『世界文学の中のドラえもん (D文学研究会)全国の大型書店に並んでいます。池袋のジュンク堂書店地下一階マンガコーナーには平積みされていますので是非ごらんになってください。我孫子は北口のエスパ内三階の書店「ブックエース」で販売されます。

四六判並製160頁 定価1200円+税

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
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京都造形芸術大学での特別講座が紹介されていますので、是非ご覧ください。
『ドラえもん』の凄さがわかります。
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp
[f:id:shimizumasashi:20120816101244j:image]
http://www.youtube.com/user/kyotozoukei?feature=watch



マンガ論課題               
嶋津きよら
②手塚治虫のマンガ『罪と罰』とドストエフスキーの『罪と罰』の決定的な違いについて書きなさい。

 私が幼少の頃に読んだ中で、最も印象の強い漫画は手塚治虫著の『リボンの騎士』である。まるで劇を見ているかのような物語の展開にいつもわくわくさせられていたものだ。手塚治虫の作品は、全集を図書館から借りて全部読んだ。飽きずに何度も繰り返し読み、その世界に浸った。今思えば、手塚治虫の描く、あの独自の世界観が私を魅了していたのであろう。その中には当然ながら、『罪と罰』という作品も存在したのである。
手塚治虫の『罪と罰』は、ロシア文学を代表する文豪、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキイの『罪と罰』を漫画化した作品だ。分かりやすく面白いコミカライズだということで、出版当時から今日まで大変根強い人気を持った作品である。この作品から『罪と罰』を知った人も少なくないだろう。実は私もそのうちの一人だ。ただ、ドストエフスキイの『罪と罰』と手塚治虫の『罪と罰』には多々異なる部分が見受けられ、手塚治虫版を読んだだけでは自分を『罪と罰』の読者と呼ぶことはできないだろう。今回の課題で手塚治虫の名前が出た時、とても不思議な感慨に襲われた。自分が今まで読んできた(積み重ねてきたものの一つでもある)作品が、廻り廻ってまた私の前に現れたのだ。人生では、自分の経験してきたことが何度も繰り返されるという話を聞いたことがあるが、まさにその通りなのかもしれない。自然と気持ちが高揚するのを感じながら、手塚治虫が『罪と罰』という作品を描くにあたり原本としたと思われる、新潮社から出版されている『世界文学全集』第二十二巻ドストエフスキイ著『罪と罰』を手に取った。
この本の扉には、ドストエフスキイの肖像画が載っている。何故か強い既視感に襲われ、手塚治虫の『罪と罰』を本棚から抜き出した。主人公のラスコルニコフが斧を振り上げる様が描かれている表紙を開き、ページを何枚か捲ると、そこに似たような出で立ちをしたドストエフスキイの姿があった。ああ、それなら見覚えがあるはずだと思いながら、私は首を捻った。どうして手塚治虫はこの肖像画を模写したのだろうと清水正教授は述べている。この二つを並べてみると、なるほど、確かに手塚治虫の描いた肖像画はこの扉をモチーフにしていることが分かる。ドストエフスキイを描く――これが一体何を指すのか。清水教授の著書『手塚治虫版『罪と罰』を読む』の『手塚治虫が描いたドストエフスキーの肖像画』にはこう書かれている。

  さて、手塚治虫がドストエフスキーの肖像画のコピーを描いたということは、彼がドストエフスキー文学の暗さ、深刻さを十分に認識していたと言える。手塚治虫は漫画家としてドストエフスキーその人を漫画化する意図はなかったということでもある。つまり手塚治虫はドストエフスキー原作の『罪と罰』の文学的な深さを十分に承知した上で、敢えて子ども向けの漫画化に踏み切ったということである。ドストエフスキーに対する畏敬の念を表明した上での漫画化の試みと言ってもいいだろう。

