村上絵梨香/私のドストエフスキー体験


ドストエフスキー曼陀羅』第四号は特集『「清水正vs中村文昭〈ネジ式螺旋対談〉in21世紀」に寄せて』学生、文芸評論家、ドストエフスキー研究家たちの論文・エッセイを掲載してある。今回は文芸学科四年生・村上絵梨香さんの批評を紹介する。





私のドストエフスキー体験

 村上絵梨香


                                 
 私が清水先生に出会ったのは大学に入ってすぐのことです。学生番号に「4」が含まれている学生はみんな清水ゼミに配属され、私もその中の一人として一年を過ごしました。先生がその頃の私に抱いた印象は、「何だかちょろちょろとして落ち着きのない子」だったと聞きます。自分では全く自覚がないのですが、つい最近まで高校生だったわけですから、まぁそんなものかと思います。文芸学科に入ってきた学生としては、私はそれまでの読書経験もかなり乏しい方でしたので、腹の中が空っぽ同然だったということもあるでしょう。ですから、テキストとして提示された『罪と罰』という作品に対する印象も、その辺の、特に文学に興味のない学生たちと同じようなものでした。厚い。難しそう。名前は聞いたことあるけれど。これがテキストか。はぁ……。残念ながらこのイメージは、一年間を通して完全に払拭されることはありませんでした。当時の私にとってそれはあまりにハードであったし、私自身も慣れない学生生活の中でぶよぶよにふやけきっていたのです。
 一方、中村先生は私が二年の時のゼミの先生でした。私が文芸学科に入った一番の目的は詩の勉強をすることでしたので、このゼミには最初から身が入りました。この頃から私はやっと、少しずつ文学への興味と意欲とを抱き始めたのです。文芸学科なら三島くらいは知っておかないと。誰が言ったのかは忘れたけれど、そんな言葉を耳にしたのがきっかけで『禁色』を買いました。恥ずかしながら、それまでろくに「読む」という行為をして来ませんでしたので、私は全て読んでしまうのに二週間も掛かりました。ところが、これをきっかけに突然あれもこれもが面白く、興味深く映るようになり、手当たり次第で無茶苦茶ではありましたが、私は貪るように本を読むようになったのです。そうして欲求を一通り満たしてしまうと、私は再び『罪と罰』へ戻って参りました。その頃、中村ゼミでは朔太郎の詩集をテキストとしていたので、私の鞄の中にはドストエフスキーと朔太郎とが共存しているような具合でした。そんな愉しい偶然(或いは必然)に気がついたのは、それから随分経った後のことですが。
 清水先生と中村先生による〈ネジ式螺旋〉対談は、正直なところ、私には難しいものでした。また、難しいと感じてしまう自分に虚しさを覚えました。私は大学二年の秋、ある日の銀座での出来事を思い出しました。テアトルシネマという映画館に『ヴェニスに死す』を見に行ったのです。当時(一九七一年)のビョルン・アンドレセンの美しさは、美少年というカテゴリーに少しでも興味のある方ならご存知のことと思われます。それがスクリーン上で再び花開くと聞きましたので、私はとても楽しみにしていました。細部までしっかりと堪能出来るよう、トオマス・マンによる原作も読み、予習はばっちりの状態です。そうして映画を見てみますと、想像以上に説明不足な場面が多く、ヨーロッパ圏に暮らしている人ならまだしも、日本人には分かりづらいであろう描写がたくさんありました。案の定、しばらくすると客席のあちこちから寝息が聞こえるようになり、私は予習をしてきて本当に良かったと思ったのです。
 やがて物語も終盤になり、寝ていた人たちもぽつりぽつりと起き始めました。再び場内の視線がスクリーンにぎゅっと集まります。そして主人公であるアシェンバッハが美容師に化粧を施して貰うシーンに至ると、客席のあちこちから笑い声が飛び出しました。アシェンバッハは中年の男であり、その狸顔が白粉や口紅、頬紅に塗れてゆくのは確かに滑稽なのです。しかし、そこには美少年タジオに恋焦がれ、病に侵された身体を何とか、少しでも若々しく見せたいという切実さがありました。また、彼はタジオに単純な恋心を寄せていたわけでもありません。彼は自身の芸術活動における美の象徴として彼を見つめていたのであり、タジオは魅惑の美少年というよりは太陽のようなもので、その決して触れられぬ眩しさへのどうしようもない憧れのために、見栄も何もかなぐり捨て、挙句このような行動をとってしまったのです。それを思ったらどうして彼を笑えるでしょうか。笑い声の中で私は一人号泣し、すっかり涙も出なくなった後、しみじみいい映画だったなぁと思ったのです。
〈ネジ式螺旋〉対談を前にした時、私はこの時の私以外の観客たちと全く同じ立場にありました。もちろん笑い声を上げて、なんてことは決してありません。ですが、予習不足(今回の場合はドストエフスキーの諸作品、朔太郎、清水先生の著書など)で状況が把握しきれず、ただ聞こえてくる言葉の荘厳な響きのみを認識して呆然としている。そんなところがあの時の観客たちとよく似ていると思ったのです。自分で自分にうんざりもしますが、ここはポジティブに、まだ教えて頂けることがたくさんあるのだと考えることにします。お二人の対談を読んで思い出したことがありますので、お粗末ながら、私のドストエフスキー体験として聞いて頂けたらと思います。
