最初から読み直したい、という部分と繋がってくると思うんです。

日野 うん、さっきも触れたけど、まず見開きで構成考えますよね。ページがあって、物語が始まります。奇数ページの最後のコマ、これは多かれ少なかれ、次のページをめくらせるコマなの。だから、何かしらここに、引っ張るものをいれるわけ。ページを開いてみて、あっとなり、また、なんだろうな、とめくってみる。とくにホラーっていうジャンルはそれが大事。次のページに期待させるなにかが。それは常に意識して。ページ割りのときに、そのページにどれくらいの要素が入るか、って勘で分かるから、ノートに描いておくの。例えば、ここで主人公がしゃべる、それを受けて友達がここでしゃべるとか。夕焼け空など、風景・町並みを含めて。見開きでほぼ決まっているんだよね。

猫蔵 後は、細部を再現していく、と。

日野 そう、後はそれを絵にしていく、と。だから、ノートに書いているときは最高だよね(笑)。まだ絵も入っていないでしょ。イメージとしては、常に最高のものを思い浮かべているんだけど。どうして絵を入れちゃうとこんなにつまんなくなるのかなぁ。考えてみると、デビューして今年で38年目。来年で39年目ですよ、もう。40年近くやっていてね、まだそんな状態ですよ。かれこれもう400タイトルを越えたけど、まあ駄作につぐ駄作の山だよね、ほんとに。だから、代表作ってよくインタビューやプロフィールで聞かれるんだけれど、『蔵六の奇病』『地獄変』『赤い蛇』なんかは、いま見れば足りないところもあるし、当時思っていたよりも、抜けているところがいっぱいあるんです。だけど、当時は必死だった。敢えてそれを、僕は代表作と言っているわけだけど。

猫蔵 さっきのお話と被るのかもしれませんが、次のページになにかを見せようとする仕掛けは、作者の日野先生ご自身も、次に何かを見たいからこそ描いてらっしゃると思うのですが。そのような、見たいものの源泉というのは、どこから導き出しているのでしょうか

日野 よくアシスタントに聞くのね。僕の中で、大まかな話しの筋は出来ているけれども、間のエピソードだとか、ラストが決まっていない場合があるの。設定だけが出来ている。とにかく、締め切りもあるんで、描き出しちゃうの。主人公のキャラクターだけは決める。友達の有無、引きこもった少年、あるいは女の子の友達だとか。表紙もタイトルも決めて。おおむね、学校へ行くシーンだとか、設定さえ決まっていれば描けるでしょ。このあと、展開を考えるんだけれども、「これからどうなると思う?」って三人ぐらいに聞くんです。
で、「そんな思いつくようなことじゃ、だめ」って言って。俺はもっとすごいこと考えてるよ、って言う。自分でもまだわかんないわけね。40ページくらいあるとすると、一日4ページずつくらいやるんです。そうすると、1ヶ月90〜100枚になる。4ページずつだと、10日で40枚になる。ま、30日丸まるやることはないから。当時は、一作品やったら休み、を繰り替えしていた。最初の日は、やはり3ページぐらいしかいかないのね、当然。描き始めるんだけど、先がぴっちり決まっている場合もあるし、全然決まっていない場合もある。長くやっていると、引き出しがあるからね、思い切って描き始める。それを見た漫画家の友達なんかはびっくりするけどね。短編でそんな描き方できるの、怖くないのって。それが面白いんじゃないか、って言い返すんだけど(笑)。それは、後から何とでも出来るのが、怪奇漫画ですよ。伏線のつもりじゃなくて書いたものを、伏線にもって行ったりとかね。それが可能なんです。すでに40ページ決まっちゃっていたりすると、自分の中でも驚きがないでしょ、展開に。自分は分かっちゃってるから。読者は、大方の予想をして読むはずだから、それをいい意味で裏切っていかなければならない。予想できたらつまんないでしょ。ということは、自分も裏切らなければならない。のりに乗っているときなんかは、朝方とろとろ目が覚めかかる頃に、その日のことを考えているわけよ。今日は何ページ進むだろうとか。無意識のうちに、ぱっと閃くことがある。その結果、昨日考えていたことと、まったく違う展開になったりする。すると、自分が新鮮なんですよ。なるほど、でも結局、「その先どうすんの」って話しになって。またアシスタントと試行錯誤する。明日まで待ってみよう、ってなる。そういう書き方することもある。

猫蔵 それはやっぱり、悩まないと出てこないものですよね?

