清水正の『悪霊』論 坂下将人 連載5

清水正の著作、D文学研究会発行の著作に関する問い合わせは下記のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください

     清水正ドストエフスキー「悪霊」の世界』(Д文学研究会 1990年7月 限定100部非売品)


連載5

清水正の『悪霊』論

坂下将人

清水正ドストエフスキー『悪霊』の世界』(Д文学研究会) (1990)

 本書には「通常版」と「私家版」の二種類が存在する。以下、「私家版」(限定百部)の内容について論及する。「私家版」は「通常版」に先行して「七月」に「Д文学研究会」から刊行され、「通常版」は「九月」に「鳥影社」から刊行されている。「通常版」=「鳥影社版」であり、「私家版」=「Д文学研究会版」である。

 「通常版」と「私家版」は「同一内容」であるが、「通常版」と「私家版」とでは「後書き」において行われている考察が異なる。「通常版」の「後書き」では『悪霊』が主に宮沢賢治の著作である『銀河鉄道の夜』との関連において論じられている。一方、「私家版」の「後書き」では引き続き『悪霊』を成立させる上で不可欠な存在である「ワルワーラ」に対する考察が中心になされている。

 「私家版」の「後書き」において清水は「父」であるステパンが「ウスチエヴォ」をこえて「スパーソフ」へと辿り着き、「キリスト」の足元に座る存在となれば、「「ウロボロス」的大地」である「スクヴォレーシニキ」の支配者であるワルワーラは瞬時にして「聖母マリヤ」へと変容すると考察している。また続けて、清水は『悪霊』の描かれざる第二幕(続編)は「子」である「ピョートル」と「イエス・キリスト」の「対決」によって開始されなければならず、「イエス・キリスト」が「ピョートル」の眼前に出現しなければ、『悪霊』は依然として「「悪霊」の勝利」であり続けると指摘している。

鳥影社版

Д文学研究会版

坂下将人(プロフィール)

日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了。ドストエフスキー研究家。日大芸術学部文芸学科非常勤講師。論文・エッセイに「『悪霊』における「豆」」(「江古田文学」107号)、「ф・м・ドストエフスキー研究の泰斗」(「ドストエフスキー曼陀羅」特別号)、「清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む」(『ドストエフスキー曼陀羅』)、「ф・м・ドストエフスキー『悪霊』──「鳩」に関する一考察」(「藝文攷」27号)、「ф・м・ドストエフスキー『悪霊』──先行研究一」(「清水正研究」2号)その他。

清水正の『悪霊』論 坂下将人 連載4

清水正の著作、D文学研究会発行の著作に関する問い合わせは下記のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください

     清水正ドストエフスキー「悪霊」の世界』(Д文学研究会 1990年7月 限定100部非売品)


連載4

清水正の『悪霊』論

坂下将人

清水正ドストエフスキー『悪霊』の世界』(鳥影社) (1990)

 本書は清水が執筆した『悪霊』論の「第二部」である。本書は『悪霊』の世界を「心理学」的及び「神話学」的側面から解読する。ドストエフスキーは「正教会」を信奉する「正教徒」である。しかし従来の『悪霊』研究は、「キリスト教」の理解に基づく考察と検証を怠ってきた。従って、「神学」的及び「神話学」的側面から『悪霊』を分析する本書には重要な意義が存在する。

 前作では「父殺しの文学」として『悪霊』を捉え、ステパン(父)とピョートル(子)の関係に光が当てられていたのに対し、本書は「母殺しの文学」として『悪霊』を捉え、ワルワーラ(母)とニコライ(子)の関係に光が当てられている。ステパン及びピョートルの考察も引き続き行われており、特に作品のエピグラフに付された「プーシキンの詩」と「ルカ福音書」の関係性を「因果関係」として解釈する清水の考察は、「プーシキンの詩」と「ルカ福音書」の関係性を「対立」として解釈した江川の考察を「深化」・「前進」させ、原題Бесыの研究進展に大きく寄与した。

 また清水は、本書においてグロスマンが解読した『悪霊』の作品世界における日付の誤りを指摘し、世界ではじめて正確な『悪霊』の作品世界の日付を解明した。

 さらに清水は、『『悪霊』論 ドストエフスキーの作品世界』に引き続き、「告白」、「ステパン氏の最後の放浪」をはじめ、『悪霊』を研究する上で特に重要な場面に対する考察を重点的かつ精力的に行っている。

