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番場恭治氏の「小沼文彦氏が校正したドストエフスキー全集」を三回にわたって連載します。(連載1)

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番場恭治氏の「小沼文彦氏が校正したドストエフスキー全集」を三回にわたって連載します。

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小沼文彦氏が自ら校正したドストエフスキー全集

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小沼文彦氏(1986年11月14日、江古田「和田屋」にて)

小沼文彦氏が校正したドストエフスキー全集(連載1)

番場恭治

 

 ロシア文学者の故・小沼文彦氏が自ら校正したドストエフスキー全集(筑摩書房)を、東京・神保町の田村書店で購入した。今年七月中旬、東京五輪パラリンピックが始まる直前の時期のことだ。全集を補う『ドストエフスキー未公刊ノート』とセットで計二十万円もしたので当初買うつもりはなかったが、興味本位で見せてもらった。試しに第六巻『罪と罰』を手に取ると、表紙は手あかで汚れ茶色く、少し臭いもした。ページをめくると、赤や青、緑、黄色の鉛筆を使って、びっしりと校正した跡がある。名前しか知らなかった訳者の息づかいが伝わってくる気がした。田村書店の方から「世界で一セットしかない全集ですよ」と耳打ちされた。ちょうどボーナスの時期だったこともあり、所有していた筑摩書房ドストエフスキー全集を買い取ってもらい、差額を払う形でこの校正本を購入した。

 おそらく再版の際に翻訳の正確さを期すため、あらためて校正をしたのだろう。手書きのメモがはさんであり、登場人物の名前のほか、地名や動物といった特定の単語の翻訳に誤りがないかどうかを調べていたことがわかる。「いきなり」や「不意に」といった似た意味の副詞を黄色く塗ってチェックしていた。既に刊行した全集だったためか、翻訳を大幅にあらためるわけではなく、修正は最小限にとどめたようだ。

 小沼氏は一九一六年つまり大正五年生まれ。もし生きていれば百五歳になっている。在野でロシア文学の研究を続けた自身について詳しく語らないまま八十二歳で死去した。経歴をネットで調べても、ユダヤ人へのビザ発給で知られる杉原千畝の義弟に当たるというようなことがウィキペディアに書いてある程度だ。ただ、残された文献や関係者の証言を総合すると、小沼氏はソ連による収容所での抑留体験、晩年のてんかん発症といったドストエフスキーを彷彿させるような経験もしていた。

 清水正先生は大学生のころ週に一度のペースで小沼氏のもと訪れていた時期がある。今年5月に刊行した『清水正ドストエフスキー論全集11』で「とにかく小沼氏は裏表のある性格で、嫉妬や憎悪の感情も激しく、怒りの発作に襲われると自分でも感情のコントロールができずにしょっちゅう苦しんでいた」と興味深い人物像を紹介している。

 今年はドストエフスキー生誕二百年にあたる。小沼氏が全集の刊行を終えてから三十年でもある。校正本を入手したのをきっかけに、小沼氏の生涯について簡単にまとめてみようという気になった。私自身が通信社で外国語と格闘する仕事をしてきたことも、著名な翻訳者への関心につながっている。小沼氏は若いころ、米川正夫をはじめロシア文学の先達に批判的な文章も雑誌に書いていた。今の時代、同じ分野の研究者に向けた舌鋒鋭い文章を目にすることは滅多にない。日本の学会の問題点を突いている分析でもあり、引用が長くなっても紹介しておきたいと思った。清水先生の論文には小沼氏との交流がたびたび登場するが、若い学生にとって過去の人物になりつつあるのは否めない。詳しい人物像を伝えることにより清水先生の弟子や孫弟子にとって研究の一助になるのではないかとも考えた。

 

【1】東欧で10年ロシア語学ぶ、終戦ソ連に抑留

 小沼氏は、自伝のようなものを残さなかったが、五十歳でカトリックの洗礼を受けるまでの生き方を『月刊キリスト』(教文館)に寄せた「『悪霊』に導かれて ドストエフスキーと私と聖書」(一九六七年十一月)で語っている。わずか六ページの文章ではあるが、かなり率直に胸の内を述べているように感じる。その後、亡くなるまでの生き方については、清水正先生が「ロシア文学者・小沼文彦氏との三十年」(『江古田文学41号』、一九九九年十月)をはじめとした論文で取り上げている。これら二つの文章を柱にすれば、小沼氏の生涯をある程度はたどることができる。引用は、断りがないかぎり「『悪霊』に導かれて」からである。

