「畑中純の世界」展を観て(連載16)

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畑中純の世界」展を見て
安藤把子




今回「畑中純の世界展」を日本大学芸術学部資料館にて開催されるまでは、
失礼にも漫画家・版画家畑中純氏を知らなかった。「まんだら屋の良太」の原画
宮沢賢治作品を題材にした版画を観てもピンとくるものがなく、色彩の美し
さや一見雑に彫られた感の版画を茫然とながめていた。しかし、ひと周りして、
しまいまでくるうちに更にひと回りしてみたくなり、畑中純氏を知らずに作品
を鑑賞することはとても失礼だと感じ始めた。タッチは繊細なラインではない
が原色にもかかわらず透明感があり、描いたというより作り上げたという作品
に興味が沸いた。まるで美しい布をわざわざきざみ、更に違う布を作り上げて
いくパッチワークのような世界観を味わった。同じもので全く違うものを作り
出すという感じ。画風もなんとなく下品というか垢ぬけ感はなく、今風に例え
れば「へたうま」とか「ぶすかわ」とかそんな言葉が当てはまる。それゆえに、
エロスとカオスとファンタジー曼荼羅宇宙感は直感できたのだろう。
畑中純氏が描くエロス的な九鬼谷温泉画「まんだら屋の良太」は10 年もの長
きにわたって書き継がれた人気の大長編マンガであり、映画になったりNHK
連続ドラマになったりし、畑中純氏にとっても恐らくこれを越える作品は書け
ないのではないかといわれているほどの作品らしい。下品なマンガと言われた
が偉大なる作品として残ったのは人情味溢れた虚構の中の真実の世界観がある
からだろう。この作品を読んだ人の意見に「少々下品な表現に閉口する一方で、
登場人物たちのきどらなさ、大胆さ、気風のよさ、自由さに感動した。それは
確かに、下品で猥雑でありながらも、心の洗われる話に満ちていた」、「単なる
読み捨てのエロ漫画ではないかと切り捨てる人もいるかもしれないが、1 巻目を
読むだけで直ぐに分かることは、作者が描こうとしているのは、エロチシズム
ではない。性に対して適度な距離をとり、性欲に巻き込まれる濃厚な人間関係
を辿り、人と人との絆を描こうとしている。ギャグと言えば浮き上がってしま
いそうな土俗的で艶っぽいドタバタ喜劇」などとのコメントが寄せているほど
だ。
まさに作品を観て、コメディータッチの中に人情味が溢れており温かみを感
じてくる。それは、独学で始めたという版画にも共通できる。宮沢賢治作品を
モチーフに彫っていく版画には、宮沢賢治の山形への「イーハトーブ」と畑中
純の福岡への郷土愛が繋がりなぜ、畑中純氏が宮沢賢治を崇拝していたのかが
知りたくなってくる。探していくうちに次のような宮沢賢治の言葉をみつけた。
「わたくしは、これらのちいさいものがたりの幾きれかが、おしまい、あなた
のすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりま
せん。(賢治)」と。そして、宮沢賢治の描く心象風景に心を慰められた畑中純
氏が、版画で賢治の世界を表現し、注文の多い料理店の全十作品、セロ弾きの
ゴーシュ、風の又三郎、猫の事務所、ツェねずみ、クねずみ、よだかの星、氷
河鼠の毛皮、飢餓陣営、洞熊学校を卒業した三人、月夜のけだもの、土神と狐、
蛙のゴム靴、雪渡り、やまなし、オッペルと象、詩(報告、小岩井農場、春、永
訣の朝、雨ニモマケズ)、銀河銀道の夜の31 作品・版画70 点を残しているとい
う。
その理由として「不景気は進行する一方で、将来の不安に押しつぶされそう
な現在、子供も青年も大人も皆等しく傷つき疲れています。なにか疲れを癒し
イラ立ちを沈める薬はないものか。あります。現在の流行としての、企業戦略
としての卑しい癒し共が束になっても敵わない絶対の本物、宮沢賢治の作品集
が一番の薬です。(畑中純)」と残している。畑中純氏も宮沢賢治を彫り続けな
がら自分自身を戒め世の中での疲れをいやしていたのかもしれない。宮沢賢治
のように詩集や童話など一つにとどまらずもがきながら世俗に訴えかけながら
一生を生き抜く姿勢は畑中純氏にもかさなり、煩悩のはけ口とし自分自身の考
えや欲望や行動について熟考する姿勢がうかがえる作品だと強く感じた。
雨ニモマケズ」の中で特に好きなフレーズがある。「丈夫なからだをもち慾
はなく決して怒らずいつも静かに笑っている」完璧な人間像がそこにある。な
れるものならなりたいが容易なことではない。近づくことができたとしてもた
どり着くことはできない。あの畑中純氏も版画を彫りながら追求していたのだ
ろう。煩悩というものをぬぐい捨てることができたら人はどんなに幸福で楽だ
ろうかということも。
このたび畑中純氏の作品にふれる機会を持つことができたことにとても感謝
している。無知であることは恥ずかしいというよりも不幸であるといつも思っ
ているからだ。そして、写真を学ぶ者として感じた。たった一枚の絵や写真で
も人の気をとめることは可能であり、作品を作り上げるということは自分を作
り出すことに似ているということを。__