「畑中純の世界」展を観て(連載25)

今年は宮沢賢治生誕百二十周年にあたる。今まで単行本に収録していない千五百枚強の賢治童話論
を刊行することにした。『清水正宮沢賢治論全集』第二巻として今年中に刊行する予定で準備に入った。現在、校正中。

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」
https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ【清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。

京都造形芸術大学マンガ学科特別講義(2012年6月24日公開)
ドラえもん」とつげ義春の「チーコ」を講義

https://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg

清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。


清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税


ここをクリックしてください エデンの南 

畑中純の世界」展を見て
 野中咲希



               

 畑中純宮沢賢治〜それぞれの理想郷〜

 畑中純は、2012年に死去した漫画家・版画家だ。宮沢賢治に造詣が深く、様々な宮沢賢治作品をモチーフにした版画作品等を制作した。今回、日本大学芸術学部芸術資料館で開催された『「畑中純の世界」展』では、生前に残した多くの貴重な作品を間近に鑑賞することができる。
 1996年に製作された「雨ニモマケズ」では、あの有名な宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を何枚かにわけて版画作品へと仕上げている。画面には「雨ニモマケ ズ」の全文と賢治作品に登場するキャラクターが描かれている。例えば、「月夜の電信柱」の電信柱や「風の又三郎」の又三郎、中には宮沢賢治自身や「下ノ畑ニ居リマス」の文字も見受けられる。それだけでなく「雨ニモマケズ」の版画作品内に登場した電信柱は宮沢賢治本人の描いた電信柱を元に描かれているが、1983年に彫られた「月夜の電信柱」ではそれを畑中純が自分の中で読み解くことによって自分の独自のイメージを再構築したのだろう。強い存在感を放つ賢治の作品を、畑中純の力を感じさせそれでいて繊細な線が、賢治のパワーに圧倒されつつも飲み込まれることなく新しいインパクトを与えてくれる。同じように、賢治作品に影響されそれを己の作品の中に取り込んでいった漫画家にますむらひろ しがあげられる。彼の作風は独特で、夢の中にいるかのような幻想世界。宮沢賢治の世界の美しさを際立たせて感じさせてくれる。一方で畑中純の作品はまた違い童話や詩の世界観を見事に現実と融和させる。版画作品「雨ニモマケズ」では、生身の肉体を持つ宮沢賢治はもちろんのこと作品内で息づく登場人物やモチーフも同時に身体性を持たせることに成功して。もちろん、どちらにも優劣はないが、一つの作品を巡っての表現方法の違いが面白い。どちらも賢治作品を文章から絵にすることで自分の中にある「イーハトーブ」をつくりだしている。「イーハトーブ」とは、賢治童話作品内に度々登場する理想郷だ。また、その語源は岩手をエスペラント語風に直したのではないかと言われている。
 畑中純の 代表作の一つに「まんだら屋の良太」がある。舞台は、九州にある「九鬼谷温泉」という架空の温泉地。主人公良太は旅館宿の若い息子だ。そして、作者の畑中純の故郷も九州だ。そして、その温泉地に訪れる様々な人間模様を描いた。賢治の童話世界に度々登場する理想郷としての「イーハトーブ」と同じものを感じる。賢治の故郷は岩手県の花巻だ。今では花巻温泉という温泉街として知られている。九州と東北とでは、気候や風習も違うがどちらも独自の文化を持っている。たとえば、九州北部では「ホーランエンヤ、エンヤノサッサ」と独自の掛け声をあげながら船を漕ぐ「ホーランエンヤ」が、東北では賢治作品内で「高原」や「獅子踊りの始まり」に登場する「獅子踊り」がある。関東地方にはない空気 間の中、違う時代を生き抜いた二人の作品はどこか美しいだけでない理想郷がある。
 「イーハトーブ」は岩手を語源にしたと先ほど述べたが、岩手と鏡写しの世界、とても似ているはずなのにどこか違う場所ではないだろうか。では、「九鬼谷温泉」の意味するものとはなんだろう。九の鬼の谷と書いて「くきたに」と読む。九とは不思議な数字だ。九分九厘とも言うように少し何かが足りないイメージを彷彿させられる。鬼は邪悪なものや悪いもの。谷は北欧の作家トーベ・ヤンソンムーミンシリーズでえがいた「ムーミン谷」や賢治作品では「峯や谷は」にわかるように遠い秘境の地、そしてそこには陣地を越えたものが住まう場所のように描かれている。鬼とは神の一つの姿でもある。「九鬼谷」は、鬼 にまだ少し足りない者たちが息づく谷という意味ではなかろうか。
温泉街には様々な人が宿泊しては帰ってゆく。老若男女様々な背景を持った人々が、身一つになり湯につかる。考えてみれば妙な光景だ。なんの接点もなかったはずの人々が裸の付き合いをする。現在では混浴はめっきり減ったがほんの少し前までは多かったとも聞くが、混浴が当たり前であった時代の温泉とはどんな光景であったのだろう。あのジブリ作品「千と千尋の神隠し」では湯屋八百万の神々が体を休める場所として登場する。トンネルの向こうの異世界にあるその湯屋が舞台だ。そこは神々の世界と温泉は日々の汚れを落とし、その土地、その場ではこの世のどのようなしがらみがあったとしても服を脱ぐのと同じように取り去る力 を持っている。また、お湯につかるというのは、産湯から連想されるように産まれなおす意味を感じられないだろうか。「千と千尋の神隠し」でもてなされる客は神だ。それと同じくして、「九鬼谷温泉」に訪れる人もそこに住まう人々も、九州を鏡写しにした理想郷に生きる神のような存在だと思える。また、賢治作品中にも神の存在を感じられる。たとえば、「銀河鉄道の夜」には大きな十字架が、「どんぐりとやまねこ」では植物の種に過ぎないどんぐりが命を持ち、「風の又三郎」では又三郎という不思議な少年が登場する。元来日本では、神や幽霊妖怪の区別が薄く、神の落ちぶれた姿が妖怪であるともされている。不思議なものはひとくくりに神でなのだ。そうなると、賢治作品中に登場する様々な人物 や物事は神の仕業であり、イーハトーブの住民たちは神ともいえる。
宮沢賢治畑中純の作品は、それぞれ一見まったく違うように思える。しかし、それぞれの理想郷を見比べることで似通ったってんがたくさん見えてきた。また機会があったら考えてみたい。




