此経啓助「理念(テクスト)と現実(コンテクスト) 」 連載1

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清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛とドストエフスキー──』D文学研究会星雲社発売)は来年二月には刊行する予定だが、各執筆者の掲載原稿の一部を何回かにわたって本ブログで紹介することにした。興味と関心を持った方はぜひ購読してください。

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)

――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

此経啓助(元日大芸術学部文芸学科教授)

 一

 松原寛先生の『親鸞の哲学』を読んで、先生の親鸞への想いについて考えてみました。先生と呼ぶのは、先生が私の出身校・日本大学芸術学部の創設者だからです。先生は西田幾多郎に師事した哲学者で、<生命>を存在の普遍的原理にすることで、哲学・宗教・芸術を一体不可分のものとして認識する立場を築かれました。『親鸞の哲学』は一九三五(昭和一0)年五月二0日、先生四四歳の時に、出版社モナスから単行本で発行されました。この小文で用いたテクストは、一九七二年一一月一0日に「日本大学芸術学部五十周年記念」として発行された『松原寛』(非売品)の「付録」として再録されたものです。文章の異動などについてはとくにチェックをしていません。また、明治・大正時代の年号は、時代を反映するように、和暦を用いました。

  同『松原寛』収録の論文「宗教論」で、筆者・岡邦俊は『親鸞の哲学』について、こう述べています。

 「先生の宗教巡礼の旅は、キリスト教に出発し、日蓮法華経、天台、真言の哲学的仏教、やがては禅門にも入った。ついに最後には『親鸞の哲学』に、究極的宗教の安住地を体験されたようである」

 先生にとっての親鸞は、青春時代の旅たちから親しい伴走者であったと思います。というのは、先生の青春時代真っ盛りの二0代(大正時代前半)が親鸞ブームと重なっており、また『出家とその弟子』(大正五年)でブームの立役者となった倉田百三が先生とわずか一歳違い(年長)で、先生と同様にキリスト教西田幾多郎から影響を受けたことなどを考えると、親鸞は知らず知らずのうちに無視できない存在になっていたでしょう。先生の著書『現代人の芸術』(大正一0年)にこんな文章があります。

 「倉田百三君の『出家とその弟子』は何という深刻なる作でしょう。右せんか左せんか、甲にせんか乙にせんかに悩む親鸞の姿、又は遊女になつて居るかへでの姿、一々として吾々人間そのものではありませんか。本当に純なる人間の姿を現わし、多種多面なる人間の姿をあの一巻の中に現わして居るではありませんか」

 作品に描かれた、私たちと同じように苦悩する人間親鸞は、一高(東京第一高等学校)中退や失恋などの挫折に見舞われた倉田の青春が反映されているといわれています。倉田と似た苦悩をしていた先生にとっても、決して他人事ではなかったでしょう。ちなみに、先生が一高在学中に書かれた処女論文のタイトルは「若き哲人の苦悶」です。

 この苦悩する人間親鸞という人物像は、『歎異抄』から生まれたといわれています。『歎異抄』はよく知られているように、親鸞の若い弟子であった唯円が晩年の師の話をまとめたものです。この唯円によって描かれた親鸞像は、明治時代になるまで宗門伝承の親鸞聖人像の陰に隠されていました。しかし、明治時代に入って、『歎異抄』が脚光を浴び、中でも暁烏敏の『歎異抄講話』(明治四四年)は一般大衆に広く読まれました。そして、倉田がそれをモチーフとして『出家とその弟子』に戯曲化し、親鸞ブームが生まれました。

 松原先生はブームの中の苦悩する人間親鸞に関心を抱いたでしょうが、それ以上に宗教者・親鸞が『歎異抄』の中で語った哲学的な言葉に強い印象を持ったようです。京都大学時代、先生は恋愛の破綻を通して見た人間の「悪魔性」から「善人なをもて往生す、いかにいはんや悪人をや」(『歎異抄』)の親鸞の教えに有難さを覚えた、と『現代人の宗教』(大正一一年)で述懐されています。

日野日出志氏と『蔵六の奇病』について語っている動画

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日野日出志氏と『蔵六の奇病』について語っています。 

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岩崎純一氏の連載は5回で終了します。次回は此経啓助氏の論文を紹介します。

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

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D文学研究会刊行著書広告

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清水正ドストエフスキー論全集

 

    ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 https://www.youtube.com/watch?v=KuHtXhOqA5g&t=901s

https://www.youtube.com/watch?v=b7TWOEW1yV4

岩崎純一「ニーチェと松原寛─東西の哲人の共通点と相違点─」連載5

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清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛とドストエフスキー──』D文学研究会星雲社発売)は来年二月には刊行する予定だが、各執筆者の掲載原稿の一部を何回かにわたって本ブログで紹介することにした。興味と関心を持った方はぜひ購読してください。

まずは岩崎純一氏の論文から紹介します。

ニーチェと松原寛 連載5

──東西の哲人の共通点と相違点──

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 今ここで、これら「弱者(畜群、僧侶、奴隷など)の道徳」と「強者(君主、貴族など)の道徳」の概念を、ニーチェの言葉遣いで確認しておこう。

 

ヨーロッパの全道徳は畜群の利益を基礎としている。すべての高級な稀有の人間たちは、彼らを際立たせるすべてのものが、卑小や毀損の感情をともなって彼らに意識されるのを悲しく思う。

(『権力への意志』上 第二書 これまでの最高価値の批判 Ⅱ 道徳の批判

2 畜群 同 二七六 二七七頁)

 

群居動物の弱さはデカダンの弱さがうみだすのとまったく類似した道徳をうみだす。すなわち、彼らはたがいに理解しあい、同盟する(――大きなデカダンス宗教はつねに畜群の支持をあてにしている)。それ自体では群居動物はなんら病的なものをもっておらず、きわめて尊重すべきものですらあるが、しかしおのれを教導することができず、「牧人」を必要とする、――このことを僧侶たちはわきまえているのである・・・

(同二八二 二八二頁)

 

 私は教える、畜群は一つの類型を堅持しようとこころみ、この類型から変質してゆく者(犯罪者その他)に対しても、また、この類型以上に高揚する者に対しても、この両面にむかってわが身を護ると。畜群のこの傾向は静止と保存とをめざしており、そのうちにはなんら創造的なものはない。

(同 二八五 二八五頁)

 

 これまで地上に支配して来た、或はいまもなお支配している多くの精粗様々の道徳を遍歴して、私は或る特色が規則正しく互いに回帰し、互いに連結しているのを見いだした。その挙句、ついに私には二つの根本類型が窺われ、一つの根本的区別が際立って見えた。すなわち、主人道徳と奴隷道徳とが存在する。(中略)

この第一種の道徳にあっては、「よい」と「わるい」との対立は「高貴な」と「軽蔑すべき」というほどの意味であることは直ちに気づかれよう。(中略)

――高貴な人間といえども不幸な者を助けるが、しかしそれは同情からではない。殆んどそうではなくて、むしろ却って力の充溢から生れる或る衝迫からである。高貴な人間は自分のうちに強力者を認めて尊び、更に自分自らを統御しうる者を、語ることと黙ることを心得ている者を、悦びをもって自分に対して峻厳と苛酷を行なう者を、またすべての峻厳と苛酷に敬意を表する者を尊敬する。(中略)

道徳の第二の類型である奴隷道徳については事情は異なる。(中略)奴隷の眼差しは、強力な者たちの徳に対して好意をもたない。彼は懐疑と不信をもつ。彼はそこで尊重されるすべての「よきもの」に対して敏感な不信をもつ。――彼はそこでの幸福はそれ自身、本物ではないと自分に説得しようとする。その逆に、忍苦する者にその生存を楽にするに役立つような特性が引き出され、照明を浴びせられる。ここでは同情が、親切な援助を厭わぬ手が、温情が、忍耐が、勤勉が、謙譲が、友誼が尊重せられることになる。――それというのも、これらのものはここでは、生存の圧迫を耐えるために最も有益な特性であり、殆んど唯一の手段だからである。奴隷道徳は本質的に功利道徳である。ここにあの「善」と「悪」という有名な対立を燃え上がらせる日床がある。(中略)この人間は善良な、欺され易い、恐らく些か愚鈍で、つまり《お人好し》なのである。奴隷道徳が優勢を占めるところではどこでも、言語は「善」と「愚」とを互いに近づけようとする傾向を示している。――究極の根本的区別はこうである。自由への渇望、幸福に対する本能、および自由感情の敏感さは、必然的に奴隷道徳と奴隷的徳性に属するが、それと同じく畏敬への、献身への技能と熱中とは、貴族的な考え方と評価の仕方に例外なく見られる徴候である。――ここからして直ちに、何故に情熱としての愛――これはわれわれヨーロッパ人の特異性である――が端的に高貴な由来をもつものでなければならないかが理解されうる。

