文学の交差点(連載9) ■『罪と罰』、その描かれざる性的場面  ――ソーニャとブリヘーリヤの描かれざる〈踏み越え〉――

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載9)

清水正

■『罪と罰』、その描かれざる性的場面

 ――ソーニャとブリヘーリヤの描かれざる〈踏み越え〉――

 わたしが近年執筆している『罪と罰』論は、その多くが書かれていない場面についての批評となっている。ソーニャの最初の男は誰か? この疑問に満足のいく答え(解釈)を出すために、ドストエフスキーを読み続けて三十年の歳月を要した。答えはイワン・アファナーシィエヴィチ閣下。マルメラードフの口から〈生神様〉(божий человек)とまで呼ばれた善良な男が、実はソーニャの処女を銀貨三十ルーブリで買った男となれば、今までの『罪と罰』百五十年の〈読み〉の歴史に激震が走ることになる。さらにソーニャがリザヴェータと共に観照派の秘密の会合に参加していたとすると、ソーニャの〈最初の男〉は観照派の男性信徒とも考えられる。ソーニャと肉体関係を結んだ男性信徒は謂わばキリストの化身であるから、そうなるとソーニャの〈最初の男〉はキリストということになる。このように、『罪と罰』は読み方によってはどんどん果てしない領域へと読者を誘っていく。

 マルメラードフの告白にはソーニャとイワン閣下の秘密が埋め込まれていたが、この告白とラスコーリニコフの母親プリヘーリヤの手紙を重ねて読むと、もう一つの恐るべき秘密が浮上してくることになる。プリヘーリヤの夫は妻と二人の子供を残して死んでしまう。ところでこの夫の名前がロマンということは息子ロジオンの父称ロマーノヴィチなので判るが、フルネームは判らず、また何が原因でいつ死んだのかも報告されない。夫のフルネームは報告されないのに、この夫の友人でプリヘーリヤによれば〈いい人〉(добрый человек)のフルネーム(アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン=Афанасий Иванович Вахрушин)はしっかりと報告される。その場面を引用しておこう。ちなみにプリヘーリヤの手紙は四百字詰め原稿用紙に換算すると三十枚に及ぶおそるべき長編で、この量だけでも尋常を逸している。

 なつかしい私のロージャ。おまえと手紙で話をしなくなってから、もう二カ月の余になります。それが気になって、ときには考えごとで眠られぬ夜もあるほどです。でもおまえは、私が心ならずも黙っていたことを責めたりはしないでしょう。私がおまえをどんなに愛しているかはご存じのとおりです。おまえはうちのひとり息子、私とドゥーニャにとってのすべて、私たちの希望の星なのですから。おまえが生活費にも事欠いて、もう数カ月も大学へ行かれず、家庭教師やそのほかの口もなくなってしまったと知ったとき、私の驚きはいかほどだったでしょう! でも、年に百二十ルーブリの年金をいただいている身で、どうして私におまえの援助ができましょう? 四カ月前にお送りした十五ルーブリも、ご存知のとおり、この年金を抵当に、当地で商売をされているアファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシンさんからお借りしたものでした。あの方はいい方で、お父さまのお友達でもあった方です。けれど、年金受領の権利をあの方にお譲りしてしまったので、借金の返済がすむまで、待たねばなりませんでした。それが今度やっとすんだようなわけで、その間ずっと、おまえに何も送れなかったのです。けれど今度は、おかげさまで、おまえにも送金ができそうです。(江川卓訳・岩波文庫 上68~69)

 わたしは五十年以上も『罪と罰』を読み続けているが、読むたびに新しい発見があり、恐ろしささえ感じる。すでに指摘していることだが、ここでもっとも注目しなければならないのは、未亡人プヘーリヤの亡き夫の友人の名前と父称である。名アファナーシイはイワン閣下の父称で、父称イワーノヴィチはイワン閣下の名である。つまり彼の名前はイワン・アファナーシィエヴィチ閣下の名と父称をひっくり返しただけのものである。イワン閣下はソーニャの〈処女〉を銀貨三十ルーブリで買い上げてくれた〈生神様〉(божий человек)であることを考えれば、〈いい人〉(добрый человек)と書かれたアファナーシイがどのような〈淫蕩漢〉であったか容易に想像できよう。

