谷村順一 清水先生のこだわり

 「ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

清水先生のこだわり
谷村順一

一般的に書籍のデザインのことを「そうてい」というが、 この「そうてい」には「装丁」「装訂」「装釘」「装幀」と 「てい」の字に四つの漢字が当てられる。それぞれの漢字に は意味が込められていて、辞書的には「装訂」が正字という ことになるようだけれど、「装釘」という字を用いることに 強いこだわりを持った編集者がいた。『暮しの手帖』の創刊 者であり、編集やデザインまでを自らの手で行った花森安治 である。花森が「装釘」という字にこだわった理由について は『花森安治の編集室』(唐澤平吉、晶文社)に紹介されて いるので以下に引用してみる。
 
幀という字の本来の意味は掛け物だ。掛け物を仕立てる ことを装幀という。本は掛け物ではない。訂という字はあやまりを正すという意味だ。ページが抜け落ちていたり乱 れているのを落丁乱丁というが、それを正しくするだけな ら装訂でいい。しかし、本の内容にふさわしい表紙を描 き、扉をつけて、きちんと体裁をととのえるのは装訂では ない。作った人間が釘でしっかりとめなくてはいけない。 書物はことばで作られた建築なんだ。だから装釘でなくて は魂がこもらないんだ。装丁など論外だ。ことばや文章に いのちをかける人間がつかう字ではない。本を大切に考え るなら、釘の字ひとつもおろそかにしてはいけない
 
なるほど、花森にとって「書物」は「ことばで作られた建 築」であり、だからこそ「釘」という字を用いなくてはなら ないのか、と、本のデザインに興味を持ちはじめたばかりのころ妙に感心し、それ以来じぶんの名前をクレジットする機 会が与えられたときには「装釘」という字を使うようにして いるのだけれど、本のデザインに対する強いこだわりは、お そらく清水先生も同じなのではないか。
 
当時副手だったじぶんのデスクは、まだブラウン管だった 一七インチのモニタと、サブモニタとして設置した一五イン チのそれでいっぱいで、あたらしくつくる本の表紙のデザイ ンをじぶんが担当するときには、清水先生がとなりに座り、 ふたつ並んだモニタを指差しながら、ここはもっと大きく、 ここはもうすこし色を派手に、と細かな指示が飛んできて、 それに応えるのに四苦八苦した覚えがある。もちろん清水先 生の指示のすべてを受け入れられるほどの度量を持ちあわせ てはいなかったので、ときには反発してこっそりとじぶんの 好みにつくりかえてしまったこともある。けれどいまからお もいかえしてみれば、実績のないじぶんに本をデザインする 機会を与えてくれた清水先生は、そうしたささやかな抵抗す らも受け入れてくれていたのだろうと思う。
 
ここ数年、清水先生の本のデザインをする機会にはめぐま れなかったが、当時とかわることのない清水先生の旺盛な執 筆活動にはただただ頭が下がるばかりだし、これからも発行 され続けるであろうすみずみまで清水先生のこだわりの詰 まった書籍がいったいどういった装いを持つものなのか、い まからとてもたのしみである。
 
最後に、『ドストエフスキー宮沢賢治』『宮崎駿を読む』 はじぶんが手がけたものの中でとくに気にいっているものな のだけれど、先生はいかがでしょうか。
(たにむら・じゅんいち 日本大学芸術学部文芸学科准教授)

水島千歌 アイスクリーム

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清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

アイスクリーム
水島千歌

 

最近、また仕事終わりに酒を飲みながら帰ることが増え た。酒は簡単にハイになれるから好きだ。さざ波のように やってくる孤独を、ひとときでも追いやってくれる。六、七 年前は、単に飲みの場の雰囲気に逃げたり、大人たちの話を 聞いているのが楽しいだけだったはずなのに。
 
ひとりで酔っていると、たまにマルメラードフの話をして いるまーくんを思い出す。当時から私はマルメラードフがど うしても嫌いになれなくて、それは自分の父親と重ねている からだろうなと思っていたんだけど、急に自分自身と重ねて いるんじゃないかと気づいて冷や汗をかいた。私は、自分の 愛しているものは素直に愛したい。
 
