小林リズムの紙のむだづかい(連載422)

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税

小林リズムの紙のむだづかい(連載422)
清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演などを引き受けます。

D文学研究会発行の著作は直接メール(qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp) で申込むことができます。住所、電話番号、氏名、購読希望の著書名、冊数を書いて申し込んでください。振込先のゆうちよ銀行の番号などをお知らせします。既刊の『清水正ドストエフスキー論全集』第一巻〜第六巻はすべて定価3500円(送料無料)でお送りします。D文学研究会発行の著作は絶版本以外はすべて定価(送料無料)でお送りします。なおД文学研究会発行の限定私家版を希望の方はお問い合わせください。


清水正の著作はここをクリックしてください。

http://d.hatena.ne.jp/shimizumasashi/searchdiary?word=%2A%5B%C0%B6%BF%E5%C0%B5%A4%CE%C3%F8%BA%EE%CC%DC%CF%BF%5D


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税

京都造形芸術大学での特別講座が紹介されていますので、是非ご覧ください。
ドラえもん』の凄さがわかります。
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp

清水正へのレポート提出は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお送りください。
小林リズムさんがエッセイ本をリンダパブリッシャーズ(http://lindapublishers.com/archives/publications/dokonidemoiru)から刊行することになりました。本のタイトルは『どこにでもいる普通の女子大生が新卒入社した会社で地獄を見てたった八日で辞めた話』発売日四月五日。
http://lindapublishers.com/archives/publications/dokonidemoiru
http://lindapublishers.com/archives/publications/dokonidemoiru
小林リズムの紙のむだづかい(連載422)


【そして老いゆく】


 暑さのあまり着ていた長袖シャツを脱ぎ捨てて、ブラトップのキャミソールに軽く羽織っただけの解放的な恰好でいると、祖母に「すごい恰好してるわね」と驚かれた。ユニクロのブラトップは透けにくいから1枚で着てもいいんだよ、ということを説明するのが面倒で「あー、最近の若い女の子の間ではこういう恰好は普通なんだよ」とそれとなく返したのだけど、そんな自分の言葉にうまく噛み合わないような、歯にイカの筋がはさまったときのような気持ち悪さが生まれた。
「……あれ、私、自分の事を若い女の子って言っていいのかな……」
 そんなふうに思ってしまったことがすでに、自分が若い女の子ではないと自覚し始めたということなのだろう。

 自分が「若い女の子」ではなくなったのだと知ったとき、自分にどういう気持ちなのかを問いかけたら、感じたのは悲しさではなくて寂しさだった。「もう、終わりなんだなぁ」としみじみするような、喪失感と切なさと懐かしさをブレンドさせてつくった、ぬるくてほろ苦い薄めたコーヒーのような。それは高校や大学を卒業したときに、ゆらゆらと湧いてきた感情と似ていた。わかりきっていた自然現象の一部として、思ったほどの抵抗は見せず、むしろすんなりと受け入れた。昔だったら同じようにやってもうまくいっていたことが、少しずつ許されなくなっていくのを感じ始めたからかもしれない。ずっとこのままではいられないのだ。そして考えてみれば、これまでだってずっとこのままであったことなんてひとつもなかった。

 どうせ流れて過ぎてしまうなら、今つかんでいるものを全力で謳歌しないといけない。使い切らないままに持ち越すことなんてできないこの瞬間を、なんとかして使い切りたい。そのためには、何かに合わせたり曲げたりして柔軟になっていくことは、決して悪いことじゃなくて、むしろ必要なことだと思った。今までそれを「妥協」と呼んで、自分の変えたくない部分を頑なに「芯」だと疑わなかった。そんな自己完結の世界でできあがった誤った認識が、今頃にやってようやくしゅわしゅわと泡になって現実に溶け始めている。

 老いるというのが、こういうことなら私は勘違いしていた。それは可能性が狭まることでも、物事に対する諦めでも、希望をなくすことでもなくて、「許す」ことができるようになること。自分にも他人にも「許せる」幅が広がり、ゆとりができることなのかもしれない。
 小林リズムのブログもぜひご覧ください「ゆとりはお呼びでないですか?」
http://ameblo.jp/nanto-kana/

twitter:@rizuko21


※肖像写真は本人の許可を得て撮影・掲載しています。無断転用は固くお断りいたします。