文学の交差点(連載15)■光源氏と藤壷の関係をめぐって

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載15)

清水正

光源氏と藤壷の関係をめぐって

        藤壷の宮のお加減がお悪くなられて、宮中からお里へお下がりになられました。

        帝がお気をもまれ、御心配遊ばしてお嘆きになる御様子を、源氏の君は心からおいたわしいと拝しながらも心の一方では、

 「こんな機会を逃していつお逢い出来よう」

  と、心も上の空にあこがれ迷い、ほかの通いどころへは、どこへもいっさいお行きにならず、宮中でもお邸でも、昼はぼんやりと物思いに沈み、日暮れになれば、藤壷の宮の女房の王命婦に、逢瀬の手引きをしてくれるようにと、追い廻し、せがみつづけられるのでした。そのうち、王命婦がどんな無理算段をしたものか、まわりの人の目をかすめ、ようやく宮の御帳台までお引き入れしたのでした。

  源氏の君は夢の中にまで恋いこがれていたお方を目の前に、近々と身を寄せながらも、これが現実のこととも思われず、無理な短い逢瀬が逢瀬がひたすら切なく、悲しいばかりです。

  藤壷の宮も、あの悪夢のようであったはじめてのあさましい逢瀬をお思い出しになるだけでも、一時も忘れられない御悩みにさいなまれていらっしゃいますので、せめて、ふたたびはあやまちを繰り返すまいと、深くお心に決めていらっしゃいました。   それなのに、またこのようなはめに陥ったことがたまらなく情けなくて、耐えがたいほどやるせなさそうにしていらっしゃるのでした。

  それでいて源氏の君に対しての御風情は言いようもなくやさしく情のこもった愛らしさをお示しになりす。そうかといって、あまり馴れ馴れしく打ち解けた様子もお見せにならず、どこまでも奥ゆかしく、こちらが気恥ずかしくなるような優雅な御物腰などが、やはり他の女君とは比べようもなく優れていらっしゃいます。

 「どうしてこのお方は少しの欠点さえ交じっていらっしゃらないのだろう」

  と、源氏の君は、かえって恨めしくさえお思いになられるのでした。

  心につもるせつない思いの数々の、どれほどがお話出来ましょうか。

  源氏の君はこの夜こそは、永久によるの明けないという〈暗部の山〉にでもお泊まりになりたそうなお気持ですけれど、あいにくの夏の短夜は、早くも白みはじめ、あきれるほど物思いがつのり、これではかえってお逢にならないほうがましなくらいの、悲しい逢瀬なのでした。

  見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに

       やがてまぎるるわが身ともがな   ようやくお逢いできたものの              再びお目にかかれる夜は        ありそうもないのだから                      いっそ嬉しいこの夢の中で        わたしはこのまま消えてしまいたい

  と、涙にむせかえっていらっしゃる源氏の君の御様子も、藤壷の宮はさすがにお可哀そうでいたましく、

  世語りに人や伝へむたぐひなく

       憂き身をさめぬ夢になしても        後々の世まで        語り草にされないかしら        またとはないわたしの辛い身を        たとい永久に覚めない        夢の中に消してしまっても

  とお返しになり、お悩みのあまり取り乱していらっしゃる藤壷の宮の御様子も、ごもっともなことなので、恋は理性を失った源氏の君のお心にももったいなく感じられるのでした。

  王命婦が、源氏の君の脱ぎ捨てておかれていた御直衣などを、かき集めて御帳台の内に持ってまいりました。(巻一 282~285)

 

  光源氏と藤壷の関係はどこまで明らかになるのだろうか。光源氏と藤壷が最初に肉体関係を持ったのが、いつ、どのようにしてであったのか。作者は明確に記していない。読者は「あの悪夢のようであったはじめてのあさましい逢瀬」というような表現から想像を逞しくするほかはない。厳密に言えば、藤壷と光源氏が何度契りを交わしたのかさえ分からない。

 わたしが第一に興味があるのは、二人の心理である。藤壷は桐壷帝の后であり、光源氏より五歳年上である。年齢差を越えて二人が深く思いを寄せ合うことは理解できる。が、藤壷にしてみれば、光源氏を受け入れることは帝に対する弁解しようのない裏切りを意味する。これは光源氏においても同様である。光源氏は、后の藤壷と子供の自分に裏切られる帝のことをどのように思っていたのだろうか。もし不義が発覚すれば、二人はどのような罰を受けることになったのか。死罪、流罪そのほか具体的な法令による罰則が規定されていたのか。不義に対する具体的な罰則に関しては詳らかにしないが、発覚すれば桐壷帝の面目は丸潰れである。精神的なショックも言語を絶することになろう。ふつうに考えれば、光源氏が父親の后藤壷と契りを交わそうとすること自体が異様だし、藤壷も断固として光源氏を拒んであろう。

 もう一つ不思議なのは、光源氏を藤壷に取り次いだ王命婦である。なぜ王命婦光源氏の願いを拒みきれなかったのか。そこに何があったのか。作者は「(光源氏は)藤壷の宮の女房の王命婦に、逢瀬の手引きをしてくれるようにと、追い廻し、せがみつづけられるのでした。そのうち、王命婦がどんな無理算段をしたものか、まわりの人の目をかすめ、ようやく宮の御帳台までお引き入れしたのでした」と書いている。作者は、光源氏が王命婦をどのように追い回し、どのような言葉をもってせがみつづけたのか明らかにしない。

文学の交差点(連載14)『罪と罰』におけるテキストの迷宮 ――ロジオンの母親プリヘーリヤの亡き夫の友人ワフルーシンの名前表記〈ワシーリイ〉と〈アファナーシイ〉をめぐって――

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

今回は日本大学大学院芸術学研究科文芸学専攻紀要「藝文攷」24号(2018年12月31日 日本大学大学院芸術学研究科文芸学専攻)に掲載した「『罪と罰』におけるテキストの迷宮――ロジオンの母親プリヘーリヤの亡き夫の友人ワフルーシンの名前表記〈ワシーリイ〉と〈アファナーシイ〉をめぐって――」を載せる。

 

文学の交差点(連載14)

清水正

 罪と罰』におけるテキストの迷宮

――ロジオンの母親プリヘーリヤの亡き夫の友人ワフルーシンの名前表記〈ワシーリイ〉と〈アファナーシイ〉をめぐって――

 

  『罪と罰』を飽かずに読める大きな理由の一つに、そこに描かれざる場面の数々があり、その場面を読者の側が想像できるということがある。この次元に〈読み〉の行為を進めると、もはやテキストは眼前に存在するテキストだけではなく、無限の〈想像〉〈解釈〉によって想像・創造された〈場面〉を内包したテキストとなる。謂わば眼前のテキストは読者によって無限のヴァリエーションを生み出す〈元テキスト〉ということになる。
 仮に、ここで〈元テキスト〉と名付けておいたが、この〈元テキスト〉自体が複数存在することになる。『罪と罰』に絞っても、まず「ロシア報知」に八回にわたって連載されたテキストがある。さらにドストエフスキーが存命中の一八六七年、一八七〇年、一八七七年に単行本として『罪と罰』は刊行されている。この四テキストにドストエフスキーはどのように手を入れたのか。それを実際に確認した研究家は存在するのであろうか。今、ありがたいことにこれらのテキストはインターネット上で見ることができる。
 各テキストの詳細な検証はほかの研究家にまかせるとして、わたしが唯一気になる箇所は、ロジオンの母親プリヘーリヤの手紙に出てくる商人の名前である。この男は亡き夫ロマンの友人でプリヘーリヤは〈いい人〉(добрый человек)と記している。ところで問題はこの男の名前である。わたしが最初に読んだ米川正夫訳では、最初の箇所で〈ヴァシーリイ・イヴァーヌイチ・ヴァフルーシン〉となっている。ところが江川卓訳では〈アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉となっている。まったくテキストは油断も隙もない。いったいどういうことなのか。
 まずは初出の「ロシア報知」の一月号を見ることにした。ここでは男のフルネームは〈Василiя Ивановича Вахрушина〉と記されている。名前に現在は使用されなくなったiがあるだけで、初出時、男の名前は〈ヴァシーリイ〉であったことが確認できた。続いて一八六七年、一八七〇年、一八七七年に刊行された『罪と罰』を見たが、すべて名前は〈Василiя〉であった。要するにドストエフスキーは生前、男の名前〈ヴァシーリイ〉を変更してはいなかったことになる。わたしが使用しているアカデミア版全集第六巻『罪と罰』(一九七三年 ナウカ)では〈Афанасия Ивановича Вахрушина〉となっており、父称・性は同じで、名前だけが〈アファナーシイ〉に変わっている。さて、いったいどこで、どのような理由で男の名前は変更になったのか。
 なぜわたしは、たかが一人物の名前にこだわるのか。それはこの〈いい人〉と言われた商人と〈生神様〉と言われたイワン閣下との共通項をわたしなりに証明したいと思ったからにほかならない。ペテルブルク中で知らない者がいないほどの淫蕩漢がイワン・アファナーシィエヴィチである。この閣下の名前イワンを父称に、父称アファナーシィエヴィチを名前にしたのが〈アファナーシイ・イヴァーノヴィチ〉で、まさにこの〈いい人〉がイワン閣下と同様の淫蕩漢の相貌を一挙に浮上させることになる。
 が、ドストエフスキーがこの男の名前を〈ヴァシーリイ〉とのみ考えていたとすれば、このあまりにも面白い解釈は宙に浮いてしまうことになりかねない。わたしはこの男の名前がいずれであるにせよ、年金証書を担保にしなければ金を貸さないような男を〈いい人〉、亡き夫の友人であるなどとは思わない。この男は、ロシア最新式の思想にかぶれたレベジャートニコフの言うように、本国イギリスでは学問上ですら禁じられている〈同情〉などはかなぐり捨てて、取引き・駆け引きに生きる〈商人〉なのである。
 プリヘーリヤの亡き夫の友人ワフルーシンの名前表記に秘められた謎を、さらに実証的に探っていくことにしよう。初出「ロシア報知」において〈Василiй〉(邦訳においてはワシーリイ、ヴァシーリイなど)と記された名前がどうして、どのような理由で、いつ、誰によって〈Афанасий〉(アファナーシイ)に変わってしまったのか、これは決して些細な問題ではない。ちなみに〈Афанасий〉は「ロシア報知」およびこのテキストに則った単行本においては〈Аѳанасiй〉と表記されている。〈i〉と〈ѳ〉は一九一七年~一九一八年にかけて廃止され、現在は〈и〉と〈ф〉が使われている。
 この商人の名前は『罪と罰』の中で何回か出てくる。プリヘーリヤのロジオン宛の手紙の中に二カ所、その手紙を読み終えたロジオンの独白の中で二カ所、それにロジオンが意識不明から覚醒した時に四カ所ほど出てくる。ここではまず、最初の四カ所を江川卓訳の『罪と罰』(岩波文庫版 一九九九年十一月)と米川正夫訳の『罪と罰』(河出書房新社版 一九五九年十一月)でその箇所を引用しよう。