 なお、本書は『清水正ドストエフスキー論全集6 『悪霊』の世界』に収められている。


坂下将人(プロフィール)

日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了。ドストエフスキー研究家。日大芸術学部文芸学科非常勤講師。論文・エッセイに「『悪霊』における「豆」」(「江古田文学」107号)、「ф・м・ドストエフスキー研究の泰斗」(「ドストエフスキー曼陀羅」特別号)、「清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む」(『ドストエフスキー曼陀羅』)、「ф・м・ドストエフスキー『悪霊』──「鳩」に関する一考察」(「藝文攷」27号)、「ф・м・ドストエフスキー『悪霊』──先行研究一」(「清水正研究」2号)その他。

猫蔵の「生贄論」連載12

 

猫蔵『日野日出志体験』2007年九月 D文学研究会

 

清水正の著作、D文学研究会発行の著作に関する問い合わせは下記のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

■生贄論〜原罪と芸能〜 (連載12)

猫蔵

【不信】
 次に、第二のターニングポイントに入ります。第二のキーワードは、他者への【不信】です。原典たる『ヨブ記』に照らし合わせるなら。ヨブが"神の沈黙"に加えて、周囲の人々との軋轢を味わい、孤独へと落ち込む場面です。
 邁進した軍役の置き土産が、自らの肉体を蝕んでいると知ったイーザリー。彼は次第に、軍に対して不信感を募らせます。連合国を勝利へと導いたアメリカ軍人としての誇りは、引き裂かれていきます。
 軍人時代のイーザリーには、禁じられていた「皇居への攻撃」を独断により実行するなど(通説では、昭和天皇の殺害を狙ったとされています)、少なからず"英雄願望"があったと思われます。しかし、自分を"英雄"として規定してくれるはずの軍そのものが、彼の人生において、沈黙する存在、敵対する存在へと変貌してしまいます。やがて軍は、「任務と流産との間に因果関係は認められず」と、彼の賠償請求を却下します。その直後、彼は初めて自殺未遂を起こします。
 その後イーザリーは、おもちゃの銃で郵便局に押し入ったり、小切手を偽造したり、食料品店に強盗に入ったにも関わらず、一度奪った金を軒先に置いて立ち去ったり、奇妙な犯罪を繰り返し、逮捕されることを重ねます。そしてその度に精神鑑定を受け、精神病院への入退院を繰り返します。通説においては、これら犯罪の動機として「誰も罰してくれない罪を自ら罰するため」というものが一般的です(これは、哲学者アンデルス宛の手紙の中で、後に彼自身が打ち明けている動機と一致します)。しかし僕はこれを聞いて以来、どこか綺麗過ぎるという違和感を拭い得ませんでした。
 奇妙な犯罪を繰り返すイーザリーを、やがてある雑誌が「かつての連合国軍の英雄の聚落」として、センセーショナルに取り上げます。やがて、にわかに脚光を浴びたイーザリーは、マスコミの取材に対し「誰も罰してくれない罪を、僕は自分自身で罰している」旨の発言を行います。加熱していく「悲劇の英雄」報道の中、彼自身の発言も、次第に反戦の様相を呈していきます。
 イーザリーの奇妙な犯罪は、これらの時代状況から、彼の言う通り、「自らを罰するため」の贖いとして機能し始めます。しかし、僕はこの動機は後付けの色合いが濃いと感じます。
 抜け駆けの手柄を目論んだり、当初英雄願望の強かったイーザリーは、やがて自らの拠り所でもあった軍と対立せざるを得なくなります。その結果、彼は、もはや英雄ではなくなった自分と向き合わざるを得なくなります。それは彼にとって「自己の喪失」に他ならず、苦痛であったに違いありません。その焦燥。それこそが、彼を奇妙な犯罪に駆り立てたものの一因であったのではないでしょうか?「自らを罰するための贖い」というもっともらしい大義は、本当のところを言うならば軍の"英雄"ではなくなった彼が、かつての"英雄"願望の残骸に、ギリギリの矜持で縋りついたものが発端となり、生まれたものだったのではないでしょうか?