「畑中純の世界」展を観て(連載24)

今年は宮沢賢治生誕百二十周年にあたる。今まで単行本に収録していない千五百枚強の賢治童話論
を刊行することにした。『清水正宮沢賢治論全集』第二巻として今年中に刊行する予定で準備に入った。現在、校正中。

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」
https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ【清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。

京都造形芸術大学マンガ学科特別講義(2012年6月24日公開)
ドラえもん」とつげ義春の「チーコ」を講義

https://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg

清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。


清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税


ここをクリックしてください エデンの南 

畑中純の世界」展を見て
 中江 結依華 



               

 江古田キャンパスの芸術資料館で、私ははじめて畑中純さんの版画や漫画に触れることができました。
 青年漫画に ほとんど触れることのない私は、週刊サンデーに
300回も連載された、『まんだら屋の良太』も全く知りませんでした。
 子供の頃に読んだ宮沢賢治著作の『注文の多い料理店』の1シーンの版画が展示されているのを観たときは、「あっ!これ知っている!」と馴染みのあるものを見つけて嬉しくなりました。『注文の多い料理店』は、二人の兵士がレストランに入って最後に食べられてしまう話です。畑中純さんの版画のタッチは、怖い話を想起させる迫力を持っています。極端に大きく描かれた猫はとても不気味でした。描かれている物の対比は少しアンバランスで、そこがなお怖さを増しているようでした。
 畑中純さんの漫画に登場する男性も女性も、老いも若きも性別年齢の特徴が強調されて描かれていると思います。少女漫画に登場する美女美男は出て来ないので、庶民的な感じで
ざわざわ感があります。絵の輪郭は太く、水彩画もイラスト的な感じで、花の絵も写実的ではありませんでした。使用しているは多いとは感じませんし、光溢れる感じの絵ではありません。
 人物の絵はとても特徴があり、人が簡単に真似できるペンタッチではなく、一目では畑中純さんの作だと、言い切れる作風を確立していました。
 『まんだら屋良太』は、ユーモアあり、ペーソスあり、お色気もたっぷりな10年間300回連載された漫画です。読んだことのない私は本の表紙絵をみて、忘れられなくなる絵だな、と思いました。温泉宿「まんだら屋」を舞台に、登場してくる人物の表情・動きは、エッチなものもありますが、ほのぼのとしていて、昭和の時代を知ることができます。漫画には、畑中純さん独特のリズム感や空気が流れている感じがしました。また漫画に出てくる女性は何処となく奥さんに似ていて、これは畑中純さんが、理想の女性と巡り合えたからなのだと、思いました。
 畑中純さんの奥さんの講演では、やはり「女性は奥さんがモデルになっているのですか?」という質問が出たほどです。一方良太は畑中純さんの青年時代だったのではないか?少なくとも
心理的には、畑中純さんだったのではないか?遺影と良太の顔はなんとなく似ているではないか?と思ったのです。
 畑中純さんの出身地である九州の小倉まで、赴かず版画や漫画を見られたのはラッキーでした。今にも音や声が聞こえてきそうな畑中純さんの漫画、その作風は初めて鑑賞した私にも、
大きなインパクトで忘れられないものになりました。




「畑中純の世界」展を観て(連載23)

今年は宮沢賢治生誕百二十周年にあたる。今まで単行本に収録していない千五百枚強の賢治童話論
を刊行することにした。『清水正宮沢賢治論全集』第二巻として今年中に刊行する予定で準備に入った。現在、校正中。

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」
https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ【清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。

