清水正の『浮雲』放浪記(連載78)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載78)
平成△年11月21日
伊庭は春子の手を取り、掌に耳をつけた。
 「あなたは熱い手をしている。人間の熱をはかるには耳が、いちばん敏感なのだから、体温計はいらないンだ。心の冷たい人は、熱い手をしている。手は人間の魂のエーテルを発散するところだから、あなたのように手の熱いのがほんとうなンだ。手の冷たい人間は対内に熱がこもって、どこかに病気を持っている……」
  伊庭はいつまでも春子の手を握り、もてあそび、離そうとはしない。
 「ところが、いま、私は失恋して、相当まいっているのよ。占いなさるの?」
  伊庭は失恋したのだと聞くと、また、春子の手を耳にあてて、自分の頬に押しつけるようにして、思いをこらしていた。春子はくすくす笑いながら、すっと伊庭の耳から手を抜いた。
 「彌陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とするべし。その中へは、罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願いにまします。ね、こんな風のもンでね、信心は、願う心を信じなくちゃ何もならない。あんたみたいに、初めから、ばかにしてかかっているンではいけないね。ばかにしてるのなら、一度、自分がばかになって、大日向教を信心してみてくれなくちゃいけない。いやしくも私もあなたにとっては異性ですよ。その異性の耳にあんたの手が触れているところに、微妙な神霊が伝わるンだ。信心を要とすべしだね……」
  伊庭は、ポケットウイスキーの半分くらいをあけてしまって、とろんとした眼をしていた。(310〜311〈三十七〉)

 人間の慾に目をつけた宗教は栄える。愛慾のために人間は男も女も金を使う。宗教のエクスタアシイもそのこつを心得ていれば金儲けになるというビジネス観を持つに至った伊庭の言葉は俗にまみれているが、別にその考え自体は不当でもまやかしでもない。神や仏を商売にして、確固たる組織作りに成功し、巨額な金を得ている者がいることを誰も否定できない。「彌陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とするべし。」この言葉を打ち砕くことは容易ではない。続く「その中へは、罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願いにまします。」によって先の言葉は絶対的に保証される。彌陀は衆生を「たすけんがため」に信心を説いている。つまり〈たすけ〉を拒む人間が現れない限り、彌陀の言葉は崩れない。
 ドストエフスキーはイヴァン・カラマーゾフの口を借りて、神が創造した地上世界の不条理を告発し、神の創造した世界への入場を激しく拒んだ。伊庭にはイヴァンの懐疑も、神や仏に対する根元的な鋭い問いもない。教科書通りの〈彌陀の本願〉であり〈信心の要〉の解説である。伊庭は〈信心の要〉を説きながら、〈信心〉を金儲けの手段に使っている宗教ビジネスマンであり、誰よりも宗教を「ばかにしてかかっている」男である。愛慾の泥沼にはまってもがき苦しんでいる幸田ゆき子、失恋して相当まいっているという春子、妻がいながら何人もの女に手を出す富岡兼吾、彼らは間違いなく〈罪悪深重、煩悩熾盛の衆生〉のうちの一人である。が、彼らは誰ひとりとして救いを求める言葉を発することはない。富岡とゆき子のはてしなく続く泥沼での絡み合いは〈罪悪深重、煩悩熾盛〉を死ぬまで全うしようとする執念さえ感じられる。彼らには〈彌陀の本願〉に心を沿わせようとする〈信心〉がない。逆説的な言い方をすれば、彼らは〈罪悪深重、煩悩熾盛〉を生き切ることにこそ、〈信心〉の要があると思っていたのではなかろうか。
 伊庭に対する春子の対応は、酔漢を相手にするバーやクラブのホステスと同様のものであり、伊庭の言動もまた宗教に関する生半可な知識を得た商売人のそれを一歩も越えるものではない。おしなべてこの場面からは、人物たちの誰からも、苦悩する魂のつぶやきや叫びは聞こえてこない。神を利用して金儲けをたくらむ宗教ビジネスマン伊庭と、客を利用して金儲けするホステス春子の、その場限りのやりとりを黙って観察しているゆき子からも、魂の次元からのオーラは出ていない。ウイスキーを飲みながら〈彌陀の本願〉と、ただひたすらの〈信心〉を説く伊庭は〈とろんとした眼〉をしている。この伊庭の眼が、彼の実存の空虚を端的に語っている。この伊庭の〈とろんとした眼〉を見つめているゆき子もまた、伊庭と同様の虚無を抱えながら、しかし依然として〈罪悪深重、煩悩熾盛〉の生のただ中に佇んでいる。
 伊庭に酒を飲みながらの説教はあっても、魂の根源に迫りくる苦悩の言葉がない。ヨブやイヴァン・カラマーゾフには神に対する信仰と懐疑と反逆があるが、伊庭には神を利用する金儲けのテクニックだけが問題であった。この場面に登場しないゆき子の、描かれざる姿は、虚無に汚染された伊庭の鏡像とも映って見えるが、ゆき子には利用する神の代わりとなる、罪悪深重、煩悩熾盛の対象としての富岡兼吾が存在している。ゆき子にとっては、神よりも、仏よりも、とにかく〈富岡兼吾〉なのである。嘘つきで、卑劣で、臆病で女好きな富岡こそが、ゆき子にとっては〈信心の要〉であったとすれば、〈富岡兼吾〉は〈神〉や〈仏〉をも越える存在だったということになる。