清水正著『日野日出志を読む』の出版記念会。池袋「嵯峨」にて(2004年11月24日)
画面右より猫蔵・副島信太郎・日野日出志清水正・原孝夫

 

右より日野日出志清水正・猫蔵 (日野日出志の仕事場にて)

右より猫蔵・日野日出志・下原敏彦

日野日出志体験』を手に持つ日野日出志


猫蔵(プロフィール)

1979年我孫子市に生まれる。埼玉県大利根にて育つ。日本大学芸術学部文芸学科卒。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。見世物学会会員。日野日出志研究家。日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。単著に『日野日出志体験』(2007年 D文学研究会)、共著に『「ガロ」という時代』(2014年 創林社)がある。本名 栗原隆浩。

猫蔵の「生贄論」連載11

 

猫蔵『日野日出志体験』2007年九月 D文学研究会

 

清水正の著作、D文学研究会発行の著作に関する問い合わせは下記のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

■生贄論〜原罪と芸能〜 (連載11)

猫蔵

【現代のヨブ】
 総括に入りましょう。
 改めて僕は、クロード•イーザリーこそ、イスカリオテのユダの系譜に連なる者であると同時に、神の"沈黙"に直面した、ヨブの運命をなぞる者、「現代のヨブ」であると捉えます。僕は、これまで見てきたイーザリーの人生を、ヨブ記の物語になぞらえ、大きく四つのターニングポイントに分け、総括したく思います。その試みを通して、全ての文学の「原点」であり、「最高傑作」と謳われる『ヨブ記』の、現代に即した読み方が見えてくるはずです。
 クロード•イーザリーはいかにして、ヨブ記的人生を生きたのか?そして、彼はそこで、いかなる選択をしたのか?最初の謎は、当初は軍人的功名心すら覗かせていた向こう見ずな軍人イーザリーが、後に彼自身を破滅に導いたと(世間一般的に)言われる「良心の呵責」を覚えた転向地点は、一体いつだったのか?ということです。