(『善悪の彼岸』 第九章 高貴とは何か 二六〇 三〇八―三一三頁)

 

最高の階級が同時に僧職階級であり、従ってその僧職的機能を思わせるような尊称が彼らの総称として特に選ばれているといった場合には、政治的優位の概念は常に精神的優位の概念のうちへ解消するというこの通則に対しては、差し当たりまだ一つも例外はない(もっとも例外の生じる機縁はあるけれども)。そのような場合に初めて、例えば「清浄」と「不浄」とが階級的区別の目印として対立することになり、そしてここにまた、やがて一つの「よい」と一つの「わるい」とが、もはや階級的でない意味において展開する。

(『道徳の系譜』 第一論文「善と悪」・「よいとわるい」 六 二九頁)

 

――僧職的評価様式が騎士的・貴族的評価様式から分岐し、やがてそれに対立するものにまで発展を続けることがいかに容易であるかと、諸君はすでに察知したことであろう。(中略)

あのユダヤ人たち、あの僧職的民族は、結局、ただ価値の根本的な転倒によってのみ、従って最も精神的な復讐の一幕によってのみ、自分たちの仇敵や圧制者に対して腹癒せをするすべを知っていた。(中略)

諸君は誰がこのユダヤ人的価値転倒の遺産を作ったのかを知っている…… ユダヤ人があらゆる宣戦のうちで最も根本的なこの宣戦によって与えた巨怪な、かつ極度に宿命的なイニシァティブに関して、私は他の機会において筆にしたあの文句を指摘する(『善悪の彼岸』一九五節)――曰く、「ユダヤ人たちとともに道徳上の奴隷一揆は始まる」と。この一揆は背後に二千年の歴史をもっており、そしてそれが今日われわれの眼前から退いているのは、それが――勝利を得たからにほかならない……

(同 七 三一―三三頁)

 

 無論、私のような個人の人生においてばかりでなく、明治の西洋哲学の輸入期において、ニーチェを我が師として選択した思想家や文豪は多くいる。

 日本で初めて本格的にニーチェを受容・紹介したのは高山樗牛だが、樗牛は民衆に弱者道徳を見、日本主義、次いでニーチェ主義から日蓮主義へと舵を切った。その樗牛に影響を与えた日蓮主義者は、田中智學である。当初からニーチェの思想と日蓮・法華思想は相性がよかったのであるが、同時に日蓮の思想が日本国体学者らの間で、ニーチェの弱点を克服する仏教内の最高宗旨と位置づけられていることが分かる。

 そして、ショーペンハウエルニーチェなどのドイツの哲人たちをしつこく引用して、意図的に夏目漱石の英国風趣味に対抗したのが、森鷗外である。美学論争においては、高山樗牛が、あまり気の合わないはずの没理想主義・写実主義坪内逍遙に近い立場から鷗外を批判したことを見ても、鷗外は実は極めて徹底した理想主義的ニーチェ主義とでも言える思想を持っていたようである。

 ただし、ニーチェ実存主義ないし実存哲学の先駆者と位置づける前に、ニーチェ少年の悲嘆と孤独に正面から応答したのも、森鷗外であると思う。西部邁もやや応答しているが、高山樗牛や田中智學は、我々男子たちが幼少年期に体験したはずの悲しみの涙や母親のぬくもりへの回帰を恥であると見て、男権的な強者道徳と強靱な国体の建設に重点を置いている。日蓮の思想、国柱会に心酔した宮沢賢治には、まだいくらか、いや、大いに母・妹・女性への思慕が窺えるが、ナチスニーチェを利用したように、明治期の日蓮主義者たちも、ニーチェを男権主義的国体・国立戒壇の思想に利用している。

だが、いくら男子の自我成立に涙と甘えは不要であるとする冷徹な覇権主義を要求される、欧米列強との世界戦争が目の前にあるからと言って、それを隠すのは、ドイツやフランスの民衆蜂起の強がりと同様、弱者の覇権主義である。

