大横綱朝青龍に功労金

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四六判並製160頁 定価1200円+税


テレビのワイドショーなどで引退後の朝青龍についてハワイでゴルフしているなどけしからんとか、あいかわらず余計なお世話のばかばかしいコメントを、まるで正義の味方のような顔(こういう顔をどこかでみたような気がしていたが、そうそう、小学生時代、担任の先生に指名されるようないい子の顔だ)をして、何のはじらいもなく口にしている相撲解説家やゲストをみていると、ほんとうにこんな意見を心から納得している日本人が大半とはとうてい思えない。番組製作者はあまり視聴者をなめないほうがいい。

わたしは今回の朝青龍引退問題で親しく付き合っている人たちと話す機会があったが、朝青龍の相撲格闘家としての抜群の力量、大横綱としての風格を評価する者はあっても、彼の強制された引退を快く思っている者はいなかった。

横綱の品格を問題にするなら、まず第一に土俵上の勝負に賭ける集中力や情熱や取り組み内容を問題にすべきである。朝青龍の相撲の魅力は、その烈しさ、闘志をむきだしにして闘うその姿にこそある。それが朝青龍の相撲のスタイルであって、その烈しさを非難する者は、相撲格闘家朝青龍の存在そのものを否定することになる。

最も滑稽なことは、朝青龍横綱に推挙した審議会の連中が、自分たちの責任をとらずに、天下の大横綱を一方的に批判していることである。また高砂親方も親方として失格だとか、教育がなっていないとか朝青龍に劣らず非難の的になっているが、忘れてはいけないのは、朝青龍横綱にまで育てたのは高砂親方にほかならないということである。あのおおらかな明るい性格の親方だからこそ、朝青龍のような破天荒な大横綱が誕生したのである。偉大な横綱を育成した親方がバッシングされ、十両力士の一人も育て上げられない親方が小学生並みの〈正論〉を口にしていること自体がおかしい。朝青龍がダメだというなら、朝青龍以上の横綱を育成してから、その相撲道を口にしてほしいものだ。

酒を飲み、御馳走を口に運び、談笑しながら観客は相撲を観戦している。そういった伝統の中で力士にのみ品性を求めてどうしょうというのか。きれいごとを全うしようとすれば、闇はさらに深くなるのである。

日本の文化や伝統だけを押しつけるのではなく、モンゴルの文化、伝統も尊重しなければいけない。朝青龍はモンゴル相撲の伝統を背負って、日本の大相撲の横綱になった偉大な格闘家である。その格闘家に対する尊敬の念もなく、あほみたいな質問ばかりをあびせていれば一喝されるのはあたりまえのことである。

本来ならば、相撲協会の理事長、理事などは命をはって朝青龍をバッシングの荒波から救い出し、守らなければならなかったはずなのに、結果として彼らは、日本大相撲の宝である大横綱を、モンゴルの偉大な英雄である朝青龍を、本人があくまでも回避したかった引退へと追いやってしまった。そのつけがどれほど大きいか、身をもって受け止めればよかろう。

週刊文春」【2月18日号】で小説家の伊集院静さんが朝青龍に関して特別寄稿「朝青龍は本当に悪いのか」を寄せているが、彼のコメントは朝青龍問題に関して冷静な判断をくだしている。今後、マスコミ報道は朝青龍バッシングから朝青龍讃美へと移行していくだろう。日本のマスコミ報道などにまどわされず、朝青龍朝青龍としての生き方を全うしていただきたいと思う。
闘志満々のすばらしいあなたの相撲は、たとえ日本の相撲界を去られても永遠に語り継がれていくことでしょう。日本にはあなたの偉大な功績を心から讃える者もいることを忘れないでください。

文藝評論家=山崎行太郎さんの政治ブログ 『毒蛇山荘日記』でも朝青龍問題に関して鋭い辛口のコメントが展開されていますので是非ごらんください。

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