 小沼は「おぬま」ではなく「こぬま」と発音する。一九一六年三月二十一日に双子で生まれ、七カ月の未熟児だったという。ドストエフスキーの没後、三十五年が経過していた。第一次世界大戦のまっただ中であり、この年の五月に夏目漱石が『明暗』の連載を始める。翌年にロシア革命が起きた。埼玉県浦和市(現さいたま市)の出身で、六人兄弟の末っ子だった。秀才ぞろいだったようだが、運動神経抜群の小沼氏は、どちらかというと勉強は不得手であった。

 

 秀才の誉れをほしいままにした兄達とはちがって、学校へ行っても休み時間以外はまったく意気のあがらない劣等生でした。「どこの家庭にもしいなっ児といって出来そこないがいるものだ」と面罵する教師もいれば、「子供の時に脳膜炎でもやったのではないか」と真顔になってきく教師もいましたが、なにを言われても恥ずかしいとも思わず、へらへら笑っていたのですから、先生方もきっと手を焼いたにちがいありません。ところが学科のほうは劣等生ですが、体操では全校のスターで運動会の花形、弁論大会に出れば県下、全関東、全日本とこれまた優勝につぐ優勝なので、先生方も呆れて物が言えない始末です。

 

 慶應義塾大の文学部哲学科で学んだ。専攻は心理学だった。在学中にNHKの試験にも合格し「雑駁な知識だけは誰にも負けない自信がありました」と語っている。兄の小沼十寸穂(ますほ)氏も慶応義塾大で学び、医学部を卒業後に広島大教授を務めた。精神科が専門で、原爆の影響を記録した「小沼ファイル」が最近でも地元の新聞で取り上げられる。小沼氏はこの兄にいろいろなことを相談していたようだ。

 

 いま広島大学の医学部の教授をしている長兄が、そんな(注:体操に熱中している)私の行末を案じて運動などはやめて、もっと勉強するように意見してくれましたが、ちょっとやそっとの意見などで運動がやめられるものではありません。医学博士なんかは掃いて捨てるほどいるけれど、選手権保持者はひとりしかいないんだぞなどと、そのころ若くして学位をもらったばかりの兄にいやみを言う始末ですので手がつけられません

 

 体操に熱中していた小沼氏は突然、ドストエフスキーに目覚める。初めて読んだのは中学三年のころに中村白葉が翻訳したものだった。大学生になってドストエフスキーの作品を読み直した。

 

 三田(注:慶應義塾の所在地)の山の上の体育会ホールの合宿の一室で、教科書以外は本などは一冊も読まない仲間から離れて、二度目に読んだ『罪と罰』と『カラマーゾフ兄弟』が、私にはっとこの先生(注:紅露五郎)のことばと、亡くなった兄のことを思い出させてくれたのです。

 

 この兄は、二十六歳で亡くなった小沼達(いたる)氏である。一九〇三年生まれなので十歳以上も離れている。小沼氏はドストエフスキー全集の翻訳を終えた後、雑誌『ちくま』(一九九一年八月)に掲載したコラム「命なりけり」で「トゥルゲーニェフの薄い文庫本一冊を残して、若くして世を去った兄の遺志を継ぐ決心を固めさせました」とより踏み込んで当時の決意を記している。早稲田大教授だった紅野敏郎氏の「井伏鱒二と小沼達」(『群像37』、一九八二年三月)によると「早稲田の第一高等学院を経て、露文科に進み、のち国文科に転じ」たという。同じ早稲田出身の作家、井伏鱒二と同人雑誌を始め、自ら短編小説を執筆していた。岩波文庫からツルゲーネフの「プウニンとバブリン」の翻訳を出した一九二九年に亡くなっている。

 

 ともかくも通学の電車の中で岩波文庫赤帯(注:外国文学)だけはぜんぶ読んでいた私に、これではいけない、この世には考える世界があるのだ、肉体を使ってサーカスのまねをするのなら猿でもできる、と指摘してくれたのです。いくらかスポーツに疑問を持ち始めたところでしたので、その印象は強烈でした。スポーツの世界ではやるだけのことはやったと感じた私は、思い切ってスポーツを棄て、それまでの生活に終止符を打ちました。その一年後には将来の志望もロシア文学と決まっていました。

