清水正の『浮雲』放浪記(連載72)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載72)
平成△年8月29日
「伊庭はちょくちょくやって来た」とさりげなく書かれているが、これはゆき子が新住所を伊庭に知らせたことを意味している。ゆき子にとって伊庭は安全パイのような男で、この男はゆき子が東京に上京した時から、経済的な支えとなっている。伊庭は元銀行員(保険会社勤務)であるから、もちろん担保のない人間に金を貸すことはしない。「イギリスでは同情などというものは学問上ですら禁じられている」というロシア最新思想の信奉者レベジャートニコフの言葉を思い出す。伊庭は〈担保〉代わりにゆき子の若い躯軀を弄んだ。倫理道徳の次元で言えばとんでもない男となるが、伊庭に言わせれば経済の原則に則った、お互いに納得ずくの〈取り引き〉だったということになる。
 ゆき子はうぶな女ではない。かなりしたたかな計算高いリアリストでもあることを忘れると、ゆき子の貧乏を感傷的な次元のみで受け止めてしまうことになる。ゆき子がジョオと何回かの関係を結んだのも、そこに金銭が関わっていたことは疑い得ない。何も、富岡と連絡がつかず、寂しい思いをしていただけの理由でジョオを小舎に引き入れたのではない。伊庭はゆき子の小舎を初めて訪れた時、何の遠慮もなく「パンパンをしているンだそうだね」と言い放っている。その時、ゆき子は怒りに震えながらも「生きてゆくためには、仕方がないわ」と答えている。富岡は小舎を訪ねた時に「営業妨害かね?」と口にしている。ゆき子の軀を張った〈商売〉に関して倫理道徳の次元で裁ける者は一人もいない。伊庭も富岡もすでに倫理道徳からはずれたところに生きている男たちであるから、ゆき子を非難することなどできるはずもないが、ふしぎなことに彼らは嫉妬の感情も露わにしない。
 ゆき子は富岡との関係がうまくいかないとみれば、自分を傷つけた加野の家も訪ねていくし、伊庭にも連絡を取る女なのである。もちろん、去年別れたきりのジョオのことも考えただろう。ゆき子が伊庭に言った「生きてゆくためには、仕方がないわ」は生活実感に支えられた言葉であり、この言葉のうちにゆき子の地に深く根を下ろした人生観が率直に表出されている。『罪と罰』の娼婦ソーニャにはキリストがついているが、ゆき子には神も仏もついていない。ここがドストエフスキー林芙美子の文学の決定的な違いである。林芙美子の人物にはおとぎ話のようなロマンチシズムもセンチメンタリズムもない。冷徹な動かしようのないリアリズムがあるのみである。
 ジョオは最初に登場して来た時には、富岡に取って代わるべき重要な人物であったが、作者はゆき子とジョオの関係を深めていくことは途中で放棄した。作者のうちでゆき子と富岡の関係を最後の最後まで追って行くという気持ちが強くなったのであろうか。ゆき子とジョオの関係を丁寧に描いていけば、『浮雲』は第一部「ゆき子と富岡」、第二部「ゆき子とジョオ」の二部構成になり、敗戦国と戦勝国の二人の男を通して、様々な問題を複数の視点からとらえることもできたであろう。が、林芙美子は、大きな白い枕ひとつを残してジョオを『浮雲』の舞台から消してしまった。再び強い存在感を見せはじめたのが伊庭杉夫である。

  伊庭は、ゆき子が妊娠していることはまだ知らなかった。ゆき子は産婆にも診て貰わないで、自分流にさらしで腹をきつく締めあげていた。ゆき子は自分の肉体や生活に対して、これほど忍耐強い自分を知ったことはなかった。ひそかに、これでは何でもできるような気がした。これほどの強さが自分にあるとは思わなかった。加野に腕を切られた時にも、この忍耐があったような気がした。自分の我慢強さが、ゆき子には自分でも性根のしぶとい女だと思われたが、この行き暮れた気持ちを、誰に打ちあけるというすべもないのをよく知っていたからでもある。(308〈三十七〉)

 「ゆき子は産婆にも診て貰わないで、自分流にさらしで腹をきつく締めあげていた」この文章から〈忍耐強い〉女を見るか、堕胎を覚悟した女を見るか。どちらに比重を置くかでゆき子に対する印象も変わってくる。ゆき子は妊娠した子供の相手が富岡という確証があれば、どんな困難も克服して出産を決意したかもしれない。が、ジョオの可能性もある。リアリストであるゆき子は、曖昧な状態で出産を決意するような女ではない。産婆に診て貰わず、さらしで腹をきつく締めあげた行為は自らの意志で堕胎を選択したことを意味している。
 〈性根のしぶとい女〉の〈行き暮れた気持ち〉に誰よりも寄り添っているのは作者である。

  三日ばかり雨の続いたある夕方、春子が尋ねて来た。丸の内でタイピストに通っているという春子は、タイピストをしているというふれこみだけのもので、錻力屋のおばさんの話によると、実際は春子はバーへ勤めを持っている様子だった。道理で、わずかなサラリーで働く女の服装にしては、美しすぎると、ゆき子は春子に逢った時から睨んでいたのだ。
 「ねえ、私たちって、この戦争のおかげで、かすみたいな女になっちゃったわね……」
  坐るなり、靴下をぬぎながら、春子はそう言って溜息をついた。春子にとっては、靴下が一番大切なのであろう。土産に牛肉を百匁買って来たと言って、竹の皮包みを出したので、ゆき子は、かったるい軀だったが、すき焼の支度をした。雨の中を、市場まで葱を買いに行ったりした。春子が金を出したので、それでパンを買ったり、砂糖を五十匁ばかり分けて貰ったりして帰ると、思いがけなく伊庭が尋ねて来ていて、春子と話しあっていた。(308〜309〈三十七〉)


 春子がタイピストとして丸の内に勤めているということは、すでにその〈派手な美しいつくり〉で怪しまれていたが、ここでバー勤めであることが暴露されている。美貌のタイピストとして真っ先にサイゴンへと派遣され李香欄似の篠原春子も、敗戦後の日本ではまともな職にありつくのは難しかったのであろうか。春子が口にする〈かすみたいな女〉は、ゆき子の耳にも痛く響いたことだろう。『浮雲』の読者は〈かすみたいな男〉と〈かすみたいな女〉の織りなすドラマにずっとつきあわされることになるが、最もどうしようもないのが自分の〈かす〉を自覚しない、なかには自分を立派だと勘違いしているカスである。敗戦後六十五年たって、こういうカスが政界やマスコミ界にしゃしゃり出て幼稚な〈正論〉をふりまくようになった。こういう連中には〈卑劣漢〉富岡兼吾の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
 ゆき子は、坐るなり靴下をぬいだ春子を見て「春子にとっては、靴下が一番大切なのであろう」と思う。女が女を見る目に容赦はない。女流作家林芙美子は、こういった細部をきめ細かくとらえて的確に描き出す。ゆき子は南方へタイピストとして派遣が決まった時から、美貌で男たちを惹きつけていた春子を羨ましく思っていた。女にとって美しいことは、もうそれだけでかなり有利であることは事実である。ゆき子は春子が小パリ・サイゴンへの派遣が決まった最大の理由をその美貌にあると確信していた。その春子が、今、ゆき子の貧しい二階の部屋に上がり込んで、当たり前のように靴下をぬいでいる。靴下ひとつにも女の心理が端的に表れている。