 私がドストエフスキーの作品の中で、一番初めに読んだものは『罪と罰』です。しかし、私にとって今のところ、もっとも深く印象に残っているのは『悪霊』なのです。それは大学三年の時の、ロシア文芸史という授業のテキストでした。つまり、私は一年ぶりに清水先生のところへ戻ってきたわけなのです。それを見た先生は、「何だか落ち着いた感じになったな」と言いました。他の学生に比べればまだまだではあるけれど、一応は「読む」ようになり、私の腹にもそれなりの重心が出来たのではないかと思います。私は『悪霊』を三日間で読みました。というのは、その頃たまたま複数の授業の課題を抱えていて、どうしても三日以上の日数を費やすことが不可能だったのです。一年の頃は受身的なところもありましたが、今回は勉強しようと自分から戻って来たわけだし、何としても読まないと。そう思うと自然と集中力が持続するもので、私は三日間寝食も忘れ…られるはずはなく、寝たいし食べたいけれど時間が勿体ない、といった感じでかなり苦しい思いをしました。『禁色』を二週間かけて読んだ頃から比べれば、だいぶ成長したのではないかと思うのですが如何でしょうか。
 文学作品が普遍性を持ち、長きにわたって読み継がれていくためにはどんな要素が必要なのか。「今になって読んでもちっとも色褪せた感じがしない」と言われるのはどんな作品なのか。私なりに考えたのですが、一つは思想性があることだと思います。そしてもう一つは、作品そのものが独自の空間にあることだと思うのです。昭和の時代に、昭和の時間軸にぴったりと寄り添って書かれたものは、今になって読めば少し古い感じがします。また、たった今、この時に寄り添って書かれた作品も、三十年も経てば色褪せてしまうと思います。舞台設定が昭和であっても大正であっても、それは作品の中における独自の「大正」「昭和」でなければならず、それが現実世界の大正・昭和とリンクした瞬間、作品は老い始めてしまうのではないか。そして、ドストエフスキーの諸作品もそんな独自の空間の中で生き続けているのではないか。〈ネジ式螺旋〉対談においても、このようなことが語られていたと思います。
中でも『悪霊』は、そんな独自の空間における意識空間内分裂者としてのドストエフスキーがあちこちに散乱した作品であり、その異様な雰囲気がまさに悪霊のようだと感じます。『罪と罰』においてもロジオンの犯罪が真に意味するところなど、秘められし意図は無数にありました。しかしそれは皇帝殺しや信仰の告白など、いずれも私にとっては壮大過ぎるテーマであり、好みの話をするのもおかしいのだけれど、あえて言えばあまり好みではありませんでした。一方『悪霊』は神の問題から思想の問題へ、つまり俗世間の方へと一歩降りて来てくれたようなところがあり、何となく親しみを感じたのです。スタヴローギンを中心とした一連の出来事の顛末は、実在する一つの思想の末路を予言的に示しているところがあります。
私は以前にも『悪霊』についてのレポートを書いたことがあり、その時にはエルケリとピョートルには肉体関係があるのではないかという自論を述べました。それと併せてスタヴローギンという人間には中身がなく、お飾り同然だということも述べたわけですが、ドストエフスキーが意識空間内分裂者だということを踏まえると、また違った印象を感じるようになりました。意識空間内分裂とは、つまり登場人物の全てにおいて作者の心が吹き込まれており、対立するAとBという人物がいたとすれば、作者はAでもありBでもあるという分裂的な立場にあるということです。すると、自分ではあまり意見を述べることもなく、流されるようにして人々の頂点に立ったスタヴローギンには、ドストエフスキーのどのような感情が吹き込まれていたのでしょうか。私が考えるに、スタヴローギンは『悪霊』という作品をドストエフスキーが外から眺めるための監視カメラのような役割を担っていたのではないかと思うのです。『悪霊』はスパイ小説であり、作中で公言されている他にも複数のスパイが存在することが見て取れますが、彼らも結局はスタヴローギンの静かな眼差しの監視下にあったのではないか。そのような役割を担っていながら、さも中身の無さそうな、美麗なことだけが取り柄であるかのような様子で頂点に佇むスタヴローギンの邪悪さ。それを思うと、大本のところの悪霊はやはりスタヴローギンだったのではないかという考えに行き着きついたのです。何だか彼の微笑が目に浮かぶようです。取って返してもう一度向き合いたい気持ちもしますが、それはもう少し先にとっておくことにしましょう。
ここまで書いてみて思ったことは、私がまだまだ、まだまだまだまだ勉強不足だということです。お酒を飲んでいる場合ではありません。けれど酩酊した先にも何かしらの文学があって…というのは言い訳でした。失礼します。