野本博 文学に係わる者の使命

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
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清水正ドストエフスキー論全集第10巻が刊行された。
清水正・ユーチューブ」でも紹介しています。ぜひご覧ください。
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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

文学に係わる者の使命(1)
野本博

 

清水先生との初めての出会い
 
私が清水正先生に初めてお目にかかったのは、たしか大竹 徹先生の「お別れの会」の時であったように思う。大竹先生 は長年、日本大学芸術学部の映画学科で教鞭をとられ、やが て芸術学部の学部長にもなられた方であったが、一方で運動 部の自動車部の参与も務められていて、大学の教員として部 の存続と発展のために力を尽くされ、部員たちの面倒もよく 見られた先生であった。
 
私は一浪の後、日芸の放送学科に入学、免許を取るべく自 動車部に入部し、怖い先輩にしごかれながら、運転練習や ハードなトレーニングなど部活動に励む大学生活を送ってい た。私が大学を卒業してさる出版社に就職し、月刊誌の編集部に配属されたのは昭和四十七(一九七二)年のこと。その 出版社で知り合った三歳年下の編集部の女性と結婚をした 時、仲人をしてくださったのも、大竹先生ご夫妻であった。
 
その後しばらくして大竹先生の奥さまが若くして亡くなら れ、先生ご自身もご病気で亡くなられたのが平成十一(一九 九九)年のことであった。そして同年の十月に開かれたこ の「お別れの会」で私の友人を介し、清水先生を紹介された のが最初である。その時はただ先生にご挨拶をした程度のこ とであったと記憶しているが、何しろ今から十九年も前のこ と、清水先生と何を話したか詳細は覚えてはいない。私のお ぼろげな記憶では、その「お別れの会」には昨年(二〇一七 年)亡くなられたドキュメンタリー映像作家の松本俊夫さん も出席されていたように思うが、これもまた定かではない。
 
当時の私は、長年勤めていた外資系の出版社を辞め、企画 を中心とする編集・制作会社(いわゆる編集プロダクショ ン)に転職をした頃で、会社の編集責任者として他社の出版 社からさまざまな書籍や雑誌などの編集作業を受注し、それ らの仕事を納期通りにこなすために土曜も日曜もまるで関係 なく、毎日深夜まで忙しく働いていた。
 
そしてその頃に偶然に出会ったのが、かつて同じ出版社で 一緒に働いていた私の上司である。話を聞くとその方も定年 を待たずに出版社を辞め、東京の神田神保町で新たに自身が 経営する出版社を立ち上げたということであった。そして外 部編集者として私に仕事の協力を求めてきたのである。

(のもと・ひろし 株式会社愛和出版研究所代表取締役)