日野 当然、悩んでいますね。あとは夢のお告げじゃないけど。何となく、もやもやっとした、テーマらしきものが先にあるわけですよ。10日間のスパンがあるわけです。最初にネーム切っちゃうやり方っていうのは、10日間の間ですから、3日や4日で仕上げなきゃいけない。俺の場合、10日の余裕がある。普通の漫画家は、ネーム出して、編集者と手直しのやり取りするわけです。僕は、最初からそれやってないの。一ページずつ、下書き描いたらペン入れていっちゃう。『蔵六』は違いますよ。全部下書きやってからだったけど。だから、自分でも、次になにが出てくるか、分からないような描き方をするっていうのかな。小説家って、そういった書き方する人多いんだよね。

猫蔵 自動筆記じゃないですけど

日野 そう。大方、創作ノートみたいのはあるだろうから、構成は出来ているだろう。
細かいディティールまで書いたら小説になっちゃうわけだから。俺なんかの場合、ノートにラフ描きでざっと描いて。その間に、自分のなかで10日間あるわけだから、表紙なんかを描いている間に、自分の中にあったものが、多少なりとも熟成してくる。自分にとっても意外な、ある意味で凄い面白い方向へ、話しがすっ飛んでいくときもあるし、逆に、エッ、てくらいコケてしまうときもある。

猫蔵 周りからの評価が?

日野 いや、自分のなかで。しまったな、と思っても、でもプロという仕事をしている以上、そうは見せないようにしますが。

猫蔵 日野先生は、幼少の頃のご記憶を、恐怖や懐かしさの源泉としてもっていらっしゃると思うんですが。その幼少の頃に感じたものを、例えば取材などを通じ、いま一度具体として肉感する機会などは求められないんですか。

日野 ないですね。自分の少年時代がまだあるから、それを基にして、何十年もやっていると、自分のなかに全部引き出しがあって、電話線をつなぐように。1から100まであるとするでしょ。組み合わせて繋げると、なんとなく物語らしいものにはなるんです。そのままでは使えませんが。そういう、ずるいやり方を覚えてきちゃって(笑)。だから、アイディアは枯れることはないっていう自信はある。
毎日1本出せって言われたら、作れる。でも、結局それは、積み上げてきたそれを技術的にやっているだけだから。『蔵六』や『地獄変』をやっていたときみたいに、ほんとにのめり込んで描く状況ではないんですよ。仕事、商売になっちゃっている。それだったら、なんぼでもできるんです。それが、自分で惰性だとかを感じたんで、イヤだなと。もういちど、原点に戻りたいな、ということだったんです。ほんとに出来るかどうか分からないけど。なにが出てくるのか。

猫蔵 いまの自分が、もう一回、過去に受けた衝撃を味わおうと思って、例えば、恐山のような異質な場所に行ってみようだとかは考えないんですか

日野 いや、ああいう所って、行かなくても分かってるから。本当は行かなきゃ行けないのかもしれないね、そこの空気とか。ただ、あそこに行って、イタコがどうとか、最初から作り事だと思っているんで。作られた世界。その意味を、僕は否定する気はない。そういう場所があってもいい。大事な人が亡くなった、あそこに会いに行く。でも、行く人も、本気で魂が降りてきているとは思っていないと思う。それが、イタコの声を借りて、仮の形で。要するに、生きている側が、自分を癒したいわけでしょ。死んだ人間なんか、なんも考えているわけがない。あるわけないから。分子がバラけてしまったわけですから。死後の世界なんて話も聞くけれども。まったく何もないとは思わないですよ。ですが、今、いんちきなTVでやっているような、後ろでおばあさんの霊が応援しているとか、そんなものはない、と。あるんだったらば、じゃあ、今日もまたニュースでやっていたけれども、小学校1年の女の子がですよ、変質者にね、殺されるのをどうして助けられない?その人の人生に影響を及ぼすような力があるんだったらね。何も出来ないじゃないか。そんなことより、現実にそういう人間がいる、ということの方が怖いわけですよ。
だから、TVでああいう番組をやるのはいかがなものか、と僕は思うよね。占いもそうだけど。変な新興宗教、オウムなんかも、そういう流れのなかにあると思うんだけど。科学で解明できない、そんなのは当たり前。解明できないことの方が多いじゃないか。
たとえば恐竜の身体の色だって、いまの科学じゃわからないものね。骨だけじゃ。恐竜って、最初は、尻尾を支えに立っていたって考えられていたんだけど。新しい学説だと、そうじゃないんだよね。あれは、厳密に言うと、爬虫類ではないってふうに言われているでしょ。それの、小型の奴が、鳥に進化していったっていう説。

猫蔵 『蔵六』など、先生の作品は、先生ご自身のご体験を精密に復元し、既に失われたものを取り戻そうとしている印象を受けます。そして、その一部分だけを意図的に作り変え、実際には成しえなかったことを成し遂げる、というイメージがあるんですが。過去の臓器移植といいますか。実際は、どうお考えですか。

