清水正・ドストエフスキーゼミ(連載5回)

清水正への原稿・講演依頼はqqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。
ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー
清水正の新刊案内林芙美子屋久島』 (D文学研究会・星雲社発売)は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
A五判並製160頁・定価1500円+税


清水正ドストエフスキーゼミ・第五回課題
カチェリーナについて


カチェリーナについて 
篠原 萌
 私はまだ罪と罰の上巻までしか読んでいないが、そこまででカチェリーナについて思うことは「彼女は本当に上流階級の出身なのか?」ということである。もちろん本当に良い家柄の娘さんなのだろうが、どうにも品が無い。子供を叩く、娘を売る、言葉遣いもあまり良くない。とりあえず気位が高いということはよくわかる。なかなか気性の激しい女である。
 このプライドの高いお嬢様であるカチェリーナがうだつのあがらなさそうなマルメラードフと結婚することになった時、彼女は何を思ったのだろうか。金が無くて子供を育てられない、あいつと結婚するしかない。それは自分のプライドを投げ捨てるようなことで、彼女の決意の表れだと思う。自分の地位だけ保ちたかったら子供を置いて逃げ出したはずだ。カチェリーナにとって、マルメラードフと結婚することは今までの自分を変えることだったのだろう。自分の生き方を変えなければ、子供も自分も生きていけない。それを屈辱だと思っただろうか。それとも生きるためなら仕方ないと割り切っただろうか。考え方というのはなかなか変わらないものだから、屈辱だと思う気持ちと仕方ないと思う気持ちの半々だったのではないかと思う。
 カチェリーナの気性の激しさは結婚前と結婚後ではさして変わっていないだろう。元々プライドが高くて気の強い人だったのだろう。それはソーニャを売ることを持ちかけられた時に断ったことからもわかる。何度も持ちかけられ結局はソーニャを売ることになってしまったが、カチェリーナはソーニャを大切に思っていたのだろう。体を売り、帰ってきたソーニャと泣いたカチェリーナは彼女の気持ちがわったのだと思う。自分もプライドを捨ててマルメラードフと結婚したのだし、自分を売ったのにも近い心境だったのではないか。そのような心境だったから、ソーニャが体を売るのを嫌がるのを非難したのだろう。自分だってプライドを捨ててここまで来たんだ、お前も捨てちまえ。そう言いたかったのではないか。ソーニャに辛く当たるのは、カチェリーナは今までの自分を変えたのに、変
えようとはしないソーニャが気に入らなかったという理由だろう。
 私はカチェリーナの気性の激しさが好きではない。好きではないが、時々共感できる。マルメラードフが久しぶりに家に帰ってきた時、カチェリーナは彼の髪を掴んで振り回した。本を読んでいる私からすれば「もっとやれ」という気持ちである。これから夫は金を稼いできてくれて、生活もまともになる。やっと投げ捨てたプライドが報われる時が来る。そんな心境だったのにマルメラードフが逃げ出したせいで一気に叩き落されたのである。それは髪を引っ掴んで振り回す程度では許せないだろう。この時ほど、カチェリーナがマルメラードフと結婚したことを後悔したことは無かっただろう。逃げ出したマルメラードフも許せないが、そんな男と結婚した自分も許せない。プライドの高い彼女のことだからそんな風に思っていても不思議ではない。
 カチェリーナの今までの人生の中でピークだったのは、金のメダルと賞状をもらった時だろう。彼女もそれをわかっている。わかっているからいつまでもそのことを自慢する彼女の人生を一言で表すと転落という言葉が合うだろう。そのままレールに乗っかって進んでいけば、間違いなくマルメラードフなんて男は踏みつけられる場所に行くはずだったのである。それがマルメラードフに救ってもらわなければならないほど落ちぶれたのだ。駆け落ちが原因なのだろうが、カチェリーナの言動を見ると歩兵将校と結婚したことは後悔していないようだ。だからカチェリーナにとっての人生の汚点はマルメラードフと結婚したことだ。やっと救われると思ったのにマルメラードフに逃げ出された。それはもしかしたらマルメラードフと結婚した時と同じくらい屈辱だったのかもしれない。
 名門の出であるカチェリーナは、蝶よ花よとそれはそれは大事に育てられたのだろう。人を馬鹿にすることはあっても、人に馬鹿にされることはない。歩兵将校にひどい扱いは受けたが、そこまで屈辱には感じていなかった。マルメラードフと結婚したことで今までの生活とは大きく変わってしまった。自分が無礼な態度をとられる側になったのである。マルメラードフが悪いのだと思っても仕方ないのかもしれない。自分の生き方を変えるきっかけになった人物なのだから。
 私はまだ罪と罰の最初の方しか読んでいない。マルメラードフが死んだあたりまでである。だから今後、カチェリーナ達がどうなっていくかはわからない。カチェリーナは救われるのか。気位の高い彼女はそれでもまだお高くとまっているのか、続きをとても楽しみに思っている。