 

 江川卓訳(岩波文庫)一回目
  でも、年に百二十ルーブリの年金をいただいている身で、どうして私におまえの援助ができましょう? 四カ月前にお送りした十五ルーブリも、ご存じのとおり、この年金を抵当に、当地で商売をされているアファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシンさんからお借りしたものでした。あの方はいい方で、お父さまのお友達でもあった方です。けれど、年金受領の権利をあの方にお譲りしてしまったので、借金の返済がすむまで、待たねばなりませんでした。それが今度やっとすんだようなわけで、その間ずっと、おまえに何も送れなかったのです。(上・68~69)

 

   江川卓集英社版『罪と罰』(愛蔵版 世界文学全集18 一九七三年一月)の訳者後記で「この翻訳のテキストとしては、一九五六年発行のソ連国立文芸出版所ドストエフスキー十巻作品集に収録されているものを用い、一九七〇年発行ソ連ナウカ」出版所「文学記念碑」版を参照した」と書いている。ちなみに国立文芸出版所ドストエフスキー十巻作品全集の『罪と罰』は第五巻に収録、一九五七年に刊行されている。次に引用するのはこのテキストに拠る。内容はアカデミア版全集第六巻と同一である(厳密に言えば、前テキストでвсеがアカデミア版では発音を重視してвсёとなっている)。

 Чем могла я с моими ста двадцатью рублями в год пенсиона помочь тебе? Пятнадцать рублей, которые я послала тебе четыре месяца назад, я занимала, как ты и сам знаешь, в счет этого же пенсиона, у здешнего нашего купца Афанасия Ивановича Вахрушина. Он добрый человек и был еще приятелем твоего отца. Но, дав ему право на получение за меня пенсиона, я должна была ждать, пока выплатится долг, а это только что теперь исполнилось, так что я ничего не могла во все это время послать тебе. (34~35。ア・27~28)

 

 江川卓はここでは〈Афанасия Ивановича Вахрушина〉を〈アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉と原典通りに訳している。
 さて二回目はどのように訳しているか。

 

  おまえとはもうすぐ会えるわけですが、それでも、二、三日うちに、できるだけのお金を送ります。ドゥーネチカがルージンさんといっしょになることが知れてからは、私の信用も急に高まったようなわけで、ワフルーシンさんも、いまなら年金を抵当に七十五ルーブリでも貸してくださいます。ですからおまえにも、二十五ルーブリ、ことによると三十ルーブリは送れます。(上・85)

 

 ここで江川卓は〈ワフルーシンさん〉と訳している。原典で見てみよう。

Но, несмотря на то, что мы, может быть, очень скоро сами сойдемся лично, я все-таки тебе на днях вышлю денег, сколько могу больше. Теперь, как узнали все, что Дунечка выходит за Петра Петровича, и мой кредит вдруг увеличился, и я наверно знаю, что Афанасий Иванович поверит мне теперь, в счет пенсиона, даже до семидесяти пяти рублей, так что я тебе, может быть, рублей двадцать пять или даже тридцать пришлю.(43。ア・34)

 

    江川卓は原典で名と父称で表記されている〈Афанасий Иванович〉を省略し、姓のみを取って〈ワフルーシンさん〉と表記している。江川卓は日本の読者の便宜をはかって人物名の表記を簡略化する傾向がある。読みやすさと裏腹に、原典の意味から逸脱するマイナスもある。江川卓集英社から縮刷版『罪と罰』(一九六八年十月 世界文学全集27)を刊行しているが、わたしはこういった本の刊行目的に納得しがたいものを感じている。米川正夫、中村白葉と並んでロシア文学の御三家の一人と言われた原久一郎も集英社からコンパクト版の『罪と罰』(一九六四年三月 世界の名作・9)を出している。この本には編集部から「読者のみなさんへ」として「古今の名作には、大長編が多い。それを読破するには、数か月を必要とする。多忙な生活に追われている現代人には、その余裕がほとんどない。いつかは必ず読みたいと思いながらも、題名や主人公の名前だけを記憶して、気にかけながら、結局は無縁の人になってしまう。/長編のダイジェスト版やアブリッジド版は、昔から行われてきている、だが、完全な翻訳を読まなければ、むしろ一行も読まぬほうがよいという、完全主義や潔癖主義によって不当に軽視されてきた。しかしながら、現在のスピード化された生活環境にはダイジェスト版やアブリッジド版がもっとも好ましい形式であろう」と書かれている。
 もっともらしい説明がされているが、原久一郎や江川卓などのロシア文学者が名作をわざわざダイジェスト版にすること自体に作家・作品に対する冒涜を感じる。わたしは江川卓の縮刷版『罪と罰』をそれとは知らずに読み始め、途中でそれを知って正直がっくりきた。神は細部に宿る。ドストエフスキーの作品をコンパクトに訳すという行為に作家に対する尊敬の念を感じることはできない。翻訳は学問研究とは別に商売上の要請によって注文されてきた歴史がある。わたしは商売上の大義名分を一概に否定するものではないが、それやこれやを踏まえても縮刷版を肯定する気にはならない。英語版『カラマーゾフの兄弟』を三日で読んだ芥川竜之介に向かって、同じ夏目漱石門下の森田草平は「『カラマーゾフの兄弟』を三日で読むなどというのはけしからん、こういった名作は一ヶ月かけて読むものだ」といったことが伝えられている。漱石門下の中で最もドストエフスキーの文学に熱中し、『カラマーゾフの兄弟』や『悪霊』を翻訳した草平らしい言葉である。ちなみにわたしは学生たちに『カラマーゾフの兄弟』は一生をかけて読む作品だと言っている。古典として残った名作を一時間でも早く読もうなどという精神がすでにせちがらく卑小である。ダイジェスト版を読んで作品を理解した気になるコンパクト精神など、そもそも文学精神とは相容れないものである。本は、それを読むに値する精神年齢に達したときに読めばいいのであって、研究者は読者のコンパクト精神に迎合するようなものを提供する必要はない。それでは本題に戻ろう。

 

