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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)
随想 空即空(連載117)内村鑑三の不敬事件を巡って#ドストエフスキー&清水正ブログ#
当日、意図的に欠勤した同僚もいたが、彼らは勅語礼拝式の空気を予め察して、穏当な判断に従ったということであろう。鑑三には日本人が生来的に身につけている空気を読んで柔軟に身を処することができない。無粋で不器用で自己主張が強い鑑三は、何か事が起きるたびに多くの敵を作ってしまう。鑑三が決定的な破綻を免れたのは、何人か少数の者が彼の援護をしてくれたからである。だが、それ以上に考えられるのは、鑑三の曖昧、優柔不断な態度そのものである。要するに鑑三は〈不敬〉事件において、最初から最後まで曖昧な姿勢にとどまった。
鑑三は堂々とみんなの前で〈偶像崇拝〉を拒んだわけではない。もし、この態度を一貫すれば、現人神天皇を奉ずる日本において決定的なダメージを受けたであろう。〈躊躇〉の後に、礼拝を認めた鑑三の態度はキリスト教徒たちの反感を買うことになったが、しかしそのほうが国賊と罵られるよりはましであったろう。中途半端な態度によって鑑三は生き延びた。この事件によって鑑三は病気になり、また愛妻を失うことになるのだが、この災厄は彼自身が招き込んだとさえ言える。
先に引用した植村正久の文章は一読して穏当な印象を受ける。彼がキリスト教徒でなければ、見識のある一日本人の意見として率直に受け止めることができる。もし鑑三がキリスト教徒でなければ、勅語を前にした礼拝躊躇も大事にはならなかったかもしれない。しかし現に鑑三はキリスト教徒として知られており、彼の躊躇は、天皇よりもキリスト教の神をとったことを意味していた。鑑三の曖昧な態度は国粋主義者でなくても反感を覚えるものであろう。
勅語に礼拝しなかった、いや少しは頭を下げたなど、細かいことを言えばきりがない。要するに鑑三はキリスト教徒として躊躇したことに間違いはなく、彼はその〈躊躇〉の意味するところを深く内省すべきだった。
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