日野 『蔵六』は、当時の僕の心象風景だね。絵を描きたいって言うのは、要するに漫画を描きたいってこと。色を使いたいって言うのは、色合いのあるものを描きたいってことの象徴だった。自分自身にも不安があったわけですよ。実際、プロの漫画家になれるのかどうか。そういう不安だとか、あるいは、夢。こういう漫画家になりたいっていう。そういうものが交錯した中で、描いた作品。運よく拾われて、スポットが当たり、仕事も来るようになって。そこが出発点だった。で、30代で壁がきて、単行本やりながら、もしかしたら、漫画界は自分を必要としていないのかもしれない、そんな思いでやっていた。そんな溜まっていた思いを、『地獄変』という作品でぶつけた。だから、最後に斧を投げているのは、要するに決別宣言。世の中も漫画界も、コノヤローと。みんなくたばれ、と。ここにこんな凄い漫画家がいるのに、なぜ気がつかないんだ、というわけですよ。自分は漫画家やめるつもりだった。まだ30代後半だから。若かったし、いこうと思えば、他の仕事もできたから。ふんぎるなら、今だと。
それで、出来てきた本を見たわけですよ。だけど、全然描けていない。それから、『地獄少女』をはさんで、『地獄変』で落としたものを拾い集めて、もっと私小説風にしたのが、『赤い蛇』だったわけです。
それで、体壊してばったり倒れて入院してしまって。入院先の病院では、看護婦さんに直腸検査で肛門に指、いきなり突っ込まれた(笑)。ほんとに身体壊して。それで、やっと本が完成してきてそれを読んでみたんだけど、やっぱり気に入らない。こんな作品でやめるなんて、おこがましいと思った。その後に描いたのが『豚の町』か。ヘロヘロなんですよ、線が。一時間机に座っていると、もうだめなの、疲れちゃって。一時間横になって、また一時間描く、を繰り返した。でも、収入がないと食えないんで、とにかく渡しちゃったの。たまにはこういうのがあってもういいだろう、ってことで。

猫蔵 『豚の町』はお嫌いなんですか?今日、参考にもってこようかと思ったんですが。

日野 見たくもないね(笑) 。でもね、それは渡してしまった自分が悪いんだから。あん時は体調がどうたら、っていくら言ってもね。発表した以上は、弁解の余地もない。そんなこともひっくるめて、全部自分だから。失敗も、そこそこの成功もあるし。今までやってきたことは振り返ってもしょうがないんで、受け止めるしかない。
ただ、『蔵六』や『地獄変』のときは、俺自身泣きながら描いたところもあったし。ところが、月3本なんて、アシスタント何人も使ってやっていると、人に手渡したとき、あれ、いま俺なにを渡したんだっけ、っていうくらい、自分のなかに何も残っていないことがある。…それ、まずいよね?(笑)。 『蔵六』なんかのときは、自分も驚いて、感動しながら漫画を描いていた。自分自身でショックを受けた。そういうものを描きたいな。ならば、もう一回、原点に返って、一番初めの出発点に。まあ、1回挫折して、その結果、怪奇漫画になったんだけれども。だけど、今だったら、積み重ねてきたものがあるから、出来るんじゃないか、って思う。もしかしたら、すごい勘違いしているだけかもしれないね。分からない。でもね、やってみたいんですよ。絵本になるか、児童読み物になるかはわからないけど、とにかく、ひとつ完成させてみたい。それからだと思う。答えを出すのは。

猫蔵 僕は日野先生の作品を、仮に2種類に大別して、考えてみたんです。『豚の町』『わたしの赤ちゃん』のように、外部から何かがやってくるというものがひとつ。これは、例えば、赤ん坊という外部からの贈り物が、何か非日常を帯びているんですが。もうひとつは、『恐怖列車』のように、自分からどこかへと向かうもの。この二つを想定したんですが。
そして、「怪奇」「叙情」という2つのキーワードの、共通する部分について探ってみたんです。まず、『わたしの赤ちゃん』の場合、自分の遺伝子を分けた赤ん坊が、どこかしら異常があったということは、自分自身の、先祖から伝わってきた遺伝子に異常があった事実を指摘されたということに他ありません。日常、表面上はなんともないものが、赤ん坊という外部からのものがパッとあらわれることによって、自分の異常性を告発されてしまうんです。だけど、それでも、産まれてきたのは間違いなく自分の赤ん坊であるから、可愛いと思うんですが。

日野 うん、あのアイディア、どうしてできたか話したっけ?女房と結婚して、子供が出来たんだけど。長女ね。その当時は、男か女か、まだ分からなくて。だんだん女房のお腹が大きくなっていって。多分、女性と男って、赤ん坊が出来たということに対する感覚がまったく違うと思うのね。女の人は、新しい命が、自分のお腹のなかにいるわけですよ。こっちとしては、肉体的感覚が何もない。あれは、そのとき生まれたアイディア。女房には怒られちゃってね(笑)。人が妊娠しているときに、よくこんな漫画描けるわね、って。しょうがないだろ、って言い返したんだけど。あれも、2回連載したのかな。
 生まれてくる命に対して、ある種の恐怖を感じたの。

猫蔵 その一方で愛着も?