 ここから伺えるのは、手塚治虫の描く『罪と罰』は、あくまで原作をオマージュしたものだということだ。つまりこの作品に原作とは異なる点があったとしても、それはその作品の個性であるということである。ならば、その中から一番原作とかけ離れた描き方をされているものが、この課題を解く鍵となるはずであった。
結論から言って、ドストエフスキイの『罪と罰』と手塚治虫の『罪と罰』、この二作品の決定的な違いは物語のラストシーンであろう。原作の主人公であるラスコーリニコフは広場の中心で大地に接吻をするも、自分の罪を告白することはできなかった。しかし、その足で警察署へ向かい、犯行を自白する。裁判や八年の刑罰を受けた末に、彼の後を追ってシベリアに訪れソーニャと共に幸せな生活を送ることとなった。だが、手塚治虫版では、主人公であるラスコルニコフが広場の中央でその罪を告白するも、その後瓦礫と化したペテルブルクの通りを歩いていく場面で物語を終わらせている。ラスコルニコフがどうなったのかを、手塚治虫は明確にしていないのである。その先にあるのが希望だとはけして思えないようなその情景を、手塚治虫はどんな気持ちで描いたのであろう。ドストエフスキイに対しての思いをこの作品に反映したのであれば、この作品から私たちは何を感じ取るべきなのであろう。疑問を挙げればキリがないが、ただ一つ、確実に言えるのは、真実を知る唯一、手塚治虫はもうこの世界に存在しないということである。ラスコルニコフの向かう先にはどのような世界が広がるのか、それは読者が自分で想像するほかないのだ。その考えに到った時、手塚治虫版『罪と罰』は、ドストエフスキイの描く『罪と罰』とは別の物語であるということを、改めて実感させられた。
こうして、ラスコーリニコフとラスコルニコフは、今もなおその世界の中で違う物語を――違う人生を歩み続けている。

「マンガ論」はつげ義春の「古本と少女」

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「マンガ論」はつげ義春の「古本と少女」を題材に早稲田や神田の古本屋街の話や、稀覯本入手の思い出話なども展開する。「古本と少女」のラストシーンを演技してもらう。

「文芸特殊研究Ⅱ」と「マンガ論」

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清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー

本日の「文芸特殊研究Ⅱ」の授業後の記念撮影。この授業は宮沢賢治の『注文の多い料理店』。「どんぐりと山猫」をすでに数回講義。演技や朗読。受講生二十名。男子は二名。一年生の女子がすばらしく元気がいい。

「マンガ論」は三回目の「ドラえもん」論。光よりも速いと言われたニュートリノよりも速くなければ批評はできない。その他、ハイデガーニーチェの時間論などを展開。授業を終えて二年前のゼミ生、大雅クンと記念撮影。

「マンガ論」

マンガ論はつげ義春の『海辺の叙景』を取り上げた。その他、落語やお笑いについて話す。


第五回受講生の感想
遺影とは思ってなかった……!! 最初のページの海の家の影部分の解釈は先生と一緒でしたが遺影は怖い……!!
演技ができて楽しかったです……!! またぜひ(笑)
(文芸・草島江梨子)

釣り人が父なるものだ、と聞いた時は心の底から感動しました。先生の授業はノートをとるのがまったく苦にならないほど面白いです。
(文芸・吉田紗耶香)

まず、「長崎は今日も雨だった」をちゃんと歌いたいです。海が母胎あるとは分からなかったけど、死のイメージだなとは思ってました。落語入門したいと思います。
(文芸・田井英祐)

男の変態力、これはなんとも恐ろしいもので、なんと彼は彼女の水着を着たり、前日と同じ服を着たりしている。私がもし彼に出会ったならばこう言ってやろうと思う。「なめこに貴方は勝てませんよ」とね。
(文芸・嶋津きよら)

一年前までサザエをずっとエスカルゴだと思って食べていました。
「叙景」の叙を女と置き換えるというのは驚きました。
(文芸・平野幸恵)

男の人が女の人の水着のパンツをはいているというところが一番驚きました。
また、拡大コピーをすると……というところはびっくりして鳥肌が立ちました。
再構築のおもしろさが少しずつわかってきて楽しいです。
(文芸・生貝恵美)

主人公が小屋にいるところが遺影になっているのはびっくりしました。不気味な話だとは最初から思っていたけど、気付かなかった箇所はたくさんありました。授業で言われて気付いて、とっても衝撃的でした。あと去年ゼミをとっていたことを思い出してもらえてよかったです。
(文芸・篠原萌