 

 小沼氏はロシア語がまったくできなかった。「いまさら学校に入り直してロシア語をやるのも気のきかない話」と思って留学を考えるが、一九三七年に始まった日中戦争の影響が影を落とす。

 

 日支事変は拡大する一方で、普通の手段ではもう外国へは行けなくなってしまいました。しかも当時の情勢では官費でロシア語を勉強させてくれるのは、政府派遣の外務省留学生だけです。一夜漬けの勉強が始まりました。

 それまでそんなものにはまるきり縁のなかった文学部の学生が、これだけは子供の時分から抜群であった記憶力に物を言わせて、国際法やら経済学やら財政学やらを丸暗記して、かつての劣等生もスポーツを棄てたおかげでどうやら試験に合格、昭和十四年の春四月、神戸から欧州航路の客船に乗り込んだときには希望で胸がはちきれ、まさに天にも昇る思いでした。

 こうして欧州にわたった私は、戦争にあえぐ国民の血税によって、十年間にわたってロシア語を勉強させていただけることになったのです。ロシア語だけを勉強していればいいのですからこんないい身分はありません。

 

 二十三歳の小沼氏は欧州に向かう。一九三九年は五月にノモンハン事件、九月にはドイツのポーランド侵攻に続き、英国とフランスによる宣戦布告で第二次世界大戦が始まった。激動の幕開けとなる年だ。

 留学先はバルト三国の一つのラトビアの首都リガだった。かつてロシア帝国の一部だったが、この時代は独立国家であり、ラトビア語だけでなく、ロシア語を話す住民も多かった。白石仁章氏の『諜報の天才杉原千畝』(新潮社、二〇一一年二月)によると「第一次世界大戦後、対ソ情報収集の拠点として、日本が最初に選んだのはラトヴィアだった。ラトヴィアは、バルト三国の真ん中に位置し、戦間期には人口、面積とも最大の国であった」という。

 ユダヤ人へのビザ発給で知られている杉原千畝リトアニア領事館の領事代理となったのは一九三九年だ。小沼もこの年、ラトビアに到着した。同じバルト三国であり、両国の距離は東京と静岡県西部くらいにすぎない。両者ともルーマニア終戦を迎えたが、この当時から交流があったのは容易に想像できる。杉原千畝は早稲田大で英語を学び、外務省に入った後にロシア語を学んだ。情報収集、つまりスパイのような活動もしていた。小沼氏は戦後に書いた随筆などで「留学生」や「通訳官」と名乗っていたが、留学生の身分だけでこれだけ長い期間を海外で過ごすと考えにくい。政府文書の翻訳や、通訳官として日本からの出張者の案内くらいはしていたのだろう。ひょっとしたら情報収集のような仕事にも従事していたのかもしれない。小沼氏は戦後、ドストエフスキー関係の文献を各国から取り寄せていたが、文献の入手に支障が出るのをおそれ、当時の詳しい経歴については口をつぐんでいた可能性があるのではないだろうか。

 小沼氏は当初「ロシア語といえばウォートカとトロイカのふたつの単語ぐらいしか知らなかった」という。「『悪霊』に導かれて」には、ドイツ語で個人レッスンを受けていた様子が描かれている。

 

 まったく馬の耳に念仏の私に、先生はやがてロシア語で授業するのをあきらめてドイツ語で講義をしてくださるようになりました。しかし大学で六年間も習ったとはいえ、こちらにとってはドイツ語だって怪しげなものです。それでも一年もするうちにロシア語にも慣れ、あまり日常生活に不自由を感じなくなったのですからありがたいものです。

 そしてある日、先生があしたからこれを読もうと取り出されたのが『罪と罰』だったのです。

 

 小沼氏はロシア語、ドイツ語、フランス語で『罪と罰』の発音を聞いたときの感激は終生忘れることができないと述べ「そのときの電光のような感激がついに私の一生を決定することになりました」と振り返っている。