 次に米川正夫訳を見る(一回目)。

  年に百二十ルーブリやそこいらの扶助料で、どうしてお前を助けてあげることができましょう? 四か月前、お前に送った十五ルーブリも、ご承知のとおりこの年金を抵当にして、当地の商人ヴァシーリイ・イヴァーヌイチ・ヴァフルーシンから借りたものです。あのかたは親切な人で、父上にご存生時代のお友だちでしたが、あのかたに年金を受け取る権利をゆずったので、わたしはその借金がすんでしまうまで待たなければならなかったのです。それがやっといまもどったばかりなので、この間じゅうはどうしてもお前に送金ができなかったしだいです。(34)

 〈ヴァシーリイ・イヴァーヌイチ・ヴァフルーシン〉は初出の「ロシア報知」一月号では〈Василiя Ивановича Вахрушина〉(63)となっている。米川正夫はここで名と姓は原典に忠実に表記している。が、父称の〈イヴァーノヴィチ〉は〈イヴァーヌイチ〉と変えられている。

 さて二回目の場合はどうなっているか。
 
 それにしても、わたしたちはまもなくじきじき会えることとは思いますけれじ、わたしはやはり近いうちにできるだけたくさん、お前にお金を送ってあげます。ドゥーネチカが、ピョートル・ペトローヴィッチと結婚することをみんなが知ってしまったので、こんどわたしの信用が急に増してきました。で、商人のヴァフルーシンも今なら年金の抵当で、七十五ルーブリくらいまでは融通してくれるにちがいないと思っています。だからお前にも二十五ルーブリか、三十ルーブリはお送りできるかもしれません。(43~44)
 
 「ロシア報知」では〈Аѳанасiй Ивановичъ〉と名と父称で表記されている。にもかかわらず米川正夫は〈ヴァフルーシン〉と姓で表記している。名前が一回目の〈ヴァシーリイ〉とは異なる〈アファナーシイ〉と記されているのに、なぜ敢えて姓の〈ヴァシーリイ〉のみにしてしまったのか。もし原典に忠実に訳していれば、この時点で読者はこの商人に名前の次元で疑問を抱き、特別の関心を抱いた筈である。訳者によるテキスト変更は作品を理解する上で様々な問題を浮上させることになる。
 議論は後にすることにして、三回目の箇所を見ることにしよう。母親からの手紙を読み終えたロジオンの独白に出てくる場面である。まずは江川卓訳から

 

 じゃ、いったいだれを当てにしているんだ。ワフルーシンの借金を差しひいた百二十ルーブリの年金かい? それと冬には、襟巻を編んだり、袖口を刺繍したりで、年寄の目を痛めつけるわけか。しかし襟巻なんぞじゃ、百二十ルーブリの年金をせいぜい二十ルーブリも増やせれば上等さ。おれにはわかってるんだ。じゃ、やはりルージン氏の義侠心がたよりなんじゃないか。(上・92)
 
 〈ワフルーシン〉と訳されたが、原典ではどうか。
Что ж она, на кого же надеется; на сто двадцать рублей пенсиона, с вычетом на долг Афанасию Ивановичу? Косыночки она там зимние вяжет, да нарукавнички вышивает, глаза свон старые портит. Да ведь косыночки всего только двадцать рублей в год прибавляют к ста двадцати-то рублям, это мне известно. Значит, все-таки на благородство чувств господина Лужина надеются:(47。ア・36~37)

 

    原典では〈Афанасию Ивановичу〉で名と父称で表記されている。江川は二回目と同じく三回目の時にも名と父称で表記されたものを姓だけにしてしまったことになる。米川正夫訳(三回目)を見てみよう。

 いったいお母さんはだれをあてにしているのだろう――アファナーシイ・イヴァーヌイチの借金を差し引いた百二十ルーブリの年金をか? それから、冬は老いの目を悪くしながらえり巻を編んだり、そで口の刺繍をしたりする。だが編み物や刺繍は、例の百二十ルーブリに、せいぜい年二十ルーブリも増すくらいなことだ。おれはよく承知している。すると、つまり、やはりルージン氏の男気をあてにしてしているわけだ――(48)

「ロシア報知」でこの場面は〈Аѳанасiю Ивановичу〉と表記されている。米川正夫は正確に名と父称で表記しているが、原典の〈イヴァーノヴィチ〉を前回同様どうして〈イヴァーヌイチ〉にしたのかは分からない。ロジオンの父称は〈Романович〉(ロマーノヴィチ)と〈Романыч〉(ロマーヌィチ)の二通りで表記されているが、前者は正式(公式の文書)の場合、後者は会話などで使用されるものと理解できるが、江川卓はロジオンの父称に関しては恣意的に訳して原典に忠実ではない。いずれにしても、米川正夫は一回目を〈ヴァシーリイ〉と訳し、三回目を〈アファナーシイ〉と訳したのだから、ブリヘーリヤの亡き夫の友人の名前が『罪と罰』で二通りあったことに気づいていたはずである。なぜ米川正夫は二種の表記名にこだわらなかったのであろうか。否、彼に限らず日本の『罪と罰』翻訳家でこの点に注意を向けた者は一人もいなかった。

 

 次に江川卓訳と米川正夫訳の四回目を引用する。

 だって、いますぐにも何かの手を打たなくちゃならないんだぜ。ところが、おまえは何をしてる? 逆にふたりをしぼりあげてるじゃないか。あのふたりの金は、百ルーブリの年金を抵当に、スヴィドリガイロフ家での勤めを抵当に、やっと手に入れたものなのに! 未来の百万長者君、ふたりの運命をつかさどるゼウスの神、スヴィドリガイロフ家やワフルーシン氏から、おまえはどうやって、あのふたりを守ろうというんだ?(上・98)

 今げんに何かしなければならんじゃないか、いったいそれがわかっているのか? それだのにお前は、いま何をしていると思う? お前はかえって彼らから略奪しているじゃないか。だって彼らの金は、百ルーブリの年金かスヴィドリガイロフ家の苦しみかを、抵当にして借りたものじゃないか? スヴィドリガイロフや、あのアファナーシイ・イヴァーヌイチ・ヴァフルーシンなどのような連中から、お前はどうして彼らを守りとおせるつもりだい? おい、未来の百万長者、彼らの運命をつかさどるゼウスの神どの!(51)

 

 プリヘーリヤの年金は手紙では百二十ルーブリと記されていたのに、ここでは百ルーブリとなっている。百ルーブリはドゥーニャがスヴィドリガイロフ家から家庭教師の報酬として受け取る年俸である。ロジオンの記憶間違いなのか、それともここにも何か隠されているのか。商人ワフルーシンは百二十ルーブリの年金に対して百ルーブリの価値しか認めなかったとも取れる。まさに計算づくの商人であり、こういった男をプリヘーリヤは亡き夫の〈友人〉と書き、〈いい人〉と書いていたことを忘れてはならない。次に原典を見ておこう。

Ведь тут надо теперь же что-нибудь сделать, понимаешь ты это? А ты что теперь делаешь? Обираешь их же. Ведь деньги-то им под сторублевый пенсион да под господ Свидригайловых под заклад достаются! От Свидригайловвых-то, от Афанасия-то Ивановича Вахрушина чем ты их убережешь, миллионер будущий, Зевес, их судьбою располагающий?(ア・38) 

 

 次に代表的な『罪と罰』の翻訳者の訳を①②③④として列記する。

 中村白葉(新潮文庫第十二編 一九一四年(大正三年)十月)
①ワシーリイ・イワーノヰッチ・ヷフルーシン(72)
②アファナーシイ・イワアーノヸツチ(93)
 ③アファナーシイ・イワーノヸツチ(101)
 ④アファナーシイ・イワーノヸツチ・ワハルーシン(108)
 ※日本初のロシア語原典『罪と罰』からの翻訳。中村白葉訳では現在使用されていないヸ(ヴィ)とかヷ(ヴァ)が使われている。表記は微妙に違っていても原典に忠実に訳している。ちなみに新潮社版世界文学全集第二十二巻『罪と罰』(一九二八年(昭和三年)五月)は手塚治虫が読んだテキストである。
 中村白葉は改訂版が出るごとに改訳を試みている。ここでは岩波文庫版(一九二八年六月第1刷発行。一九五八年十一月第34刷発行。一九九三年五月第79刷発行)も確認しておく。
 ①ワシーリイ・イワーノヴィッチ・ヷフルーシン(55)
 ②アファナーシイ・イワーノヴィッチ(69)
 ③アファナーシイ・イワーノヴィッチ(75)
 ④アファナーシイ・イワーノヴィッチ・ヷフルーシン(80)
 
