清水正の『浮雲』放浪記(連載40)

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 清水正の『浮雲』放浪記(連載40)
平成△年7月25日
 富岡は〈女はいかなる場合も女〉だと言う。戦争前も戦争中も敗戦後も女は女だということであろうか。女は軀一つで生き抜いていくことができる。敗戦後の日本でパンパンと言われた女たちは占領軍のアメリカ兵たち相手に軀を売って暮らしていた。日本の男たちはそれを黙って見過ごすことしかできなかった。ジョオと関係を持ったゆき子に対する富岡の対応の仕方が、当時の男たちのそれを端的に示している。怒ることも、憎むことも、嫉妬することも、相手の男と闘うこともできなかったのが、原爆を落とされて無条件降伏した敗戦国の男たちの紛れもない姿であった。
 富岡の場合は、敗戦に関係なく、自分と深い仲になった女たちに対してきちんと対応できなかった。おそらく富岡は妻の邦子に、ニウのこと、ゆき子のこと、おせいのことを打ち明けることはなかったであろう。富岡の〈嘘〉〈欺瞞〉の実態を知っていたのはゆき子だけであり、その点に関してだけ言えば、ゆき子は誰よりも富岡の理解者だったということになる。夫の〈嘘〉の実態を知らずに、疑心暗鬼の状態に置かれ続けた邦子の内攻した苦しみはゆき子の比ではなかったであろう。
 富岡は南方の大陸で奔放な生活を四年も味わっており、そこで体験してしまった〈自由〉は、もはや何ものにも代え難いものとしてからだに染み込んでいる。富岡は結果として富岡家を没落させ、妻の邦子を病死させている。〈浮雲〉は富岡の空虚な実存の象徴そのものである。魂のない、空っぽな人間である富岡は、日本に引き揚げて来て、たちまちのうちに〈家〉(故郷)を喪失している。ゆき子はここで「私、一度、田舎へ戻ってみようと思ってるの、どうかしら?」と言っているが、この言葉は実に唐突に聞こえる。作者はゆき子の家族に関してはその名前すら記していない。ゆき子の実家が静岡にあることは報告されているが、両親、兄弟姉妹に関しては何の報告もない。伊庭の兄鏡太郎に嫁いだゆき子の姉に関してすら作者は何の説明もしていない。
 ゆき子は東京へ出て三年間、神田のタイピスト学校に通い、その間伊庭の秘密の情婦であった。ダラットでの三年間を足せばゆき子は六年以上も実家へ帰っていない。日本へ引き揚げてすぐに実家へ戻るのが当然と思うのだが、ゆき子は実家のことなどより富岡のことの方を第一に考えて東京の伊庭の家にとどまることを選んだ。ゆき子の実家は設定上存在するだけのことで実質的にはないも同然であった。要するに、富岡は〈家〉を喪失したが、ゆき子にとって安らぎを保証する〈家〉はそもそものはじめから存在していなかったのである。
 ゆき子には帰るべき〈家〉などないからこそ、伊庭の情婦となり、ダラットへの派遣に応じたのである。が、富岡にその認識はない。富岡兼吾は平然と「田舎へ帰って、健康なお嫁さんになるンだね。平和な生活にはいれたら、それが一番いいンだ」と言い放つ。この言葉には、ゆき子は絶対に〈平和な生活〉などできないという富岡流の皮肉が込められていることも確かだが、ゆき子は富岡の言ったことをまともに受けて腹立たしい気持ちになる。
 富岡の言葉には、富岡とゆき子を結びつける一本の紐の存在が見えない。ゆき子が田舎に戻って〈平和な生活〉に入ることは、富岡にとっては厄介払いができたということで、伸び伸びとおせいと関われることを意味する。富岡はニウの場合もそうだが、関わっている女が邪魔になると体よく逃げることしか考えない。ニウはおとなしく田舎へ戻って、富岡の子供を生み育てているらしいが、ゆき子には富岡と別れて暮らす気持ちはない。ましてや、富岡から「健康なお嫁さんになるンだね」などと言われたら、意地になってでも田舎へ帰ることはない。
 ゆき子は富岡から自分のことを他人事のように言われて腹をたてて炬燵の炭をぶうぶうと吹いている。ゆき子は喜怒哀楽の感情をすぐに表に出す可愛い女で、相手との距離を冷静に測ってストイックに身を処することはできない。富岡はゆき子なしでも生きていけるようなことを平然と口にしているが、もしそうであるなら速達を出してゆき子を伊香保にまで誘ったりはしなかったであろう。富岡もまた、自分のことがよく分かっていない。