京都造形芸術大学マンガ学科特別講義(2012年6月24日公開)
ドラえもん」とつげ義春の「チーコ」を講義

https://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg

清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。


清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税


ここをクリックしてください エデンの南 

畑中純の世界」展を見て
増田萌乃



 10日の授業が終わってすぐ、展示をみてきました。奥様やお子さんのお話を聞いたあとに、畑中さんの絵を見られるという、贅沢な一日でした。
 入って直ぐにあったのは、先生や奥さんの話にも登場した奥さんの肖像画でした。私が想像した絵柄とはまた違い、リアルにえがかれていました。漫画での版画のような、少しガサツな絵柄しか知らなかったので、少し驚きました。そこに描かれていた奥さんはとてもきれいで。穢れを知らないような美しさでした。私がお会いした奥さんもそうとうお綺麗でしたが、お若い時はどれだけ綺麗だったのだろう、と気になりました。うつむいて恥ずかしがっているのか、はたまた憂いを帯びているのか。髪型にも年代を感じる奥さんの肖像画。美しかったです。「これかあ、先生方がおっしゃっていたのは」と納得しました。
 そこからどんどん進んでいくと、私の知らない畑中純の世界が広がっていました。「まんだら屋の良太」の絵は勿論、様々な絵が多く並んでいました。パッと私が見ている最中に思ったのは、「人間って生々しいな」という事です。恥ずかしい部分をあえて隠さずに、人間の隅から隅まで描きたいという畑中さんの意志が強く伝わってきました。裸の絵が多いですね。男女問わず。でも、女性の裸の方が多い気がしました。男も、女も、老いも、若きも、みんなで一緒に温泉に入っている絵もあり、奥さんが言っていた「一緒に色々な温泉に行って、絵や漫画の参考にした」というお話を思い出しました。でも、あれだけ見るのが恥ずかしいような絵(作風)でも、見ていられない不潔さはないなと思いました。しかし、授業で息子さんに話を伺ったときには、苦い虫をかみつぶしたような顔で、「父の作品は読んだこともないし、読もうとも思わない。受け付けない」とおっしゃっていました。まあ、想像してみて自分の父親がああいった恥ずかしい、赤裸々な絵をかいていたら、私も受け付けないだろうなと思いました。
 「恥ずかしい、赤裸々な」と書きましたが、人間だれしもそういった生暖かい部分をもっているのです。勿論私にも。でもほかの人(他人)のことになると、生暖かい部分は恥ずかしい物だと。なんて都合がいい生き物なのだろうなあ、なんて考えつつ展示を観ていました。そんな都合がいい私たちに「見ろ!目を反らすな!」「そんな顔すんな!お前にだってそういう部分は必ずあるんだよ!」と訴えかけている気がして、また恥ずかしくなって、下をむいて。また向き合って。の繰り返しでした。
 私が一番印象的だったのは、畑中純が好きだった宮沢賢治のお話の絵です。「セロ弾きのゴーシュ」は、周りの動物たちが人面のようにも見えて、面白いなと思いました。小学生の時、図書館でみたことがあるとおもいます。親しみのある絵です。思わず動物も目を閉じて耳を傾けるゴーシュのセロの音色が聞こえてきそうです。ゴーシュの何とも言えない、微笑んでいるような顔もたまりません。そして凄い存在感を放っていたのは、「銀河鉄道の夜」でした。三枚にも渡る大作で、私は一目みたときから、そこでカミナリに撃たれたように動けなくなりました。シンプルな絵なのですが、真ん中の鉄道が幻のようでいながら異世界に通ずる道しるべのようで、威風堂々とした姿の鉄道。カムパネルラとジョバンニが今にも窓から顔をのぞかせそうな絵。思わず「ひぇえ、」と声にならない声をもらしました。