【断絶】
 四つのターニングポイントの内、まず一つ目として、全ての始まりである、イーザリーが直面した【断絶】に注視します。思いがけずイーザリーは、「他者との断絶」=「神の沈黙」と直面します。ヨブがそうであった様に、信頼していた神の沈黙、引いては思いもよらない"悪意"は、イーザリーの人生における「始まりの断然」に他なりません。
 僕は、それに該当すると思しき出来事は、二つあると捉えます。やがてはこれらの双方が絡み合い、彼を、功名の「英雄」ではなく、「一人の人間」に引きずり下ろす端緒になったと捉えます。
 一つは、三島由紀夫が、小説『美しい星』の中で描いた、広島への「原爆投下直後」です。これは、イーザリーに纏わる流説の中で、最も一般的なものです。イーザリーは、原爆投下直後、「離脱する軍用機のコクピットの中から、立ち昇るキノコ雲を目撃した」というものです。三島は小説の中で、「あの原爆投下者の発狂の原因」は、「痒みほどの苦痛もなかったこと」だったと述べています。罰せられてしかるべき罪を犯したはずなのに、ただ飴玉を口の中で転がすだけの平穏な時間が、何食わぬ顔で流れ続ける。その絶対的リアリズム=あるべき神の"空っぽ"を見てしまったことが、イーザリーに決定的な変革をもたらしたという説です。これは他ならぬ僕自身が、イーザリーという人物に引き寄せられるきっかけとなったものでもあります。
 これは、史実とは異なります。しかし、仮にもし、僕自身がクロード・イーザリーとして、原爆投下の瞬間に立ち会っていたと想像したならば。この瞬間、僕の中の"他者"に対する幻想は、音を立てて崩れ去ったに違いありません。自らの罪を、神が罰してくれるということ。それはつまり「この世界における誰かの"痛み"は、同時に僕自身にとっての"痛み"として、途切れることなく繋がっている」ということの、動かぬ証明となります。(想像の中の)彼は、ある意味においては、その時神が姿を現し、自らを裁くその瞬間の到来を、今か今かと待ち望んでいた。自らが犯してしまった罪によって生じた歪みが、厳然たる罰によって帳尻を合わせ、正常に戻ることを欲していたのです。しかし、神がおわすはずの場所に彼が見てしまったのは、文字通りの"空っぽ"だった。三島由紀夫が、半自伝的小説『仮面の告白』の中で、祭りの喧騒の中、汗まみれの男たちに担がれた神輿の中央に、六尺四方の空っぽの闇を幻視してしまった様に、この時イーザリーは、神のいない、"空っぽ"のコクピットに居合わせてしまった。問いを発しても、答えてくれる"他者"は、誰もいなかったのです。いわば、「"神"という物語はつまるところ、大いなる"虚無"のカモフラージュのことである。」という定理が、まるでナイフの様に、鼻先に突きつけられた瞬間。
 他者に何かを伝え、それを共に分かち合うことへの、拭い難い慕情があると、僕は冒頭に書きました。これは言うなれば、ある種の「テレパシー」に対する幻想として、民間信仰や土着の風習にその痕跡を辿ることができます。この幻想は、クリスチャンの家に育ったイーザリーにも当然あったはずです。
 このテレパシー幻想を描いた、顕著な例を挙げるならば。終末信仰をモチーフにした北欧映画『サクリファイス』(アンドレイ・タルコフスキー監督)です。この作品に、魔女によって捧げられた生贄と祈りが、第三次世界大戦を食い止めるという隠喩が出てきます。主人公の男が、自らにとって価値のあるもの(=家や貞操)を魔女に捧げ、その魔女が媒介となり、神とのとりなしを担うという世界観。人間の身代わりとなり、一身に祈りを捧げるシャーマンのイメージ。このイメージは、幼い頃から僕の脳裏にも棲みついていました。
 そのイメージの現像を辿ると、"ガイア"という女神信仰に行き着きます。未開人の"呪術"に対する捉え方を体系化した人類学者フレイザーの『金枝篇』にも、共同体内部の穢れを一身に背負って最後に「殺される」森の王が出てきます。つまり、生贄として捧げられるシャーマンは、人類にとって共通の「共同幻想」と捉えることが可能です。たとえ、そこに現実的な効果はなかったとしても、この様な物語が人類史において語り継がれてきたという事実は無視できません。誰かと「痛み」や「不幸」を分かち合うことで、人はまた、孤独の痛みから救われるのです。
 生前のクロード・イーザリーはある時、「広島から離脱するコクピットからキノコ雲を見下ろし、僕は愕然とした」と述べています。しかし、繰り返しますが、これは史実ではありません。当時のイーザリーはそもそも、原爆投下機であるエノラゲイ号を先導する"気象観測機"の機長であり、原爆投下を確認することなく任務を終え、帰路に着いたと言われています。ただ、先の発言が、イーザリーが故意に嘘をついた故のものだったと断定するのは早急です。当時の世界的な世論が彼のことを「アメリカの良心」と持て囃していた現状を鑑みれば。おそらくイーザリー自身が、その世論の求める"イーザリー像"に応えるべく、意図的でないにせよ、以後その幻視像を"もう一つの現実"としてみなす様になっていった可能性が高いでしょう。
