帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載17) 師匠と弟子

   清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

 

帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載17)

師匠と弟子

清水正

 

    福音書のイエスは読みようによってはなかなか複雑な性格を備えている。イエスは自分がキリストであることを断言しない。弟子以外のほかの人々が彼をどう言っているのか、弟子たちが彼をどう思っているのかを聞くだけで、ペテロがキリストと答えてもそのことをそのまま認めることはなかった。イエスは自分が〈人の子〉であると同時に〈神の子〉であることをはっきりと認識していたのだろうか。このへんが微妙である。

 イエスを〈ナザレのイエス〉から〈神の子〉イエスへと変貌させたいと願っていた者たちの意向が福音書のイエス像に入り込んではいないだろうか。我が国の吉田松陰は別に神の子ではないが、門下生たちに多大な影響を与えた。別に神の存在を持ちださなくても、伝承される価値を持つ思想は伝承されていく。吉田松陰の門下生のうち誰一人として師を神として崇めたてる者はいなかった。イエスもまた人間イエスとして、彼の言動が伝承されるべき価値を持っているなら、彼を神の独り子と祭り上げることはなかっただろう。しかし、イエス及び弟子たちがそのように考えていなかったとすれば話は別である。

 イエスはペテロに向かってはっきりと〈サタン〉と呼んでいる。描かれた限りのペテロはイエスの何も理解していない愚かな弟子のひとりにすぎないが、彼が〈サタン〉だとすれば、話は飛躍的に面白くなる。イエスはゲラサの地の〈汚れた霊〉と誰にも分からない取引をしていたが、〈サタン=ペテロ〉とも取引をしていた可能性が出てくる。ゲラサの〈汚れた霊〉がイエスを見た瞬間に彼が〈いと高き神の子、イエスさま〉であることを看破したように、ペテロがこの〈汚れた霊〉と同等の力を備えたサタンであるなら、とうぜんイエスの〈神の子〉であることを知っていたことになる。

 ペテロを単なる愚かな弟子のひとりと見るか、それともイエスを〈神の子〉と知っていながら、イエスを平気で裏切る者と見るかで彼の像もそうとう違ってくる。

 イエスの発する言葉は、ふつうの人間が生活するにあたって配慮する時と場所と人を配慮しない。師であるイエスが弟子のペテロをみんなの前でサタン呼ばわりしたのである。いったいペテロはこれからどのようにイエスにつき従っていけばいいのか。一番弟子としての面目丸潰れである。普通の人間関係であったら、ペテロが恨みの感情を抱くのは当然ということになる。福音書の記者は弟子たちの内面に照明をあて、その心理心情を詳細に描き出すことはなかった。それにしても、イエスにサタン呼ばわりされたペテロは以後、どのような心持ちで師に従ったのであろうか。普通なら復讐の念に燃えても不思議ではない。イエスの激しい言葉は弟子たちの心をいたく傷つけ、彼から去っていっても当然である。にもかかわらず、十二使徒のうちイエスの生前、彼から去っていったのはイスカリオテのユダひとりであった。

 

  夕方になって、イエスは十二弟子といっしょにそこにこられた。

  そして、みなが席に着いて、食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」

  弟子たちは悲しくなって、「まさか私ではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言いだした。

  イエスは言われた。「この十二人の中のひとりで、わたしといっしょに、同じ鉢にパンを浸している者です。確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」(14章17~21節)(88~89)

 

 十二弟子と一緒に食事しながら、イエスの発する言葉は恐ろしいの一語に尽きる。イエスは弟子たちの中に一人の裏切り者がいると告げる。まず疑問に思うのは、なぜイエスはその〈裏切り者〉の心に思いを寄せないのかということである。わたしたちはすでに〈裏切り者〉がユダであることを知っているから、この時の弟子たちの緊迫感を共有することは容易ではない。先にペテロはイエスにサタンと呼ばれている。イエスから〈裏切り〉という言葉が発せられた時のペテロの内心はどんなであったろう。また当事者のユダはどうであったろうか。その他の弟子たちそれぞれの内心に照明をあてれば、この最後の晩餐は途方もなく恐ろしい場面として浮上してこよう。

 

 ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

f:id:shimizumasashi:20181228105251j:plain

 清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

 

(人気ブログランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします)

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 https://www.youtube.com/watch?v=KuHtXhOqA5g&t=901s

https://www.youtube.com/watch?v=b7TWOEW1yV4