日野 そう。こんな仕事しているし、自分が本当に父親としてやっていけるのかという不安もあるし。男の感覚からしたら、異物ですよ。肉体感覚では捕らえきれないから。でも、間違いなくそれは日々細胞分裂を繰り返して、人間になっていこうとしているわけです。そこに、凄い怖さを感じた。物理的な怖さも、精神的な不安も含めて、いろんな想いがあった。それがアイディアになった。自分でも、馬鹿じゃないかな、なんて思いながらね。生まれるまでは、本当に不安だったね。男でも女でも、どっちでもよかった。普通に、ちゃんと生まれてきてくれさえすれば。生まれた子は、ごくごく普通だった。よく、ドラマとかで、子供が生まれたから万歳、なんてやっているけど、俺はそういう気持ちにはなれなかった。女房から打ち明けられたとき、しまった、って思ったもん。まず自信もないし。今でもそうだけど、めちゃめちゃ餓鬼だと思っているしね。ただ子供のまんま、身体だけが大きくなってしまって。漫画家なんて、大抵そうなの。大人の身体をした、子供なんですよ。だから、その俺が、子供なんて育てられるかな、と思ってね。できれば子供は…ってふうに、気をつけてはいたんだけど、しょうがないよね(笑)
いろんな想いが複合的にあって、描いた作品なんです。それで、何か社会性を持たせようと思って、公害というものをつけ足したんだけど。あれは余分だったかなぁ。そんなことよりも、俺が感じていた、男としての本音の部分だとか、そこをもっと掘り下げた方が、より面白い作品になっていたかもしれない、今考えれば。公害だとか、ちょうどそんな時代だったから。人間が人間を産めなくなってしまう、したがって人間が滅びる、動物だけになってしまう。当然、環境は守られる、っていう発想にいっちゃったのよ。それが、あの作品の最大の失敗だったかも。

猫蔵 あの作品を通して、「怪奇」と「叙情」は、不可分である、と僕は実感したんですが。赤ん坊というものを通して、このふたつは重なり合う。叙情作品として、別の形で、『わたしの赤ちゃん』が蘇ってくると思うんですが。

日野 公害というものをテーマに据えたことが、あの作品は失敗だったと思う。浅いものになってしまった。ひとりの父親と母親、男と女、夫婦という関係のありようとか心象のところを、もっと突っこんでいけば、まったく違う作品になったでしょう。『恐怖列車』の場合は、どれだけ読者を、怖さで引っ張っていけるか、がポイントだった。怖さっていうのは、僕は娯楽だと思うから。怖いものをみたい、という欲求。お化け屋敷もそう。テーマだとか何だとか考え過ぎないで、一度、どこまで怖さを引っ張れるか、ということを試した作品。隔月誌で3回に分けて連載した。やろうと思えば、もっと延ばせただろうけど。自分が飽きちゃう。読みきらないと、ダメなんだよね。資質が短編作家なの。持続力がないから、マラソンは走れないんですよ。短距離走者なの。次のものが描きたくなっちゃうんだ。次のアイディアが、常にノートに書き溜めてあるんで。いくつか並行して、次にやるものを選ぶとき、まず、一番出来上がりに近いものからやりますよね。やり始めて、終わりが見えてきた時点で、俺の中ではもう終わっちゃうの。もう、次のアイディアの方が気になっちゃう。もともとの性格があるもんだから、長いものでも、やって半年だね。やったのは、『サブの町』や『太陽伝』。はなし広げたのはいいけど、最後収拾つかなくなっちゃった。最近また単行本になったけど、できれば墨で塗りつぶしたかったんだよ(笑)。そうもいかない。逆に、「伝説の失敗作」なんていわれちゃって(笑)。そんな見方あんのかな?恥だけど、消せないもんね、現実には。恥かくこともいいかな、って思って、あの本出したんです。

猫蔵 『わたしの赤ちゃん』は、典型的なホラー作品ではあるんですが、僕はあの作品を、ホラーという観点では、まったく読まなかったんですよ。逆に、すごいリアリティといいますか。ありえないことではない。特にあの作品には、以前先生がおっしゃった、「叙情」作品の、破片のようなものが、顕著に垣間見れた気がしたんですが。

日野 『わたしの赤ちゃん』では、叙情という部分は、もしかすると意識していなかったかもしれないな。ただ、「怪奇」とか「叙情」って、出発点では、常に自分のなかにあったんで、当然のものとして、もう、それすらも意識してないんだよね。それでもうスタンプを貼られているし。ただ、『蔵六』だとか、それ以前にガロで描いていたころは、アイディアノートの一番先に、「怪奇」、「叙情」・・って単語を書いて、毎日見ながら、自分の頭に叩き込んでいたけれど。それからは、既に消化して、自分の世界になったんで、格別意識はしていない。

猫蔵 そうなるまで、どの程度の時間はかかりました?

日野 多分、『蔵六』を描くことで。

猫蔵 自分に認められた?