 ニーチェの超人思想に男権主義が見られないと言えば嘘になるが、日本の国体主義者が誤解したほどではない。超人は、人の死を悲しむことや女に甘えることが永劫回帰することをも恐れない。強権的未来を目指して突き進んだところで、また同じ母という源泉から産まれ、完全に同一の男として実存させられる羽目になるのが、ニーチェのいう永劫回帰である。当時の日本主義や日蓮主義は、この点を切り落とす傾向にあったと私は考える。

二、哲人たちの哲学の根底

 フリードリヒ(・ヴィルヘルム・ニーチェ)少年の苦闘 自身の信仰を懐疑した先駆者にとっての自我、学問、母、女性

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

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目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

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清水正ドストエフスキー論全集

 

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清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

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 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

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岩崎純一「ニーチェと松原寛─東西の哲人の共通点と相違点」連載4

「マンガ論」受講者は下記の動画を観てください。

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清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛とドストエフスキー──』D文学研究会星雲社発売)は来年二月には刊行する予定だが、各執筆者の掲載原稿の一部を何回かにわたって本ブログで紹介することにした。興味と関心を持った方はぜひ購読してください。

まずは岩崎純一氏の論文から紹介します。

ニーチェと松原寛 連載4

──東西の哲人の共通点と相違点──

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

二、哲人たちの哲学の根底

 フリードリヒ(・ヴィルヘルム・ニーチェ)少年の苦闘 自身の信仰を懐疑した先駆者にとっての自我、学問、母、女性

  バーゼル大学教授となったニーチェが最初に発表したのは、アポロン的造形とディオニュソス的音楽とを拮抗・競合させた総合芸術論『悲劇の誕生』であったが、まずは元キリスト教少年としてのニーチェの基層を押さえる必要があるだろう。

 ニーチェが、当時のドイツやヨーロッパ全体に蔓延していたキリスト教道徳をいわゆる「弱者道徳」(ないし「畜群道徳」、「僧侶道徳」、「奴隷道徳」)と呼び、これに「強者(君主・貴族)道徳」を対置させ、これらを哲学概念として学的に解説するのは、生前には未発表だった『権力への意志』の草稿を除けば、『善悪の彼岸』や『道徳の系譜』、つまりは最後方の著作群においてである。だが、ニーチェにとっても、少年期の経験からするに、「我」にとっての肉親の死への悲しみと大衆の倫理が別次元で動いていることへの違和感が、最初の哲学であっただろう。

ちなみに、今単に「弱者道徳」と書いたが、ニーチェは『善悪の彼岸』や『道徳の系譜』で、これを概ね次のように分類しているように読める。

 すなわち、ニーチェはまず、動物の一派としての人間が共同体生活を営む限り自身(自我よりも身体・身体性)と共同体の滅亡への恐怖に基づいて抱えることになる、「安全」と「危機」とを対置させる最古の弱者道徳を、「畜群(末人・畜生・家畜)道徳」と呼ぶ。次に、元来の「畜群道徳」を抱き込んで曲げ、「貴族道徳」の高貴さから離れた、ユダヤ人に典型的な、「清浄」と「不浄」とを対置させる僧職者の弱者道徳を、「僧侶道徳」と呼ぶ。さらに、僧侶的民族(ユダヤ人)の「僧侶道徳」が、その曲げた「畜群道徳」を口実とし、「貴族道徳」に反抗しつつ(自分たちの道徳が本物の「貴族道徳」であるかのように平民に見せかけつつ)発明し、それに煽動された平民のルサンチマンが嬉々として受容し、これを起源に持つキリスト教徒のルサンチマンが発展・普及させた、「善」と「悪」とを対置させる新しい弱者道徳を、「奴隷道徳」と呼ぶ。

 一方ニーチェは、あらゆる弱者道徳を超克し(というよりも奴隷道徳の発祥以前から、畜群道徳・僧侶道徳と共にあり)、「良い」生を目指す、「良い」と「悪い」を対置させる道徳を「強者(君主、主人、貴族、高貴)道徳」と呼んでいる。ニーチェは、最も厳しく断罪されるべきは概ね「奴隷道徳」としつつ、その黒幕を「僧侶道徳」であるとしているように読める。

 ただし、必ずしもそれぞれの道徳に当代の実際の動物的人間、ユダヤ人、僧侶、キリスト教徒、奴隷、君主、貴族などが対応するわけでもない。ニーチェの言う「強者」や「君主」や「貴族」や「超人」は、ただ横柄に指図しているだけの富裕な君主や貴族ではなく、むしろ彼らの「僧侶道徳」や「奴隷道徳」を打ち破る勇者や戦士といった意味である。

