清水正の『浮雲』放浪記(連載59)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載59)
平成△年8月16日

  初めに会った、眼の色が本当なのよと、南の流行歌を唄った富岡の自然のつぶやきが、自分やおせいの身に、いまふりかかって来ている。(303〈三十五〉)

「初めに会った、眼の色が本当なのよ」とは、男が女に対して慾情を感じて本気で見つめる時のその〈眼の色〉が本当だというのならば、もはや富岡はゆき子に対してばかりでなく、おせいに対してもということになる。この文章を書いているのは、ゆき子の内心の思いに寄り添っている作者であるが、この時、作者は富岡とおせいの関係性の発展の芽の自ら摘み取ってしまったと言える。いずれにせよ、作者はここで加野とゆき子の再会の場面を描いて、彼ら二人の関係の紐を容赦なく断ち切っている。作者は、富岡から離れたゆき子の前途に、富岡以上の男を登場させることはなかった。ゆき子にとって富岡がどうしようもなく関わってくる存在であったのは、おそらく作者芙美子にとっても富岡兼吾のような男が憎々しい程に魅力的だったのであろう。

  黄昏の寒い新橋駅にゆき子は降りてみた。寒い風が吹いた。自動車乗場のほうへ歩きかけると、
 「あらッ」と言って、派手なグリンの外套を着た女が、ゆき子のそばへ走って来た。女はゆき子の肩を叩いた。
 「まア!」
  ゆき子は眼を瞠った。いっしょにサイゴンへ行った、篠原春子が走り寄って来たのだ。ゆき子はなつかしかった。
 「どうしていらっしゃるの! いつお帰りになって?」
  ゆき子は早口に、篠原の引揚げる時の消息を聞きたがっている。
 「私、そうじゃないかと、あなたが改札を出る時から見ていたのよ。ーーお元気? 私は去年の六月に引揚げて来たの。家は浦和に疎開してたので、焼けなかったのよ。私、引揚げてすぐ、英文タイプを習いに行き、丸の内に勤めを持ったの。……あなたはいま何をしているの?」
  タイピストをしているにしては、篠原春子は派手な美しいつくりをしていた。(303〜304〈三十五〉)

 なぜここで篠原春子の登場となるのか。春子は美貌の持ち主で、真っ先に小パリと呼ばれていたサイゴンへの派遣が決定したタイピストである。ゆき子は春子に嫉妬にも似た感情を抱いていたが、それを表に出すことはなかった。内心の思いを深く押さえ込んで表向きのお体裁をつくろうのが、女同士のつきあい上のルールである。このルールを破ると〈女〉たちからこっぴどい復讐をされることを、女は本能的に了解しているので、自ら〈女〉を壊していない者以外はこの不文律のルールをさりげなく厳守する。
 ここで、春子は丸の内勤めという見栄を張って、現在の職業(それは風俗業のホステスから高級娼婦や妾までを想像させる)を隠しているように見えるが、ゆき子は絶対にそのことに触れるようなことはしない。ゆき子が日本へ引揚げて来て以来、ずっと「独りで放浪している」ように、春子もまた所詮は独りの東京砂漠の漂浪者であったのかもしれない。