清水正  村上玄一を読む(連載10)

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村上玄一を読む(連載10)

清水正

 

 

 「それで、俺に順子さんの浮気が本当なのかどうか、調べてくれというわけ?」きょう 始めて、富田が真顔になって言った。

 「いや、そうじゃないんだ。たぶん本当だよ。調べなくても判るよ。でも、どうしてか 、女房に、そのことを言い出せないんだ。だから、女房の出方を待っている。こちらから は仕掛けない。戦争を引き起こすのはイヤだからね」

 「ここんとこ、順子さんと、そちらのほうの関係はないのか?」

 「ああ、ずいぶん長いこと、何もないね。生活時間も違うし」

 「きょう、彼女、どうしてるの?」美樹子が恐る恐る訊ねる。

 

  さて、この三者の会話からどのようなことが浮上してきただろうか。いったい〈ぼく〉 は単に妻の順子が浮気をしているというただそのことだけを言いたかったのであろうか。 別に富田や美樹子に相談しているわけではないから、〈ぼく〉は妻の浮気というその事実 を二人に報告しただけということになる。妻の浮気を三ヵ月前に別れた女の耳に入れてど うしようというのだろう。どうにもなるものでもないし、ふつうそんな恥さらしのことは 口にすることではない。尤も、〈ぼく〉や富田や美樹子にとってはすでに恥などというこ とは存在しないのかもしれない。〈ぼく〉は別れた女を旧友に押しつけ、そのアパートを 平然と訪問する鉄面皮であるから、彼らに恥を問うこと自体がアホらしい。〈ぼく〉の自 己保身的な卑劣さは「女房の出方を待っている。こちらからは仕掛けない」というセリフ に端的に表れている。

 つげ義春の日常漫画に登場する男も甲斐性なしで貧乏で不誠実で助 平で、そして受動的であるが、〈ぼく〉と一つだけ違うのは、彼らは決して「こちらから は仕掛けない」といったようなセリフは口にしないということである。つげ漫画の主人公 のしたたかな受動的能動性を指摘するのはあくまでも読者の側であって主人公自身ではな い。〈ぼく〉は口に出すことによって自らの卑劣さを露呈するわけだが、美樹子も富田も 言わば同じ穴のムジナなのでその卑劣さは際立ったものにはならない。彼らは自らの卑劣 さに麻痺しており、そんなことはごく当たり前のこととして受け止めている。〈ぼく〉の 卑劣さを鮮明に浮上させるためには富田や美樹子のような世ずれた者ではない、〈ぼく〉 と対極的なピュアな人物を登場させる必要があるがこの小説にはそういった人物は登場し ない。〈ぼく〉は美樹子の質問に次のように答えている。

 

 「昼過ぎに出かけたよ。きっと、男と一緒なんだろう。銀座で映画をみると言ってたけ ど。……女房が浮気するっていうのは、何か当り前のことのような気もするんだ。自分で 言うのも変だけど、平静でいられるんだ、嫉妬なんて感情は湧いてこないね。バレないよ うに必死になって演技してる女房が可哀そうでさえあるよ」

 

 〈ぼく〉は自分の卑劣さにまったく気づいていない。妻の浮気を当り前として受け止め 、嫉妬さえ覚えないと言う〈ぼく〉はまるでそのことを誇っているかのようでもある。誇 っていないとしても、そのことを恥さらしとは思っていない。いったい〈ぼく〉は何のた めに富田と美樹子のアパートを訪れたのだろう。〈ぼく〉の話を聞きおえて改めて思う。 〈ぼく〉の訪問理由は富田と話をしたいということであったのだとすれば、その願望に則 った行動そのものがかなり甘えたものだったということになろう。〈ぼく〉はその甘えに 気づかず、富田も美樹子もその甘えを甘えとして認識しないままに受け入れている。

 おしなべて〈ぼく〉は他者の思いを察するその感性に欠けている。この〈ぼく〉が語り の機能を一身に背負っているので、その眼差しは富田や美樹子といった他者の深部へ到り つくことがない。富田が〈ぼく〉の訪問をどのような気持ちで受け止め、〈ぼく〉と美樹 子のさり気ない会話ひとつひとつにどのような反応を示していたのか、そういった点に関 して〈ぼく〉はほとんど気配りをしていない。描かれた場面から、フレームの外に置かれ た富田の表情を伺い知ることはできない。換言すれば、場面に二重三重の深みがない。富 田や美樹子は〈ぼく〉の平板な意識に映っただけの人物として処理されてしまっていると いうことである。

 〈ぼく〉は〈とんでもない仕事〉を引き受けてしまう。それはオートバイ雑誌の割付作 業六十四頁分を一晩で仕上げる仕事である。〈ぼく〉は夜中その仕事に従事しながら「眠 たいときに眠って、起きたいときに起きる、時間に拘束されない気儘な生活、それが、サ ラリーマンを拒否して生きることにした、ぼくの最低条件であったはずだ」と思う。確か に彼は前作『鏡のなかの貴女』の〈ぼく〉と同じような考えを引き継いでいる。少し違う のは『謎謎』の〈ぼく〉は前作の〈ぼく〉よりも現実的な考えに近づいていることである 。

 彼は続けて思う「ところが、三十を過ぎて、ようやく、これが甘い考えであったことが 判ってきた。二十代のヤングと同じ仕事をしても、同じ報酬。それならば時間と量で勝負 しなくてはならない。しかし、若い奴よりも、いくらか仕事の要領を心得てはいるといっ ても、若さに勝とうとすることは、それだけ自分の寿命を縮めるようなもの。ちっぽけな 会社でもよかった、近頃、サラリーマンになっておけばよかったと、ふと思うこともある 」と。「もっと本当の仕事をしたい。自分に納得のできる仕事をしたい。ぼくにネクタイ の似合うわけがない」とムキになってサラリーマンを拒否していた『鏡のなかの貴女』の 〈ぼく〉の姿は影が薄くなっている。『謎謎』の〈ぼく〉はかなり生活にくたびれてきて いる。