 小沼文彦(筑摩書房版世界文學体系35 一九五八年三月)
 小沼文彦はこの本の解説で「『罪と罰』は一八六六年(慶応二年)『ロシア報知』一月、二月、四月、六月、七月、八月、十一月、十二月の各号に連載の形式で発表されたが、単行本として発行されたのは翌六七年のことである。この版では雑誌掲載当時のものに比較し、スタイルの面でもかなり多くの訂正と省略(たとえばルージンのモノローグ)が行われているが、その後一八七〇年の刊行本を経て、一八七七年、今日に伝わる定本が完成された。/この翻訳のテキストとしては、一八七七年発行のペテルブルク版第一巻を使用し、一九五七年発行、全集第五巻を参照した」と書いている。
 ①ワシーリイ・イワーノヴィチ・ヴァフルーシン(25)
 ②アファナーシイ・イワーノヴィチ(31)
 ③アファナーシイ・イワーノヴィチ(34)
 ④アファナーシイ・イワーノヴィチ・ヴァフルーシン(36)

 北垣信行(講談社版世界文学全集41 一九七四年九月)
 ①ワシーリイ・イワーノヴィチ・ワフルーシンさん(37)
 ②ワフルーシンさん(47)
 ③ワフルーシン(51)
 ④ワフルーシン(54)

 亀山郁夫光文社古典新訳文庫罪と罰』1 二〇〇八年十月)
 ①アファナーシイ・ワフルーシンさん(76)
 ②アファナーシイさん(95)
 ③アファナーシイ・ワフルーシン(104)
 ④アファナーシイ・ワフルーシンのやから(110)

 

 ここで「ロシア報知」とドストエフスキーの生前中に刊行された三冊の『罪と罰』を確認しておこう。
■ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ「ロシア報知」一月号(一八六六年一月)大阪大学附属図書館総合図書館所蔵
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(63)
 ②Аѳанасiй Ивановичъ(72) 
 ③Аѳанасiю Ивановичу(75)
 ④Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(78)

■1867年(ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ Ѳ. М. ДОСТОЕВСКОГО ИЗДАНIЕ ИСПРАВЛЕННОЕ ТОМЪ 1 ПЕТЕРБУРГЪ Изданiе А.Базунова, Э.Праца и Я.Вейденштрауха 1867)
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(45)
 ②Аѳанасiй Ивановичъ(58) 
 ③Аѳанасiю Ивановичу(64)
 ④Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(68)

■1870年(ПОЛНОЕ СОБРАНIЕ СОЧНЕНIЙ Ѳ.М.ДОСТОЕВСКОГО. ТОМЪ ЧЕТВЕРТЫЙ. ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ САНКПЕТЕРБУРГЪ. 1870)
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(16)
 ②Аѳонасiй Ивановичъ(20)※名前の〈о〉は〈а〉の誤植 
 ③Аѳанасiю Ивановичу(21)
 ④Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(22)

■1877年(ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ Ѳ. М. ДОСТОЕВСКОГО. ТОМЪ・. С-ПЕТЕРБУРГЪ. 1877)
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(33)
 ②Аѳонасiй Ивановичъ(42)
 ③Аѳанасiю Ивановичу(46)
 ④Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(49)

 ドストエフスキー生前中のロシア語版『罪と罰』では①はすべて〈ワシーリイ〉である。それではいつ、どのテキストで①の〈ワシーリイ〉が〈アフアナーシイ〉に変わったのか。ドストエフスキーの死後に発行されたロシア語版『罪と罰』を今の時点(二〇一八年四月)で可能な限り検証してみることにしよう。

■1882年(ПОЛНОЕ СОБРАНIЕ СОЧНЕНIЙ Ѳ.М.ДОСТОЕВСКОГО. ТОМЪ ШЕСТОЙ. ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ С.ПЕТЕРБУРГЪ.)東京外国語大学図書館所蔵
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(32)
 ②Аѳанасiй Ивановичъ(40) 
 ③Аѳанасiю Ивановичу(43)
 ④Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(45)

■1885年(ПОЛНОЕ СОБРАНIЕ СОЧНЕНIЙ Ѳ.М.ДОСТОЕВСКОГО. ТОМЪ ТРЕТIЙ. ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ С.ПЕТЕРБУРГЪ.)北海道大学図書館所蔵
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(16)
 ・Аѳанасiй Ивановичъ(21) 
 ・Аѳанасiю Ивановичу(23)
 ・Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(25)

■1894年版(ПОЛНОЕ СОБРАНIЕ СОЧНЕНIЙ Ѳ. М. Достоевскаго. ТОМЪ ПЯТЫЙ. ЧАСТЬ ПЕРВАЯ. Преступленiе и наказанiе. С. ПЕТЕРБУРГЪ. Изданiе А. Ф. МАРКСА)東京外国語大学図書館所蔵
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(31)
 ②Аѳанасiй Ивановичъ(40) 
 ③Аѳанасiю Ивановичу(43)
 ④Аѳθанасiя-то Ивановича Вахрушина(46)

■1922年版(Ѳ. М. ДОСТОЕВСКIЙ ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ БЕРЛИНъ 1922 Издательство И. П. Ладыжникова)関西外国語大学図書館所蔵
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(41)
 ②Аѳанасiй Ивановичъ(52) 
 ③Аѳанасiю Ивановичу(57)
 ④Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(60)

■1951年版(Ф. М. ДОСТОЕВСКИЙ ПРЕСТУПЛЕНИЕ И НАКАЗАНИЕ CAMBRIDGE AT THE UNIVERSITY PRESS 1951)上智大学図書館所蔵
 ①Василия Ивановича Вахрушина(37)
 ②Афанасий Иванович(46)
 ③Афанасию Ивановичу(50)
 ④Афанасия-то Ивановича Вахрушина(53)

■1955年版(Ф. М. ДОСТОЕВСКИЙ ПРЕСТУПЛЕНИЕ И НАКАЗАНИЕ ГОСУДАРСТВЕННОЕ ИЗДАТЕЛЬСТВО ХУДОЖЕСТВЕННОЙ ЛИТЕРАТУРЫ МОСКВА-1955)上智大学図書館所蔵

 ①Василия Ивановича Вахрушина(30)
 ②Афанасий Иванович(38)
 ③Афанасию Ивановичу(41)
 ④Афанасия-то Ивановича Вахрушина(44)

■1956年版(Ф. М. ДОСТОЕВСКИЙ ПРЕСТУПЛЕНИЕ И НАКАЗАНИЕ ИЛЛЮСТРАЦИИ Д. О. ШМАРИНОВА Гослитиздат 1956)上智大学図書館所蔵
 ※タイトルページ裏に【Издание четветое. С.-Петербург. 1877.】とある。上智大学図書館へ小沼文彦が寄贈した本。
 ①Василия Ивановича Вахрушина(33)
 ②Афанасий Иванович(40)
 ③Афанасию Ивановичу(43)
 ④Афанасия-то Ивановича Вахрушина(45)
 
 一九五六年版まで、①はすべて〈ワシーリイ〉である。ということは一九五七年版の『罪と罰』において初めて①の〈ワシーリイ〉が〈アファナーシイ〉に変えられたということになる。改めて確認しておこう。

■1957年版(Ф.М.ДОСТЕВСКИЙ СОБРАНИЕ СОЧНЕНИЙ В десяти томах ТОМ пятый ПРЕСТУПЛЕНИЕ И НАКАЗАНИЕ ГОСУДАРСТВЕННОЕ ИЗДАТЕЛЕЛЬСТВО ХУДОЖЕСТВЕННОЙ ЛИТЕРАТУРЫ Москва 1957)
 ①Афанасия Ивановича Вахрушина(34)
 ②Афанасий Иванович(43)
 ③Афанасию Ивановичу(47)
 ④Афанасия-то Ивановича(50)

 この十巻作品集の共同編集者に関しては次のように記されている。
 「Под общей редакцей Л. П. ГРОССМАНА, А. С. ДОЛИНИНА, В. В. ЕРМИЛОВА, В.Я.КИРПОТИНА, В.С.НЕЧАЕВОЙ, Б.С.РЮРИКОВА」

 今まで検証して判明したのは、①の〈ワシーリイ〉を最初に〈アファナーシイ〉に変えたのはこの十巻作品全集の第五巻であったということである。編集者は当時ドストエフスキー研究の第一人者として知られていたグロスマンを筆頭に、ドリーニン、エルミーロフ、キルポーチン、ネチャーエワ、リュリコフの六人である。この六人が①の〈ワシーリイ〉を〈アファナーシイ〉に変えることに同意したということである。