海辺の叙景は、自分が思ったよりもずっと暗い作品だということは、授業を通じて感じた。男の水着の柄や、遺影など気付かなかったことも多かった。全体的に細かい所も異様な雰囲気を醸し出している。
(文芸・藤田拓斗)

「海辺の叙景」が全く違う作品に思えた。
完全防備と完全無防備の件がおもしろかった。
(文芸・石川舞花)

落語における「業の肯定」。漫画における手塚治虫の「虚無」、赤塚不二夫の「きょむ」。これらの言葉が非常に印象に残りました。いつかビートたけし論が聴きたいです。
(文芸・北村哲士)

人生をかけて文学を。
金も求めず、地位も求めずに、ただつっぱしる
俺に“アレ”が出来るだろうか……。
そんな気分になる授業でした。
(文芸・加藤大雅)

すごく楽しかったです。
つげ義春ってすごい……!って思いました。
(演劇・上木美果)

やはり先生の解説はいつも「なるほど。」と感心させられます。着眼点が私とは異なるなと思います。
三、四年になってもキラキラした目で江古田に行くことを誓います!
(演劇・原田侑季)

『海辺の叙景』想像以上、期待以上の再構築だった!(演劇・鈴鹿通犠)

男が一人女を待っているときに、遺影のようになっていたり、ラストシーンで男が女の水着を着ていることは気づかなかったのでとても驚きました。
(演劇・高橋りな

先生の「マンガ論」ももちろん面白いですが、先生が授業で話して頂ける「人生論」がとっても面白く、印象的なものばかりです。
(映画・米山舞)

最初に読んだ時から「死」を意識させる話だとは思いましたが、それがどうしてかはよくわかりませんでした。けれど授業を受けて分かったような気がしました。オイディプスがまた出てきたのも驚きました。
(映画・藤原真悠)

男のサングラスを女が借りていたことに気づいていなかったので、自分の読みが甘いと思った。
私は小学生の頃、桂文我さんの落語をたくさん聞いた。彼の子ども向けの落語、親子寄席はすばらしいと思う。
(映画・板倉球水)

表面だけを読んでいくとハッピーエンドになるが、深く読んでいくhナナ+イチゴ+ゴモニとバットエンドになるのがすごいなと思いました。
物語は必ずしも良い方向に進むとは限らない事がよ分かりました。
(写真・吉原百合香)

「海辺の叙景」は「海辺の女景」である、という解釈は興味深かったです。
(山口保奈美)

「海辺の叙景」の再構築とても楽しかったです。
つげさんは、漫画を描く時いつも何を考えているのだろうと思います。
これほど背すじがゾッとした漫画は久し振りです。『ドラえもん』もまた取り上げていただけると……
(放送・森下真衣)

「マンガ論」第三回

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第三回「マンガ論」の授業風景と文芸学科受講生の感想文。




文芸学科受講生の感想
詳しく一コマずつ観察していくことによって、『ドラえもん』というファンタジックでかわいらしいキャラクターが急に恐ろしいものに感じました。未来を知っている青い(というかとにかく非現実的な)生物が引き出しから現れると想像すると怖いです。子ども向けの漫画だという思い込みから、面白い教材だという興味にかわりました。(文芸・高野友紀子)

のび太の精神状況がそんなにおかしいとは……。『ドラえもん』の2ページからギリシャ神話やドッペルゲンガーの話になるとは思いませんでした。ワクワクしました!(文芸・田代若奈未)

ドラえもん』見開き二ページにドストエフスキーの「分身」、ソポクレスの「オイディプス王」が入っている……という先生の話に驚嘆と感動を覚えました。僕は先生の授業が好きです。最初は無理やりな読み方をしている人だなと思っていましたが、話を聞けば聞くほど合理的です。感動しました。(文芸・田井英祐)

先生の『ドラえもん』考察が、ホントに毎度おどろかされます。のび太くん「のびている=死んでる」話には思い切り笑いました。やっぱり一番前で授業を受けるのが楽しいです。思わずこの考察を聞いて芸人のライセンスのM-1ネタの「色んなドラえもん」を思い出しました。よければ先生も見てください。とがったドラえもんや奇妙なドラえもんがいます。
ドラえもん怖い。とても怖くておもしろい。
3-11の被災者家族なので、津波が悪魔にみえるという、イミがよくわかった。/来週も楽しみです。(文芸・草島江梨子)