 ところで、わたしはこのことを発見するのに約五十年の歳月を費やした。その一つの理由にわたしが長年読んできた『罪と罰』が米川正夫の訳だったことにある。米川訳では〈アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉が〈ヴァシーリイ・イヴァーヌイチ・ヴァフルーシン〉となっている。どういうことか。所有する日本語訳『罪と罰』を調べてみると小沼文彦訳が〈ワシーリイ・イワーノヴィチ・ヴァフルーシン〉、北垣信行訳が〈ワシーリイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉で表記文字が違うだけで米川正夫訳と同じ。工藤精一郎訳は〈アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉で江川卓訳と同じ。古い訳ではまずフレデリック・ウイショーの英訳から内田魯庵(奥付には内田貢、表紙には不知庵主人とある)が重訳した『罪と罰』(明治二十五年十一月 内田老鶴圃)には〈ワシーリー、イワーノウヰチ、ワクルーシン〉、同じく内田魯庵訳『罪と罰』(大正二年七月 丸善)には〈ワクルーシン氏〉となっている。因みに内田魯庵は二回ほど試みた『罪と罰』翻訳ではあったが、いずれも第三編の六までで中断している。

    日本で初めてロシア語原典から訳した中村白葉訳『罪と罰』(大正三年十月)は〈ワシーリイ・イワーノ井ツチ・ワ"フルーシン〉。生田長江・生田春月訳『罪と罰』(大正十三年十二月 三星社出版部)が〈ワシリイ、イワノヰツチ、ワツハルウシン〉。

 登場人物一人の名前だけでも調べていけばきりがない。わたしが現在使用しているアカデミア版三十巻全集では〈Афанасий Иванович Вахрушин)とあるので江川卓の表記が正しいということになる。プリヘーリヤの言う〈いい人〉の名が米川正夫訳の〈ヴァシーリイ=Василий〉となると、イワン閣下との近似性(淫蕩つながり)は発見されなかったことになるので、名前一つも疎かにはできない。まさに神は細部に宿るのであって、読者は感性豊かに、同時に緻密にテキストに参入していかなければならない。

   ここでマルメラードフの告白からプリヘーリヤの手紙文に密接に関わる箇所を引用しておこう。

 

  ところで、あなた、こんどは私のほうから、ひとつ私的な質問をさせていただきたいんだが、いったい貧乏ではあるが、純潔な娘がですよ、まともな仕事でどれくらいかせげるもんでしょう?……純血一方で、腕におぼえのない小娘じゃ、日に十五カペイカもかせげやしませんや。それも、働きづめに働いてですよ! そこへもってきて、五等官のクロプシュトク氏などは、つまりイワン・イワーノヴィチさんですがーーお聞きおよびですか? ワイシャツ半ダースの仕立賃をいまだによこさないばかりか、やれ襟の寸法があわないの、やれつけ方がゆがんでいるのと、地団駄踏んだり、悪口雑言を浴びせたりして、娘に門前払いをくわす有様です。ところが家じゃ、小さな子どもたちが空き腹をかかえておる……カチェリーナ・イワーノヴナは、手をもみしだんばかりにしながら部屋のなかを歩きまわって、頬っぺたには赤いしみを出しておるーーあの病気にはいつもあるやつですな。それで娘に向かって、「この穀つぶし、ただで食うって飲んで、ぬくぬくしてやがる」とやるわけです。(上・41)