 以後、この変更はそのまま引き継がれアカデミア版全集の『罪と罰』(1973年 三十巻全集の第五巻)でも①は〈アファナーシイ〉に変えられている。変更の理由は②③④が〈アファナーシイ〉なので、①の〈ワシーリイ〉を作者の思い違いと見なしたのであろうか。
 ちなみにこの商人はロジオンが意識不明から蘇った日、屋根裏部屋を訪れた伝書人の口から明確に〈アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉と言われている。この伝書人はさらに〈ワフルーシン、アファナーシイ・イワーノヴィチ〉〔Вахрушин, Афанасий Иванович〕(ア・94)とも言ってワフルーシンの名前がアファナーシイであることを確定している。
さて、初出において〈ワシーリイ〉と記されていた名を〈アファナーシイ〉に変えてしまった編纂者達は、作中人物の名前は一つでなければならないという考えに支配されていたのであろうか。しかしこれは余りに安易な考え方である。ドストエフスキーともあろう作家が、ブリヘーリヤの手紙という重要な箇所において人物の名前を間違えていたなどということは考えられない。むしろ意図的に〈商人ワフルーシン〉の名を二種表記することで読者の注意を促していると思った方がいい。
 ロジオンの独白「本当に私にアレができるだろうか」の〈アレ〉(этоの斜字体)のように、ドストエフスキーはテキストの至る所に謎を仕掛けている。ロジオンの父称は二種あり、マルメラードフ一家の家主アマリアにいたっては父称が三つもある。〈商人ワフルーシン〉の名が意図的に二種用意されていても何ら不思議ではない。ましてやわたしのようにこの〈商人〉をペテルブルク中で知らない者がなかったほどの淫蕩漢であるイワン・アファナーシィエヴィチ閣下と関連付けて読み解く者にとってはごく当たり前の仕掛けということになる。
 日本では宮沢賢治が童話の言語表記の次元で様々な仕掛けをしていた。宮沢賢治の童話においてひらがな表記は要注意で、読み方次第でテキストは豊穣、深遠な世界を開示する。こういった仕掛けに気づかない編纂者や編集者が言葉を同一漢字や同一ひらがなに統一したり、作者がわざわざ意図的にルビを付けているのをはずしたりしてしまうと、作者の仕掛けを台無しにしてしまうことになる。天才宮沢賢治の作品を凡才編纂者がへたにいじくるとろくなことがない。『罪と罰』の場合、ドストエフスキーが生きている時に刊行されたテキストで〈ワシーリイ〉と表記されていたのを〈アファナーシイ〉と変えたのだからその責任は重い。
 改めて④のАфанасия-то Ивановичаに注目したらいい。ドストエフスキーはここでわざわざワフルーシンの名アファナーシイに〈-то〉をつけて強調している。つまり「この名に注目しなさい」と読者にサインを送っているのである。最初にプリヘーリヤの手紙で名を〈ワシーリイ〉と記された商人ワフルーシンは、同じ手紙の中で〈アファナーシイ〉と違った名を記されるが、これはプリヘーリヤの勘違いと解するよりは作者からの特別のメッセージと受け止めた方がいい。手紙を読んだロジオンは、まさかこの商人を母親が言うような〈いい人〉(добрый человек)などとは思わなかっただろう。こんな計算高いみみっちい男はいない。こんな男が亡き父親の〈友人〉であったことさえ癪にさわったであろう。
 前にも指摘したようにドストエフスキーのような作家が〈いい人〉とか〈すばらしい人〉などと書いたら要注意なのである。マルメラードフが〈生神様〉(божий человек)とまで大げさに吹聴したイワン閣下が、実はペテルブルク中で知らない者がいなかったほどの淫蕩漢で、ソーニャの処女を銀貨三十ルーブリでものにした男だと知れば納得いくだろう。商人ワフルーシンの名〈アファナーシイ〉は、イワン閣下の父称アファナーシィエヴィチから取られているのである。つまりアファナーシイ・イワーノヴィチという名と父称には淫蕩漢イワン閣下の息子という象徴的な意味が隠されていたということである。ちなみに〈Афанасий〉という名はギリシャ語起源でathanasiaで〈бессмертие〉(不死、不滅、永遠)を意味する。ドストエフスキーの小説では、淫蕩なイワン閣下が善良で慈悲深いお方と持ち上げられ、計算高いがめつい商人ワフルーシンが永遠不滅のようないい人と言われるのである。この名前に仕掛けられた皮肉が分からないとテキストの表層を素通りしていくほかはない。
 問題は母親の手紙を読んだロジオンが、母親の〈秘密〉にどこまで照明を当てていたかである。賢明で分析力に秀でたロジオンがプリヘーリヤとアファナーシイの秘められた関係に気づかなかったとは思えないが、しかしそんなことにまで踏み込んで『罪と罰』を書くわけにはいかなかった作家ドストエフスキーの側の問題がある。『罪と罰』の発表舞台は「ラザロの復活」の朗読場面に書き直しを命じたカトコフが編集長を務める「ロシア報知」であったことを忘れてはならない。
 『罪と罰』の生原稿はすべて残っているのだろうか。もし残っていれば照合も可能だろうが、生原稿に線や書き直しがある場合これまた厄介な問題が生じることになる。いずれにしても作家の存命中にテキストが確定されているものに、作家の死後、研究者や編集者が手を入れることは極力避けるべきではないかと思う。〈ワシーリイ〉を〈アファナーシイ〉に訂正するのではなく、脚注などで読者の注意を促せばすむことである。

 

文学の交差点(連載13)■プリヘーリヤの〈事の真相〉をめぐって

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載13)

清水正

■プリヘーリヤの〈事の真相〉をめぐって

――  プリヘーリヤは手紙で「ちゃんと順序立てて書くことにしましょう。これまではどうだったのか、そしてこれまでおまえに何をかくしてきたのか、すっかり知ってもらいます」「もし私が事の真相をすっかり手紙したら、おまえはおそらく、何もかも放擲して、歩いてでも帰ってくれたことでしょう」と書いている。

 いったいプリヘーリヤは「何をかくしてきた」のか。いったん、プリヘーリヤとアファナーシイとの関係に疑いの眼差しを向けた者にとっては、実に刺激的、挑発的な言葉である。しかし、手紙を読んだ者には明白なように、これはドゥーニャとスヴィドリガイロフの関係についての言葉である。プリヘーリヤはドゥーニャとスヴィドリガイロフの関係についてのみ〈事の真相〉を話そうとしているのであって、自分とアファナーシイの関係については沈黙を守り続けている。手紙の表層を読む限り、プリヘーリヤとアファナーシイは年金を抵当にして金を借りたというだけの関係にとどまる。プリヘーリヤとアファナーシイの関係に関しては、手紙文をマルメラードフの告白に重ねて執拗に揺さぶりをかけないとその秘密を浮上させることはない。

 描かれた限りで読めば、手紙を受け取ったロジオンが、母親プリヘーリヤと亡き父親の友人アファナーシイとの関係についてことさら思いを深くすることはない。そのことも手伝って『罪と罰』の読者は、改めてプリヘーリヤとアファナーシイの関係について照明を与えることはしない。読者の関心はもっぱらドゥーニャとスヴィドリガイロフの〈事の真相〉に向けられる。

 ロジオンは母親と妹の彼に対する独特な愛の性格をよく承知している。ロジオンは肉親に対しては想像力を豊かに働かせ、感情を露わにする。ロジオンの肉親に対する愛も独特であり、その愛はすべての人間に対しても適用されるわけではない。ロジオンはルージンや高利貸しアリョーナ婆さんに対して微塵の愛も向けることはなかった。ロジオンの想像力は肉親やソーニャに対しては豊かに広がるのだが、ルージン、アリョーナはもとよりスヴィドリガイロフやポルフィーリイ予審判事に関しては憎悪、敵意、殺意など負の感情に支配されてしまう。

 母親の手紙を読んでも、ロジオンは商人アファナーシイに関してはいっさい触れない。父親の〈友人〉で〈いい人〉であるアフナーシイと母親との〈事の真相〉に関して、ロジオンのアンテナは何も受信しない。ロジオンが敏感に反応するのはドゥーニャを誘惑したスヴィドリガイロフと婚約者ルージンである。アファナーシイなどは年金を抵当にとって母親に金を貸してくれた男ぐらいの認識しかなかった。少なくとも作者はそのように描いている。

罪と罰』の闇は深い。この闇の中には想像もできないような出来事が秘め隠されている。プリヘーリヤが手紙で知らせる〈事の真相〉は、息子に知らせてもよい情報に限定されている。ドゥーニャとスヴィドリガイロフの関係についても、プリヘーリヤが実際に知っていることは何もないと言っていい。プリヘーリヤの把握している〈事の真相〉はすべてドゥーニャならびにマルファから聞いたことである。 スヴィドリガイロフは男と女の間の出来事は当事者にしかわからないと言っているが、けだし名言である。否、当事者にすらわからないのが男と女の関係である。

〈事の真相〉に関して、当事者であるスヴィドリガイロフとドゥーニャのあいだにさえ食い違いが見られる。〈秘中の秘〉と〈自己欺瞞〉に関してある種の女性は天才的な能力を発揮する。女に関しては海千山千の好色漢であったはずのスヴィドリガイロフが、見ようによってはドゥーニャに弄ばれたとも言えるのである。スヴィドリガイロフからルージンへ、そしてラズミーヒンへと短期間の間に鞍替えしたドゥーニャを、ロマンチックに理解するほど危険なことはない。  