 畑中純の「エロスとカオスとファンタジー曼荼羅宇宙」の世界は、私には近くて遠い存在でした。人間的な部分で遊び心がありつつ、エロスの部分を惜しみなくドドーンと描く。躊躇の無い作風に惹かれました。下書きもせずに一発書きしているみたいな荒々しさと、人間の急所を細部まで描く繊細さが同居する絵があったのか・・・と驚きました。もっとはやく畑中純の絵と出会っていたかったです。
そして、「まんだら屋の良太」も人間として見なくてはならない作品だと思います。目を反らしたりしたくなるこの社会だけれど、目を背けていては見えないものが多すぎる。そんなメッセージを感じました。なかなかあんな絵を描いてみたくても、描けるような作画ではありません。力強い筆跡を目でたどっていくと、会ったこともない、「畑中純」がもくもくと絵を描いている場面が浮かんできます。好き勝手に想像できるという点では、私たちのように「畑中純をよく知らない」人間のほうが面白かったりするかもしれません。ですが、頭に浮かんできたりして身近に感じることがあっても、決して私とは同じ次元にいる人ではないとおもいます。こんな凡人には理解のできないような頭の中なのだろうなあ。ぽやぽやと考えていました。でも、展示を観て少しは「畑中純の頭の中」をのぞき見できたんじゃないかなと思います。
「まんだら屋の良太」、読みます。またちょっとでも「畑中純の頭の中」を覗くために。

「畑中純の世界」展を観て(連載22)

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」
https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ【清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。
清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。


清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税


ここをクリックしてください エデンの南 

畑中純の世界」展を見て
藤田 夏実




 展示会で印象に残っているのは版画でした。コミックの絵柄の様で、立体的な版画は、素朴であるのに神秘的で、目を惹きます。
 特に「銀河鉄道の夜」の4枚にわたる作品は、額ごとの一枚一枚も作品として美しく、額縁という隔たりも介さない迫力があります。また、他の宮沢賢治に関する作品も同様の印象です。畑中先生の宮沢賢治に対する思いが、形になっているように感じました。
 版画では、動物にキャラクター性を持たせているものも、かわいらしいです。「オッペルと象」や「ツェねずみ」、「猫の事務所」は、動物たちの素朴な本来の可愛らしさを描いている印象でした。反面、そこに含まれたストーリー性こそが、魅力なのではないかと思います。
 「オッペルと象」の、鎖につながれ木材を運ぶ、泣いている象は、絵柄の可愛らしさだからこそ強調させる哀愁がありました。
 版画以外でも、オバケ15話『明暗』の「黒く塗れ」と吹き出しに書かれた作品は、インパクトが一番強く、何より描写力に驚きました。一度描いた街を黒く塗り、改めて白ヌキで主線を描いていて、黒く塗るスペースの街も描きこんであった事に驚きました。
 作画における技術的な面はもちろんですが、観察力がずば抜けています。漫画ではなく、絵画や版画の技術があってこその表現だと思います。

