大庭英治さん(日芸美術学科教授)の研究室訪問

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山下聖美さんが主宰する「日芸マスコミ研究会」企画による大庭英治さんの「特別養護老人ホーム カメリア」での絵画展示会や研究室訪問の企画に誘われて、先日(七月十四日)午後五時過ぎ、大庭さんの研究室を訪れた。江古田校舎七階にある研究室からの眺めは絶景、気分が晴れる。
大庭さんとの出会いは一枚の絵から始まる。それは山下さんの研究室の机においてあった一枚のカラーコピーされた女性の肖像画であった。白い壁にセロテープに張って眺めていると、その女性の穏やかな、優しい、限りなく優しいまなざしがこちら側に注がれる。しぜんと涙が流れてくる。山下さんの説明で、大庭さんの亡くなられた奥様オーセの肖像画であることが分かった。


私があまりにも感激していたので、山下さんが大庭さんに電話をかけてくれた。そのとき、すでに大庭さんは眠りの床に就いていたが、私は感動を率直に伝えた。

この日、いただいた大庭作品の絵葉書セットに同封された手紙に「大学で働くようになった翌年の春、彼女は56歳でこの世を去りました。同い年の私は、今年5月の誕生日を迎え60歳になりました」とある。

愛するひとを失ったときは、死ななきゃならない。業が深くて死ねないものは奉仕の心にならなくちゃあならないとうたったのは息子を亡くした中原中也であった。愛するひとカムパネルラがとつぜん隣の座席から姿を消してしまった後、ジョバンニは銀河鉄道の窓から身を乗り出して胸を両手で叩いて大声で泣いた。宇宙の果てまで届け、怒りと悲しみの爆発。

大庭さんの研究室には何点かの描きかけのキャンバスが立てかけられていた。悲しみの青と希望の黄色と怒りの赤が微妙に交錯し調和している。悲しみも希望も怒りも強く主張されることなく、薄い和紙に包まれたかのような淡い色調で覆われている。悲嘆と怒りは深く押さえ込まれ、祈りへと昇華されている。否、その葛藤自体が大きな愛に包まれていると言うべきか。



悲しみの青の蝶、希望の黄色の蝶、怒りの赤の蝶が、真っ白なキャンバスに何匹も何十匹も集まってきてとまっている。色が乱舞し、キャンバスにひと時の休息を楽しんでいる。その姿は、振り注ぐ雨に濡れる紫陽花の花にも似ている。

大庭さんに熱いコーヒーと小さな一口パンとおせんべいを御馳走になりました。ありがとうございました。