    わたしは大学のゼミで四十年近く『罪と罰』を講義・討議しているが、娼婦に堕ちてまで一家の犠牲になるソーニャを理解しがたいと言う女子学生は毎年必ず何人かいる。中には、継母カチェリーナも三人の幼い連れ子も、そして酔いどれの父親も捨てて独立独歩の道を歩む方がどれほどいいか、と主張する者もいる。こういった意見は現代のみならず、『罪と罰』発表時においてさえあったかもしれない。理不尽な運命に従順な、狂信者のごときキリスト者ソーニャをそのままに受け入れることはいつの時代にあっても容易なことではない。いずれにせよ、マルメラードフは聞き手の中に娼婦ソーニャに疑義の念を抱く者があることを予想して、引用したようなセリフを吐くことになったのだろう。マルメラードフの言葉は予め他者の意識を先取りして、それに延々と応えるような体裁をとっている。聞き手のラスコーリニコフがいくら沈黙を守っていても、マルメラードフの言葉が途切れずに続くのは、彼の言葉が〈自己〉と〈想定した他者〉との内的対話の構造を持っているからにほかならない。

 さて、プリヘーリヤとの関係で言えば、年金百二十ルーブリの金で未亡人一家三人が暮らすことがどれほどたいへんであったかということである。しかも忘れてならないのは、プリヘーリヤは今で言う教育ママであったということである。ラスコーリニコフは舞台が開幕したときに二十三歳、彼がペテルブルク大学法学部に受験するため故郷リャザン県ザライスクから単身上京してきたのは三年前の一八六二年、二十歳の時である。作品の中ではまったく触れられていないが、一八六二年、ペテルブルク大学は封鎖されており、従って入学試験は行われなかった。史実に照合すれば、ラスコーリニコフがペテルブルク大学に受験し合格したのは翌年の一八六三年九月ということになる。ラスコーリニコフの〈現在〉(一八六五年七月)はすでに大学をやめているから、彼が大学に在学していたのはおよそ一年間ぐらいだったことになる。

 当時、ペテルブルク大学は大学改革を求める急進的な学生たちによる抗議集会やデモなどが行われ、国家権力の介入などもあって彼らは厳しく弾圧され処罰されることになった。ラスコーリニコフが入学した時には、学生に対する監視体制は整えられ、授業料未納者に対する処置も厳しかった。ラスコーリニコフは授業料未納によって除籍処分されたのかもしれない。もし除籍処分が撤回される余地が残されていなかったとすれば、母プリヘーリヤと妹ドゥーニヤの期待を一身に背負って上京してきたラスコーリニコフの絶望は意外と深かったと言えよう。

 プリヘーリヤは手紙で「私がおまえをどんなに愛しているかはご存じのとおりです。おまえはうちのひとり息子、私とドゥーニャにとってのすべて、私たちの希望の星なのですから」と書いている。こんな手紙を母親からもらって喜ぶ息子はまずいまい。少なくともラスコーリニコフは喜ぶまい。喜ぶどころのさわぎではない。過剰に期待される〈一人息子〉が、その期待に背くことなく生きているうちはいいだろう。ラスコーリニコフに照らし合わせれば、彼が一家の期待を背負って上京した三年前から念願のペテルブルク大学に入学したばかりの頃は、その背負った期待の重さに苦しむこともなかっただろう。現に彼は、貧しい母親から仕送りを受けている身でありながら、身分不相応の、ドイツの青年紳士が愛用するようなチンメルマン製の丸型帽子をかぶってネフスキー大通りを散歩などしていた。『罪と罰』を若い頃一読しただけのような読者は、ラスコーリニコフを人類の苦悩を一身に背負った文学青年のように思いこんでしまうが、何回も読んでいくと、この若者、意外と軽薄で思慮の足りない者にも見えてくる。