 しかもニーチェは、「奴隷(道徳)」を痛罵して「畜群(道徳)」と呼ぶことがあるほか、為政者にも奴隷道徳者がいる場合もあれば、ドイツの群衆やユダヤ人にも稀有ながら君主道徳者・超人(まさにニーチェ自身など)がいる場合もあると見ているなど、その語の使い分けは(実は人種差別主義者ではないだけに)不徹底である。

 そのため、本稿でも必ずしも使い分けない。本稿では、弱者道徳一般には、あえて主に社会心理学上の「群衆」の「群集心理」を転用する形で、「群衆道徳」なる語も用いることがある。(従って、私が本稿で用いる、弱者・畜群・末人・奴隷の総称としての「群衆」は、むしろハイデガーの「ダス・マン(世人)」に近いとも言える。)

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

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ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

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清水正ドストエフスキー論全集

 

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

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岩崎純一「ニーチェと松原寛」連載3

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清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛とドストエフスキー──』D文学研究会星雲社発売)は来年二月には刊行する予定だが、各執筆者の掲載原稿の一部を何回かにわたって本ブログで紹介することにした。興味と関心を持った方はぜひ購読してください。

まずは岩崎純一氏の論文から紹介します。

ニーチェと松原寛 連載3

──東西の哲人の共通点と相違点──

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

二、哲人たちの哲学の根底

 フリードリヒ(・ヴィルヘルム・ニーチェ)少年の苦闘 自身の信仰を懐疑した先駆者にとっての自我、学問、母、女性

 

 我々個々の人間は、幼少期には「神」や「宗教」の語もまだ知らず、「知性」や「理性」の語も知らず、プラトンデカルトもカントもヘーゲルも知らず(ほとんどの一般国民は、これら哲人たちの名さえ知らずに一生を終えるが)、世の為政者や宗教勢力、哲学学閥、学校教育、親たちがいかなる思想を自分たちに植え付けようとしているかも、全く知らない。

 我々個々の人間、いや選ばれし哲人たちが実人生、とりわけ「神」や「宗教」を深く考えない幼年期・少年期に自我といかに向き合っているかを、日記や自伝、哲学書や小説から追っていくことほど、彼らの生涯の「神」観や「宗教」観の神髄に迫ることのできる作業はない。

 なぜなら、「神」や「宗教」を知る前から、(例えば、既存の西洋の学術界や、戦前の教育勅語や戦後の学校教育法・教育基本法が勝手に前提し、西洋諸国民や日本国民に教育しているところの、日本では日本的なるものに偽称・仮冒した)西洋的自我について考えたことのない人は、日記・自伝にそのような記述が存在しないから、こちらも出会うことはないし、反対にそれを考えて記述し残している人は、必ずや哲人で、見るに値するからである。自我の葛藤を記録していない哲人も多くいるが、記録している人間は必ず哲人である。

 ニーチェと松原寛の哲学人生の全貌を見る前に、両者の若年期における自我の葛藤の凄まじさを、見ておこうと思う。ここでいう自我の葛藤とは、とりわけ、生まれ持った自然な「個」としての実存や自我・自己と、概ね西洋的自我概念に基づく学校教育が教え諭してくる社会常識や一般大衆的倫理道徳との闘いを意味する。

 ちなみに私の場合は、例えば、「癌はなぜ治さなければならないか(治そうと思わなければならないか)」、「葬式ではなぜ参列者が一律に悲しまなければならないか(悲しんでいるふりをしなければならないか)」といった疑問や苦闘が幼少期からずっとある。このような疑問や苦闘の萌芽は、ニーチェ哲学その他の哲学・学問との出会いどころか、義務教育を受けた時期にさえ先行するものである。(一応、私自身も「哲人」の仲間とさせてもらおうと思う。)

 そして、「そう思わなければ真っ当な人間・成人・社会人になれない」という暗黙の圧力が、実は近現代日本の為政者や宗教者、教育者の近代西洋的自我(西洋哲学、西洋医学)が創作した死生観や葬式仏教が子供たちに命じているものであること、そして(かつての盆踊りのように)、健康も病気も笑ったり泣いたりして(悲喜混交のものとして)包括的に甘受する元来の東洋的・日本的な自我と死生観は、欧米並みに先進国化(とりわけ米国的価値観化)した現在の日本ではあまり見られないものになっていることなど、まだ少年期の自分には学問的に分析できるはずもなかったわけである。

