モーパッサン『ベラミ』を読む(連載3) ──『罪と罰』と関連づけながら──

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

sites.google.com


お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作、レポートなどの問い合わせ、「Д文学通信」掲載記事・論文に関する感想などあればわたし宛のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください。

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

                清水正・画

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載3)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 『ベラミ』に戻ろう。引用は田辺貞之助(新潮世界文学22)に拠る。

 

  彼は生れつき男ぶりがよく、それに以前下士官をつとめたので、姿勢もしゃんとしていたから、ぐっと反り身になり、軍人風の慣れた手つきで髭をひねって、あとに残る客たちをすばやく、ぐるりと見まわした。まるで投網のようにパァーとひろがる、美男の独身者に独特の視線だった。

  女たちが彼のほうへ顔をあげた。小柄な三人の女工と、中年の音楽教師と、それは髪もろくにとかさず、身だしなみがわるく、いつも埃だらけの帽子をかぶり、だらしのない服を着ている女だったが、それから亭主同伴のふたりの細君。どれも一皿いくらのこの料理屋の常連だった。(291)

 

  作品の読み始めに主人公の名刺を渡されたようなもので、出だしの一行と、ここに引用した箇所で読者は主人公の名前と、容貌、日常生活のひとこまを与えられたことになる。『罪と罰』の登場人物たちの名前はそれぞれ意味を持っているが、『ベラミ』の主人公ジョルジュ・デュロワはどうなのであろうか。同時代人が読めばその名前だけで家柄、身分、また作者がこの名前にどのような特別の意味を与えているのか容易に想像つくものなのか知らないが、わたしは何の知識もないので、単に他者と区別する記号としての名前の域を一歩も出ない。とりあえず名前に関しては不問に付して先に進むことにしよう。 

 まず言えるのは、ここに引用した場面だけでもまるで映画を観ているように明確に映像が浮かんでくる。残念ながらジョルジュがどのような服装をしていたのか作者は記していないので、厳密に言えば明確ではない。漫画家であればこの美男の、おそらく長身の、おそらくスマートな主人公にどのような衣装を着せるだろうか。

 とりあえずこの引用箇所から思い浮かぶ事柄を書いていこう。ジョルジュがすわった椅子、そしてテーブルにはどのような食事が運ばれてきたのか。食事代を節約しなければならないほどに逼迫していたのなら、テーブルには安い一皿盛りの食事があったはずだ。それこそ五百円もしない粗末なものであったかも知れない。

 それにしても今気づいたが、この時点では朝食なのか昼食なのか、それとも夕食であったのか、時計時間が記されていない。分かることだけ見ておけば、ジョルジュの美男子ぶりはこの安レストランの常連にとって、ふだん見ることのできない珍客、すなわち安レストランには相応しくない客であったこと、従って常連客は食事中のジョルジュに対し、しょっちゅう不躾な好奇の眼差しを注いでいたと想像できる。

 もちろんジョルジュもそのことを知っていた、だからこそ勘定を終えたジョルジュはこれら観客席に向かってグリルと一回りしてさりげなく挨拶を交わしたということなのだろう。その時、ジョルジュの目にとまった観客たちの姿を、作者は客観的なカメラに映し出して読者に提供したというわけである。好奇の眼差しを向けている客の姿、顔つきを作者は冷静にアップまでして見せる。

 読者は、いつの間にか安レストランの一人の客の眼差しで〈美男子〉ジョルジュを眺めることになる。読者は確かにドラマ展開の外側に置かれたままだが、しかし同時に作品世界に参入していることも確かなのである。ジョルジュはもはや他人ではない。読者はジョルジュと同じ空気を吸ったり吐いたりする物語世界の中に、彼の同伴者として、あるいはジョルジュに同一化するようなかたちで潜り込むことに成功する。

 

 『罪と罰』を初めて読んだとき、わたしはロジオン・ラスコーリニコフと共に蒸し暑い夏のペテルブルクの街を歩き回り、彼の思いを自分の思いとしてうけとめ、彼と一緒に二人の女の頭上に斧を振り上げたものである。ロジオンの〈非凡人〉の思想をわたしはラスコーリニコフに代わって、彼よりも熱く語ることさえできた。同時にあの頃、〈おしまいになってしまった〉人間ポルフィーリイ予審判事が取り憑いて、わたしは彼以上に饒舌にラスコーリニコフの観念世界を語ることもできた。