  きどき省線の電車の地響きがする。昨日まで伊香保にいたことが嘘のような気がした。眼の前に、まだ富岡が寝転んでいてくれるからいいようなものの、実際に別れてしまえば、この小舎での生活は、一人では淋しいかも知れないのだ。さっきまでは、昏々と一人で眠りたいと考えていたのだけれど、いまはまた、気持ちが変った。お互いの素性を知りあったもの同士が、一つところに寄りあっていることは慰めだった。 (295〈三十三〉)

富岡にとってもゆき子にとっても、伊香保は地続きの旅行先ではなく、この世からあの世へと旅立つ境界点の意味を持っていた。もし、富岡が本気で心中を決行していれば、伊香保は彼らの現世の最後の地になっていたはずである。しかし、すでに見ての通り、富岡にとって心中は彼の空想の域を少しも脱していなかった。またゆき子にしてみても、富岡と二人きりで伊香保旅行する気にはなれても、一緒に死ぬ気にはなれなかったであろう。富岡の虚無と、ゆき子の逞しい生命力は、ともに死の淵へと投身するエネルギーとはならないのである。
 結果として伊香保は、彼ら二人の日常の延長上に位置する土地にとどまった。そんな伊香保から東京へ戻って来たところで、彼らの日常に何のひび割れも生じさせることはできない。強いて言えば、おせいの存在が日常という〈飯〉に振りかけられた調味料のような刺激とはなったが、彼ら二人がダラットからつくりあげた日常の揺るぎなき強靱さは、おせいの存在によっても、〈省線の電車の地響き〉によっても、そうやすやすと崩れさるものではない。
 日常の強靱さとは「眼の前に、まだ富岡が寝転んでいてくれる」というありふれた状態そのものに体現されている。この時、富岡はおせいの用意した白いパンツを昨日からはいたまま、ゆき子の小舎で寝転んでいることを失念してはならない。おせいが用意し、富岡がはきっぱなしの〈パンツ〉ですら、恐るべき強靱な日常に包み込まれていってしまうのだ。当然、〈パンツ〉の反逆もあるだろう。富岡がはいた〈パンツ〉という爆弾がいつ破裂するか、誰も的確に予測することはできない。作者が、この爆弾にどれほどの威力を発揮させるか。この時点では、すべては作者の気持ち一つにかかっていたと言ってもいいが、おせいの仕掛けたパンツ爆弾は、ゆき子と富岡の腐れ縁の泥沼に落ちて、その湿気で不発弾に終わってしまった。パンツ爆弾よりも恐るべき腐れ縁の〈日常〉である。
 富岡は伊香保でゆき子に向かって「一緒に来たンだもの、一緒に帰らなくちゃいけない」と言った。おせいに慾情している男のセリフで何とも誠実味に欠ける言葉であるが、まさに発せられた〈言葉〉自体の力がそこに働いている。富岡とゆき子が時間をかけて作り上げた腐れ縁の泥沼から、どちらか一人のみが抜け出すことはできないのである。「お互いの素性を知りあったもの同士が、一つところに寄りあっていることは慰めだった」という言葉には、付け焼き刃の〈非日常〉(たとえばおせいの仕掛けたパンツ爆弾)など歯牙にもかけない強靱さがある。