林芙美子の『浮雲』と『罪と罰』について

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林芙美子の『浮雲』と『罪と罰』について(連載1)

三度目の正直の「『浮雲』と『罪と罰』について」
平成22年3月30日(火曜)

浮雲』を読んでいると、『罪と罰』と重なる場面があることに気づく。林芙美子ドストエフスキーの関係についてはすでに書いたが、今回は特に『浮雲』と『罪と罰』について書いてみたい。わたしが『浮雲』を読んでいてハッとしたのは〈緑色〉であった。『罪と罰』において〈緑色〉と言えば、すぐに思い起こすのが、ソーニャが被っていた〈緑色のショール〉である。

 『罪と罰』の主人公ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ(以降ロジオンと表記する)は、犯罪に関する論文において、人類は保守と服従をこととする凡人と、既成の法律や慣習を踏み越えて、自分自身の独自の言葉を発することのできる非凡人がいると考え、後者の代表者としてナポレオンをあてはめる。ロジオンは非凡人は良心に照らして血を流すことが許されていると考えた。自分を〈非凡人〉の側において、ロジオンは高利貸しの老婆アリョーナを殺害し、彼女がため込んでいた三千ルーブリの金を盗みだし、その金を元手にして事業を起こし、成功したあかつきに、恵まれない多くの人々に善行をほどこそうとした。要するにロジオンの犯罪理論によれば、一つの犯罪は百の善行によって購われるということになる。


グリーン版世界文学全集『罪と罰』と初版『浮雲

 ごうつく婆さんのアリョーナは社会のシラミであって、生きていること自体が害毒であるとロジオンは考えた。ロジオンが実際に犯行に及ぶまでに、様々な迷いがあり、一時は犯行そのものを断念したこともあった。しかし、魔の偶然がロジオンを支配した。結果としてロジオンは老婆アリョーナの頭を斧で叩き割ってしまった。この第一回目の犯行はなかば無意識の状態で行われた。ロジオンは斧の峯の方を振り下ろした。つまり斧の刃先はロジオンの額にこそ向けられていたということで、老婆殺しは同時にロジオン殺しでもあったということになる。ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリは江川卓によって悪魔の数字666と解読された。この説を受け入れれば、ロジオンは最初の犯行において、自らの額に刻印された悪魔の数字を叩き壊したことになる。

 『罪と罰』は、七月はじめの異様に暑い、ある日の夕方、一人の青年が、戸棚のような狭苦しい屋根裏部屋から通りに出て、なにか思い惑いながら、のろのろとK橋の方へ向かって行った場面から始まる。〈橋〉はこの世とあの世、現実の世界と非現実の世界、人間の世界と神の世界の狭間に位置する。十九世紀ロシアの首都ペテルブルクに生きる、額に悪魔の数字を刻印された〈一人の青年〉は、こちら側の世界からあちら側の世界、人間の世界から神の世界へ向かって、のろのろと思い惑いながら歩いている。一八六五年当時の〈こちら側の世界〉では、大学改革を求める学生たちや、皇帝政治を壊滅し、新しい社会を作り上げようとする革命家たちが、盛んに様々なレベルでの運動を展開していた。ニコライ一世による三十年の統治は暗黒の時代と呼ばれていた。後を継承したアレクサンドル二世は緩やかな政策を実行したが、大学改革運動や革命運動が激化する事態に対処するために弾圧政策を施すことになった。

平成22年3月31日(水曜)

 ロジオンがペテルブルク大学法学部に入学したのは一八六二年、まさに大学は紛争闘争の渦中にあった。ロジオンが大学改革の渦に巻き込まれなかったのが不思議なくらいである。ここにはドストエフスキーの慎重な配慮があったと見たほうがいいだろう。元政治犯の罪名は、ゴーゴリ宛のベリンスキーの手紙を、ペトラシェフスキーの会合で読み上げたことである。たかがそれだけのことで、ドストエフスキーはニコライ一世の死刑執行劇の犠牲になったのであり、八年間もシベリアに流刑されるとになったのだ。『罪と罰』の主人公に革命思想や、ましてや皇帝暗殺の危険なテロリズムが巣くっていたなどと見られては、単なる流刑ではすまされない事態を招き寄せたかもしれない。ドストエフスキーはロジオンの口を通して「神がなければすべてが許されている」などという犯罪理論は、発表さえ許されなかったであろう、と書いている。ロジオンの〈アレ〉が〈皇帝殺し〉とも解釈できると検閲官に看破されることは、ドストエフスキーの小説家としての命を奪いかねないことだった。まさに十九世紀ロシアの作家たちは、時の権力者たちに対して、巧妙なやり口を駆使して闘っていた。

 当時の革命家や急進的な考えを持った学生や知識人は、皇帝こそがロシア国家社会の害虫であると見なし、いかにしてその害虫を駆除するかに心を砕いていた。大学をやめて、屋根裏部屋に閉じこもり、一つの犯罪は百の善行によって贖われる、などと考えていたロジオンが、犯罪の標的に高利貸しの老婆アリョーナを当てはめていたなどと本気で思うことは、今の時代となってみれば滑稽そのものであるが、当時は優秀な検閲官でさえ、ロジオンの〈アレ〉は老婆アリョーナ殺しであったことを微塵も疑わなかった。ドストエフスキーくらいの小説家となると、その作品を真に理解するためには百年も二百年ももかかるのだということを改めて感じざるを得ない。

 ロジオンは革命思想を作者と共に深く秘め隠して、老婆アリョーナを殺し、そして目撃者リザヴェータを殺した。革命家にとっては〈革命〉という正しい目的が達成されるためには、強盗も人殺しも許されるのである。ロジオンがリザヴェータの代わりに母プリヘーリヤも妹ドゥーニャも殺せるような青年であったなら、彼は正真正銘の革命家でありテロリストと言える。しかし、最初の場面で端的に表れていたように、ロジオンは思い惑っている若者であった。ロジオンが、この世の世界で覇者となること、現世的な権力にのみ執着する野心家であったなら、小説で描かれたような苦悩や悶えはなかったであろう。

 ロジオンは、〈橋〉を渡ってこの世の世界からもう一つの世界へと踏み込んで行くことを願っている。ロジオンは、狂信者ソーニャに望みを託す。ロジオンの最終的な〈踏み越え〉は〈皇帝殺し〉ではなく、〈復活〉そのものであった。作者ドストエフスキーはエピローグでロジオンを復活の曙光へと導いて行った。

 わたしが初めて『罪と罰』を読んでいた頃、ロジオンの〈復活〉を信ずることはできなかった。わたしの現実的な眼差しは、娼婦ソーニャがロジオンを追ってシベリアに就くこと自体を認めなかった。ソーニャはスヴィドリガイロフによって淫売稼業の泥沼から救われたわけだが、そんな夢物語のような設定も認めがたかった。ソーニャはあまりにも理想化されているのではないか。シベリアの囚人たちは青白く痩せたソーニャを〈おっかさん〉(マートゥシカ=матушка)と呼んでいる。この設定にも素直に頷くことはできなかった。わたしは、復活の曙光に輝くロジオンが、わたしの世界から消えていくのを感じていた。わたしは、ロジオンの愛による復活を、まるでひとごとのように思っていた。わたしは相変わらず〈屋根裏部屋の住人〉としてせっせとドストエフスキーの作品を読み続け、批評し続けていた。〈罪〉意識に襲われることなく、ロジオンは愛によって復活した、と書かれても納得がいかない。
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