 さてジョルジュ・デュロワだが、作者はこの男の額に彼の内心を隈無く映し出すカメラを設置していただろうか。安レストランの常連たちの姿態は、ジョルジュの眼差しがとらえたものにちがいないが、同時にそれ以上に作者が設置したカメラによって捉えられている。換言すれば、外的世界の事象は、ジョルジュの主観的眼差しを越えて客観性を保持しており、予感としてはジョルジュが狂気の世界に突入していくような、そういった肥大した観念を抱え持った人物には見えない。今のところジョルジュはしけた、プライドの高い青年だったらとうてい耐えられないような、安レストランの食事にも過度な不満は抱いていないようである。

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

www.youtube.com



大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。 

エデンの南 清水正コーナー

plaza.rakuten.co.jp

動画「清水正チャンネル」https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

お勧め動画池田大作氏の「人間革命」をとりあげ、ドストエフスキーの文学、ニーチェ永劫回帰アポロンディオニュソスベルグソンの時間論などを踏まえながら

人間のあるべき姿を検証する。人道主義ヒューマニズム)と宗教の問題。対話によって世界平和の実現とその維持は可能なのか。人道主義一神教的絶対主義は握手することが可能なのか。三回に分けて発信していますがぜひ最後までご覧ください。

www.youtube.com

 

www.youtube.com

www.youtube.com

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

f:id:shimizumasashi:20220130001701j:plain

表紙

f:id:shimizumasashi:20220130001732j:plain

目次

f:id:shimizumasashi:20220130001846j:plain

f:id:shimizumasashi:20220130001927j:plain

 

 

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

 

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載2) ──『罪と罰』と関連づけながら──

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

sites.google.com


お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作、レポートなどの問い合わせ、「Д文学通信」掲載記事・論文に関する感想などあればわたし宛のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください。

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

                清水正・画

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載2)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

罪と罰』では、わたしは〈1ルーブリ〉は〈1万円〉、〈1コペイカ〉は〈100円〉と見なした。一九九〇年~二〇二二年の今日まで大卒新入社員の給料は税込みで20万前後に落ち着いており、〈1ルーブリ=1万円〉と見なすと、マルメラードフの給料は23万4000円、マルメラードフがソーニャにせびった酒代が3000円となり、作品を読み進む上で実にしっくりとする。十九世紀フランス文学の場合、〈1フラン〉を〈500円〉〈1000円〉〈2000円〉などと見なすことができるそうで、これは換算基準をどこに置くかによって異なる。

 佐野栄一は「バルザックの時代の一フラン」という論文で「バルザックの時代、一フランの価値はいったいどのくいであったのだろうか。十九世紀のレアリスム小説、とりわけ『人間喜劇』を読む際、もし当時の一フランが現代のいくらくらいに当たるか見当がつかなければ、およそドラマは真の迫力に欠き、登場人物の心理にも十分感情移入できないだろう。『人間喜劇』では、しばしば金銭の問題がドラマの背景をなし、主要な細部を形成しているからである。この問題は、他の作家以上に、バルザックにおいては重要である」と書いている。

 佐野の指摘はまさにその通りで、バルザックの影響を多大に受けているドストエフスキーの場合も、作品解読の上で〈金銭〉は重要な位置を占めている。今回、わたしはモーパッサンの『ベラミ』で、〈金銭〉がどのような意味を持っているのかも視野に入れて読もうと思っているが、佐野は従来の〈1フラン=500円〉説に対して〈1フラン=1000円〉説を前面に押し出している。〈500円〉と〈1000円〉では二倍も違うが、さらに〈1フラン=2000円〉説もあるとなると、これはもう科学的論拠というよりは、文学作品を読む上でのセンスに重点がかかってくるように思える。たとえば『罪と罰』での〈1ルーブリ=1000円〉と見なす者もあるが、これだとマルメラードフの給料は二万四千円、マルメラードフがソーニャにせびった酒代は三百円となる。こんな非現実的な不自然な換算では『罪と罰』のリアリティは損なわれるだけである。バルザックモーパッサンの作品を同一次元で扱うことはできないだろうが、『ベラミ』の場合、とりあえず〈1フラン〉を現代日本の〈2000円〉と見なして読み進めていくことにしよう。

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

www.youtube.com



大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。 

エデンの南 清水正コーナー

plaza.rakuten.co.jp

動画「清水正チャンネル」https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

お勧め動画池田大作氏の「人間革命」をとりあげ、ドストエフスキーの文学、ニーチェ永劫回帰アポロンディオニュソスベルグソンの時間論などを踏まえながら

人間のあるべき姿を検証する。人道主義ヒューマニズム)と宗教の問題。対話によって世界平和の実現とその維持は可能なのか。人道主義一神教的絶対主義は握手することが可能なのか。三回に分けて発信していますがぜひ最後までご覧ください。

www.youtube.com

 

www.youtube.com

www.youtube.com

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

f:id:shimizumasashi:20220130001701j:plain

表紙

f:id:shimizumasashi:20220130001732j:plain

目次

f:id:shimizumasashi:20220130001846j:plain

f:id:shimizumasashi:20220130001927j:plain

 