カチェリーナについて

小山 咲来

カチェリーナは私にとって謎多き人物である。どこら辺が謎なのかというと、彼女はマルメラーゾフをどう思っているのかわからないというところだ。途方に暮れていたところをマルメラーゾフに救われているが、貴族としてのプライドが高い彼女。「こんな男に拾われるなんて・・・」と思う反面、生き残るためには仕方がないと彼の手をとった。そこに感謝があるのかないのか、私にはわからなかった。マルメラーゾフの話によれば彼はカチェリーナに怒鳴られっぱなしらしいが・・・。本当にこの二人は大丈夫なのだろうか。いや、大丈夫ではなかった。結核を患ったカチェリーナがマルメラーゾフの髪を引きずって部屋をグルグル回る話を読んだ時、ああもうだめだと諦めがついた。
しかしカチェリーナが不幸だともとれるかもしれない。拾ってもらった男は飲んだくれ、家の金をすべて持ってあっちへふらふら、こっちへふらふら。怒鳴り散らしたくなるだろう。よくラスコーリニコフのように殺人を起こさなかったものだ。学生時代はダンスで金賞をとり、立派な成績を修めた輝かしい過去を持つ彼女も、今となっては苦労人である。こう考えると、カチェリーナがマルメラーゾフを明らかに憎んでいるととれるだろう。でも本当にそうだろうか?心のどこかでは・・・・・・カチェリーナはマルメラーゾフにささやかではあるが「愛」があるんじゃないか。そうでなければ、彼女はとっくに夫を捨て、子供と一緒に夫より先に金をふんだくって出て行ったんじゃないだろうか。というより、私だったらそうする。マルメラーゾフを待つ彼女を読んで、諦めていた私も「これは少し脈があるんじゃないか?」と思ってしまった。いくら怒鳴り散らしても、いくら夫の髪をつかんで部屋を徘徊しても、まだどこかで夫を思う気持ちがどこかにあるんじゃないだろうか。
気性が激しく、短期でプライド高い彼女はこの後生き地獄のようなひどい体験をしてしまう。彼女はこの作品の中ではいわゆる「ちょい役」ではあるが、私にとっては一番劇的な登場人物である。生きるために死にものぐるいの彼女は、何故か私に強い印象を与える。何かに一生懸命な人物は、どんな事情があっても心に残る。カチェリーナの場合は一生懸命じゃすまない生き様だけれど、その激しさは私には忘れられない。
さて、マルメラーゾフにカチェリーナが振り回されているのか、それともカチェリーナがマルメラーゾフに振り回されているのか。どちらにしろ、この二人にほんの少しでも愛があることを私は願う。