 ただし、「原爆パイロットがそのコクピットからキノコ雲を見下ろし、神の"空っぽ"を見てしまった」という黙示録的光景は、あまりに強烈で、動かし難いイーザリー像として、人々の脳裏に焼き付いたことは否定できません。これはある意味、人々が潜在的に、その様な心象イメージを需要したからだと捉えることが可能です。見るべからざるものを見てしまった"原爆パイロット"の肖像。それは、女神"ガイア"の様に、僕らにとっての共同幻想だったのです。当時の人々、特に日本人が希求していたものであり、たとえ歴史的事実でなかったとしても、渇望された"真実"であったのです。
では、史実として、イーザリーが他者との関係から断ち切られた「始まりの断絶」は、一体いつだったのでしょう?僕はそれは、彼の妻が、彼との子供を流産した時点であったと捉えます。
 実は、広島での任務が終わって間もなく、イーザリーは自ら志願し、南太平洋のビキニ環礁における水爆実験(1946年)に参加しています(放射性降下物の調査)。
 その後、彼の妻は二度、お腹の子供を流産してしまいます。そして1947年の時点では、イーザリーは軍を退役し、市井の一市民となっていました。そして彼は、なんと退役軍人局を相手取り、"放射能汚染"を理由に、賠償請求を起こすという行動に出ます(1948年)。当時はまた、放射能による人体への影響が、今ほど解明・言及されていませんでした。訴訟事件の前に彼は、ヒロシマについて書かれた書物から、放射能が人体へ与える影響について知るところとなります。あるいはこの時初めて、他ならぬ自身の肉体が被曝している可能性を自覚するに至って、彼はようやく"当事者"となったのかも知れません。原爆後遺症が一般的には認知されていなかった当時、一勤め人(ガソリンスタンド従業員)として、妻を養う責任のあったイーザリーの孤独と苦悩は、どれ程のものだったでしょう。
 被曝し、全身を放射能に蝕まれた自己の発見。それは、信仰に厚き者にも関わらず、神の所業による皮膚病に苛まれる、あのヨブの姿を彷彿とさせます。『ヨブ記』と異なる点は、ヨブは始終、無垢なる者としての印象を読む者に与えていたのに対し、クロード•イーザリーのエピソードは、彼の英雄願望に重きが置かれていることを無視できない点です。
 あるいは、イーザリーの信仰は、神自身への信頼であると同時に、その神の威光を、自らが"英雄"の星の下に生まれた者であることへの"裏付け"として捉える意味が濃かったのではないでしょうか?
 これを、僕自身の体験に置き換えてみたい気持ちに駆られます。かつて、家族の中でひときわ存在感のあった祖母が、自分に愛情を注いでくれるのは、僕が祖母自身の孫であり、他ならぬ一家の長男だからだという意識。別の言い方をすれば、祖母の愛情は、僕の実存に対してではないのではないか、という、拭い難い自意識。
 僭越ながら、イーザリーの神に対する信仰は、これとよく似ていたのではないでしょうか?限りなくイーザリーに寄り添って捉えるならば。"英雄"としての将来を約束された彼を神は愛しており、彼の中にいる傷ついたインナーチャイルドは、彼自身の実存に神の愛が向けられていないのではないかという不安に、ずっと怯え続けていたのではないでしょうか?
 そして、"被曝者"としての自己の発見こそが、その恐れていた事実が、顕在化した瞬間だったのだとしたら。自らを承認してくれる神は不在であり、全ては野放図に"許されている"。この身も竦むほどの、暴力的なまでの"自由"。その自由を前にして、自らの運命を規定していたはずの存在を、イーザリーは見失ってしまった。そのことが、"特別"であるはずの自らの生が、路傍に転がる石ころと何ら変わることはないという認識へと、彼を導いてしまったのではないか。そして、その恐るべき虚無を直視しないために、何か(彼の場合、所属するアメリカ軍)を悪者に仕立て上げ、そこに憎しみを注ぐという行為は、一時的な対処療法として選び得ることに、何ら違和はありません。
 英雄の星の下に生まれたと信じていた者が、ある日突然"凡人"であることを告げられたとしたら。(仮に、先に挙げた僕と祖母の関係で例えるなら。ある日突然、僕が祖母と血の繋がらない子供であることを、祖母の口から宣告された様なものでしょう。幸いなことにその様なことを実体験することはありませんでしたが。)以上、二点挙げた始まりの"断絶"は、予期せぬ挫折という点で共通します。