 畑中先生の世界観は、人間の本能と素朴さを一貫して描いているように感じました。女性を描くときに乳房より臀部が強調されていて、フェチズムというか、そこに女性らしさ、母性を求めているのではと思います。母性を求めるというのは、男女問わず人間が捨て去ることのできない本能です。また、女性に対する一種の信仰というか、崇拝の様なものが、漫画や展示されていた絵から伝わりました。創作において、女性の描き方こそ、創り手の人となりが顕著に見えるものです。畑中先生は、単純なエロスではなく、生物の本能的な欲求や、情動のロマン、女性の神秘性を大切にしている作家さんだと感じました。
 描かれている人間たちや動物たちは写実的ではないですし、キャラクターらしさが強いです。しかし、一枚の絵に表れている情景や場面は、現実的で親近感があって、体験してもいないのに懐かしい気持ちになります。それは人間の普遍的な本能や、特に日本人の遺伝子的な根本を的確に押さえているのだと思いました。
 

「畑中純の世界」展を観て(連載21)

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」
https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ【清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。
清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。


清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税


ここをクリックしてください エデンの南 

畑中純の世界」展を見て
ジーグラー




江古田にある日本大学芸術学部 芸術資料館で漫画家、画家の畑中純氏の作品展を観た。私が、初めて読んだ畑中氏の作品は、清水正先生の授業で取り上げられた、「まんだらやの良太」である。展示されている作品の中にも、「まんだらやの良太」のイラスト群が多く見られた。また、宮沢賢治の作品の絵本、イラストを多数描かれているその中に、清水正先生の著書「注文の多い料理店を読む」の表紙のイラストも含まれていたので驚いた。
その宮沢賢治の作品をモチーフとしたイラスト群は版画である。そのイラストのタッチは無骨でありながら、子供っぽさもあり、どこか懐かしさを覚えるものだ。その彫刻刀の刃の入れ方は大胆かつシンプルであるが、小さな部分を表現する場合には繊細な刃使いが見られる。たとえば、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」、「注文の多い料理店」の猫を描いた版画は、大きく見開いた猫の目玉は大きな丸に小さな瞳、猫の肉体の細かな毛、髭は細く、細かく表現されている。こちらをまっすぐ睨む、この猫のイラストは威圧のオーラを放っている。このイラストに代表されるように、畑中氏の版画作品は見る者に強烈なインパクトを与える。この版画作品群の中には、文章が彫られているものがある。同じく宮沢賢治
注文の多い料理店」、「どんぐりと山猫」、そして「雨ニモ負ケズ」などである。彫刻刀を用いて小さな文字を連ねた文章を彫る作業というのは、難しく大変なものだろう。下手をすれば読みにくいものになってしまい、文章として機能しない危険性だってある。しかしながら、畑中氏の彫った文章は一文字一文字がくっきりとし、読みにくい部分がほぼない。これは腕がものを言うところで、畑中氏の彫刻刀使いの質の高さを感じた。さらに、その文章の周りにはイラストも彫られており、字と相まって見る者を楽しませている。
畑中氏の彫る版画の絵の構図には興味深いものがある。宮沢賢治注文の多い料理店」を彫った作品で、2人のイギリスの兵隊の格好をした紳士と2匹の白くまのような犬を前面に配置し、その先に彼らを待ち受けるようにそびえ立つ西洋料理店 山猫軒の後ろには巨大に描かれてた山猫が虎視眈々と獲物が罠に掛からないかを狙っている。この作品は、田舎に動物を狩りに来た都会の紳士を、さらに狩ろうとする山猫の存在という「注文の多い料理店」のストーリーを版画という限りあるスペースの中に上手に表現しているものだ。絵だけで物語の内容を説明できる構図を描けるのは、絵を中心に物語を展開している漫画家という面が作用しているからだろうか。
冒頭でも書いた畑中氏の代表的な漫画作品、「まんだらやの良太」のイラストも展示されていた。原作の「まんだらやの良太」もさることながら、それらを見ていると自らの中学生、高校生の時に女性に感じていた思いが蘇ってくる。というのは、「まんだらやの良太」の主人公、良太が女性のキャラクターに対して向ける視線、考え方が昔の私と重なるからである。思春期の男子というものにとって、女性という存在は未知と神秘に包まれた性のワンダーランド、「ピーターパン」で言えばネバーランドである。女性のほんのちょっとした仕草や動きにまで、彼らは敏感であり、それだけで桃色の想像の世界へとひとっ飛びしまうほどだ。特にそれは、まだ女性を知らない童貞であればあるほど、激しいものである
。その女性に対する妄想の世界は「まんだらやの良太」においても描写が見られ、良太が女性に対して飢えに飢えていることが容易に伺える。また、妄想だけでなく、良太は女湯のボイラー番を買って出ながら、ボイラーを見るよりもボイラー室の小さな窓から女湯にいる女性客の裸体を観察して、マスターベーションをしている。そして、気になる女性に対しては異常に優しさを見せる面もある。ちょっとムラムラしてきたら、そのままマスターベーションに走るなど、良太の一連の行動は思春期の男子そのものを描写している。そんな良太を描いたイラストは、どれもが性にまみれていながら、馬鹿っぽく、笑える。女性の肌色の乳房や薄桃色の乳首、黒く陰毛に覆われたヴァギナを恥じらって隠すことなく女性
たちは描かれ、それを楽しむように良太を始めとする、男性のキャラクターたちが描かれている。 これらの作品はいずれも性のユーモアに溢れている。
私は考える。この全裸や半裸の女性たちと戯れる良太は、実はイラストを描いた畑中氏なのではないかと。大人になってできなくなったこと、頭の中で自由に想像できるが、現実ではできないことを良太に託したのではないだろうか。畑中氏が良太に託したその思いは、多くの男性読者の共感を得たことだろう。何故なら、畑中氏が作り出した良太というキャラクターは、世の男性の思春期の欲望を体現しているからだ。その性に開放的なイラストは、大人の入り口に立ったばかりの頃の思春期の記憶を呼び起こすタイムマシンだと言える。