ドラえもん』はよく読んでいたが、全く違うもののように感じた。一コマの中でたくさんのことを読み取れることがすごいと思った。子供向きのマンガではないような話だった。(文芸・石川舞花)

ドラえもん』を読んで、正直のび太の精神的な闇など考えたこともなかった。今回の授業では、本来の『ドラえもん』というマンガの見方を学んだ。(文芸・藤田拓斗)

ドラえもん』を、ぼんやり読み過ぎていたと思いました。よく考えなくとも、そのまま不自然な物が描かれているのに、何故気づかなかったのか。不思議です。そういうさらりと流せてしまう不思議さ、不自然さ、不気味さも、『ドラえもん』が人の心に残る理由なのかもしれないと思いました。(文芸・吉成沙也佳)

誰もが読んでいる『ドラえもん』を、こんなに詳しく講義をしてくれて、奥深いなあーと思った。のび太は死んでいるとか初めて聞いたので、とても印象に残った。もちろん寝ていません(笑)(文芸・松井裕樹

確かにのび太は神経質そうな描写が多いと思いました。ドラえもんが丸くなければ、私はあの漫画を読まなかっただろうし、「運命が決まっている」と言われれば抗議したくなります。自分に引き寄せて考えるとよくわかり、とても興味深いと思いました。(文芸・篠原萌

本当にパワフルな授業です。あの一ページからそこまで読みとるとは驚嘆に値します。(文芸・瀬尾佳高)

のび太が部屋を締め切って部屋の中のアイテムで更に囲いを作っているのには防衛機制的な意味があるのには驚きました。部屋の中の囲いは丸く、のび太は平和を欲している。机から出てきた奇妙なヤツも丸い。彼の生活はこれから平和(?)になるのだろう、という読み方で良いんでしょうか。(文芸・西野木太郎)

のび太が部屋の中にさらに、ポットやマンガで空間を作っているという発想はおもしろいと思った。こうやってマンガの一コマ一コマの説明を細かく聞いていると、細部にまで筆者の息がかかっているなあとつくづく感じる。(文芸・西澤太朗)

まさか「のび太死亡論」が飛び出てくるとは思いませんでした。ドラえもんが神だとしたら、さしずめジャイアンは悪魔なんかでしょうか……。(文芸・平野幸恵)

「マンガ論」第四回

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昨日の「マンガ論」は「ドラえもん」講義第二回目。前回に引き続きソポクレス、バゾリーニ、ドストエフスキーなどの作品と絡めて講義。少しばかり、森光子さんとの出会いと、彼女の舞台に関しても話す。受講生の中には、森光子さんの話に興味をもったものが
何人かいた。



第四回受講生の感想
運命についてオイディプス(=アポロンの地獄)の題材は大変参考になりました。ドラえもんははたして、分身なのか、またもしくは神(=予言を与えるもの)なのか、すごく不思議に思いました。時間軸の話も興味深かったです。(文芸・高野友紀子)

都市伝説で、のび太がネコ型ロボットをつくったという話がありますが、そう考えるとドラえもんのび太の分身だというのも納得です。
森光子さんの演技がすさまじいというを聞いて、見たくて見たくてたまりません。
God Gata God 神が来る……!! こういうことですか……。
(文芸・田代若奈未)

運命は自分で切り開いていくものと考えていたが……「自分の意志で生まれたのか?」と言われ、言葉をつまらせました。運命って怖い。
というか、イオカステって何才ですか……? オイディプスもなんか話をきくかぎりだと、とてもアホっぽいなと思った。気づけよっ!!っと本気で思う。

ドラえもんのポケットも何となく母胎を連想します。それが、引き出しから出てくるのはロシアの民芸品みたいに重いました。(文芸・小澤圭輔)

清水先生の「神の意志論」を聞きカミュの『異邦人』の「(人を殺したのは)太陽のせい」と言ったムルソーの事を思い出した。先生の授業を聞くと昔、読んでいた本のことを思い出したりします。文学は連関するんだなと思いました。(文芸・田井英祐)