 長年取り組んだ体操でのおかげで運動は得意だった。「小柄な私には畸形ともいえる胸囲一メートルの疲れを知らぬ肉体で、ロシア人の生活の中にまったくとけこんで、ロシア古典文学に取り組むようになりました。いくらか余裕ができたせいか、ふらりと近くの体育館に顔を出したのが縁になって胸に日の丸のマークなどをつけて全ラトヴィアの選手権をあっさりいただき新聞種になったのは愉快でした」というエピソードを明かしている。ソ連の侵攻によりラトビアを離れた。留学先はその後、ブルガリアルーマニアへとうつる。

 

 今度はバルカンの日本といわれたブルガリアに転学になりました。ここでの学生生活はまことに楽しいものでした。戦局拡大の一途をたどる戦乱の祖国をよそに、使っても使っても使いきれないほどの学費をいただいて、勉学に専念することができたのですから、まったく身に余る果報と言わなければなりません。

 

 小沼氏はトルストイの『戦争と平和』を三回朗読するという指導により「もはやロシア語は私にとって外国語ではなくなっていました。日本語を使わない何年かの生活がやっと実を結んだわけです」と述べている。指導教授からドストエフスキーも徹底的にたたきこまれ「もうこのときにはドストエフスキー専攻が、一生の仕事として迷わぬ目標になっていました」という。ブルガリア時代に、ロシア文学やことわざに関する著書をロシア語で執筆している。後に移ったルーマニアの様子は『随筆』(産経新聞社、一九五六年九月)に執筆した「洋画のスーパー」で紹介している。

 

 戦争前のルーマニヤ(原文のママ「ヤ」)は、殊にバルカンの小パリといわれるブカレスト(注:原文の「レブカスト」を修正)は、フランス文化全盛の都会でした。コルセットをつけて薄化粧をした将校から、デパートの売子にいたるまでフランス語に万能です。フランス語さえ知っていれば、田舎くさいルーマニヤ語などぜんぜん知らなくても、何不自由なく暮せたものです。ところが戦争が始まって、ルーマニヤは枢軸側に立ち、やがてドイツ軍が進駐してきました。

 するとどうでしょう。昨日までフランス語万能だったブカレストの町は、一夜にしてドイツ語万能の町に変ってしまいました。フランス語などはわずかにサロンの中でぼそぼそと語られるだけです。

 そしてドイツは敗れ去り、東の方から怒濤のような進撃を続けてきたソヴェート軍が、ブカレストの町に泥まみれ姿をあらわしました。そしてブカレストの町は、ルーマニヤは『スターリン万才、赤軍万才!』また一夜にしてロシア語の支配する国となったのです。

著者プロフィール

番場恭治(ばんば・きょうじ)一九六七年石川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。共同通信社の経済部、中国特派員などを経て、現在はアジア経済ニュースを配信するグループ会社NNAに編集委員として出向中。ノーベル文学賞を受賞した莫言氏への北京でのインタビューなど中国における取材にもとにした新聞連載をまとめた共著『中国に生きる 興竜の実像』(株式会社共同通信社、二〇〇七年六月)。

 

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【7】

 私は、表現する情熱は、他者によって表現された情熱に触れた時、育まれるものだと思った。

 私は初め、この展示をチラッと見た時、ふと「ドストエフスキーの展示かな?」と、勘違いをした。あながち間違ってはいなかったかもしれなかったが、この展示が、「ドストエフスキー」ではなく、「ドストエフスキーなどについて書いている批評家」の展示と知ったときは驚いた。批評家をメインにして、ここまで情熱のこもった展示ができるのかと。しかし、よくよく考えてみると、批評そのものが批評対象への情熱、愛がなければ深掘りできないものであろうと思い直した。

 つまり、この展示から感じる情熱は、清水先生の作品から感じた情熱を受けて形成されており、清水先生の執筆から、教壇に立ち話すものから表現される情熱は、ドストエフスキー、もしくは宮沢賢治などの他の作品たちから溢れ出すまた別の情熱から感化されたが故のものであると考えた。