「畑中純の世界」展を観て(連載20)

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」
https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ【清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。
清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。


清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税


ここをクリックしてください エデンの南 

畑中純の世界」展を見て
濱島優子



雑誌研究の授業で、初めて畑中純さんという漫画家を知りました。私はもともと漫画をあまり読みません。漫画で表現される世界は、現実的であり、人間ドラマに深く共感するところもあれば、多種の擬音語、擬声語に、あり得ない人の動きを表現出来たりと、とても不思議な世界だと思います。畑中さんの展示で見られる絵は、どの絵を見ても、力強いタッチで体や顔の輪郭が描かれていて、けれどその中に描かれる、瞳や口はとても繊細なように感じられ、一つ一つが生きている絵のように感じました。中でも女性の絵は、見ていて考えさせられることが多くありました。はだけた着物に下駄を履き、ボサボサの髪の毛にタバコをくわえて歩く女性。タヌキに扮した良太の上に乗っかり耳をつねってこちらを見つめる女性。私が印象的だと感じた女性です。女性の性格、生活、考えていること、声、それらがパッと伝わってくるように感じる絵だったのです。女性の絵はどれも魅力的でした。つり目で猫目な女性が多く、ミステリアスな印象を与えます。畑中さんの女像とは、そのような女性なのでしょうか。そして裸になることをごく自然なことと捉えている。

