岩崎純一「ニーチェと松原寛」連載3

清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛とドストエフスキー──』D文学研究会星雲社発売)は来年二月には刊行する予定だが、各執筆者の掲載原稿の一部を何回かにわたって本ブログで紹介することにした。興味と関心を持った方はぜひ購読してください。

まずは岩崎純一氏の論文から紹介します。

ニーチェと松原寛 連載3

──東西の哲人の共通点と相違点──

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

二、哲人たちの哲学の根底

 フリードリヒ(・ヴィルヘルム・ニーチェ)少年の苦闘 自身の信仰を懐疑した先駆者にとっての自我、学問、母、女性

 

 我々個々の人間は、幼少期には「神」や「宗教」の語もまだ知らず、「知性」や「理性」の語も知らず、プラトンデカルトもカントもヘーゲルも知らず(ほとんどの一般国民は、これら哲人たちの名さえ知らずに一生を終えるが)、世の為政者や宗教勢力、哲学学閥、学校教育、親たちがいかなる思想を自分たちに植え付けようとしているかも、全く知らない。

 我々個々の人間、いや選ばれし哲人たちが実人生、とりわけ「神」や「宗教」を深く考えない幼年期・少年期に自我といかに向き合っているかを、日記や自伝、哲学書や小説から追っていくことほど、彼らの生涯の「神」観や「宗教」観の神髄に迫ることのできる作業はない。

 なぜなら、「神」や「宗教」を知る前から、(例えば、既存の西洋の学術界や、戦前の教育勅語や戦後の学校教育法・教育基本法が勝手に前提し、西洋諸国民や日本国民に教育しているところの、日本では日本的なるものに偽称・仮冒した)西洋的自我について考えたことのない人は、日記・自伝にそのような記述が存在しないから、こちらも出会うことはないし、反対にそれを考えて記述し残している人は、必ずや哲人で、見るに値するからである。自我の葛藤を記録していない哲人も多くいるが、記録している人間は必ず哲人である。

 ニーチェと松原寛の哲学人生の全貌を見る前に、両者の若年期における自我の葛藤の凄まじさを、見ておこうと思う。ここでいう自我の葛藤とは、とりわけ、生まれ持った自然な「個」としての実存や自我・自己と、概ね西洋的自我概念に基づく学校教育が教え諭してくる社会常識や一般大衆的倫理道徳との闘いを意味する。

 ちなみに私の場合は、例えば、「癌はなぜ治さなければならないか(治そうと思わなければならないか)」、「葬式ではなぜ参列者が一律に悲しまなければならないか(悲しんでいるふりをしなければならないか)」といった疑問や苦闘が幼少期からずっとある。このような疑問や苦闘の萌芽は、ニーチェ哲学その他の哲学・学問との出会いどころか、義務教育を受けた時期にさえ先行するものである。(一応、私自身も「哲人」の仲間とさせてもらおうと思う。)

 そして、「そう思わなければ真っ当な人間・成人・社会人になれない」という暗黙の圧力が、実は近現代日本の為政者や宗教者、教育者の近代西洋的自我(西洋哲学、西洋医学)が創作した死生観や葬式仏教が子供たちに命じているものであること、そして(かつての盆踊りのように)、健康も病気も笑ったり泣いたりして(悲喜混交のものとして)包括的に甘受する元来の東洋的・日本的な自我と死生観は、欧米並みに先進国化(とりわけ米国的価値観化)した現在の日本ではあまり見られないものになっていることなど、まだ少年期の自分には学問的に分析できるはずもなかったわけである。

 無論、このような葛藤体験の宗教的事情は、個々人によって異なっている。ニーチェの自我の葛藤は、一応はキリスト教信仰のうちに行われた葛藤である。父カール・ルートヴィヒは敬虔なルター派の牧師であり、母フランツィスカも牧師の娘であった。しかも、父カール、弟ヨーゼフ、伯母アウグステ、祖母エルムトーテの死を立て続けに経験する中での、自我の葛藤である。この頃は、キリスト者としての厚き信仰がニーチェを慰めたのである。フランツィスカも、当然ニーチェを牧師とすべく教育した。

 私は、キリスト教信仰なしに自我の葛藤を展開し、かつ祖母の死を二十代に経験したのみであるから、ニーチェ少年の悲しみに思いを致すという作業が私には必要であった。もっともこれには、私が小学生時代に経験したいじめ(友人の喪失・不在)や、いじめ相談への教師の素っ気ない対応(師の喪失・不在)という私の喪失体験が相当するかもしれない。しかし、「喪失」や「不在」の意味がやはり違う。私は、親の元へ駆け込むことができたので、超越存在への信仰が不要であったにすぎない。

 そして、ニーチェと私との共通点と言えば、肉親の女性に愛されて育ったことである。ニーチェは、母から職の具体的な道を無理に示されなかった私とは違い、牧師になることを母から期待されたが、概ね溺愛されて育ったと言える。それに、兄の学の内容自体への関心は強くないにもかかわらず、その学才を憧れて追いかけている活発な妹エリーザベトもいた。私にも、全く同様の妹がいる。ニーチェは、母、妹、祖母、伯母二人、女中の合わせて六人の女性に囲まれて育った。

 肉親以外の女性との交流と言えば、ルー・ザロメとの関係が挙げられる。ニーチェは最終的に、ルーへの求婚を断られたものの、ルーはニーチェの芸術活動にも参加した上、哲学の良き助言者でもあって、ニーチェはルーの存在に少なからず心を慰められたであろう。

 キリスト教信仰と肉親の度重なる死は、私とは異なるが、私が自我・自分とは何かという問題(つまり、対社会的文脈を離れれば、私の実存にとっては最初から解決済みの問題)を日本の群衆迎合主義(哲人には解決済みのことを、逐一「社会」へ引きずり込もうとする悪習)への疑念として受け止めたのと同じく、ニーチェ少年も、ナウムブルクの小学校、私塾、ギムナジウム、プフォルター学院、ボン大学ライプツィヒ大学と歩みを進める中で、自我・自分とは何かという問題がドイツ群衆への疑念、次いでキリスト教道徳への疑念へと発展したに違いない。とりわけ、プフォルター学院への転学によってキリスト教を離れたことが、信仰への懐疑と哲学の萌芽へとつながった。ただしあくまでも、キリスト教(的群衆道徳)との離縁であって、「神」・「絶対者」概念やイエス・キリストとの離縁でないことには、注意すべきである。

 

 

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

f:id:shimizumasashi:20201017163459j:plain

D文学研究会刊行著書広告

   清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

  清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

f:id:shimizumasashi:20181228105220j:plain

清水正ドストエフスキー論全集

 

    ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

f:id:shimizumasashi:20181228105251j:plain

 清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

 

(人気ブログランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします)

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 https://www.youtube.com/watch?v=KuHtXhOqA5g&t=901s

https://www.youtube.com/watch?v=b7TWOEW1yV4