 

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

 

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載1) ──『罪と罰』と関連づけながら──

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

sites.google.com


お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作、レポートなどの問い合わせ、「Д文学通信」掲載記事・論文に関する感想などあればわたし宛のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください。

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

                清水正・画

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載1)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 モーパッサンの『ベラミ』を読み始めて、わたしはすぐに『罪と罰』を思い浮かべた。「会計係の女から、百スー銀貨のつりを受けとると、ジョルジュ・デュロワはレストランを出た。」これが『ベラミ』の出だしの文である。『罪と罰』の出だしでは主人公の名前は明かされず、単に〈一人の青年〉と記されていた。舞台は十九世紀ロシアのペテルブルクだが、時は〈七月の初め〉と記されただけで西暦何年何月何日とは記されていない。わたしは『罪と罰』が「ロシア報知」に発表された一八六六年かまたはその前年の一八六五年の七月が作品舞台の時期として想定されていたと考えているが、作者は敢えて正確な日付を記さずに物語を展開していく。

 『罪と罰』では多くの人物たちが〈金勘定〉をしている。マルメラードフの告白によれば、実の娘ソーニャが最初の売春で稼いできたのは〈銀貨三十ルーブリ〉、イワン閣下の特別なはからいで役所に再就職できたマルメラードフに支払われた給料は〈二十三ルーブリ四十コペイカ〉である。因みに銀貨一ルーブリは紙幣一ルーブリの三.五倍の価値があったそうだから、紙幣価値に換算すればソーニャは初めての売春で百万以上の金を稼いだことになる。父親マルメラードフの一ヶ月の給料の四倍強の額ということになる。

    日本円に換算する場合は、一ルーブリを一万円と考えるといい。ロジオン・ラスコーリニコフの母親プリヘーリヤは夫の死後、女手一つで残された二人の子供(ロジオンとドゥーニャ)を育てるが、その経済的な支えは〈百二十ルーブリ〉の年金と年間の内職代二十ルーブリであった。ドゥーニャが住み込みの家庭教師で一年間に稼ぐのは〈二百ルーブリ〉、ドゥーニャがスヴィドリガイロフ家から前借りしたのは百ルーブリである。

 ロジオンが下宿の女将プラスコーヴィヤから借りていた金は百十五ルーブリ(この金額に関しては米川正夫訳で百五十ルーブリとなっていたので長いことそう思っていたが、原典にあたると百十五ルーブリであった)、ラズミーヒンはこの借用証書をチェバーロフ(プラスコーヴィヤの情人で事件屋)から十ルーブリで取り返している。マルメラードフがソーニャからもらった酒代は三十コペイカ、ロジオンが商家の女将から恵んでもらったのは二十コペイカ、ロジオンがマルメラードフの未亡人に与えた金は二十ルーブリ、スヴィドリガイロフがソーニャに与えた金は三千ルーブリ……。きりがないのでこの辺でやめておくが、高利貸しのアリョーナ婆さんやロジオンの母親プリヘーリヤや弁護士ルージンなどは年中頭の中で金勘定をしており、作者は面倒がらずに具体的にそれらの金額を書き記している。

 功利主義的な経済原則が幅をきかせていた時代、老いも若きもすべての人間が高利貸しの真似事をしていた時代とまで言われていた十九世紀ロシア中葉の人々にとって〈金銭〉は何よりも重要なものとして受け止められていた。金のない人間はゴミ同然の扱いで、たちまち社会から掃き出されてしまう。金がなければ出世街道のレールに乗ることはできない。未亡人プリヘーリヤが息子ロジオンをペテルブルク大学に入学させるためにどれほどの犠牲を自分と娘のドゥーニャに強いることになったか、少し残酷な想像力を働かせれば、彼女たちの自己犠牲は悲惨そのものである。

 ロジオンはようやく念願のペテルブルク大学法学部に入学したものの、学費未納で除籍処分を甘受しなければならなかった。唯一の親友ラズミーヒンは復学を目指して頑張っているが、ロジオンは二人の女を殺したことで復学どころか社会そのものから絶縁されてしまった。ロジオンがアリョーナ婆さんを殺して奪った金品は、彼の未来の計画のために使われることはなかった。

 『ベラミ』の主人公ジョルジュ・デュロワは〈百スー銀貨のつり〉を受け取っているが、作者はその〈つり〉がいくらだったのか記していない。同時代の読者は、安レストランでの食事料金などいちいち提示されなくても容易に想像できるだろうが、百年後の異国の読者にはそもそも〈百スー銀貨〉の価値がわからない。現代の日本円で千円なのか一万円なのか、頭の中で具体的に換算しないと、この主人公の生活をリアルにとらえることができない。ネットで検索してバルザックユゴーの作品に関して次のようなことが分かった。

 

1フラン=1000円と見た場合

1スー=50円(20スーで1フラン)

1サンチーム=10円(100サンチームで1フラン)

 

1エキュ=3000円(3フラン)

1ルイ=20000円(20フラン)

 

銀貨

1/4フラン(25サンチーム、5スー) 1/2フラン(50サンチーム、10スー) 1フラン 2フラン 5フラン(1878年発行停止)

金貨

5フラン(1869年に発行停止)20フラン 40フラン

 

2万フラン=2千万

ジャン・バルジャンの財産 200万フラン=20億円

 

 これだと〈百スー銀貨〉が存在したのかどうか分からない。が、〈20スー〉が〈1フラン〉ということであるから、〈5フラン金貨〉〈5フラン銀貨〉が価値的には〈百スー銀貨〉と等しいことになる。ジョルジュ・デュロワは〈百スー銀貨=5フラン銀貨または金貨〉を払ってお釣りをもらっているわけだが、この額が記されていないので、彼が安レストランで食事代にいくら費やしたのかは分からない。こんなことはどうでもいいように感じもするが、しかし作者モーパッサンが『ベラミ』の書き出しに〈百スー銀貨〉と記しているのであるから、この金額がジョルジュ・デュロワにとっても重要な意味を持っていたことになろう。

 ※はたして〈百スー銀貨〉は存在したのか。疑問をはらすべく、岩崎純一氏に『ベラミ』の出だしの一行を原典に当たってもらうことにした。さっそくメールが届いた。原文は「Quand la caissiere lui eut rendu la monnaie de sa piece de cent sous, Georges Duroy sortit du restaurant.」、岩崎氏の直訳は「勘定係が彼に、彼が出した100スー分の金額にあたる硬貨一枚に対する釣銭を返すと、ジョルジュ・デュロワはレストランを去った。」である。この岩崎氏の直訳で〈百スー銀貨〉の謎はたちまち解けた。ネットでの調査も参考にすれば、要するに〈百スー銀貨〉は存在しない。従って田辺貞之助訳〈百スー銀貨〉、中村光夫訳〈百スウ銀貨〉は正しくないということになる。原文は〈100スー分の金額にあたる硬貨一枚〉であるから、木村庄三郎訳〈五フラン金貨〉も〈金貨〉と特定しているので正しくない。杉捷夫訳〈百スーの銀貨〉は〈百スー(分)の銀貨〉と読めないこともないが、しかし彼も〈銀貨〉と特定しているので正しくはない。当時、五フランは〈金貨〉と〈銀貨〉が流通しており、作者がどちらかとも特定していないのであるから、やはりここは〈百スー分の五フラン硬貨〉と訳さなければならないだろう。

 ジョルジュが勘定係に出した一枚の硬貨が〈五フラン金貨〉であったのか、それとも〈五フラン銀貨〉であったのかは、〈読み〉の問題、すなわち批評の側の問題であって、訳は原文に忠実に〈硬貨〉でなければならないだろう。もっとも、当時のフランス人が〈五フラン金貨〉や〈五フラン銀貨〉を通常の生活において〈百スー銀貨〉とも称していたとすれば、〈100スー分の金額にあたる硬貨一枚〉を〈百スー銀貨〉〈五フラン金貨〉と訳しても絶対的に正しくないとは言い切れないことになる。ここに翻訳の厄介さも面白さもあるということで、とりあえず先に進むことにしよう。

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

www.youtube.com



大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。 

エデンの南 清水正コーナー

plaza.rakuten.co.jp

動画「清水正チャンネル」https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

お勧め動画池田大作氏の「人間革命」をとりあげ、ドストエフスキーの文学、ニーチェ永劫回帰アポロンディオニュソスベルグソンの時間論などを踏まえながら

人間のあるべき姿を検証する。人道主義ヒューマニズム)と宗教の問題。対話によって世界平和の実現とその維持は可能なのか。人道主義一神教的絶対主義は握手することが可能なのか。三回に分けて発信していますがぜひ最後までご覧ください。

www.youtube.com

 

www.youtube.com

www.youtube.com

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

f:id:shimizumasashi:20220130001701j:plain

表紙

f:id:shimizumasashi:20220130001732j:plain

目次

f:id:shimizumasashi:20220130001846j:plain

f:id:shimizumasashi:20220130001927j:plain

 

 

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

 

随想 空即空(連載5) 正宗白鳥恐るべし(4)

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

sites.google.com


お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作、レポートなどの問い合わせ、「Д文学通信」掲載記事・論文に関する感想などあればわたし宛のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください。

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

                清水正・画

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

随想 空即空(連載5)

正宗白鳥恐るべし(4)

 小林秀雄ドストエフスキー研究から離れた理由としてキリスト教がわからなかったと言っている。小林秀雄は『罪と罰』論で、ポルフィーリイ予審判事の眼差しに立たなければ作品世界を理解することはできないと書いたが、論の最後に「すべて信仰によらぬことは罪なり」というパウロの言葉を引いている。わたしはここに小林秀雄の信仰に対する曖昧さと、それを凝視することのなかった自己欺瞞を見た。

 ポルフィーリイは二人の女を斧で叩き殺したロジオンに向かって「あなたは太陽であり、太陽は太陽らしくしなさい」とか、「いつまで五十カペイカ並の分別にとどまっているのか。いきなり飛び込んでしまいなさい。そうすれば向こう岸へたどりつくことができますよ」とかいった預言者風の言葉を発している。分別を捨てて、キリストの言葉に従えば、救われるというような意味の言葉を発しているこの予審判事は、ロジオンに「いったいおまえは何なのだ」と問われて、「わたしはすっかりおしまいになってしまった人間だ」と答えている。なぜ、〈すっかりおしまいになってしまった人間〉が、殺人を犯して、その犯罪に〈罪〉(грех)意識を覚えることのなかったロジオンを〈太陽〉に例えたり、救いの途を指示したりできるのか。

 わたしには突っ込みどころ満載のポルフィーリイ予審判事に対して、小林秀雄はなんら疑問の眼差しを向けることがなかった。ドストエフスキーは『罪と罰』のエピローグで、殺人者ロジオン、罪意識に遂におそわれることのなかったロジオンを復活の曙光に輝かせる。「思弁の代わりに命(жизнь)が到来した」と書いて、作者はロジオンの復活を保証する。それでは「すべて信仰によらぬことは罪なり」、このロマ書からの言葉を引いた小林秀雄はどうなのか、ということが問われるだろう。小林秀雄パウロと同じく決定的な〈回心〉を体験していないのであれば、この引用こそ罪深いレトリックとなろう。

 『罪と罰』は真剣に、真摯に、自分の実存を賭けて読まなければ何の意味もない。小林秀雄は〈すっかりおしまいになってしまった人間〉の〈信仰〉を、レトリックで誤魔化してはならなかったのだ。晩年の小林秀雄が用意した答えは「キリスト教が分からなかった」であるが、もちろんその内実をしっかり書かなければそんな〈批評〉などどうでもいい、ということになろう。正宗白鳥小林秀雄に向けられた言葉と〈笑声〉は、小林秀雄ドストエフスキーに関わる姿勢そのものに向けられていたと解することができる。正宗白鳥恐るべし、である。

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

www.youtube.com



大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。 

エデンの南 清水正コーナー

plaza.rakuten.co.jp

動画「清水正チャンネル」https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

お勧め動画池田大作氏の「人間革命」をとりあげ、ドストエフスキーの文学、ニーチェ永劫回帰アポロンディオニュソスベルグソンの時間論などを踏まえながら

人間のあるべき姿を検証する。人道主義ヒューマニズム)と宗教の問題。対話によって世界平和の実現とその維持は可能なのか。人道主義一神教的絶対主義は握手することが可能なのか。三回に分けて発信していますがぜひ最後までご覧ください。

www.youtube.com

 

www.youtube.com

www.youtube.com

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

f:id:shimizumasashi:20220130001701j:plain

表紙

f:id:shimizumasashi:20220130001732j:plain

目次

f:id:shimizumasashi:20220130001846j:plain

f:id:shimizumasashi:20220130001927j:plain

 

 

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

 

有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲) 随想 空即空(連載4)

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

sites.google.com


お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作、レポートなどの問い合わせ、「Д文学通信」掲載記事・論文に関する感想などあればわたし宛のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください。

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

                清水正・画

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

随想 空即空(連載4)

正宗白鳥恐るべし(3)

 白鳥は「自分で心酔するとか、何か意味を認める者を、一人でも見つけたらそいつをどこまでも研究すればいい」と言っている。しかし、続けて「そいつは見つからない。見つからないというより、見つけないんだけど」とも言っている。一筋縄ではいかないというか、天の邪鬼な、癖のある言い方だ。白鳥は藤村の生き方を認め評価しているのだから、島崎藤村研究を本格的に始めればいいと思うが、当人はその気にはならないらしい。それなら、藤村にも大きな影響を与えたドストエフスキーに取り組めばいいようなものの、その気もないらしい。

 小林秀雄に向かって「キミはドストエフスキイを……」と言っているのも面白い。正直に言えば、白鳥だって一度ぐらいは生涯をかけてドストエフスキー研究をしようと思ったことがあるのではないか。白鳥は「僕は文学なんかどうでもいい」と言っている。白鳥が白鳥自身の〈文学〉について言っているのならまあいいだろう。しかし白鳥はドストエフスキーの文学を前にして「文学なんかどうでもいい」とは言えないだろう。白鳥は「人間の生きる悩み、どうして生きるか。この世に人類というものが発生した苦労だな。そういうようなところに、いつも惹かれるんだな」と言っているではないか。ドストエフスキーの文学はまさに白鳥が惹かれる〈人間の生きる悩み〉を徹底して問題にした小説家ではないか。

 もし白鳥が「ドストエフスキーの文学なんかどうでもいい」と言っていたなら、こんな面白い発言はなかっただろう。なにしろ相手はドストエフスキー研究に命がけで取り組むもうとしている小林秀雄なのだから。それにしてもなぜ小林秀雄は「僕は文学なんかどうでもいい」というどうでもよくない言葉に突っ込みを入れずにすましているのか。これではとうてい対等の立場での対談とは言えないだろう。「キミはドストエフスキイを……」この白鳥の言葉は、横綱が幕下相手に軽くいなしているような感じすらある。同時に、白鳥がいかにドストエフスキーと深く関わっていたかを暗示する言葉でもある。

 白鳥は「それは一生かかってやるような大きなものだからな。――一生かかってやって、最後に、つまらんということになるかも知らんけどな」と言ってその後、笑っている。小林も「そう言っちまっちゃ……。あなたはすぐ身も蓋もないところに話を持って行く。話のつぎ穂がないですよ」と言って笑っている。

 両者の〈笑声〉は次元を異にしている。白鳥はドストエフスキー研究は一生かけてやるものだという、その重大さを分かって笑っている。小林秀雄は未だ白鳥の言っていることを本当には分かっていない。まして「つまらんことになるかも知らん」ことを分かっていたわけではない。そもそもドストエフスキーを研究したもので、〈つまらんこと〉にまで達した者はいないだろう。白鳥は〈西洋崇拝者〉として、〈翻訳人間〉としてドストエフスキー文学の偉大さを思い知っていただろう。だからこそ、一生かけてやらなければならないことも分かっていた。しかし白鳥は〈西洋崇拝者〉であって同時に、紛れのない日本人であることを自覚していた。日本人はどうあがいても西洋人にはなれない。結局、日本人は一生かけてドストエフスキーを研究しても、ドストエフスキーを真に理解することはできない。白鳥には白鳥なりに結論が見えていたと言うべきか。

 これからドストエフスキー研究に打ち込もうとしていた小林秀雄には返す言葉がない。小林は白鳥の〈笑声〉に〈笑声〉で返すしかなかったが、このときの小林秀雄にはドストエフスキーが生涯苦しんできたという神の問題に未だ直面してはいなかった。青年期にキリスト教に入信し、後に棄教したが、それでも執拗に聖書を読み続けていた〈日本人〉白鳥のドストエフスキー観は深い沈黙を介してでなければ語れなかっただろう。白鳥の〈笑声〉は、ここで白鳥が発している自虐とも諦めとも皮肉ともとれる言葉をはるかに超えて重く響いてくる。生まれたときから仏教の影響を自然に受けて育ってきた日本人が、聖書を読んで彼らの帰依する神を受け入れることは困難を極める。

 アクセサリーとして首に十字架を掛け、結婚式にキリスト教会を利用する者、キリスト教のなんたるかも真剣に考えたことのない者がキリスト者になりすましているのではない。キリスト者はキリストの言葉に従い、自らの十字架を背負わなければならない。白鳥はキリスト教を大まじめに考え、実践しようとして実践仕切れなかった無念を抱え〈文学〉に従事してきたが、そんな〈文学〉などはどうでもいいという精一杯の開き直りに生きていたと言えようか。

 

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

www.youtube.com



大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。 

エデンの南 清水正コーナー

plaza.rakuten.co.jp

動画「清水正チャンネル」https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

お勧め動画池田大作氏の「人間革命」をとりあげ、ドストエフスキーの文学、ニーチェ永劫回帰アポロンディオニュソスベルグソンの時間論などを踏まえながら

人間のあるべき姿を検証する。人道主義ヒューマニズム)と宗教の問題。対話によって世界平和の実現とその維持は可能なのか。人道主義一神教的絶対主義は握手することが可能なのか。三回に分けて発信していますがぜひ最後までご覧ください。

www.youtube.com

 

www.youtube.com

www.youtube.com

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

f:id:shimizumasashi:20220130001701j:plain

表紙

f:id:shimizumasashi:20220130001732j:plain

目次

f:id:shimizumasashi:20220130001846j:plain

f:id:shimizumasashi:20220130001927j:plain

 

 

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

 

随想 空即空(連載3) 正宗白鳥恐るべし(2)

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

sites.google.com


お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作、レポートなどの問い合わせ、「Д文学通信」掲載記事・論文に関する感想などあればわたし宛のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください。

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

                清水正・画

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

随想 空即空(連載3)

正宗白鳥恐るべし(2)

 白鳥は語る。引用は『小林秀雄対話集』(講談社文芸文庫 二〇〇五年五月)に拠る。

 

  文学って、それは何か知らんけどな、僕はまあ、ヤソなんかに入ったこともあったが、僕は文学なんかどうでもいい。人間の生きる悩み、どうして生きるか。この世に人類というものが発生した苦労だな。そういうようなところに、いつも惹かれるんだな。それたからドストエフスキイなんかも言うわけだけども、そういう意味で藤村を第一とするんだ。藤村は小説はヘタだけども、いかにして生きるか、どうかして生きたいということをよく呟いている。それで一生懸命に生きようとしている。あれは救いのない生涯を終った人だけどな。何か、つらいというものをしみじみと見て、人に知れない悩みを持ってた人のように思えるんたな。そういうところに共鳴するんですよ。文学なんていうものは、第二義のもので……。(52)

 

 ――僕は子供の時分から西洋崇拝ですよ。(中略)翻訳的人物だね。翻訳人です。ところが、争われないもので、いくら翻訳したって、日本人は日本人だな。僕は青年時代に、キリスト教に入ったけども、僕の根底には仏教がある。それは仕方がない。人間いくつになったって、日本人が西洋人になる筈はない。けども、僕は終始一貫、西洋崇拝といってもいい。(59~60)

 

 もう一カ所、引用しておこう。

 

 正宗 僕なんか、いつも、自分で心酔するとか、何か意味を認める者を、一人で見つけたらそいつをどこまでも研究すればいい、ということを思うけどそいつは見つからない。見つからないというより、見つけないんだけど。キミはドストエフスキイを……。

 小林 ええ、やろうと思っているんです。

 正宗 それは一生かかってやるような大きなものだからな。――一生かかってやって、最後に、つまらんということになるかも知らんけどな。(笑声)

 小林 そう言っちまっちゃ……。あなたはすぐ身も蓋もないところに話を持って行く。話のつぎ穂がないですよ。(笑声)(77)

 

 この対談は昭和二十三年(一九四八)に行われている。わたしは昭和二十四年生まれで今年七十三歳、白鳥は一八七九年生まれであるから対談時六十九歳ということになる。

 対談なので大ざっぱなことしか分からないが、白鳥が言わんとすることは分かる。ドストエフスキーにとって文学は人間の神秘を解くことであったが、くだけた風に言えば要するに「人間とは何か」を徹底して追究することであった。だから白鳥の言わんとすることは、ドストエフスキーと同じである。ただしドストエフスキーは白鳥のように「僕は文学なんかどうでもいい」とは言わない。ドストエフスキーにとって文学は神に立ち向かう人間探求と直結しているので、文学創造はかけがえのない仕事である。

    白鳥がなぜことさら「文学などどうでもいい」と言っているのかわからないが、しかしわたしはこういった物言いが嫌いではない。白鳥が文学よりキリスト教に重きをおいていたことの一つの証でもあろう。ここには白鳥の屈折した思いを感じる。西洋崇拝者で、青年期にキリスト教に入信した翻訳人間が、しかし「僕の根底には仏教がある」と言い切っている。しかも白鳥は「人間いくつになったって、日本人が西洋人になる筈はない」と言いながら、最後にはキリスト教徒として息を引き取っている。ここには大いなる問題が潜んでいて軽々しい言い方は控えようと思うが、それにしても事実はどうだったのかという疑問は残る。死ぬ前に自分の確固たる意志でキリスト教に再び入信したのか。それとも死後、そのように配慮した者があったのか。

 今、手元に何の資料もないので確かなことは言えないが、明治生まれの一人の日本の小説家が、「文学などどうでもいい」と対談の席で公言しながら、しかし筆を折ることはせず、キリスト教から一度は離れて「僕の根底には仏教がある」と言って、最後にはキリスト教に帰るというのは、なんとも面白い運命である。こんな面白い矛盾の人生を生きた白鳥の小説や評論を特に読んでみようとは思わないが、彼の人生は検証してみたい気持ちにさせられる。しかし、白鳥の人生を探るには、結局彼の「どうでもいい」文学にあたらなければならないとすれば、それも面倒なことだ。

 小林秀雄ドストエフスキーの文学以上に、ドストエフスキーの実生活に関心を抱いた批評家と言えるが、白鳥に対しても彼が自分で言う「どうでもいい」文学よりも、白鳥の実生活や人柄、思想に関心を抱いていたのだろう。それにしてもこの対談で白鳥のキリスト教に対する具体的な思い、入信と背信の問題に関して何ら取り上げられてはいない。おそらく訊かれても、白鳥が口を割ることはなかったとは思うが。

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

www.youtube.com



大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。 

エデンの南 清水正コーナー

plaza.rakuten.co.jp

動画「清水正チャンネル」https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

お勧め動画池田大作氏の「人間革命」をとりあげ、ドストエフスキーの文学、ニーチェ永劫回帰アポロンディオニュソスベルグソンの時間論などを踏まえながら

人間のあるべき姿を検証する。人道主義ヒューマニズム)と宗教の問題。対話によって世界平和の実現とその維持は可能なのか。人道主義一神教的絶対主義は握手することが可能なのか。三回に分けて発信していますがぜひ最後までご覧ください。

www.youtube.com

 

www.youtube.com

www.youtube.com

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

f:id:shimizumasashi:20220130001701j:plain

表紙

f:id:shimizumasashi:20220130001732j:plain

目次

f:id:shimizumasashi:20220130001846j:plain

f:id:shimizumasashi:20220130001927j:plain

 

 

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

 

随想 空即空(連載2) 正宗白鳥恐るべし(1)

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

sites.google.com


お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作、レポートなどの問い合わせ、「Д文学通信」掲載記事・論文に関する感想などあればわたし宛のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください。

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

                清水正・画

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

随想 空即空(連載2)

正宗白鳥恐るべし(1)

 別に戦争が起こらなくても、所詮人生は空しいものだという思いが強い。善も悪も絶対的な根拠がなく、すべては相対的だと思うようになったのは十代の半ば頃だが、それ以来、何事に関してもクールな気分がつきまとっている。それにしても、結局人間は自らの死を甘受しなければならないが、望みもしない戦場に送られて、何の恨みもない人間を殺したり、殺されたりすることは余りにも馬鹿げている。

 先日久しぶりに小林秀雄の対話集を読んだ。何十年かぶりだが、今回は特に正宗白鳥との対談「大作家論」が面白かった。白鳥は若い頃、キリスト教に入信していたそうだが、途中で無神論者になり、最後に再びキリスト教徒として息を引き取ったそうだ。対談で、信仰に関して具体的なことは何一つ語られていないが、こと信仰に関してはペラペラ理屈を並べても仕方がないと思っているので、沈黙のほうがはるかに胸に響くものがある。

 日本人として生まれ育った者が、青年期に聖書を読んだぐらいで、はたしてキリスト教に帰依できるものなのか、わたしはいつも疑問に思っている。わたしはドストエフスキーの文学を通してキリスト教やキリストについていろいろと思うところがあるが、キリスト教に入信しようと思ったことはない。わたしは熱心な仏教徒になろうと思ったこともないが、生まれた時から仏教の儀礼に順応して、そこからあえて脱しようとも思わない。いい加減と言えばいい加減だが、このいい加減に素朴に従って生きている。

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

www.youtube.com



大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。 

エデンの南 清水正コーナー

plaza.rakuten.co.jp

動画「清水正チャンネル」https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

お勧め動画池田大作氏の「人間革命」をとりあげ、ドストエフスキーの文学、ニーチェ永劫回帰アポロンディオニュソスベルグソンの時間論などを踏まえながら

人間のあるべき姿を検証する。人道主義ヒューマニズム)と宗教の問題。対話によって世界平和の実現とその維持は可能なのか。人道主義一神教的絶対主義は握手することが可能なのか。三回に分けて発信していますがぜひ最後までご覧ください。

www.youtube.com

 

www.youtube.com

www.youtube.com

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

f:id:shimizumasashi:20220130001701j:plain

表紙

f:id:shimizumasashi:20220130001732j:plain

目次

f:id:shimizumasashi:20220130001846j:plain

f:id:shimizumasashi:20220130001927j:plain

 

 

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。