三、四年が清水ゼミに決まった時(まーくんから直接指名されたので、結局ゼミの希望を取る書類は出さず仕舞いだっ た)、まーくんに「千歌のゼミは俺のとこ以外にないだろう」 と言われた日、嬉しくって少し泣いた。認められたようで、 少なくとも近くにいていいんだと確認できて、私の向こう二 年間の存在意義ができたと本気で思っていた。
 
さらに幸運なことに、まーくんを筆頭とした飲み会に同席 させていただくことが多かった。ゼミは金曜五限、まーくん は飲みのためにこの時間にしているんだと得意げに話してい た。場所はもっぱら大学近くの中華屋で、私はそこで紹興酒 の味を覚えた。会ではもっぱら仕事の話、文学のこと、生活 について……いろんな話を大人たちがしていて、私みたいな ガキにはよくわからない話なんかも繰り広げられていたけ ど、いつだってまーくんは私を隣に座らせて、あれが食べたいとか一緒に飲めとか言って構ってくれた。そしてまーくん は私の目をいつもまっすぐに見る。悲しいのとか寂しいのを 我慢しているような、子供のような目で。ひとりでいるひと の目、私は、大人の男のひとでもこんな目をするんだってこ ともこの頃覚えた。
 
だから私は、マルメラードフを父親と重ねていたんだ。マ ルメラードフも同じ目をしているに違いなかった。父親も きっと。そう思っていたけど、自分の中にもそれを感じるっ てことは、血なんだろうか?   それとも私がどこかに抱えて いる何かがそうさせているのだろうか、わからない。だけど まーくんはお見通しだったんだろうなと思うとちょっと悔し い。
 
酔いが覚めるころには、叫びだしたくなるような衝動と孤 独がゆっくり戻ってくる。人は多かれ少なかれ、自分のなか にこんな気持ちを抱いて生きているんだろう。父親も私もまー くんも。だけどそれを押し殺すのか、静かに向き合うのか で、生き様みたいなものが現れるんだろうなと今になって思 う。だから私はまーくんの言葉が好き。ひとりひとりでひと り。
(みずしま・ちか     日芸卒、新妻)

野本博 文学に係わる者の使命(3)

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

文学に係わる者の使命(3)
野本博

 

清水先生の文学観
  
号泣と我慢
 
私は毎年秋になると、日芸祭を見に友だちを誘って江古田 まで足を運ぶ。校内には運動部や文化部を問わず、各部が出 店したいくつもの屋台が並んでいる。それらをひと通り見て 回った後、最後に自動車部の屋台で名物の「アゲリカン」を 食べながら、清水先生の研究室にうかがうことが多い。そし て先生の研究室でお互いに近況などを話し合うのだが、お元 気な姿に安心して「それでは、また」と帰ろうとすると、先 生は必ず私に「惠存   野本   博   様」と大きな墨文字でサイ ンをした新刊をくださるのが常であった。
 
清水正先生の文芸批評と言えば、その対象は何と言っても 海外文学ではドストエフスキーであるが、チェーホフもまた 先生の論考の対象である。
 
その他、日本文学では三島由紀夫林芙美子、先に上げた 宮沢賢治、また漫画では手塚治虫つげ義春日野日出志な ど、とにかくその批評の対象となるフィールドは実に多彩で 幅広い。また、暗黒舞踏で知られる土方巽や映画監督の今村 昌平など、文学とはジャンルを異にした人物たちの鋭い批評 でも異彩を放っている。
 
数ある清水先生の著書の中で、私が特に印象に残っている 一節がある。それは平成十七(二〇〇五)年に出版された 『三島由紀夫・文学と事件』の中の「あとがき」に書かれた 文章である。三島由紀夫はご存知のように昭和四十五(一九 七〇)年十一月二十五日に、楯の会の隊員四名とともに東京 の自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ、東部方面 総監を監禁、バルコニーでクーデターを促す演説をした後、 割腹自殺によって生命を絶ったが、その自決に関して、清水 先生はこの著書の中で〈自らの生〉について次のように語っ ている。少し長いが、大変感動的な文章なので、引用させて いただきたい。 「わたしはわたしなりに静かに自分の生を省みた。わたし は三島由紀夫のように体を鍛えようと思ったこともないし、 自らの命を自ら断つことに男らしさや美を感じたこともな い。わたしは残された者として、自らの生を全うしなければ ならない。残された者の悲しみ、怒りをすくい取れない文学 は文学ではないというのが、わたしの文学観である。
(略)
 