 無論、このような葛藤体験の宗教的事情は、個々人によって異なっている。ニーチェの自我の葛藤は、一応はキリスト教信仰のうちに行われた葛藤である。父カール・ルートヴィヒは敬虔なルター派の牧師であり、母フランツィスカも牧師の娘であった。しかも、父カール、弟ヨーゼフ、伯母アウグステ、祖母エルムトーテの死を立て続けに経験する中での、自我の葛藤である。この頃は、キリスト者としての厚き信仰がニーチェを慰めたのである。フランツィスカも、当然ニーチェを牧師とすべく教育した。

 私は、キリスト教信仰なしに自我の葛藤を展開し、かつ祖母の死を二十代に経験したのみであるから、ニーチェ少年の悲しみに思いを致すという作業が私には必要であった。もっともこれには、私が小学生時代に経験したいじめ(友人の喪失・不在)や、いじめ相談への教師の素っ気ない対応(師の喪失・不在)という私の喪失体験が相当するかもしれない。しかし、「喪失」や「不在」の意味がやはり違う。私は、親の元へ駆け込むことができたので、超越存在への信仰が不要であったにすぎない。

 そして、ニーチェと私との共通点と言えば、肉親の女性に愛されて育ったことである。ニーチェは、母から職の具体的な道を無理に示されなかった私とは違い、牧師になることを母から期待されたが、概ね溺愛されて育ったと言える。それに、兄の学の内容自体への関心は強くないにもかかわらず、その学才を憧れて追いかけている活発な妹エリーザベトもいた。私にも、全く同様の妹がいる。ニーチェは、母、妹、祖母、伯母二人、女中の合わせて六人の女性に囲まれて育った。

 肉親以外の女性との交流と言えば、ルー・ザロメとの関係が挙げられる。ニーチェは最終的に、ルーへの求婚を断られたものの、ルーはニーチェの芸術活動にも参加した上、哲学の良き助言者でもあって、ニーチェはルーの存在に少なからず心を慰められたであろう。

 キリスト教信仰と肉親の度重なる死は、私とは異なるが、私が自我・自分とは何かという問題(つまり、対社会的文脈を離れれば、私の実存にとっては最初から解決済みの問題)を日本の群衆迎合主義(哲人には解決済みのことを、逐一「社会」へ引きずり込もうとする悪習)への疑念として受け止めたのと同じく、ニーチェ少年も、ナウムブルクの小学校、私塾、ギムナジウム、プフォルター学院、ボン大学ライプツィヒ大学と歩みを進める中で、自我・自分とは何かという問題がドイツ群衆への疑念、次いでキリスト教道徳への疑念へと発展したに違いない。とりわけ、プフォルター学院への転学によってキリスト教を離れたことが、信仰への懐疑と哲学の萌芽へとつながった。ただしあくまでも、キリスト教(的群衆道徳)との離縁であって、「神」・「絶対者」概念やイエス・キリストとの離縁でないことには、注意すべきである。

 

 

 

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ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

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本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

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清水正ドストエフスキー論全集

 

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

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岩崎純一「ニーチェと松原寛」連載2

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清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛とドストエフスキー──』D文学研究会星雲社発売)は来年二月には刊行する予定だが、各執筆者の掲載原稿の一部を何回かにわたって本ブログで紹介することにした。興味と関心を持った方はぜひ購読してください。

まずは岩崎純一氏の論文から紹介します。

ニーチェと松原寛 – 東西の哲人の共通点と相違点

岩崎純一 (日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師)

一、ニーチェ、松原寛との邂逅

  さて私は、まず高校時代の終わりにニーチェに出会い(を初めて読み)、次いで三十歳を超えてから松原寛に出会った(を初めて読んだ)のである。そのため、論の展開上、タイトルも「ニーチェ、松原寛」の順とした。

