小林リズムの紙のむだづかい(連載488)


清水正ドストエフスキー論全集』第七巻。2014年7月31日刊行。D文学研究会発行・星雲社発売。A五判上製585頁。定価7000円+税



清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税

小林リズムの紙のむだづかい(連載488)
清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演などを引き受けます。

D文学研究会発行の著作は直接メール(qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp) で申込むことができます。住所、電話番号、氏名、購読希望の著書名、冊数を書いて申し込んでください。振込先のゆうちよ銀行の番号などをお知らせします。既刊の『清水正ドストエフスキー論全集』第一巻〜第六巻はすべて定価3500円(送料無料)でお送りします。D文学研究会発行の著作は絶版本以外はすべて定価(送料無料)でお送りします。なおД文学研究会発行の限定私家版を希望の方はお問い合わせください。


清水正の著作はここをクリックしてください。

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四六判並製160頁 定価1200円+税

京都造形芸術大学での特別講座が紹介されていますので、是非ご覧ください。
ドラえもん』の凄さがわかります。
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp

清水正へのレポート提出は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお送りください。
小林リズムさんがエッセイ本をリンダパブリッシャーズ(http://lindapublishers.com/archives/publications/dokonidemoiru)から刊行することになりました。本のタイトルは『どこにでもいる普通の女子大生が新卒入社した会社で地獄を見てたった八日で辞めた話』発売日四月五日。
http://lindapublishers.com/archives/publications/dokonidemoiru
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小林リズムの紙のむだづかい(連載488)

【年の功というもの】


 生理デビューしてから10年くらい経つのだけど、何年経っても失敗はする。「あ、そろそろ生理かも……」と思ってスタンバイしておいても、ナプキンがズレてショーツを汚したり、鞄に入れ忘れてしまうこともままある。とはいえ、翌朝起きてナプキンがズレていたがためにシーツを汚してしまったときは、絶望に等しいショックを味わう。血液は水では落ちにくいし、シミに残ってしまいがちだ。なにより「この歳になっても何やっているんだろう……」と落ち込む。

 一人暮らしを始めてからは、生理の失敗をしても自分で洗濯したり干したりするから、そういう出来事も単なる自己嫌悪で済むけれど、祖父母宅に暮らしていたころは祖母に洗濯をしてもらっていたから、生理中はひやひやものだった。ショーツにナプキンを貼りつけても血液がはみ出てしまうことに苛々して、いっそのことオムツを履きたいと願ったことさえあった。そうやって慎重に気を付けていたから、ショーツを汚すことはあってもシーツを汚すことはめったになかった。

 けれど、20歳前後の頃、私は見事に失敗した。「そろそろ生理だなー」と思って前もってスタンバイ(というのはショーツにナプキンを貼りつけておく状態のこと)をしていたまではよかった。ただ、寝返りをうっているうちにナプキンがズレてしまったせいで、血液が盛大にもれてしまったのだ。パジャマは黒いジャージだったから汚れが目立たずに済んだものの、ピンクのシーツは血液で小さく汚れていた。あのときの絶望感を何と表現したらいいんだろう。
 もともと私は幼いころにおもらしをしたときも自己申告できるタイプではなかった。こっそりと履き替えて洗濯機に突っ込んでおく子で、洗濯したときのパンツの枚数が多いことに気づいたお母さんから「もらしたの?」と聞かれることがものすごく嫌だった。そんなだったから、生理をもらすなんてことを伝えられるフットワークの軽さなんてない。

 とはいえ、もういい歳である。洗面所で歯を磨いている祖母に剥がしたシーツを持って行って、ぼそっと「ごめん、シーツ汚しちゃってさぁ」と本当に小さな声で申告した。何で汚れたとか、どうして汚れたとか、何も説明しなかったのに祖母は「あら」とたった2文字だけ声を発して、私の持っていたシーツをまるでタオルを受け取るかのように簡単に受け取って、水に流して素手で洗い始めた。「こういう失敗ってあるよねぇ」とか「落ちにくいんだよねぇ」とか、そういう言葉さえ言わずに、よくある当たり前のこととして淡々とごしごしと汚れを洗い流す祖母を見て、心底救われた。ああ、これが年の功なのか……。と、感動したのだった。あの瞬間から、私は自分の生理を汚いものだなんてまったく思わなくなった。


 

小林リズムのブログもぜひご覧ください「ゆとりはお呼びでないですか?」
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