代表作『まんだら屋の良太』でも描かれている公衆浴場では、男も女も裸体が描かれています。展示でも様々な絵に裸体が描かれていて、思ったことがありました。作者が描いているこの、目の前にいる女性は、
どんな気持ちで裸体をさらしているのだろう?また、どんな気持ちの女性を作者は描きたいのだろう。そんな気持ちで鑑賞していました。授業でも裸体を描くということは、と話がありましたが、とても深いテーマだと思います。そして一言では言い表せなくて、難しいテーマだと思いま
す。海外では、ヌードの女性の油絵などはよく見かけます。万人の人が美として認定しているかのような風習がある中で、日本で裸体の女性を描くとなると、どうしてもいやらしいと感じる人がいます。美しいからこそ、見せてはいけない。という感覚でしょうか。芸術の観点や芸術として受け入れ方は、国によって異なるのだなと思いました。解放すること、全てを描くこと、違った一面を見せること、それは芸術として必要なことであり、求められることであるように思います。だとすれば畑中さんは日本では数少ない”真の芸術家“ということになります。

授業でお話ししてくださった畑中さんの長男さんの話は印象的でした。「本屋に並んでいても、これは買わない」。父と息子。と考えると少し寂しくも感じましたが、親子だからこそ、きっと妥協しません。普通に考えたら、そして子供としての気持ちを考えると、そうだなと、私も思いました。ですが、次女さん、三女さんは全く違った感覚を持っていらっしゃって、面白いなと思いました。「優しい父だった」口を揃えてそう言うお二人を見て、そして展示で見た畑中さんの猫を抱いたお写真
を見たとき、その言葉と人柄が見事に一致しました。ずっと家で創作活動を続けられ、人間のすべてを漫画で表現し続けた畑中さんを、“一人の父親“に感じた瞬間でした。これはおそらく、私自身、父親が仕事人間であり、大の猫好きだから、という理由も大いにあります。わたしだから、あの写真を見たとき、そう感じたのかもしれません。展示を見ているうちに思いました。人間という生き物を表現するために、どこまでを描くのか。それは漫画家として、芸術家として、考え抜いて描かなければいけない、中核となる部分なのだと。そして畑中さんは、人間のすべてを
描く、ということを選ばれた。『まんだら屋の良太』でも、性描写も第一話から遠慮せずに描いています。初めは私も驚いて抵抗もありました。けれど、考えれば考えるほど、表現するということはどういうことなのか、という問いばかり出てきました。単にいやらしいものとして描くのではなく、人間の本質を描くとどうなるのか。畑中さんは芸術家としての素朴な疑問から描き始めたのかもしれません。そう思うと、芸術として成立している作品、決していやらしいのもには見えませんでした。人間とは、こういう生き物だと、漫画を通して、表現する。人を喜ばせたり笑わせる事も、漫画家として必要なことがもしれませんが、漫画家であると同時に芸術家として、表現者として、やるべきことがある。

そして最終的に、これが清水先生が私たちに伝えたいことなのかと感じ
ました。様々な文学を扱い、愛について語り合う授業を行ってこられましたが、愛と人間を表現するのが、芸術家。だから愛とは何か、人間とは何か、深く深く考えるきっかけを与え、行き着く答えをもとに、生きていくこと。これが私たちに必要な
ことなのかなと、ふと思いました。
これは漫画だけでなく、すべての芸術に共通すると思います。表現者として、芸術家として。大学で学ぶだけでなく、何を考えて見つけたか。それが一番重要な点なのかと思います。

「畑中純の世界」展を観て(連載19)

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」
https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ【清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。
清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。