文学の交差点(連載12)■〈算盤〉をはじいて生きていた人々とソーニャ

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

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文学の交差点(連載12)

清水正

■〈算盤〉をはじいて生きていた人々とソーニャ

 同情などと言うものは学問上ですら禁じられているような時代にあって、『罪と罰』の中に出てくる人物たちの大半は不断に算盤をはじいている。商人アファナーシイ、実務家ルージン、高利貸しアリョーナなどばかりが計算していたのではない。プリヘーリヤやドゥーニャさえ、頭で算盤をはじいたからこそルージンとの結婚に同意したのである。ラスコーリニコフ母娘の算盤は時代遅れで、最新式の機能を備えたルージンのそれとでは計算式が違っていて同じ答えを導き出すことはできなかった。結婚はロジオンの大反対もあってすぐに破綻を迎えるが、しかし彼女たち二人が旧式の算盤をはじいた事実を否定することはできない。彼女たちはよりによってルージンという実務家に、学問上でさえ禁じられている〈同情〉をあてにしてしまった。

 最も〈同情〉など当てにしてはいけない二人の人物、一人は商人アファナーシイ、一人は実務家ルージン、こういった計算高い功利主義の申し子のような男たちに打算的な算盤をはじかなければならなかった彼女たちを一方的に責める気はないが、しかし彼女たちが中途半端な自己犠牲の途を選んでしまった愚かな者たちであったことは否めない。

 酒瓶の底に苦しみと悲しみを求めるマルメラードフも、その後妻カチェリーナも、彼らなりの〈算盤〉をはじいて生きている。『罪と罰』の中で唯一〈算盤〉をはじいていないのがソーニャである。このソーニャという人物を現実世界に生存している人間、および彼女の稼業と照らし合わせて考えると、とうてい理解できない。理解できないから、排除するというのではない。この、理屈の次元ではとうてい理解しがたいソーニャという人物が存在しているからこそ『罪と罰』という小説はその普遍性を獲得していると言ってもいい。わたしは、描かれた限りでのソーニャは聖者(ユロージヴァヤ=聖痴女=юродивая)であり、少女マンガの主人公のような完璧にきれいごとの世界を生きる天使のように見える。問題はなぜドストエフスキーがそのようにソーニャを描いたかである。

 プリヘーリヤの手紙から、彼女とアファナーシイの〈関係〉について思いを寄せた読者はほとんどいなかったであろう。プリヘーリヤの〈打算〉も看過されてきた。プリヘーリヤは息子思いの優しい母親というイメージで読まれてきたと言ってもいいだろう。わたしがこれまで書いてきたプリヘーリヤに対する指摘は残酷過ぎるかも知れない。が、テキストに書かれた事柄を冷静に客観的に読み込んでいけば、やはりプリヘーリヤは娘ドゥーニャにルージンとの結婚を勧めるような打算的な母親であり、ロジオンに対する愛も自己愛の次元を越えてはいなかった。ソーニャの自己犠牲的な愛の前では、プリヘーリヤとドゥーニャの愛はどんなに巧みにカフラージュしても自己愛の領域にとどまるのである。

文学の交差点(連載11) ■〈おしゃべり〉から〈行動〉へ  ――ロジオンが目指した〈アレ〉の秘密――  

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

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文学の交差点(連載11)

清水正

■〈おしゃべり〉から〈行動〉へ

 ――ロジオンが目指した〈アレ〉の秘密――  

    ロジオンはプリヘーリヤによってラスコーリニコフ家再建の使命を背負わされた息子であったが、すでに母親の期待に沿う気持ちはなかった。ロジオンは三年前ペテルブルクに上京してきた時点で、母親の呪縛から解放された気分でいたことは、先に指摘したチンメルマン製の丸型帽子やナターリヤとの婚約が端的に示している。が、母親との絆がそうそう簡単に切れるはずもない。ナターリヤが腸チフスで死んだのは一年前だが、大学除籍処分と相まってロジオンの生活は乱れ始める。ロジオンはプリヘーリヤが望んでいたルージンの途、つまり現実の世界で地道に立身出世するという現世的野望を打ち捨てていた。ロジオンの屋根裏部屋での生活そのものが、そのことを端的に示している。

 ロジオンの生活の大半は空想と散策に費やされている。彼が哲学や文学で身を立てるというのなら話は別だが、描かれた限りでみれば彼が〈思弁的生活〉に積極的な意味を見いだすことはなかった。彼には月刊雑誌に掲載されるほどの優れた「犯罪に関する論文」を執筆する能力が備わっていながら、大学教授や文学者になろうとする意志はなかった。彼が望んでいたのは〈おしゃべり〉ではなく行動であった。彼の意識を不断に妖しく刺激し続けていたのは「はたして私にアレができるのだろうか」(Разве я способен на это?」ということであった。彼は、その思いが〈幻想〉(фантазия)であり、一人遊びの観念上の〈игрушка〉(玩具)でしかないことをよく知っている。が、彼は遂に屋根裏部屋の空想家から、〈アレ〉(этоのイタリック体)へと踏み越えてしまう。

 作者がわざわざイタリック体で記した〈アレ=это〉には、当時の検閲官に絶対に看破されてはならない仕掛けが組み込まれていた。つまり〈アレ〉は表層的には〈老婆アリョーナ殺し〉であるが、実はそこには〈リザヴェータ殺し〉や〈皇帝殺し〉、最終的には〈復活〉が隠されていた。いずれにしても、ロジオンはアリョーナ婆さんとリザヴェータを殺したことによって、母親とドゥーニヤとの絆をも断ち切ったのである。

    ロジオンは母親や妹が望む〈すべて〉〈希望の星〉であることをやめて、新たなる者との新生活を選んだ。それでは母親と妹に代わる新たなる者とは誰か。言うまでもない、マルメラードフの告白話の中に登場してきたソーニャである。もしロジオンがソーニャという一家の犠牲になって娼婦にならざるを得なかった娘のことを知らなかったならば、彼の第一の犯行はなされなかったに違いない。ロジオンはマルメラードフの告白を聞いた時点で、犯行の告白の相手にソーニャを選んでいたとわたしは思っている。

文学の交差点(連載10)■未亡人カチェリーナの〈踏み越え〉とソーニャ ■息子ロージャのために身売りする母と妹ドゥーニャ

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

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文学の交差点(連載10)

清水正

■未亡人カチェリーナの〈踏み越え〉とソーニャ  

    未亡人カチェリーナ・イワーノヴナは愛も尊敬もないマルメラードフの求婚を受け入れた。なぜなら、この求婚を受け入れなければ幼い子供三人を道連れに一家心中でもするほかはなかったからである。つまりカチェリーナにとってマルメラードフとの結婚は、追いつめられた果てでの〈踏み越え〉であった。この不本意にも〈踏み越え〉せざるを得なかったカチェリーナが、継子となったソーニャに「この穀つぶし、ただで食って飲んで、ぬくぬくしてやがる」「なにを大事にしてるのさ! たいしたお宝でもあるまいに!」と〈踏み越え〉を迫る。カチェリーナに言わせれば、「私も踏み越えたんだからおまえも踏み越えな」というわけである。

 もちろん、カチェリーナは好きこのんでこんな乱暴な口をきいているのではない。彼女がソーニャに〈踏み越え〉を迫る背景には、家主アマリヤからの三度にわたる誘惑があった。アマリヤの背後には女衒のダーリヤ・フランツォヴナがいた。この女衒は『罪と罰』の舞台に名前だけ登場するが、いわばソーニャの〈踏み越え〉の仕掛け人である。おそらくこの女衒はペテルブルク中の淫蕩なる高位高官の名簿を握っており、不断に獲物を物色していたのである。貧しい家の若い処女は、淫蕩漢たちの格好の獲物なのである。ソーニャの処女の対価を銀貨三十ルーブリに決めたのもダーリヤであったのかもしれない。作品において闇取引の実態に証明が当てられることはないので、読者は想像をたくましくするしかない。ソーニャが持ち帰った銀貨三十ルーブリのうちから、カチェリーナは手数料をダーリヤに支払う必要があったのかもしれない。が、どういうわけかアマリヤやダーリヤが納得するような〈挨拶〉がなかったので、ソーニャはアパートから追い出される羽目に追いやられたと考えることもできる。こういった描かれざる領域に想像力を働かせていくと、もう一編の〈小説〉を書かなければならないような気になってくる。

 