批評とは何か、という清水先生の根源的な部分に触れることができました。オイディプスハイデガーなどさまざまな話が聞けてよかったです。次回身楽しみにしています。

イオカステの話。真実に知らんぷりをしていられる女性の怖さを見たような気がした。女性の口から真実をきこうとするのが、そもそもの間違いなのかもしれない。(文芸・桐原彰子)

ドラえもんからオイディプスに繋がり、一瞬バタフライエフェクト的なところまで、私の興味をくすぐりっぱなしの90分でした。(文芸・西野木太朗)

ゴトガタゴトと音がして机から先生が出て来たら、俺は結構うれしいです。(文芸・由雄顕成)


(文芸・古賀千雪)

ドラえもんのび太の分身。「僕」の言葉を使った言葉遊びかと思いましたが先生の説にのまれました。運命について考えてみるのもおもしろそうです。(文芸・進藤守)

ドラえもんが机から出てくるところから、死と再生や森光子さんやオイディプスの話とつながるとはすごいなと思いました。運命を変えることの偉大さというか、その世界観がすごいと思いました。(文芸・鶴見あいら)

ドラえもんを読み解くだけでも様々な知識が必要のだなぁと思った。勉強不足だと思ったため、まずはハイデッガーを読んでみます。(文芸・高橋顕太朗)

オイディプスの話とドラえもんに共通項があったとは驚きました! 全巻読みたくなってきました。(文芸・原璃紗子)

境界性人格傷害について調べたことがあります。良い自分と悪い自分が分離していて、悪い自分を認めることができないらしいです。私はどんな状態なのか理解できませんでした。でも“分身”の話を聞いて、きっとこんな状態なんだろうなあ……と思いました。(映画・坂倉球水)

ドラえもんから“オイディプス”や“二重人格”などの壮大な話にまで発展するとは思いもしませんでした。(美術・富澤莉乃)

ドラえもんから繋がるドストエフスキー「分身」やハイデガー、『罪と罰』、たくさんの有名作品を全部読んだり見たりしたくて仕方なくなってきました。その中でも「分身」はちょっと恐いですが、チャレンジしてみたいです。(美術・若林恵里香)

ドラえもんにおけるタイムパラドックスの話はとても興味があって一度、専門家の話をきいてみたいと思っていました。再来週の時間論の授業とてもたのしみです。(演劇・望月駿祐)

オイディプス王はギリシァ演劇の中でも一番好きです。イオカステの解釈にはびっくりしました。(演劇・柏木純子)

今までは、自分の人生は自分の意志で切り開くことができると信じていたが、オイディプス王の話や先生のドラえもんの解釈を聞くと、運命はやはり決まっているのかなと思ってしまい少しショックだったが、いっそ決まっている運命なら頑張ってそれに挑んでいこうかなと思った。(演劇・鍋田怜那)

オイディプス王は面白いので好きです。『罪と罰』は原作もいいけど、落合なんとかさんのマンガ版が好きです。(演劇・佐藤英美)

文学作品を読む事は、あらゆる作品を読みとく上で重要なのだと思いました。(演劇・窪真理

ドラえもんのび太の自己幻視なんだと思った。すごく興味深かったです!! あと、オイディプス王の物語の新しい世界が広がった。イオカステを中心にみて、もう一回よみ直したいと思った。 黒澤監督の「羅生門」みます!!!!(演劇・高野璃奈)

「マンガ論」第三回講義「ドラえもん」

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「マンガ論」第三回講義は「ドラえもん」の第一話「未来の国からはるばると」の見開き二ページを題材にして、のび太の実存的な危機状態を浮き彫りにする。ドストエフスキーの「分身」などの紹介もしながらヤスパースの実体的意識性錯誤、自己像幻視などの精神病理学的側面からの考察を展開。ドラえもんのび太が望んだ〈分身〉であることなどを語る。のび太は死んでいること、死んだその瞬間において復活していることに関しては次週で詳細に語ることになるだろう。
受講生の感想
上(美術・平松大地)中(美術・児安祥子)下(美術・小林柚李)

第三回受講生の感想
自分の知ってる『ドラえもん』は子ども向けに作られたものだと思っていた。しかしこの授業でやった『ドラえもん』は考えが深く少し恐いものだった。(美術・福永健介)

