帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載28) 師匠と弟子

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帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載28)

師匠と弟子

清水正

 ペテロが大祭司のしもべに切りつけたこと自体は本来非難されることではない。むしろイエスの生命を守る行為として誉められることである。ペテロ以外の他の弟子たちはどうだったのだろうか。彼らもまた敵と戦うための剣を持っていたのだろうか。詳細は分からないが、いずれにせよ弟子たちはイエスが逮捕されると恥も外聞もなく逃げ去ってしまう。イエスの後を追って行ったペテロは、逃げなかったという点では他の弟子よりはましということになる。彼は大祭司の女中にイエスの仲間かと聞かれて三度否定するが、この否定そのものをもってイエスへの裏切り行為と断定することはできない。ペテロは逮捕後のイエスの動向を目撃するために身の危険をおかしてまでついてきた。安直に女中の疑問に答えて本当のことを言えば、ペテロもまた逮捕される可能性があった。ペテロは大祭司のしもべの耳を切り落としてもいるのだから、それ相当の罰が下されたはずである。
 泣いた後のペテロがどうなったのか福音書記者はいっさい照明を与えていない。ペテロはこの時、イエスの言葉の意味することを覚り、真に回心したと見ることもできる。が、同時にこの時ですらペテロはさらなる自己欺瞞の淵へと無意識のうちに落ちていったのだと見ることもできる。
 ペテロがイエスを同じ志を抱いた仲間、友と見ていたとすれば、イエスとペテロの関係を単純に教祖と信徒の関係に重ねることはできない。イエスが逮捕されるまでに限って言えば、弟子たちのうち誰一人としてイエスを心の底からキリストと見ていた者はいない。もしユダやペテロがイエスをキリストと知っていながら裏切ったのだとすれば、わたしは彼らの内部世界、その深層領域に踏み込んでいかなければならない。
 マルコ福音書を読んでいて、いつも頭に浮かんでくる疑問はマルコは何者なのか、マルコはどこにいたのか、マルコはいったい何を直接目撃し、誰から何を聞いたのか、何を描き、何を削除したのか、といったようなことである。
 マルコはイエスの弟子の一人だったのか。十二弟子のうちに入ってはいないが、後に福音書を書くほどのひとであるから、イエス及び十二弟子の近くにいた信者と見なすことができないこともない。
 イエスが逮捕された時、弟子たちは逃げてしまった。が、ペテロはイエスの後を密かに追った。もしマルコがこの場に実在していたとすれば、ペテロの後ろ姿を追っていたはずである。マルコはペテロよりもはるかに巧妙に、誰にも疑われずに、逮捕されたイエスおよび自己欺瞞に気づいて泣くペテロを目撃していたことになる。マルコ福音書を小説に置き換えて読めば、イエスやユダやペテロは登場人物であるが、マルコは登場人物としては完璧に姿を消している。マルコは機能的には取材記者であり、イエスの側にも祭司側にも属さず中立の立場を保持している。マルコの眼差しと耳は、逮捕されたイエスと彼の死刑を求める祭司長たちとのやりとりを鮮やかに描き出している。

  さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える証拠をつかもうと努めたが、何も見つからなかった。
  イエスに対する偽証をした者は多かったが、一致しなかったのである。
  すると、数人が立ち上がって、イエスに対する偽証をして、次のように言った。
  「私たちは、この人が『わたしは手で造られたこの神殿をこわして、三日のうちに、手で造られない別の神殿を造ってみせる。』と言うのを聞きました。」
  しかし、この点でも証言は一致しなかった。
  そこで大祭司が立ち上がり、真中に進み出てイエスに尋ねて言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
  しかし、イエスは黙ったままで、何もお答えにならなかった。大祭司は、さらにイエスに尋ねて言った。「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」
  そこでイエスは言われた。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、なたがたは見るはずです。」
  すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「これでもまだ、証人が必要でしょうか。
  あなたがたは、神をけがすこのことばを聞いたのです。どう考えますか。」すると、彼らは全員で、イエスは死刑に当たる罪があると決めた。
  そうして、ある人々は、イエスにつばきをかけ、御顔をおおい、こぶしでなぐりつけ、「言い当ててみろ。」などと言ったりし始めた。また、役人たちは、イエスを受け取って、平手で打った。(マルコ福音書14章55~65節)

 マルコが誰にも疑われずに、これらのやりとりを取材できたとは思えない。とすれば、これらはマルコの創作ということになる。創作にあたっては、祭司長の中庭にまで踏み込んだペテロの証言や、その他この現場に居合わせた人々の証言なども参考にしたであろう。マルコ福音書は目撃や証言に基づいた〈事実〉と記者の〈想像〉を駆使して一編の作品を創作していると見ることもできる。わたしたち福音書の読者は事実そのものを知ることはできない。可能なことはマルコ福音書というテキストを読み解くことだけである。ニーチェは『権力への意志』の中で「事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ」と書いた。しかも解釈は無数に可能である。わたしはそのうちのいくつかを果たすことで充足するほかはない。

   ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 https://www.youtube.com/watch?v=KuHtXhOqA5g&t=901s

https://www.youtube.com/watch?v=b7TWOEW1yV4