日野 うん。自分の才能の限界だとか、そういうものを含めて、全部あそこにある気がする。あれが雑誌に採用された時点で、自分のなかでの迷いは全部吹っ切れた。アイディアは沢山あったから。2本目は、『地獄の子守唄』って決めていた。『蔵六』は民話的世界だから、逆をいこう、と。いまの自分の時代の、リアリティある怖さを表現しようと。
で、どうやってリアリティをもたせるの、ってはなしなんだけど。大体、ホラーっていうのは、日常生活のなかに、善男善女がいて、それに対して、何かしら非日常的なことが起きるわけですよ。相手は、モンスターであったり、ゴーストだったり。何らかの現象、赤ん坊、病気であったり。観客は、主人公の目線で出来事を同時体験し、恐怖を一緒に感じて、映画なりを見終わる。だいたいハッピーエンドなんだけれど。映画館を出たら、日常に戻る。みんな約束事の上で見ているでしょ?そうはいかないぞ、と。だから、安心してみている読者を、自分の漫画のなかにひっぱりこめないものか、と考えた。そこで、告白形式にした。「私は日野日出志。こんな子供の頃で…」って。子供の読者は、本当のことをそのまま描いていると思い込んじゃうわけ。嘘八百なんだけど。

猫蔵 近い部分もある?

日野 あるけどね。トンボの羽むしったりしたのは事実だし。それを怪奇的に膨らまし、ディフォルメして描いているわけだけど。まず読者に、この作者は、自分の本当のことをしゃべっているんだな、という意識を植え付けた。

猫蔵 日野先生という方がいること自体が、もうすでに恐ろしい、と?

日野 そう。俺自身が、怖い人間なんだよ、って描き方をしたわけです。それがそのまんま、スタンプのように広まってしまった(笑)。 みんなそう思っていたみたい。俺、当時漫画家との付き合いなかったから、漫画界で噂がたって。あの日野日出志って、少しおかしいらしいって言われて。
部屋中を極彩色にペンキで塗りたくって、蛇とか爬虫類を部屋に飼って、そこで漫画を描いているらしいとか。そんな噂が、まことしやかに流れてるって、担当から聞かされたのよ。エーッ。そんなのありですか、って言ったら、かえってその方がいい、って言われて。幻想を掻き立てるわけだから。むしろ正体隠して、そのまんまいこうよ、って話しになった。そういう手もあるな、と思ってね。逆に言えば、ねらいは成功だった。あの作品が、インパクトを与えたんだけど。

猫蔵 逆にそれが、日野先生を縛られた部分というのも勿論あったわけですが。

日野 囚人に繋がれた、鎖の鉄の玉にもなった。自分を、そこで決定しちゃったというかね。そこから動きが取れなくなった。いい意味でも悪い意味でも。答えは分からないんですけどね。途中はえらい後悔もしたけれど。えらいことやっちゃったな、っていう。

猫蔵 今もまだ、そういう部分は引きずってらっしゃいますよね。

日野 多分、僕だけじゃないと思います。ものを表現する人って。満足なんて出来ないと思うんだよね。やってきたことに対して、100パーセント満足した人なんているのかなぁ。

猫蔵 そこで止まっちゃいますからね。

日野 うーん。後悔とも違うのか?なんでこんな程度しか出来なかったんだ、っていう。満たされるなんてありえないよ。すっごい空しいときもあるから。今まで何をやってたのかな、と思ってね。

猫蔵 また、新しい刺激を求めていらっしゃる?

日野 創作に、新しい刺激がほしい。もしかすると、子供向けの、児童小説なのかも。正直言うと、線描とか、細かい作業は、目が辛い。手は動くんだけど。こないだも、内科なんだけど、右目に緑内障の軽度の疑いがあるっていわれて。疲れやすいんだ。白内障ってのは、年齢で100パーセント出る。手術が必要かどうかは、個人差があるけど。だけど、緑内障はよくない。最悪の場合は見えなくなるもの。でも、右目に刀のつばでもつけて、独眼流・日野日出志を名乗るのも悪くないかな(笑)。
怪奇ものをやっていると、大抵のことには驚けなくなっちゃう。でもね、そろそろ描き始めるかもわかんない。清水先生も言っていたけど、もう一皮剥けたいね。俺が一番そう思っている。今のやり方をやっている限りは、『蔵六』や『地獄変』は、絶対に越えられない。『地獄変』『赤い蛇』は、30代の終わりごろ。その頃の体力と、自分を取り巻く社会環境だとか、変わってきているしね。もちろん肉体も。おなじやり方、力技ではもう描けないんですよ。でも、やるからにはやっぱり、それ以上のパワーでやらなくちゃいけない。結局は、いままで積み重ねてきた技術的な部分ですね。引き出しだとかポイントがあるので。それを繋げるだけの作業で終わっちゃいけない。今の自分の年齢に合った、等身大の発想が出来ないかな、と思う。
来年は、還暦なんですよ。還暦は、子供に返るという意味がある。もう一度巡って、もう一回生まれる。昔の人は、そんなに長生きじゃなかったからね。長く生きる人は珍しかった。そういう時代の名残りの言葉なんだけど。
洒落ているわけじゃないけど、もう一回、自分の中に残っている心象風景にタイムスリップして、子供の目線で、今の時代を見渡す。そのときに、いまの子供と会話が出来るかな、と考える。こう見えても、結構、子供好きなんですよ。さっき、子供が生まれるのが怖いって言ったけど、子供は好きなの。小さい子供を手なずけるのは上手いんですよ。おなじ目線でしゃべればいい。おなじ発想すれば。手なずけるって言葉はあぶないか(笑)。漫画にも、子供だとか年寄りを描くのは好きなんです。年寄りって、やっぱり子供に近いから。子供の目線に立って描かないと、本物の子供は描けない。