ニーチェには、誰かから教えてもらったわけでもなく、書店で突然の閃きにより出会った。

 一方、松原寛との出会いについては、清水先生および同じく日芸文芸学科のソコロワ山下聖美先生とのご縁に始まるものである。二〇一五年、山下先生を通じて清水先生(当時、日芸図書館長)にお目にかかり、清水先生が松原寛の著書三冊(『現代人の宗教』、『宗教の門』、『生活の哲學』)のコピーを下さり、松原寛論の寄稿をご依頼下さったのであった。私は松原寛を面白いと思い、その他の松原寛の著書も読み、まもなく『日藝ライブラリー』No.3の松原寛特集に寄稿した。従って今回は、松原寛関連の二作目、続編ということになるが、今述べた通り、本項はその二作目の概要である。

 いずれにせよ、ニーチェ、松原寛、諸先生方との出会いの全てが、閃光のごとき邂逅(偶然の出会い)でもあり、運命的必然でもあるわけである。

 ところで、私のことを「知性派ニーチェ」と呼んだのは清水先生である。これは私が察するに、「知性あるニーチェよりもさらに知性のある人」などという意味ではなく、「知性だけでは捉えきれない壮大なニーチェ哲学を、知性で何とか追っている人」という意味でさえあると考え、むしろ私のほうこそ、積極的な自戒の言葉ともしたいのである。ともかく私は、二〇一五年以来、日芸でゲスト講師として毎回単発で講義を行ってきたが、二〇一九年度から文芸学科の非常勤講師となった。いわば松原寛芸術学園に正式に入門し、「知性派ニーチェ」として学び、教えることとなったわけである。

 その日芸は、二〇二一年には創設百周年を迎える。今のところ日藝文士會(清水先生が主宰の、江古田校舎近くの中華料理店・同心房で行われている会)における清水先生の提案にすぎない『松原寛全集』と「松原寛記念館」は、何としてでも実現すべきだろう。私は、この計画に無理矢理参加するつもりである。日芸自身が松原寛の功績をほったらかしにしておいてはいけないだろう。

もっとも私自身は、東洋哲学、日本精神、「日本的なるもの」の申し子だという自覚がある。だがここでは、東洋と西洋のいずれかの立場のみの肩を持つわけではなく、ひとまず洋の東西の真ん中に立って、西(ニーチェ)と東(松原寛)を観察したい。

ニーチェに影響を受けて生きてきた上、ここに来て松原寛の創設した芸術の学園たる日芸で教える立場になったとなれば、それぞれの思想を私なりに吟味し継承していきたいと思うのである。

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

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清水正ドストエフスキー論全集

 

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清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

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 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

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岩崎純一「ニーチェと松原寛」(連載1)

清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
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清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛とドストエフスキー──』D文学研究会星雲社発売)は来年二月には刊行する予定だが、各執筆者の掲載原稿の一部を何回かにわたって本ブログで紹介することにした。興味と関心を持った方はぜひ購読してください。

まずは岩崎純一氏の論文から紹介します。

ニーチェと松原寛 – 東西の哲人の共通点と相違点

岩崎純一 (日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師)

 私が私淑している過去の偉人は多くいるが、本稿ではその中でも哲学者の、いや、哲人のニーチェと松原寛(日本大学芸術学部の創設者)を取り上げたい。

 今回も日本大学芸術学部(以下、日芸)文芸学科の清水正先生より執筆依頼を頂いたが、先生は二〇一五年から一六年にかけて、日大病院にご入院中にもかかわらず、一枚四百字×約四百枚の松原寛論を『日藝ライブラリー』No.3の松原寛特集に寄せている。そこにはすでに、松原寛とニーチェの比較論もしっかり収められている。

 

実は、清水先生より「松原寛とニーチェについて書いてみて下さい」とのご依頼を二〇一八年十一月に頂き、書き始めてから約十三ヶ月が経った今(二〇二〇年三月)、掲載書籍・媒体のことも考えず、勢い余って六五〇枚強もの原稿を書いてしまった。先生の四百枚が私の文筆の一つの目標となっていたこと、そして、かつて大学時代に書いた(が中退時に破棄した)ニーチェ関連論文(特に、ワーグナーとの関係の考察や総合芸術論)の再現とも位置づけようとしたことなど、色々な目標が重なったためである。

しかし、あまりに長すぎるので、それを大幅に縮小したものを、ひとまずここに発表することとなった。もちろん、元の原稿は保存してある上、本稿もその内容(主に前半)を概観できるものではある。

 

 

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ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

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清水正ドストエフスキー論全集

 

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

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