“実体的意識性錯誤”こんな言葉初めて知りました。「のび太は死んでいる」説、とても新鮮でした。(美術・富澤莉乃)

今まで『ドラえもん』のマンガなんて凄く簡単に読んでいすぎたことを思い知った。のび太が幻聴を聞いていたり、部屋も勝手にごちゃごちゃのイメージで読み進めていたけれど、こうやってよく見ればきちんと整理されていたり、思い込みで読むのは怖いなあと思った。他のマンガもきちんと読んだら主人公が本当はどんな人なのか知れそう。(美術・宮田みな美)

ドラえもん』は誰でも知っているマンガですが、今回の授業ではのび太はのんびりした性格という固定観念を大きく覆す内容でとてもおもしろかったです。(写真・吉原百合香)

のび太はバカな少年としか思っていなかったけれど、今日の授業で実はとても危機的状況にいる追いつめられている少年だったのだと知って驚きました。
オイディプス王とつながっていくなんてすごいです。
毎回、驚く授業です。(映画・藤原真悠)

哲学的なもの無しにはマンガ゛も映画でも、深みのあるものはできないと思いました。(映画・上川床麗か香)

ドラえもん』は映画版のマンガも大好きです。のび太の解説で、何だかのび太がもっと好きになりました! のび太が死んでいるという話が気になって仕方がないです。(映画・米山舞)

ドラえもん』から運命論まで展開できるものなのだなと思いました。1コマ目をもっとちゃんと見ればどのマンガもいろんなイミを持っている可能性を感じました。ドラえもんドッペルゲンガーの一種とはさすがに考えつかなかったです。(映画・服部郁子)

授業中、先生の話を聞きながら本当に今、目の前に名前も分からない青い生物が出てきたらと想像しました。ものすごく気持ち悪かったです。先生の授業にはフィクションの話を扱っているのに、とてもリアルな感情をもたらしてくれる所がすごいです。(放送・福井早香)

ドラえもんがどんだけの哲学的メタファーを含んでいるかを知った。作者の伝えたい本当の事は、そのメタファーに含まれているとは思わないが、読者が再構築することで、文化物の解釈を多様にできる事がすばらしいと思った。(放送・櫻井祐介)

清水先生のエネルギを受け止め、自分の“学び”とするには(いや、清水先生の授業だけでなくとも)学生側にも相当な覚悟が要ると再認識しました。来週『ドラえもん』読んできます。(演劇・鈴鹿通儀)

ドラえもん』にまさかオイディプスを結びつけるとは思いませんでした。未来への想像・興味はいつの時代にもあるもので、あらゆる分野の人間がこのことに取り組んでいるのだなと実感しました。(演劇・柏木純子)

私はマンガもアニメも『ドラえもん』をあまり見たことがなかったので、先生のような解釈はびっくりしました。平和な感じかと思ったら、冒頭ののび太は死んでいたなんて……!! とにかく驚きです。(演劇・高橋りな

私は『ドラえもん』の第一話を見たことも読んだこともなかったので、先生の話を聞きとても衝撃を受けました。おそらく私たちは、ドラえもんという存在を知っていたからこそ、このような奇妙なことに気付かなかったのかもしれません。続きがとても気になります。(鍋田怜那)

先生は、色々なことに博識ですごいですね。先生にすごいというのも失礼な気もしますが。可能性を広げるよみ方には、感心します。(演劇・佐藤英美)

ドラえもん』が急に恐い話に思えてきました。買って全て読んでみたいと思います。ドストエフスキーも興味深かったです。文学作品と名作と呼ばれるマンガは少なからずリンクするものなのですね。(演劇・窪真理

実体的意識性覚悟⇒自己像幻視ということばが出てきて『ドラえもん』を読む見開き二ページの世界は思っていた『ドラえもん』とは全然違ってこわいなあと思った。『ドラえもん』深いっっ!!(演劇・高野りな)

マンガの話から人生論、哲学論的な話にどんどん展開されていくのがスゴかったです。『ドラえもん』の最初二ページがやたら奥深く検証されてスゴいです。(演劇・武岡宏樹)