猫蔵 今日の先生への差し入れのお酒を買うとき、普段は入らない、おじいさんとおばあさんがやっている地元の酒屋に入ったんですが、妙にもてなされまして。例えば所沢なんかは、そういう環境が残っていたはずなのに、徐々になくなりつつある状況を、どのようにお考えですか。口惜しさのようなもの、または、創作への影響は?

日野 今も、外でやっている工事見たらわかるでしょ?でも、しょうがないよね。自分の力では。建てている人たちには、彼らの側の、事情や人生があるから。ただ、眺める側として、無責任なことを言えば、つまんない。
ただ、そういう風景が、日本中から駆逐されてしまったのかといえば、そうではない。行こうと思えば、さっきの話しじゃないけど、まだあるわけです。それこそ、白神山地も。ここからだって、15分ぐらい自転車で走れば、狭山丘陵じゃない。いけば、天然記念物のクワガタだとか、赤とんぼの群れも生きているし。

猫蔵 そういえば、今夜は秩父で夜祭りがありますね。

日野 ああ。毎年行こうと思ってるんだけど、また忘れていた。秩父はね、元旦に秩父神社で、抜刀道の仲間と奉納切りやってるの。今年もやって。来年はどうかな。むかし一回だけ、刀買いに、刀工の家へ行ったんだけど。打ち下ろして、まだ研いでいない刀がごろごろ転がっていて。品定めに夢中で、祭り見ている場合じゃなかった(笑)

猫蔵 大学の担当クラスでは、漫画家になりたい生徒っていうのも多いと思うんですが。

日野 いるよ。漫画は、絵、物語、テーマがうまくドッキングしていないと、生き残っていくのは難しいね。かつ、漫画として読ませなければ。若い漫画家は、読者層に年が近ければ、当初は感覚的に受けいられても、やがては通り過ぎていっちゃう。けど、本当に才能のある人は生き残るよ。『バガボンド』描いている彼(※井上雄彦)なんかもそう。人物の描き方が優れているね。バカボンドって、横文字だけど、宮本武蔵のことでしょ。
武蔵といえば、中村綿之助主演の『宮本武蔵』(※1961年)は、僕を変えた映画。主人公・武蔵が、おのれの剣一本で生きていく様に、衝撃を受けた。日々をのんべんだらりんと過ごしていた、高校1年のとき。手にした剣一本で、自分の人生を極めんとする生き方を学んだ。そこからなんです。他にも、『切腹』や『用心棒』など、日本映画最期の黄金期だった。おのずと映画監督になることに憧れた。当時、学校の教室で、『武蔵』や『切腹』の名場面を落書きした。それで、たまたま隣にいた奴が漫画に詳しくて、この世界に入るきっかけをくれた。漫画は映画の代償行為として始めたの。だけど、いつの間にかのめり込んで。ならば、俺はペン一筋に生きよう、と決めた。

猫蔵 そのとき、怪奇性は前提ではなかった?

日野 全然。むしろ、杉浦茂の漫画の雰囲気に憧れていた。ちょうど、赤塚不二夫さんが、サンデーで『おそ松くん』を始めたのよ。その瞬間にアウトよ。ギャグマンガをやったら、その亜流になってしまうことを予感した。他にも時代劇だとか試したけど、俺の中にぶつかって来ないのよ。資質が合わないんでしょう。高校を卒業して、バイトを続けたの。友達は、東京ムービーに行ってアニメーターをやっていた。
そいつの紹介で、同人誌を始めたの。
試行錯誤だったけれど、あるとき薦められてレイ・ブラッドベリの本読んだとき、何かがスパークした。それが、怪奇と叙情の色合いを帯びたアイディアだった。これなら、それまで蓄積してきたものが生かせる、と確信した。短編が好きでね。芥川、Oヘンリー、今昔、怪談…下地はあったんだろう。SF界の抒情詩人と呼ばれるブラッドベリの、『刺青の男』は、欧米人にとっての原風景を表していた。彼の作品は、必ずしもSFとも割り切れない部分がある。そこで閃いた。僕の場合、これまで自分が体験してきた、日本の原風景があるから、日本の風土に根差した、「怪奇と叙情」を描くことにしたんです。これが俺のポジション。生まれたところは満州だけど、自分は日本人だから。それまでの絵を全部捨てて、ゼロから作り直した。その答えが『蔵六』だった。