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【6】

「執着」

戦慄した。長い長い年表に、数多の著作に、一枚の紙にびっしりと書かれた赤文字に。特にこの一枚の紙。遠目からだと絵画のようにも、呪いのようにも見える。その細かさには狂気が宿っている。憑かれたように書くとは、まさにこのことだ。ドストエフスキーを知るために生まれたような、『罪と罰』に骨を埋めるような人生を歩まれている清水正先生。例えるなら、生涯を共にするファム・ファタールに出会ったようである。互いが引力で引き合い、離れられないほど夢中になったから表現が始まったように感じた。目を逸らせない強烈な魅力は、一度読んだだけで満足できるはずがない。何度も読む。過去の自分を疑い、新たな視点を持って。その先に破壊が待っていたとして、宇宙に捨て身で飛び込む。時を経て批評を発信できるツールが増えれば、媒体を問わず使っていく。そこまでして彼の作品の批評を、他者に、世界に広めたいのだ。愛がなければ、到底このようなことはできない。「表現する情熱はどこからくるのか」、それは「執着」だと、思った。

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【5】

圧倒された。自分が今まで何も考えずに娯楽の一環として消費してきた文学とは全く違う世界がそこにはあった。清水教授の批評の姿勢は、情熱的にある一方を向いており、限りなくドストエフスキーという人物に近づいたかと思えば、客観的で個性的な視点から、様々な解釈を繰り出しているように感じた。机に並べられた著書の数を見て、これだけ情熱を持って取り組んで来られたことは、駆り立てられるような内なる自分と向き合い、地道に信じる道を歩いてきた、彼の人生を表しているように感じた。自分は清水教授のように、人生をかけて打ち込めるものが見つかるだろうか。批評という形で表現し続けてきた彼のように、自分も表現者として生きていく覚悟はあるのか。きっと清水教授は、そのようなことを考える前に、もうすでに見定めた一点に向かって手を動かしていたに違いない。自身の直感を信じ、情熱を持って生きられる人になりたいと思った。

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【4】

最近、清水正先生の文章を読む機会があった。友人らと我らが日芸創設者こと松原寛先生の同人誌をつくることになった際に参考にした、日藝ライブラリーに寄稿されていたのである。ドストエフスキーが好きな先生だと聞くからさぞ恐ろしくかつ真面目なお方なのだろうと思っていたが、文章は思っていたよりも(いい意味で)読みやすく、ところどころ笑いどころまであり、なんとなく最後まで読んでしまった。真面目な内容ながらも面白く書く先生だなと印象にのこった。そして今回の「清水正・批評の軌跡~ドストエフスキー生誕200周年に寄せて~」である。私は健康観察が途切れてしまい、見にいくことができなかった。そのためオンライン展示の参加である。ホームページが簡潔で分かりやすいながらも統一感があってスタイリッシュで、それがすこしおかしかった。展示されている本の数々。圧倒的にドストエフスキー関連が多く見受けられる。また、ロシアの物も展示されていたのが作品に登場するものを上手く想像できて面白い試みだなあと感じた。これからドストエフスキーを読む人も想像しやすく、既に読んだ人はにんまりできる。本や文字を目で追うことに疲れたタイミングでこういったものがあると楽しいだろうなと感じた。行っておけばよかった!

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【3】

 私自身も、清水正先生の著書を何度か拝読させていただいたことがあります。その際に、鋭い視点から捉えた宮沢賢治ドストエフスキーの世界に驚き、感銘を受けたことを今も覚えています。清水先生の著書に触れていると、ドストエフスキー作品とは何か、宮沢賢治作品とは何かというだけではなく、物語を読み解くとは何かということも見えてきました。

 批評とはただ物語を読み解いて評価することではなく、テキストを自分なりに噛み砕いて、読み解いた人間の想像力を駆使して広げられた世界を記すことであるということを痛感させられます。そういった世界の深みに魅せられ、書くことにより自分が自分であることを証明することができるというところから表現する情熱は来るのではないかと私は考えました。

 また、「ドストエフスキーの作品を超えて衝撃的である「現代小説」に出会わないだけである」と清水先生はおっしゃっていましたが、それは現代小説が娯楽的なものに変化しているということだと自分なりに解釈させていただきました。例えば、作者の思想や哲学を色濃く反映していたり、物語に宗教と切り離された信仰が表れていたり、読者の心の拠り所になったり(その逆も然り)というような小説は現代には少なく感じます。日芸に入って四年間学んできましたが、慢心せずに追求を続けていきたいと思いました。

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