昨日、この本の校正を終えて、一息ついて、あらためて 蘇ってきた三島の言葉がある。母倭文重が三島の日記帳に発 見した『僕はいつも号泣したいのに我慢している』という言 葉である。生きて有る〈現在〉を必死に精一杯生きた三島の 内心の声である。こういう声を聞いてしまうと、三島の〈事 件〉を善悪の次元で片づけることはできなくなる。文学に係 わる者は、だれもが号泣を我慢して生きている。否、この世 に生を受けたすべての者がそのように生きている。
 
今日七月二十九日は、昨年ソウルに旅立った前日であり、 故父の妹の葬式であった。結婚してすぐに夫は戦争で帰らぬ 人となり、一人息子を女手一つで育て上げ、八十七歳の生を 終えた女の一生に、どれほどの号泣と我慢があったことだろ うか。一文字も残さなかった者たちの内心の思いを、表現し なければならない使命を与えられた者がある。わたしは、そ の使命を全うしなければならない。」と。
 
文学に係わる者の〝覚悟〟がよく伝わってくるすぐれた文 章である。最後になったが、私も日芸の卒業生の一人とし て、清水正先生の長年の教員生活と友情に対し、心からの感 謝を申し上げたい。これからも健康にご留意され、いつまで も健筆を揮っていただくことを期待してやまない。
(のもと・ひろし    株式会社愛和出版研究所代表取締役

野本博 文学に係わる者の使命(2)

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

文学に係わる者の使命(2)
野本博

 
二冊の著書
  
ドストエフスキー宮沢賢治
 
清水先生が大変な読書家で、ご自身が執筆された膨大な ページ数の著書も多数あることは以前から承知していたが、 かつての上司とのこの出会いがきっかけとなり、私を編集協 力者として清水先生の著書を出版することが決まり、平成十 八(二〇〇六)年にその出版社から先生の一冊目の著書『ウ ラ読みドストエフスキー』が刊行されたのである。これは今 から思うと何とも幸運な出来事であった。人間と神の問題を 徹底的に見つめ、二十一世紀の預言書とも言うべきドストエ フスキーの文学に仕掛けられた数字や時間の謎を大胆に読み解くこの衝撃の書は、大変好評で、同じ出版社からもう一 冊、清水先生の著書を出版しようという流れにつながった。 それが平成十九(二〇〇七)年に出版された、宮沢賢治の童 話に描かれたエロスと数字の謎を独自に解明しようと試みた 『ケンジ・コードの神秘』である。
 
清水先生は昭和二十四年のお生まれ、私は昭和二十三年。 同じ団塊世代の人間として、大学では学生運動史上、未曽有 の大闘争を繰り広げた、あの日大闘争を経験するなど、共通 の話題も多く、また先生は、長塚隆二先生(日芸のフランス 語の教授)の後を継いで自動車部の部長を務めていただくと いうご縁もあり、この二冊の本の著者と編集者としての関係 がスタートとなり、以来、親しくお付き合いをさせていただ くようなったわけである。
 
伊香保で聴いた「連絡船の唄」
 
清水先生との個人的なお付き合いとしては、平成十八(二 〇〇六)年に三泊四日の韓国旅行に同行させていただいたこ とがある。メンバーは清水先生を中心に、山下聖美先生など の教員や職員の方、それに文芸学科の卒業生や日芸の大学院 を終えられたりした方たちである。旅行中は日芸と韓国の大 学との親密な意見交換会が行われたり、日本と韓国の出版事 情やその違いなどについて、活発な議論が繰り広げられた。

市内観光を終えた夜は、居酒屋でマッコリと焼き肉に舌鼓を 打つなど、私にとって日頃の仕事の疲れを忘れさせてくれる ありがたい旅であった。たまたま入った大きな書店で、韓国 語版の清水先生の著書を見つけた時は、私自身、大いに興奮 したものである。また、平成二十二(二〇一〇)年に、自動 車部の行事として新入部員の歓迎会が群馬県伊香保で行わ れた時は、OBの一員としてその参加メンバーにも加えてい ただき、徳冨蘆花記念文学館や自動車博物館、林芙美子文学 館などを新入部員の皆さんとともに見学した。
 