猫蔵 それまでの迷いや諸々のものが、やっとひとつになった、と。

日野 そう。先の見えない藪のなかを切り開いていたのが、ポンと一本切ることにより、目の前に広がる平原に出くわしたような。

猫蔵 ホラー漫画という言葉よりも、「怪奇と叙情」の方がしっくりきましたか。

日野 ホラー漫画という言葉は、当時ないの。恐怖漫画、怪奇漫画、そんな言い方だったね。ホラーという言葉は、自分からは一切使っていない。

猫蔵 最近、ホラーという言葉で全て一括りにすることに違和感があるんです。

日野 まあ、本作りは編集者がやること。作者は、いい中身を作り続けるしかない。隠居できる身分じゃないんでね(笑)。

猫蔵 ブラッドベリ以外にご覧になった本は?

日野 乱歩も読みました。怪奇的な作品は、手に当たるもの、内外問わず。

猫蔵 いまの作家の作品は、意識されてご覧になりますか?

日野 ほとんど見ません。大体、漫画家はね、他の人の作品は見ないと思いますよ。見る暇がないし、時代を意識してもしょうがない。時代なんて、来年になったら変わっているから。僕は、時代なんて一切関係なしに、10年、20年経っても読めるようなものを描きたい。

猫蔵 小説にしても、時代を意識したものが多いように感じます。

日野 ファッション的になってきちゃったね。なんでだろうな…それもある種、漫画の視覚的な影響があるのかな。実は、目で見る活字、書き文字を生かした小説、っていうのを考えてたのよ。やられちゃったな。『ハリーポッター』の原作って、そういう書き方しているらしいね。まあ、あれは、ディティールに、エンターテイメントのエッセンスを全部ぶち込んであるからね。

猫蔵 重さがないですよね。僕にとっては、重さが足りなかったです。

日野 だから受けるんだと思う。ハリウッドのエンターテイメント。その反面、ヨーロッパものは重いよね(笑)。ある種、暗い。あれは、文化の歴史の違いだと思う。

猫蔵 僕個人で断定するわけにはいかないんですが、最近の作品で、何回も繰り返し見返したいと思うものが余りないんです。

日野 僕が漫画家になろうと思ったころ、何気ない日常を描いた映画、いいヨーロッパ映画なんかが、結構入ってきたのよ。イタリアとかね。今は、ほんとに入ってこないよね。ハリウッド一辺倒になっちゃった。今のハリウッド映画は、おれの感覚ではうるさ過ぎる。画面が動き過ぎ。映画館で見ると疲れちゃう。

猫蔵 生涯を通して、何度もご覧になった、座右の映画などはありますか

日野 自分のなかではね、『切腹』『用心棒』『椿三十郎』『宮本武蔵』それから、健さんの『昭和残侠伝』。これは何十回も観た。

猫蔵 常に、そこに立ち返るんですか?

日野 でも、創作の上では、もう自分の中には何もないですね。観なくても全部分かっているわけ。ほとんどBGMみたいなものかな。既に、自分の中に入っちゃっているんだよね。時々、そこを刺激して、一種のストレス解消というか。ほっとする。「また見てるの」って家族には言われるけどね。

猫蔵 何回も見てしまう作品は、なにが違うんでしょう。作品自体の力というより、見る側の問題?

日野 病気なんでしょう(笑)。自分の思い入れなんだと思う。自分が漫画家になろうと思った、きっかけあたりの作品でしょ。無意識のうちに、その気持ちを忘れたくないのかもしれない。だからといって、それを見たから創作意欲が沸いてくるわけでもない。観た瞬間はあるんだけれど、一時間もしたら忘れてしまう。難しいですよ、創作を続けるのは。でも、僕は、何度も読み返したくなるような、そんな作品を残したいね、どうせ描くんだったら。

猫蔵 奇形や病気といった、人間個人の体験を超越したものを、よくモチーフとして選ばれるのも、そういう意識の現われなんでしょうか。

日野 無意識の底にある、心象風景なんていうけれど、じゃあ、なんでそれが残っているのかも分からない訳ですよ。1歳のころの、着ていた毛糸のセーターの質感なんて、今も残っているんだけどね。親戚は驚くけど、覚えているものはしょうがない。自分のなかに残っているものと、後天的に見た映画だとかが内混ぜになって、地層のように蓄積されてくる。それを掘り返すと、物語が出てくる。作品とは、ある種、化石のようなものなんですよ。あたれば、いいものが出てきたりする。そういう意味で言えば、怪奇、という、限定した面で言えば、もう化石が出てこなくなってしまったのかもしれない。だけど、自分の心象風景は、必ずしも、怪奇だけではない。もっと笑えたり、もっと心温まるものだったり、楽しかったり。実は、そういうことの方が多いわけですよ。それを、やりたい。どんな世界がでてくるのかな。けど、当然、ちょっとした怪奇系の要素というのも、入ってくるもの。