清水正著『日野日出志を読む』の出版記念会。池袋「嵯峨」にて(2004年11月24日)
画面右より猫蔵・副島信太郎・日野日出志清水正・原孝夫

 

右より日野日出志清水正・猫蔵 (日野日出志の仕事場にて)

右より猫蔵・日野日出志・下原敏彦

日野日出志体験』を手に持つ日野日出志


猫蔵(プロフィール)

1979年我孫子市に生まれる。埼玉県大利根にて育つ。日本大学芸術学部文芸学科卒。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。見世物学会会員。日野日出志研究家。日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。単著に『日野日出志体験』(2007年 D文学研究会)、共著に『「ガロ」という時代』(2014年 創林社)がある。本名 栗原隆浩。

猫蔵の「生贄論」連載10

 

猫蔵『日野日出志体験』2007年九月 D文学研究会

 

清水正の著作、D文学研究会発行の著作に関する問い合わせは下記のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

■生贄論〜原罪と芸能〜 (連載10)

猫蔵

【ヨブへの答え】
 イーザリーが自らを重ね合わせた、イスカリオテのユダという男。「ユダの自死」は、聖書最大の悲劇であり、謎であるとされます。イエスはなぜ、ユダの「裏切り」と「破滅」の運命を知りながら、彼を弟子に加えたのでしょう?全能の神の子であるイエスは、全てを知っていたはずです。
 ここで『ヨブへの答え』の中での、ユングの指摘が想起されます。神は、一見"不完全"に見える人間の中に、神が未だ獲得し得ない"聖性"を見出し、それを獲得するためには、人間として受肉することをも厭いませんでした。
 悪名高き"ユダ"という人物に課せられた、特別な使命があったと考えるのは飛躍でしょうか。イエスは、裏切り者ユダ、この不完全で罪深き男の中に、他ならぬ"聖性"を見出したのです。それはつまり、一度ドブに棄てた大切なものを再び拾い直し、ゴシゴシと磨き上げるという様な、一見愚かしくも愛おしい、人間ゆえの習性のことだったに違いありません。師を銀貨30枚でローマ兵に売り渡し、その贖いに自ら首を吊ることを選んだ人物。その姿は、メシアとしての揺るぎない"確信"に満ちたイエスには、儚くも、ある種新鮮なものとして映ったと察せられます。そして、ユダの"それ"を手に入れるために、イエスはクロード•イーザリーとして再びこの世に受肉したのだとしたら。いや、ユングの『ヨブへの答え』を踏襲するなら。イーザリーに限らず、全ての「ヨブ的」人間が、等しくイエスの生まれ変わりであり、神の"一分子"であると解釈を広げることができます。
 そしてまた、イーザリーが自らをユダに重ね合わせていたということは。その終焉において、善悪の狭間で首を括ったユダの心理に寄り添う予感を、イーザリーは少なからず抱いていたのではないでしょうか。つまり、自らが傷付けた"他者"の痛みを、その何万分の1でも共有し、引き受けることに想いを馳せ、"祈る"こと。結論から言えばその一瞬にこそ、彼の魂の平穏は訪れたのではないでしょうか。
 この世の中には、"悪人"と呼ばれる人物や、利己主義者、無神論者とされる人々がいます。そして時として、そんな彼らさえ、"祈り"を捧げずにはいられない瞬間というものが訪れます。つまり、"信仰"を持たなかった者や、無自覚だった者が、"信仰"に目覚める瞬間というものがあります。この場合の"信仰"とは、特定の既存宗教に帰属するという意味に限りません。自らの理性を超えたより大きなものに身を委ねるという、広義の意味を指します。新約聖書には「幸いなるかな 心貧しき人。天国はかれらのものである」という一節が出てきます。我らがイーザリーもまた、その意味においては、その当初は、敵を始め、自らを取り巻く"他者"の屍の上に武勲を築かんとする一軍人でした。だからこそ、ユングが指摘した通り、そのあまりにも人間臭い不完全性ゆえ、(仮に神がいたとして)その神の目からは、全知全能である自らは決して持ち得ない人間らしさをもった人物として映ったに違いありません。

清水正著『日野日出志を読む』の出版記念会。池袋「嵯峨」にて(2004年11月24日)
画面右より猫蔵・副島信太郎・日野日出志清水正・原孝夫

 

右より日野日出志清水正・猫蔵 (日野日出志の仕事場にて)

右より猫蔵・日野日出志・下原敏彦

日野日出志体験』を手に持つ日野日出志


猫蔵(プロフィール)

1979年我孫子市に生まれる。埼玉県大利根にて育つ。日本大学芸術学部文芸学科卒。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。見世物学会会員。日野日出志研究家。日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。単著に『日野日出志体験』(2007年 D文学研究会)、共著に『「ガロ」という時代』(2014年 創林社)がある。本名 栗原隆浩。

猫蔵の「生贄論」連載9

 

猫蔵『日野日出志体験』2007年九月 D文学研究会

 

清水正の著作、D文学研究会発行の著作に関する問い合わせは下記のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

■生贄論〜原罪と芸能〜 (連載9)