■〈三十八〉を読む

  二階は三畳と四畳半で、三畳のほうは、錻力屋の三人の子供の寝場所であった。四畳半にはひらきになった半間の押入があるだけで、壁はおが屑を押しつぶしたようなものが張ってあった。出窓に七輪や配給の炭を置いて、そこで炊事をするようになっている。出窓の下は空地で、いま唐もろこしが繁っている。ゆき子はいよいよ生活に困ってきた。靴みがきでもしてみようかと思ったが、地べたに坐っている仕事には、軀が耐えられないような気がした。二度ほど富岡に電報を打ってみたが、富岡からはなんの音沙汰もない。ゆき子は思いきって、五反田の以前の富岡の家へ尋ねて行ってみたが、今では表札も変り、出て来た人は、五月にこの家を買って引っ越して来たのだが、富岡さんのハガキがあるので、それを差上げようと言って、富岡のハガキをゆき子へくれた。引越し先きは世田ケ谷の三宿というところになっていた。間借りでもしているらしく、高瀬方となっていた。(311〜312〈三十八〉)

 篠井春子の紹介で借りることになった、高田馬場バラックの二階の間取りを芙美子はきちんと書く。間取りが具体的に描かれていることで、読者は錻力屋の家族の生活の様子まで想像できる。描かれざる三人の子供たちの話し声や息づかいまで伝わってくる。
 ゆき子が借りた四畳半の狭い部屋に春子や伊庭が尋ねて来た場面の一部が前章で描かれたわけだが、ゆき子は自分の内面を言葉にして露わにすることはなかった。ゆき子と伊庭の関係は、初対面から一週間後、伊庭による〈強姦〉によって始まった。少なくとも、描かれたかぎりにおいては、言葉による合意はない。二人の関係に批評の眼差しを注げば、ゆき子は下宿代とタイピスト学校の月謝の代償に我が身を伊庭に任せたということになる。伊庭の卑劣な打算をゆき子が暗黙のうちに了承した証は、ゆき子がタイピスト学校を卒業するまでの三年間、不倫の関係を続けたそのことにある。伊庭とゆき子はすでに罪悪深重、煩悩熾盛を骨の髄まで味わって、何ら罪の意識に苛まれることはない。伊庭とゆき子の不倫の関係は、実にあっさりと描かれ、それは新聞記事の報告文さながらで、味もそっけもない。二人の関係に罪悪深重の槍を深く刺しこむ役割を持った存在は伊庭の妻真佐子であったが、真佐子は〈伊庭の妻〉という名前ばかりの存在に終始した。
 『浮雲』という小説の中で真佐子は人形以下の存在に貶められている。もし、伊庭とゆき子の不倫の関係に、真佐子が深く関わってくる存在として動きはじめたら、ゆき子と富岡のドラマが色褪せることになったかもしれない。ゆき子は自分が深く関わる男の妻や愛人の心のうちに立ち入ることはほとんどないし、あっても同情心など微塵も抱かない。ゆき子は闘う女であり、関わった男の女はすべて敵なのである。敵の女に嫉妬、憎悪、殺意を抱いても、同情はしない。故郷を捨て、家族を捨て、女一人捨て身で生きているゆき子にきれいごとの言動はない。
 伊庭がウイスキーをしこたま飲みながら、神を利用した金儲け話をして帰った後、ゆき子の眼差しがとらえているのは、バラックの二階の四畳半の自分の部屋であり、ゆき子の思いの中には伊庭の〈彌陀の本願〉も〈信心〉もない。ゆき子にとっては〈神〉や〈仏〉よりも、今日食う〈めし〉があるかないかの方が重要問題なのである。神があろうとなかろうと、めしがなくては困るのである。ここに、神の存在に一生涯苦しんだというドストエフスキーの文学と林芙美子の文学の決定的な違いがある。
 ゆき子は妊娠しており、生むか堕胎するかで迷っている。富岡にはすでに三度も手紙を出しているのに会いに来てはくれない。職は決まらず、金もない。富岡に電報を打っても返事はない。途方に暮れたゆき子は富岡の家を訪ねるほかはないと考える。考えたことは実行せずにはおれないのがゆき子の性格である。ゆき子がダラットから日本へ引き揚げて来た時と同じ追いつめられた心境である。が、出かけて行くと、すでに富岡は五反田の家を引き払っていた。幸いにも、新しい住人が引っ越し先を記した富岡からのハガキを譲ってくれた。さて、どうするか。