猫蔵 日野先生の作品を、僕はホラー漫画としては見たことがないんです。

日野 便宜的に、「怪奇と叙情」と名付けたけど、叙情というものがくっついている。だから、今でいうホラー漫画という意識は、まったくなかったですね。これまで怪奇の方の仕事が求められてきましたけど、もしかしたら、その反動が今になって出てきているのかもしれない。どっちかっていうと、叙情の方を切り捨てがちだったから。

猫蔵 『蔵六』に関する質問なんですが、作品中、モノローグ部分の声の主は、いったい誰として、先生は意識されたんでしょうか。僕の場合、主人公・蔵六を、過去の自分になぞらえて読んだのですが、その際、モノローグの部分は、過去の自分を見つめている、現在の自分の、内心の声のようにも思えたんですが。

日野 蔵六とは、僕なんですよ。だけど、蔵六という名前で、あの時代の民話風にやっている限りにおいては、日野日出志ではない。でも、間違いなく自分の分身。自分の心象風景を描いた作品なんです。当然、「私は」という一人称にはなれない。蔵六は、当然、言葉をしゃべれないから、彼が言っているわけでもない。余りにも言葉をしゃべらないので、蔵六の心を、誰かが説明してあげるしかなかった。絵を描きたいんだよ、色を使いたいんだよ、って。

猫蔵 その不思議な語り手が、効果として、厚みをもたせたと思うんです。

日野 読み手が、どう受け取るかだよね。『蔵六』のラストシーンについて、蔵六が化け物になって、村人に復讐すべきだった、という意見があるけど、僕は違う。それをやってしまったら、蔵六は創作者ではなくなってしまうから。彼は、そういうエネルギーは一切ないんです。社会を恨むとかね。ただひたすら絵を描きたい。それだけを、僕は表現したかった。亀に変身するというのは、そういう蔵六の想いに対する、せめてもの神の救い。死にゆく蔵六の、創作への想いを、七色の亀というかたちに変えさせてくれた。そして、蔵六は眠り沼に入り、永遠の安らぎをえる。僕はそうしたかったね。今の自分が、『蔵六』を描いたらどうなるんだろ?ふっ、とそういう誘惑に駆られることはあるね。ただ、描いた当時の、自分の心象風景が、いまあるかと聞かれれば、全然ないね。あれは、自分がプロ漫画家として生きるかどうか、っていう瀬戸際の時だから。自分の過去をなぞってもしょうがない。技術的には今のほうが上をいっているだろうけど。亀になるって発想、『蔵六の奇病』ってタイトルにヒントがあるの。蔵六って、古語で亀のことなんだ。両手、両足、首、しっぽが、甲羅の中に納まるっていう意味らしい。実は、蔵六が亀に変身するアイディア、最初はなかったの。最初に名前ありきなの。白土三平の『忍者武芸帖』のなかに、蔵六って忍者がでてくるの。危機が近づくと、手足をひっこめたりする。蔵六っていう、言葉の響きが好きでね。亀だという意味は知らなかった。そのとき考えていた作品のアイディアとして、温めておいた。そして、先に、『蔵六の奇病』っていうタイトルをつけた。その後、なんとなく気になって、辞書調べたら、載ってるのよ(笑)そこからね、亀に変身というアイディアが生まれたの。それまでは、ラストも決まっていなかったし。いくつかの偶然が重なって。

猫蔵 今となっては、亀以外は考えられませんもの。固い甲羅の中に、なにか柔らかいものが詰まっているという、内臓的なイメージもありますし

日野 今となってはね。無意識のうちに、内臓的な響きが気に入ったのかな。描いている途中で知ってね。閃いたとき、やった!と思ってね。これで売れなければ、そんな漫画界になんて未練はないよ、と思っていた。めちゃめちゃ生意気だよね。

猫蔵 昨年公開された、先生の漫画が原作の映画についてですが、僕がまず最初に再現してほしかったのは、原作の色合い、臭いだったんですよ。それが、あまり重視されていなかった。

日野 あくまでも、僕は原作を提供しただけだから。どんな切り口でしてもらっても構わない。僕は、コメントする立場にはありません。自分で監督するなら別だけど。漫画というのは特殊な表現媒体だから。漫画では許されるような表現でも、実写映像だと、それはおかしいんじゃないの、っていうことも多々ありますから。苦労はありますよ。

猫蔵 映画版は、実証的に原作を読んでいるな、というイメージを受けたんですが。

日野 僕が監督したら、当然違う映画になるでしょう。それは、いいとも悪いとも思わない。実写映像っていうのは、漫画とはまた切り口変えないと。ただ、『蔵六』に関しては、時代劇もいいけど、より自分の世界観を出すんだったら、例えば人形アニメだとか、そういうものがやりたいかな。線画のアニメも違うかな…やっぱり立体、だなぁ。

猫蔵 長い時間、どうもありがとうございました。