文学の交差点(連載11) ■〈おしゃべり〉から〈行動〉へ ――ロジオンが目指した〈アレ〉の秘密――
「文学の交差点」と題して、井原西鶴、ドストエフスキー、紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。
最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。
「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」
動画「清水正チャンネル」で観ることができます。
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これを観ると清水正のドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube
文学の交差点(連載11)
■〈おしゃべり〉から〈行動〉へ
――ロジオンが目指した〈アレ〉の秘密――
ロジオンはプリヘーリヤによってラスコーリニコフ家再建の使命を背負わされた息子であったが、すでに母親の期待に沿う気持ちはなかった。ロジオンは三年前ペテルブルクに上京してきた時点で、母親の呪縛から解放された気分でいたことは、先に指摘したチンメルマン製の丸型帽子やナターリヤとの婚約が端的に示している。が、母親との絆がそうそう簡単に切れるはずもない。ナターリヤが腸チフスで死んだのは一年前だが、大学除籍処分と相まってロジオンの生活は乱れ始める。ロジオンはプリヘーリヤが望んでいたルージンの途、つまり現実の世界で地道に立身出世するという現世的野望を打ち捨てていた。ロジオンの屋根裏部屋での生活そのものが、そのことを端的に示している。
ロジオンの生活の大半は空想と散策に費やされている。彼が哲学や文学で身を立てるというのなら話は別だが、描かれた限りでみれば彼が〈思弁的生活〉に積極的な意味を見いだすことはなかった。彼には月刊雑誌に掲載されるほどの優れた「犯罪に関する論文」を執筆する能力が備わっていながら、大学教授や文学者になろうとする意志はなかった。彼が望んでいたのは〈おしゃべり〉ではなく行動であった。彼の意識を不断に妖しく刺激し続けていたのは「はたして私にアレができるのだろうか」(Разве я способен на это?」ということであった。彼は、その思いが〈幻想〉(фантазия)であり、一人遊びの観念上の〈игрушка〉(玩具)でしかないことをよく知っている。が、彼は遂に屋根裏部屋の空想家から、〈アレ〉(этоのイタリック体)へと踏み越えてしまう。
作者がわざわざイタリック体で記した〈アレ=это〉には、当時の検閲官に絶対に看破されてはならない仕掛けが組み込まれていた。つまり〈アレ〉は表層的には〈老婆アリョーナ殺し〉であるが、実はそこには〈リザヴェータ殺し〉や〈皇帝殺し〉、最終的には〈復活〉が隠されていた。いずれにしても、ロジオンはアリョーナ婆さんとリザヴェータを殺したことによって、母親とドゥーニヤとの絆をも断ち切ったのである。
ロジオンは母親や妹が望む〈すべて〉〈希望の星〉であることをやめて、新たなる者との新生活を選んだ。それでは母親と妹に代わる新たなる者とは誰か。言うまでもない、マルメラードフの告白話の中に登場してきたソーニャである。もしロジオンがソーニャという一家の犠牲になって娼婦にならざるを得なかった娘のことを知らなかったならば、彼の第一の犯行はなされなかったに違いない。ロジオンはマルメラードフの告白を聞いた時点で、犯行の告白の相手にソーニャを選んでいたとわたしは思っている。