猫蔵

【ヨブとイーザリー】
 イーザリーが、"神の沈黙"という究極のリアリズムに直面した、「20世紀のヨブ」であるのならば。彼はその人生において、いかに生きるべきなのか?
 彼は喉頭癌により、1978年に59歳でその生涯を終えます。(通説にある様に「苦悩の末に発狂死した」というのは史実ではありません。)晩年、奇妙な犯罪と精神病医への入退院を繰り返し、やがてマスコミに主張の矛盾を暴かれた後に、世間から完全に黙殺されたその最期から、あるいは、彼の人生にとうとう"救い"は訪れなかったのだと見なす向きもあるかも知れません。しかし、どの様な結末を迎えたにせよ、彼がいかなるものに自身の救いを見い出そうと足掻いたのか、注視したく思います。
 先に見た通り、『ヨブ記』の終盤においてヨブは、姿を現した神の前にただ平伏すしかありませんでした。僕は当初この箇所から、神の威光と教会への信仰を促すキリスト教会のプロパガンダを感じ、蛇足にすら感じていたと前述しました。しかし、この結末の多義性を好意的に解釈するならば。ヨブは、不条理そのものであった神をあえて「受け入れる」ことで、自身の心の平静を取り戻したと解釈することで腑に落ちます。逆説的に言えば、怒り狂う神をヨブ自らが「赦す」「受け入れる」ことによって、彼は再生の端緒を掴みます。
 イーザリーの場合も同様です。イーザリーは、たとえそれがほんの一時であっても、「原爆パイロット」である自らを受け入れ、その先に贖罪の途を模索した瞬間があったと考えられます。たとえばそれは、イーザリーに書簡を送った哲学者アンデルスの「アイヒマンと君(イーザリー)」「この二人は、今日という時代における、二つの両極をしめす実例」であるという言葉にも象徴されています。そしてアンデルスは、「もしも君(イーザリー)という人間が存在してくれなかったら、われわれは、今日のアイヒマン的時代に生きて、絶望を感ずるより他はない」と綴ります。(※アイヒマンナチスドイツにおける、ユダヤ人移送局長官。ホロコースト実行の最高責任者とされる。アメリカを始めとする連合軍に捕縛された後、「私は巨大な機構の中の"一本の小さなネジ"に過ぎなかった」「ヒトラーへの忠誠を誠実に実行したに過ぎなかった」と、自らの"良心"にかけて証言したとされます。)
 今一度、『ヨブ記』の結末に目を凝らしましょう。
そこに描かれていたのは、唐突ではあるものの、父なる神の降臨と、ヨブの"救い"という結末でした。この結末を指し、心理学者ユング は著者『ヨブへの答え』の中で、「ヨブ"こそが、旧約聖書新約聖書とを繋ぐキーパーソンとしての役割を果たした」と述べています。
 聖書と言えば、一般的には、旧約の神は「人間を罰する神」「父性的な不条理の神」という性質が色濃く、一方、新約の神によって遣わされた神の子イエスは、「母性的」「赦す者」であると言われます。ただ、旧約聖書新約聖書を通じて、"父なる神"はあくまで同一の存在であるとされています。しかし、同一の神であるにも関わらず、なぜこの様な変容が起きたのかという根強い論争が神学の世界にはあります。
 この問いにユングは、「人間ヨブが神の善性を上回った」ことにより、「神は人間の"水準"にまで追い着くことを志向したのだ」と言います。『ヨブ記』の結末においてヨブは、自らに対して理不尽な試練を与え続ける神の暗黒面を強烈に意識します。それは、神自身ですら気付いていないものでした。そして最終的にヨブは、神を"赦す"という選択をします。いわば、不条理の神によって受難する者に過ぎなかった孤独なヨブは、神自身の孤独を発見し、赦し、受け入れるという"実践者"へと自らをシフトします。
 この無意識を意識化するという行為において、ヨブは神に対し、「神自身が欠けているものを自覚するに至らしめた」と、ユングは神を精神分析します。その結果、ヨブに追い着く必要が生じた神は、ヨブの姿を下敷きに、やがて"人の子イエス"として地上に受肉するに至ります。神に"全能"を志向する性質がある以上、この人間との不均衡に目を瞑ることは不可能でしょう。(なお、この『ヨブへの答え』を発表した当時、ユングキリスト教会から「異端である」との非難を受けたと言われています。)
 イーザリーはアンデルスとの書簡の中で、自らを裏切り者ユダに重ね合わせていることは前述しました。「僕の手に入れる金が、それ以外の目的のため(例えば、イーザリー自身が、ハリウッドスターとして脚光を浴びること)に支払われたものであるとすれば、その金は、キリストを売ったイスカリオテのユダが受け取った三〇枚の銀貨と同じ様な意味しか持たないことになるだろう」と記しています。文中の"それ"とは、「僕がすべての人に対して負っている責任にふさわしい形で利用されること」を指します。つまり、少なくともこの書簡において彼は、自らが犯してしまった罪と向き合うことを自覚している様に読めます。確かに、ナチスアイヒマンとの対照を彼に自覚させ、苦悩する良心として焚き付けた原因の一端が、文通相手の反核派哲学者アンデルスや、当時の熱狂的な世論の一部にあったのかも知れません。ただ、イーザリーの中に、自らをユダに重ね合わせる感性があったのだとしたら。彼の中に、一片の悔いがあったと言うのは不可能なことでしょうか。

日野日出志体験』の表紙・背表紙



清水正著『日野日出志を読む』の出版記念会。池袋「嵯峨」にて(2004年11月24日)
画面右より猫蔵・副島信太郎・日野日出志清水正・原孝夫

 

