帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載31) 師匠と弟子
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師匠と弟子
イエスが逮捕される前、彼は三人の弟子ペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れてゲツセマネに行き、そこで深く恐れもだえながら「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい」と言う。この場面も多くの謎を秘めている。ゲツセマネという場所に特別の意味があるのか。なぜ十二弟子のうちペテロ、ヤコブ、ヨハネの三弟子が選ばれたのか。この時、イエスは何に対して深く恐れもだえ、死ぬほどの悲しみに襲われたのか。イエスは語らず、弟子は問わず、福音書記者マルコはいっさい説明しない。マルコは続ける。
それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」(マルコ福音書14章35~36節)
ゲツセマネにおけるイエスの祈りをどのように受け止めればよいのか。この時のイエスの深い恐れと悲しみは逮捕、裁判、処刑を受け入れなければならないまさに人の子のそれである。イエスが父なる神に派遣された神の子であれば、ここに描かれたようなきわめて人間的な苦悩や悲しみの感情が起きることはないだろう。福音書に描かれたイエスはある時は神の子としての威厳を示すが、このゲツセマネの祈りの場面のように人間に共通したきわめて弱々しい側面をもさらけ出す。
イエスは自分の人生がどのように幕を下ろすかはっきりと自覚している。神の子でなくても、自分の思想、理想をいっさいの妥協なく貫きとおそうとすれば、自ら命を絶つか、殺されるか、いずれにせよ必ず死に直面する。イエスの言動は戒律を重んじるユダヤ人たちにとっては忌々しい存在であった。イエスを信じる者たちが増えてくれば、自分たちの立場が危うくなる。ということで、彼ら旧秩序の側にいる者たちは一致団結してイエスを、神を、冒涜する者として断罪しようとはかる。
もし戒律派のユダヤ人たちがイエスを十字架刑に処すことを望まなかったら、イエスの神の子としてのドラマは説得力を持たなかったであろう。十字架上での六時間にわたる苦悶のはての死がなければ、三日後の復活という秘儀のドラマは成立しようがない。こう考えれば、ユダヤ人たちの欲求こそがイエスを神の子として祭り上げたとも言えよう。
わたしはユダヤ教徒でもなければキリスト教徒でもないので、原罪、三位一体などまったく理解の外にある。というより、わたしの理性がそれらを受け付けない。イエスは旧約聖書の神を否定して、新しい神となったのではない。イエスは何かにつけて旧約聖書の言葉を持ち出しては、自分の言動の正しさを根拠付けている。イエスは旧約の神から解放された存在ではない。そこにイエスの存在の二重性、分裂性が見られる。時にイエスの言動はこの二重性と分裂性にいらだっているようにも見える。
キリスト信者はゲツセマネの祈りの場面など、どのように読むのだろうか。恐れもだえ、悲しみに沈むイエスを神の子と見なすことができるのだろうか。イエスと行動をともにしている弟子たちでさえ、一人残らずイエスを裏切っている。直にイエスと接触のあった弟子たちでさえ、イエスのキリストであることを信じきることができなかったというのに、二千年も経過して福音書の中のイエスしか知り得ようのない者たちが、どういうわけでイエスの神性を信じることができるのだろうか。それよりなにより、はたしてキリスト者を自称する者たちがきちんと聖書、福音書を読んでいるのだろうか。もし読んで研究を進めれば進めるほど、新たな疑問が生じ、ますます信仰から離れていくことになるのではなかろうか。神学は信仰を深めるより、むしろ信仰からの離脱を促しはしないだろうか。
ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。
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「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」
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これを観ると清水正のドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube