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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)
随想 空即空(連載119)内村鑑三の不敬事件を巡って#ドストエフスキー&清水正ブログ#
内村鑑三の〈不敬事件〉はキリスト教徒の究極の覚悟を試される絶好の事件であった。植村正久は〈影像の敬礼〉や〈勅語の拝礼〉などは児戯に類することで、それは憲法、法律、教育令にもない、ただ当局者の痴愚なる、頭脳の妄想より生起したもので、こういった習俗は一掃すべきだと断言している。植村は「万王の王なる基督の肖像にすら礼拝することを好まず」、「上帝の啓示する聖書に対して、低頭礼拝することを不可とす」と書いている。植村は〈新教徒〉として、同時に〈皇上に忠良なる日本国民〉として、御真影礼拝や勅語礼拝を断固として否定している。植村の主張に迷いはなく、理路整然としている。ところで、植村は究極の二者択一の場(現人神かキリスト教の神か)に追い込まれたときにはどちらを選択するのであろうか。
植村正久は最初に「今日はネロの時にあらず、またテオクリシアンの代にあらず。ゆえにキリスト教徒は幸いにして迫害に遭うの恐れなきことを得」と書いている。確かに当時の日本においてキリスト教徒は決定的な迫害に遭ってはいない。しかし鑑三の〈不敬事件〉は、すでに天皇を頂点とした国家体制にとってキリスト教徒が危険分子と見なされた一つの揺るぎない証でもある。よほど暢気な者を別として、唯一神を信奉するキリスト教徒なら誰しもが鑑三の〈不敬事件〉に我が身の危険が迫っていることを感じたはずである。鑑三が勅語を前にしてしっかりした礼拝をしなかったことで、同僚や学生、延いては世間からも激しく非難罵倒され、結局は職を辞さなければならなかったこと、これは一種の迫害である。ネロの時にあっては処刑など容赦のない迫害が繰り返されたが、鑑三が〈不敬事件〉で職を奪われたことは昭代における一種の〈処刑〉と言っても過言ではない。時代は、見ようによっては些末な事ですら弾圧・迫害の材料にできる、そういった国家体制が築かれつつあったのである。
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