伊香保での夜は旅館「金太夫」で。夕食を済ませた後、 我々は館内のカラオケ・ルームへ移動。ここでは清水先生が マイクを握って唄う姿を初めて見た。曲はたしか菅原都々子 の「連絡船の唄」ではなかったかと思う。先生が哀調を帯び た独特のシブい低音で切々と歌い上げるこの「連絡船の唄」 は、まさに絶唱であった。
 
私の手元に菅原都々子のCDがあるが、その解説書を読む と、この「連絡船の唄」は昭和二十六(一九五一)年のヒッ ト曲とある。昭和二十六年と言えば清水先生はまだ二歳であ る。まさか二歳でこの歌を覚えたとは考えられない。では、 いったい先生はどこでこの歌を覚えたのだろうか?     清水先生の昨年八月のブログにこんな記述がある。 「ここ一週間、動画で田端義夫の歌を聴いている。かえり 船、大利根月夜、ふるさとの灯台、雨の屋台、どの曲も心に染みる。バタヤンの歌は日本人の魂にやさしくせつなく響い てくる。」と。
 
謡曲好きの私にはよく分かる。何より田端義夫と菅原 都々子の歌には、日本人の感性を揺さぶるセンチメントな情 感が共通するのである。テレビのない時代に育った団塊の世 代の人間にとっては、おそらくは小学生の頃、ラジオから流 れてくる菅原都々子の歌声に魅了され、そのメロディが少年 の心に忘れがたく深く染み入ったのではないだろうか。
 

野本博 文学に係わる者の使命

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清水正ドストエフスキー論全集第10巻が刊行された。
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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

文学に係わる者の使命(1)
野本博

 

清水先生との初めての出会い
 
私が清水正先生に初めてお目にかかったのは、たしか大竹 徹先生の「お別れの会」の時であったように思う。大竹先生 は長年、日本大学芸術学部の映画学科で教鞭をとられ、やが て芸術学部の学部長にもなられた方であったが、一方で運動 部の自動車部の参与も務められていて、大学の教員として部 の存続と発展のために力を尽くされ、部員たちの面倒もよく 見られた先生であった。
 
私は一浪の後、日芸の放送学科に入学、免許を取るべく自 動車部に入部し、怖い先輩にしごかれながら、運転練習や ハードなトレーニングなど部活動に励む大学生活を送ってい た。私が大学を卒業してさる出版社に就職し、月刊誌の編集部に配属されたのは昭和四十七(一九七二)年のこと。その 出版社で知り合った三歳年下の編集部の女性と結婚をした 時、仲人をしてくださったのも、大竹先生ご夫妻であった。
 
その後しばらくして大竹先生の奥さまが若くして亡くなら れ、先生ご自身もご病気で亡くなられたのが平成十一(一九 九九)年のことであった。そして同年の十月に開かれたこ の「お別れの会」で私の友人を介し、清水先生を紹介された のが最初である。その時はただ先生にご挨拶をした程度のこ とであったと記憶しているが、何しろ今から十九年も前のこ と、清水先生と何を話したか詳細は覚えてはいない。私のお ぼろげな記憶では、その「お別れの会」には昨年(二〇一七 年)亡くなられたドキュメンタリー映像作家の松本俊夫さん も出席されていたように思うが、これもまた定かではない。
 
当時の私は、長年勤めていた外資系の出版社を辞め、企画 を中心とする編集・制作会社(いわゆる編集プロダクショ ン)に転職をした頃で、会社の編集責任者として他社の出版 社からさまざまな書籍や雑誌などの編集作業を受注し、それ らの仕事を納期通りにこなすために土曜も日曜もまるで関係 なく、毎日深夜まで忙しく働いていた。
 
そしてその頃に偶然に出会ったのが、かつて同じ出版社で 一緒に働いていた私の上司である。話を聞くとその方も定年 を待たずに出版社を辞め、東京の神田神保町で新たに自身が 経営する出版社を立ち上げたということであった。そして外 部編集者として私に仕事の協力を求めてきたのである。

(のもと・ひろし 株式会社愛和出版研究所代表取締役)
 

英語落語の鹿鳴家英楽(カナリヤエイラク)さんたちと「同心房」で飲み会。

昨日8日は特別講座で日芸にいらっしゃった英語落語の鹿鳴家英楽(カナリヤエイラク)さんたちと「同心房」で飲み会。英楽さんは立川流に属していたということで、立川談志の話で盛り上がった。

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