 そもそもラスコーリニコフ(母親は二十三歳にもなった息子を〈私のロージャ〉などと愛称で呼んでいる)は母親の期待に応えるほどの現実的な青年ではない。プリヘーリヤも子供離れのできていない母親だが、同じく息子のラスコーリニコフも母親離れができていない。ラスコーリニコフがペテルブルクに上京してすぐに下宿の娘ナターリヤと婚約したり、身分不相応の丸型帽子を被って散策する空想家を気取ったりしているうちはまだよかったかもしれない。プリヘーリヤを驚かしたのは結婚騒ぎよりは、ロージャが「生活費にも事欠いて、もう数カ月も大学へ行かれず、家庭教師やそのほかの口もなくなってしまったと知ったとき」なのである。これを端的に言えば、プリヘーリヤは〈希望の星〉であるべき〈一人息子のロージャ〉が、その輝きを一挙に失うという絶望的な最悪の事態を突きつけられたということである。なにしろプリヘーリヤとドゥーニャにとってロージャは〈すべて〉なのであるから、ロージャが〈希望の星〉から失墜すれば、彼らラスコーリニコフ一家は絶望の淵に沈まなければならない。プリヘーリヤはどんなことをしてでもロージャを再び〈希望の星〉へと返り咲かせなければならないと考える。だが、年金百二十ルーブリで細々とやりくりしているプリヘーリヤにはロージャに金銭的な援助をすることができない。いったいどうしたらいいんだ。そこで彼女が唯一当てにできたのが、亡き夫の友人で〈いい人〉(добрый человек)のアフアナーシイ・イワーノヴィチだったということになる。

 さて、アファナーシイはリャザン県ザライスクで〈商売をしている人〉であったことを忘れてはならない。プリヘーリナヤがわざわざ〈いい人〉(добрый человек)と書き記している亡き夫の友人〈アファナーシイ〉という〈商人〉(купец)は〈年金〉(пенсион)を抵当にしなければ十五ルーブリの金さえ貸してはくれなかった。わたしたちは十九世紀ロシア中葉期を支配していた功利主義的な経済観念を無視することはできない。ロシア最新思想の信奉者であったレベジャートニコフは、今日、〈同情〉(сострадание)などというものは本場イギリスでは学問上ですら禁じられていると言ってはばからなかった。老いも若きも女も男も高利貸しの真似事をして生きていると言われた時代にあって、アファナーシイが特別に計算高い男であったわけではない。が、こういった男は〈いい人〉とか〈友人〉である前に骨の髄から〈商人〉であることを失念してはならない。

 学問上ですら禁じられている同情を存分に発揮してこそ亡き夫の友人にふさわしいのであり、わずかばかりの金を貸すに際して抵当をとるような男を文字通りの意味で〈いい人〉などとは言えない。この〈いい人〉アファナーシイ・イワーノヴィチが、マルメラードフの言う〈生神様〉イワン・アファナーシィエヴィチ閣下と重なって見えてきてしまうのは致し方ないだろう。大胆に言えば、アファナーシイが要求した〈抵当〉は〈年金〉ばかりではなかったということである。おそらくプリヘーリヤはリャザン県ザライスク一番の美しい未亡人であり、アファナーシイは〈抵当〉に〈年金受給者〉その人をも考えていたにちがいない。ソーニャがまじめに働いて〈十五〉カペイカを稼ぐのはたいへんなのだ。プリヘーリヤが〈年金〉だけで〈十五〉ルーブリ借りるのも同じくたいへんなのである。 ドストエフスキーはプリヘーリヤとアファナーシイの肉体関係に関してはいっさい触れていない。が、触れていないからといって、二人の間にそういう関係はなかったと断言することはできない。むしろあったと見た方がリアルである。 『罪と罰』という小説は主人公ラスコーリニコフの〈踏み越え〉(殺人・自白・復活)に関しては現在進行形のかたちで逐一描かれているが、その他の人物の〈踏み越え〉に関しては読者が想像するよりほかはない。ソーニャの場合、〈踏み越え〉(イワン閣下に処女を捧げ、銀貨三十ルーブリを得たこと)のドラマはまったく描かれていないので、イワン閣下のヒヒ爺の実態がさらけ出されない間は、想像することさえできなかった。ソーニャの最初の男がイワン閣下であると最初に指摘したのは拙著『宮沢賢治ドストエフスキー』(一九八九年五月 創樹社)においてである。『罪と罰』が発表(一八六六年一月~十二月にかけて「ロシア報知」に連載)されてから実に百二十三年が経過している。  ソーニャの処女を奪った男がイワン閣下であると判明したことで、さらにプリヘーリヤとアファナーシイの描かれざる関係が浮上することになった。