■息子ロージャのために身売りする母と妹ドゥーニャ

 さて、プリヘーリヤに戻ろう。プリヘーリヤが愛も尊敬もない〈商人〉アファナーシイと関係を持ったとすれば、それは彼女における〈踏み越え〉にほかならない。プリヘーリヤにとって〈一人息子〉のロージャは〈すべて〉であり〈希望の星〉である。ロージャは百二十年の歴史を持つラスコーリニコフ家を再建しなければならない、そういった使命を持った一人息子なのである。プリヘーリヤはこの息子のためなら身売りさえ厭わない、そういう母親なのである。だからこそ、すでに〈踏み越え〉たカチェリーナがソーニャに〈踏み越え〉を迫ったように、プリヘーリヤもまた娘ドゥーニャに愛も尊敬もない弁護士ルージンとの結婚を迫るのである。 ドゥーニヤは悩みに悩んだ末に母プリヘーリヤの願いを受け入れる。プリヘーリヤが手紙で書いていたように、ドゥーニャにとっても兄のロジオンは〈すべて〉であり〈希望の星〉なのである。賢いドゥーニャはルージンが俗物であることを瞬間的に見抜く。が、ルージンが現実の世界において成功を収めたやり手であることも十分に承知している。ドゥーニャは結婚の相手に尊敬できる男性を選ぶことはできなかった。一家の柱であり杖である兄ロジオンのためなら我が身を犠牲にすることも厭わなかったのである。が、いくら母親に勧められたとはいえ、ドゥーニャがルージンとの結婚を承諾したことは賢明ではなかった。 

文学の交差点(連載9) ■『罪と罰』、その描かれざる性的場面  ――ソーニャとブリヘーリヤの描かれざる〈踏み越え〉――

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載9)

清水正

■『罪と罰』、その描かれざる性的場面

 ――ソーニャとブリヘーリヤの描かれざる〈踏み越え〉――

 わたしが近年執筆している『罪と罰』論は、その多くが書かれていない場面についての批評となっている。ソーニャの最初の男は誰か? この疑問に満足のいく答え(解釈)を出すために、ドストエフスキーを読み続けて三十年の歳月を要した。答えはイワン・アファナーシィエヴィチ閣下。マルメラードフの口から〈生神様〉(божий человек)とまで呼ばれた善良な男が、実はソーニャの処女を銀貨三十ルーブリで買った男となれば、今までの『罪と罰』百五十年の〈読み〉の歴史に激震が走ることになる。さらにソーニャがリザヴェータと共に観照派の秘密の会合に参加していたとすると、ソーニャの〈最初の男〉は観照派の男性信徒とも考えられる。ソーニャと肉体関係を結んだ男性信徒は謂わばキリストの化身であるから、そうなるとソーニャの〈最初の男〉はキリストということになる。このように、『罪と罰』は読み方によってはどんどん果てしない領域へと読者を誘っていく。

 マルメラードフの告白にはソーニャとイワン閣下の秘密が埋め込まれていたが、この告白とラスコーリニコフの母親プリヘーリヤの手紙を重ねて読むと、もう一つの恐るべき秘密が浮上してくることになる。プリヘーリヤの夫は妻と二人の子供を残して死んでしまう。ところでこの夫の名前がロマンということは息子ロジオンの父称ロマーノヴィチなので判るが、フルネームは判らず、また何が原因でいつ死んだのかも報告されない。夫のフルネームは報告されないのに、この夫の友人でプリヘーリヤによれば〈いい人〉(добрый человек)のフルネーム(アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン=Афанасий Иванович Вахрушин)はしっかりと報告される。その場面を引用しておこう。ちなみにプリヘーリヤの手紙は四百字詰め原稿用紙に換算すると三十枚に及ぶおそるべき長編で、この量だけでも尋常を逸している。

 なつかしい私のロージャ。おまえと手紙で話をしなくなってから、もう二カ月の余になります。それが気になって、ときには考えごとで眠られぬ夜もあるほどです。でもおまえは、私が心ならずも黙っていたことを責めたりはしないでしょう。私がおまえをどんなに愛しているかはご存じのとおりです。おまえはうちのひとり息子、私とドゥーニャにとってのすべて、私たちの希望の星なのですから。おまえが生活費にも事欠いて、もう数カ月も大学へ行かれず、家庭教師やそのほかの口もなくなってしまったと知ったとき、私の驚きはいかほどだったでしょう! でも、年に百二十ルーブリの年金をいただいている身で、どうして私におまえの援助ができましょう? 四カ月前にお送りした十五ルーブリも、ご存知のとおり、この年金を抵当に、当地で商売をされているアファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシンさんからお借りしたものでした。あの方はいい方で、お父さまのお友達でもあった方です。けれど、年金受領の権利をあの方にお譲りしてしまったので、借金の返済がすむまで、待たねばなりませんでした。それが今度やっとすんだようなわけで、その間ずっと、おまえに何も送れなかったのです。けれど今度は、おかげさまで、おまえにも送金ができそうです。(江川卓訳・岩波文庫 上68~69)

 わたしは五十年以上も『罪と罰』を読み続けているが、読むたびに新しい発見があり、恐ろしささえ感じる。すでに指摘していることだが、ここでもっとも注目しなければならないのは、未亡人プヘーリヤの亡き夫の友人の名前と父称である。名アファナーシイはイワン閣下の父称で、父称イワーノヴィチはイワン閣下の名である。つまり彼の名前はイワン・アファナーシィエヴィチ閣下の名と父称をひっくり返しただけのものである。イワン閣下はソーニャの〈処女〉を銀貨三十ルーブリで買い上げてくれた〈生神様〉(божий человек)であることを考えれば、〈いい人〉(добрый человек)と書かれたアファナーシイがどのような〈淫蕩漢〉であったか容易に想像できよう。

 ところで、わたしはこのことを発見するのに約五十年の歳月を費やした。その一つの理由にわたしが長年読んできた『罪と罰』が米川正夫の訳だったことにある。米川訳では〈アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉が〈ヴァシーリイ・イヴァーヌイチ・ヴァフルーシン〉となっている。どういうことか。所有する日本語訳『罪と罰』を調べてみると小沼文彦訳が〈ワシーリイ・イワーノヴィチ・ヴァフルーシン〉、北垣信行訳が〈ワシーリイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉で表記文字が違うだけで米川正夫訳と同じ。工藤精一郎訳は〈アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉で江川卓訳と同じ。古い訳ではまずフレデリック・ウイショーの英訳から内田魯庵(奥付には内田貢、表紙には不知庵主人とある)が重訳した『罪と罰』(明治二十五年十一月 内田老鶴圃)には〈ワシーリー、イワーノウヰチ、ワクルーシン〉、同じく内田魯庵訳『罪と罰』(大正二年七月 丸善)には〈ワクルーシン氏〉となっている。因みに内田魯庵は二回ほど試みた『罪と罰』翻訳ではあったが、いずれも第三編の六までで中断している。

    日本で初めてロシア語原典から訳した中村白葉訳『罪と罰』(大正三年十月)は〈ワシーリイ・イワーノ井ツチ・ワ"フルーシン〉。生田長江・生田春月訳『罪と罰』(大正十三年十二月 三星社出版部)が〈ワシリイ、イワノヰツチ、ワツハルウシン〉。

 登場人物一人の名前だけでも調べていけばきりがない。わたしが現在使用しているアカデミア版三十巻全集では〈Афанасий Иванович Вахрушин)とあるので江川卓の表記が正しいということになる。プリヘーリヤの言う〈いい人〉の名が米川正夫訳の〈ヴァシーリイ=Василий〉となると、イワン閣下との近似性(淫蕩つながり)は発見されなかったことになるので、名前一つも疎かにはできない。まさに神は細部に宿るのであって、読者は感性豊かに、同時に緻密にテキストに参入していかなければならない。

   ここでマルメラードフの告白からプリヘーリヤの手紙文に密接に関わる箇所を引用しておこう。

 

  ところで、あなた、こんどは私のほうから、ひとつ私的な質問をさせていただきたいんだが、いったい貧乏ではあるが、純潔な娘がですよ、まともな仕事でどれくらいかせげるもんでしょう?……純血一方で、腕におぼえのない小娘じゃ、日に十五カペイカもかせげやしませんや。それも、働きづめに働いてですよ! そこへもってきて、五等官のクロプシュトク氏などは、つまりイワン・イワーノヴィチさんですがーーお聞きおよびですか? ワイシャツ半ダースの仕立賃をいまだによこさないばかりか、やれ襟の寸法があわないの、やれつけ方がゆがんでいるのと、地団駄踏んだり、悪口雑言を浴びせたりして、娘に門前払いをくわす有様です。ところが家じゃ、小さな子どもたちが空き腹をかかえておる……カチェリーナ・イワーノヴナは、手をもみしだんばかりにしながら部屋のなかを歩きまわって、頬っぺたには赤いしみを出しておるーーあの病気にはいつもあるやつですな。それで娘に向かって、「この穀つぶし、ただで食うって飲んで、ぬくぬくしてやがる」とやるわけです。(上・41)