清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税


ここをクリックしてください エデンの南 

畑中純の世界」展を見て
 中嶋悠理






 漫画家としての畑中純のイメージが強かっただけに、木版画が展示されていたことにまず驚いた。宮沢賢治作品をモチーフにしたものや、小説の表紙など、以前からそれと知らずに見知っていたものまで並べられていたため、なおさらである。
 初めてじっくりと観賞した木版画の印象は強烈だった。絵の中に占める黒の割合が多く、それが宮沢賢治の童話世界に漂う影を表現しているようで面白い。そこに描かれた漫画的なキャラクターも、童話が持つ表向きの子供向けな側面をよく表現している。童話の光と闇の二面性を、畑中は意図的に描いたのだろうか。強く興味を惹かれた。
 「まんだら屋の良太」以外の畑中漫画を見ることも初めてだ。展示されていた中で真っ先に気に入ったのは、大きな木に足場やはしごがかけられていて、そこに男の子と女の子が腰かけてこちらを見下ろしている絵だ。ツリーハウスというものだろうか、童心をくすぐられた。中央の小さな子供たちと比べて、木の大きさがいかにも頼もしく、子供を見守る親のような存在のようにも思える。
 版画と漫画を組み合わせた作品は、畑中純の集大成となっているように思う。絵の下には『オバケ十五話 「明暗」』とあった。この絵の出展なのか、それともタイトルと呼んでも良いものだろうか。確認はとれなかった。ペンと墨汁によって書かれたものらしい。影を版画で、それ以外を漫画で描き、ふたつの異なる技法によって一枚の絵の中に光と影を対比させている。こうした異種格闘技戦のような組み合わせは、小説にも転用できるのではないか。見習うべきところは多そうだ。また、それとは別に吹き出しの中の「黒く塗れ」という短い言葉が、おそらくはその短さゆえに印象深かった。どういった場面で使われたものなのか、不思議に心を惹かれる。
 絵とは呼び難いかもしれないが、宮沢賢治童話の文章を、一文字一文字版画で刷ったものがあった。どうやら童話の挿絵部分を版画で描くのみならず、文字にまで同じ方法を用いて、全体に一様の雰囲気を与えたものらしい。素晴らしい発想だと思った。黒が目立つ版画自体が童話に合っているように感じたことはすでに述べたが、それを文字にまで徹底したことは、思いつきそうでなかなか思いつかない発想だと思う。絵と文章として、ふたつ別々の扱いでわけ隔てられていたものに橋渡しをしている。複数の学科を擁する日芸という環境にあって、こうした発想に至らない自分の未熟が恥ずかしい。
 正直なところ、畑中純のように堂々赤裸々に性を描いている作品は、鑑賞するにあたってあまり得意ではないのだが、それでもなお強く惹かれた一作があった。タイトルは不詳だが、草むらで性行為をしている男女のもとに、蝶を追う少年が飛び込んでくるというものだ。網は二匹の蝶をとらえ、ついでに女の頭まで捕まえている。少年の驚いた顔と、そちらを見る網の中の女の顔と、一心不乱に女に抱きついている男の後ろ姿とが、焼きついたように印象に残った。対比の構造というとなんだか陳腐なようだが、子供が思いがけず大人の世界に迷い込んでしまうある種ショッキングな場面が、私に妙な同情に似た気持ちを起こさせた。原因はたぶん、私自身が性に苦手意識を覚えていることと同じところにあるように思う。絵の中の男女がこの次にどのような反応をするのかは分からないが、絵を鑑賞した私は少年に対して申し訳のないような思いがした。いまだ二十歳そこそことはいえ、歳をとり一応の大人になったことを後ろめたく思っていたのかもしれない。
 同じような場面の絵がもう一枚あった。こちらも少年が迷い込むというシチュエーションで、場所は学校かどこかの、健康診断の類と思われる検査の最中だ。女子生徒が尻を突きだし、白衣の女性が棒状のものを突き刺している。こうも似たような作品が続くからには、畑中にとってもこうした状況に思うところがあるのかもしれない。実は作者自身が似たような体験をしていて、一種のトラウマのように記憶に焼きついていたから、状況を少し変えて複数の作品として分割して表現されたのではないかと、そんなことも考えた。それほど衝撃的で、なんとなく悲劇的なようにさえ感じたからだ。思いがけぬものを見つけて、少年は逆に喜ぶかもしれない。そういうことも含めて、ただなんとなく私は悲しくなる。
 畑中が描く温泉が特別な意味を持つことは講義で知ったが、展示の中には鉱山を描いたものも多かった。男性労働者が多いであろう鉱山が、温泉と同じカオスとエロスの意味合いで描かれているとは思えない。こちらにもまた、何か別の解釈があるのだろう。宮沢賢治の童話を題材にした木版画からはじまり、畑中の世界は実に幅広い。目を覚ましている間中漫画を描いていたという創作への姿勢まで含めて、しっかりと学ばなければいけないと思った。