右より日野日出志清水正・猫蔵 (日野日出志の仕事場にて)

右より猫蔵・日野日出志・下原敏彦

日野日出志体験』を手に持つ日野日出志


猫蔵(プロフィール)

1979年我孫子市に生まれる。埼玉県大利根にて育つ。日本大学芸術学部文芸学科卒。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。見世物学会会員。日野日出志研究家。日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。単著に『日野日出志体験』(2007年 D文学研究会)、共著に『「ガロ」という時代』(2014年 創林社)がある。本名 栗原隆浩。

猫蔵の「生贄論」連載8

 

猫蔵『日野日出志体験』2007年九月 D文学研究会

 

清水正の著作、D文学研究会発行の著作に関する問い合わせは下記のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください

 

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。


 

■生贄論〜原罪と芸能〜 (連載8)


猫蔵


【ユダとイーザリー】
 恩師イエスを裏切った弟子のユダが、木に首をくくって最期を遂げた姿を、ある時イーザリーは確かに、自らに重ね合わせています。1960年代当時、敬虔なクリスチャンの子として生を受けたアメリカ人が、自らを"ユダ"に例える言葉の重みはどれほどのものだったのでしょう?
 僕はこう推察します。この時の彼には少なからず、三島由紀夫が『美しい星』の中で書いた価値観、つまり「この世界は、ある一人が負った"痛み"に対して、その痛みが周辺に波及し、たとえ何万分の一でも、他の誰かと共有し得る世界であれ」という認識の一端が芽生えていたと。人間は決して「孤立した存在ではない」(それは神に対しても、また他者に対しても)ということを確信したいという想い。たとえその想いが、星条旗の"英雄"になれなかったことを穴埋めする、挫折に端を発していたとしても。やがて彼は、ある種の"プレッシャー"と共に生きていくことになります。
 戦争の時代。当初イーザリーは、国の"英雄"になりたかった。そして、戦争の時代に"英雄"になるということ。それはつまり、敵を始め、自らを取り巻く"他者"を踏みしだき、成り上がり、武勲を立てるということに他なりません。
しかし、武勲のために他者を踏みしだくという選択は、遠からず、他者との断絶を招くというジレンマを内包しています。それは、イーザリーの周囲の者たちが、彼を、抜け目のない軍国主義者と位置付け、敬遠し遠ざかっていくということ以上に、イーザリー自身もまた、他者を信じ、受け入れることが困難になっていくということです。戦争という長い慣習の末に、彼自身が、もはや疑う心抜きで誰かを信じることが困難になってしまったのです。
 若かりし頃のイーザリーは、果たして"軍の英雄"になることで、一体何を得ようとしたのでしょうか?人々の賞賛や、男としての名誉でしょうか?僕は思うのですが、その手に入れたものは果たして、イーザリー個人で完結し、誰かと分かち合う必要のないものだったのでしょうか?
 これは僕の推論ですが、少なくとも彼は、自らの手で守りぬいた平和を、究極的には他の誰かと分かち合いたかったのではないでしょうか?その誰かとは、例えば彼の妻や子供、友人、彼を慕う若い後輩たちなど。この"他者への慕情"という価値観こそが、彼の心を占めていた"軍の英雄"としての願望の、もっと底流に流れていたものだったのではないか?こう感じるのは、僕の甘ったれた感傷に過ぎないのでしょうか?
 「他者」と共有し得ない勝利に、一体どれだけの価値があるのでしょう?イーザリーは岐路に立たされます。再び、彼自身が他者との繋がりを取り戻すためには、一体どうすればよいのでしょう?それはやはり、「原爆パイロット」という、彼自身の業と向き合う以外に、突破口は見つかりそうにありません。

日野日出志体験』の表紙・背表紙



清水正著『日野日出志を読む』の出版記念会。池袋「嵯峨」にて(2004年11月24日)
画面右より猫蔵・副島信太郎・日野日出志清水正・原孝夫

 

右より日野日出志清水正・猫蔵 (日野日出志の仕事場にて)

右より猫蔵・日野日出志・下原敏彦

日野日出志体験』を手に持つ日野日出志


猫蔵(プロフィール)

1979年我孫子市に生まれる。埼玉県大利根にて育つ。日本大学芸術学部文芸学科卒。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。見世物学会会員。日野日出志研究家。日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。単著に『日野日出志体験』(2007年 D文学研究会)、共著に『「ガロ」という時代』(2014年 創林社)がある。本名 栗原隆浩。