    わたしは大学のゼミで四十年近く『罪と罰』を講義・討議しているが、娼婦に堕ちてまで一家の犠牲になるソーニャを理解しがたいと言う女子学生は毎年必ず何人かいる。中には、継母カチェリーナも三人の幼い連れ子も、そして酔いどれの父親も捨てて独立独歩の道を歩む方がどれほどいいか、と主張する者もいる。こういった意見は現代のみならず、『罪と罰』発表時においてさえあったかもしれない。理不尽な運命に従順な、狂信者のごときキリスト者ソーニャをそのままに受け入れることはいつの時代にあっても容易なことではない。いずれにせよ、マルメラードフは聞き手の中に娼婦ソーニャに疑義の念を抱く者があることを予想して、引用したようなセリフを吐くことになったのだろう。マルメラードフの言葉は予め他者の意識を先取りして、それに延々と応えるような体裁をとっている。聞き手のラスコーリニコフがいくら沈黙を守っていても、マルメラードフの言葉が途切れずに続くのは、彼の言葉が〈自己〉と〈想定した他者〉との内的対話の構造を持っているからにほかならない。

 さて、プリヘーリヤとの関係で言えば、年金百二十ルーブリの金で未亡人一家三人が暮らすことがどれほどたいへんであったかということである。しかも忘れてならないのは、プリヘーリヤは今で言う教育ママであったということである。ラスコーリニコフは舞台が開幕したときに二十三歳、彼がペテルブルク大学法学部に受験するため故郷リャザン県ザライスクから単身上京してきたのは三年前の一八六二年、二十歳の時である。作品の中ではまったく触れられていないが、一八六二年、ペテルブルク大学は封鎖されており、従って入学試験は行われなかった。史実に照合すれば、ラスコーリニコフがペテルブルク大学に受験し合格したのは翌年の一八六三年九月ということになる。ラスコーリニコフの〈現在〉(一八六五年七月)はすでに大学をやめているから、彼が大学に在学していたのはおよそ一年間ぐらいだったことになる。

 当時、ペテルブルク大学は大学改革を求める急進的な学生たちによる抗議集会やデモなどが行われ、国家権力の介入などもあって彼らは厳しく弾圧され処罰されることになった。ラスコーリニコフが入学した時には、学生に対する監視体制は整えられ、授業料未納者に対する処置も厳しかった。ラスコーリニコフは授業料未納によって除籍処分されたのかもしれない。もし除籍処分が撤回される余地が残されていなかったとすれば、母プリヘーリヤと妹ドゥーニヤの期待を一身に背負って上京してきたラスコーリニコフの絶望は意外と深かったと言えよう。

 プリヘーリヤは手紙で「私がおまえをどんなに愛しているかはご存じのとおりです。おまえはうちのひとり息子、私とドゥーニャにとってのすべて、私たちの希望の星なのですから」と書いている。こんな手紙を母親からもらって喜ぶ息子はまずいまい。少なくともラスコーリニコフは喜ぶまい。喜ぶどころのさわぎではない。過剰に期待される〈一人息子〉が、その期待に背くことなく生きているうちはいいだろう。ラスコーリニコフに照らし合わせれば、彼が一家の期待を背負って上京した三年前から念願のペテルブルク大学に入学したばかりの頃は、その背負った期待の重さに苦しむこともなかっただろう。現に彼は、貧しい母親から仕送りを受けている身でありながら、身分不相応の、ドイツの青年紳士が愛用するようなチンメルマン製の丸型帽子をかぶってネフスキー大通りを散歩などしていた。『罪と罰』を若い頃一読しただけのような読者は、ラスコーリニコフを人類の苦悩を一身に背負った文学青年のように思いこんでしまうが、何回も読んでいくと、この若者、意外と軽薄で思慮の足りない者にも見えてくる。

 そもそもラスコーリニコフ(母親は二十三歳にもなった息子を〈私のロージャ〉などと愛称で呼んでいる)は母親の期待に応えるほどの現実的な青年ではない。プリヘーリヤも子供離れのできていない母親だが、同じく息子のラスコーリニコフも母親離れができていない。ラスコーリニコフがペテルブルクに上京してすぐに下宿の娘ナターリヤと婚約したり、身分不相応の丸型帽子を被って散策する空想家を気取ったりしているうちはまだよかったかもしれない。プリヘーリヤを驚かしたのは結婚騒ぎよりは、ロージャが「生活費にも事欠いて、もう数カ月も大学へ行かれず、家庭教師やそのほかの口もなくなってしまったと知ったとき」なのである。これを端的に言えば、プリヘーリヤは〈希望の星〉であるべき〈一人息子のロージャ〉が、その輝きを一挙に失うという絶望的な最悪の事態を突きつけられたということである。なにしろプリヘーリヤとドゥーニャにとってロージャは〈すべて〉なのであるから、ロージャが〈希望の星〉から失墜すれば、彼らラスコーリニコフ一家は絶望の淵に沈まなければならない。プリヘーリヤはどんなことをしてでもロージャを再び〈希望の星〉へと返り咲かせなければならないと考える。だが、年金百二十ルーブリで細々とやりくりしているプリヘーリヤにはロージャに金銭的な援助をすることができない。いったいどうしたらいいんだ。そこで彼女が唯一当てにできたのが、亡き夫の友人で〈いい人〉(добрый человек)のアフアナーシイ・イワーノヴィチだったということになる。

 さて、アファナーシイはリャザン県ザライスクで〈商売をしている人〉であったことを忘れてはならない。プリヘーリナヤがわざわざ〈いい人〉(добрый человек)と書き記している亡き夫の友人〈アファナーシイ〉という〈商人〉(купец)は〈年金〉(пенсион)を抵当にしなければ十五ルーブリの金さえ貸してはくれなかった。わたしたちは十九世紀ロシア中葉期を支配していた功利主義的な経済観念を無視することはできない。ロシア最新思想の信奉者であったレベジャートニコフは、今日、〈同情〉(сострадание)などというものは本場イギリスでは学問上ですら禁じられていると言ってはばからなかった。老いも若きも女も男も高利貸しの真似事をして生きていると言われた時代にあって、アファナーシイが特別に計算高い男であったわけではない。が、こういった男は〈いい人〉とか〈友人〉である前に骨の髄から〈商人〉であることを失念してはならない。

 学問上ですら禁じられている同情を存分に発揮してこそ亡き夫の友人にふさわしいのであり、わずかばかりの金を貸すに際して抵当をとるような男を文字通りの意味で〈いい人〉などとは言えない。この〈いい人〉アファナーシイ・イワーノヴィチが、マルメラードフの言う〈生神様〉イワン・アファナーシィエヴィチ閣下と重なって見えてきてしまうのは致し方ないだろう。大胆に言えば、アファナーシイが要求した〈抵当〉は〈年金〉ばかりではなかったということである。おそらくプリヘーリヤはリャザン県ザライスク一番の美しい未亡人であり、アファナーシイは〈抵当〉に〈年金受給者〉その人をも考えていたにちがいない。ソーニャがまじめに働いて〈十五〉カペイカを稼ぐのはたいへんなのだ。プリヘーリヤが〈年金〉だけで〈十五〉ルーブリ借りるのも同じくたいへんなのである。 ドストエフスキーはプリヘーリヤとアファナーシイの肉体関係に関してはいっさい触れていない。が、触れていないからといって、二人の間にそういう関係はなかったと断言することはできない。むしろあったと見た方がリアルである。 『罪と罰』という小説は主人公ラスコーリニコフの〈踏み越え〉(殺人・自白・復活)に関しては現在進行形のかたちで逐一描かれているが、その他の人物の〈踏み越え〉に関しては読者が想像するよりほかはない。ソーニャの場合、〈踏み越え〉(イワン閣下に処女を捧げ、銀貨三十ルーブリを得たこと)のドラマはまったく描かれていないので、イワン閣下のヒヒ爺の実態がさらけ出されない間は、想像することさえできなかった。ソーニャの最初の男がイワン閣下であると最初に指摘したのは拙著『宮沢賢治ドストエフスキー』(一九八九年五月 創樹社)においてである。『罪と罰』が発表(一八六六年一月~十二月にかけて「ロシア報知」に連載)されてから実に百二十三年が経過している。  ソーニャの処女を奪った男がイワン閣下であると判明したことで、さらにプリヘーリヤとアファナーシイの描かれざる関係が浮上することになった。