カテリーナについて
福田 紋子

カテリーナの人生はなんというか追い詰められてばかりだよなと思う。
誉れ高い県立の貴族女学校で教育を受け、教育もあれば教養もあるお嬢様で、おまけに卒業時には県知事さんほかお歴々の前でショールダンスを踊り、金メダルと賞状までもらった彼女。彼女はやがて歩兵士官の男と情熱的な恋に落ち、地位も名誉もお金も両親さえ捨てて駆け落ち。しかし、甘い生活が彼女に訪れるなんてことはなかった。旦那はカード賭博に手をだし、裁判にかけられ、ぽっくりと逝ってしまう。こんなこと駆け落ちする前は微塵も考えていなかっただろう。現実はそんなに甘くはなかったのだ。旦那が死に、へんぴな村里に取り残され、彼女の手元に残されたのは三人の幼い子供達。プライドの高い彼女だから今更子供を引き連れて実家に戻るなんてこと絶対にできるはずがない。必死に耐える。だけど、生活は苦しい。自分一人というわけではないのだ。まだ他にお腹をすかせた我慢を知らない幼い我が子が三人も。本当に本当に貧しくて貧しくて死にそうだったのだ。だけど、死んでもプライドだけは売れない性分の女なのだ。どこにも行き場がない・・・。そんなとき、一つの救いの手がさしのべられた。それは同情からきているもの。そんなことは分かっていただろう。この手を握り返す自分はみじめだ。なにせ、自分はプライドが高い!相手はじぶんよりもかなり劣る男。こんな形になっていなかったら出会うことすらなかったような。それが自分の旦那になる?あり得ない!だけど・・・だけど!もうどうしようもない!行き場がない!だから!だから!仕方なくカテリーナは涙を流しながらマルメラードフの手を握り返したのだろう。もう藁をもつかむ想いだったはずだ。
マルメラードフと結婚したからといって、結婚当初、マルメードフはカテリーナに手をだしてはいなかった。それが役目だと思ったからである。
マルメラードフもバツイチで、一人娘をもっていた。ソーニャという。
マルメラードフは一年間必死に働いた。みんなを養っていくために。だけど、そんなことでカテリーナは満足しなかった。カテリーナの求めるものはマルメラードフが手にいれられるものではなかったのだろう。一年後、定員改正のために役所の職を失ったときマルメラードフはこのことに気づいたのだ。そして、もう守るものなんてなにもないと悟った。そしてカテリーナに手を出したんだろう。全部壊してしまった。もうどうにでもなれ。マルメラードフの本性はこうしてでてきてしまったのだろう。そうして飲んだくれおやじになったのだ。
今が不幸だと昔がとても幸せに見えるもんである。カテリーナの場合もそうだ。今味わっているのは最底辺。あの頃。愛しい人が生きていたあの頃に戻れたら・・・。そう思うのは仕方ないこと。でも、考えてみてほしい。そんなに幸せだったか?旦那はよくカテリーナに暴力を奮っていたのだ。ドメスティックバイオレンスではないか!彼女はMだったのか?そんな日々のことが幸せといえるなんて。私にはよく理解できない。
まあマルメラードフとの生活は心身ともに極貧で、この世に神も仏もあるのかなんて感じだろう。そんな生活を送っていたから、ついに彼女は豹変してしまったのでしょう。悪い病気が発病してしまった。「このただ飯食いが、よくもまあ、食って、飲んで、ぬくぬく暮らせるわね」とソーニャに言ってしまった。そしてソーニャに売春を促す言葉をいった。今までこれだけはよそうと思っていたことでしょう。でも、私も仕方なかったと思います。プライドを守ろうにも守れない環境まで彼女は追い詰められていたのですから。だから、ソーニャが出て行き、戻ってきてカテリーナの目の前に三十ルーブルをおいた後、カテリーナは一晩中ソーニャの足下にひざまずいたまま、両足に口づけし、立ち上がろうとしなかった。カテリーナは懺悔したと思うのです。ソーニャに、昔の自分に。
話はとぶが、マルメラードフが馬車にはねられたときも彼女は追い詰められていた。
生活するのだって大変なのに葬式なんて金どこにあるんだと。
そしてまた昔のことを思い出す。自分が裕福だった頃。地位も名誉も金もあった。そして今までを振り返り、いまいましい人生だったと悟るのだった。
カテリーナはきれい好きである。そんな彼女だからとても神経質でヒステリックになりやすいだろう。だから、また悪い病気がでて言ってしまう。「死んで本望さ!」なんてひどいこと。でもね。カテリーナはマルメラードフのことが本気で嫌いだったとは私は思わないんだよ。葬式だけじゃなく他もきちんと弔ったってこともあるけど、それ以上にきっと彼女は少しばかりでもマルメラードフに感謝してたと思うんだ。マルメラードフに少しでも借りを作るのはいやだってのもあるかもしれないけどさ。そう私は信じたい。

カチェリーナ・イワノーヴナについて
斉藤有美

子供向けの物語は、大抵ハッピーエンドで終わる。シンデレラも、白雪姫も、桃太郎も結局悪い人は退治されていい人だけが幸せになる。だがその後の物語は誰も知ることが出来ない。本当に彼らは幸せになったのかは誰にも分からない。私たちはただ想像するしかないのだ。ただ彼らの幸せを祈ることしか出来ない。そんな「ハッピーエンドの物語のその後」が珍しく書かれているのが、今回のテーマであるカチェリーナ・イワノーヴナの人生はではないかと私は思う。
彼女は身分の高い貴族のお嬢様。心から好きになった人が出来て、親の反対も押し切って駆け落ちまでしてしまう。3人の子供に恵まれ、彼女は愛する夫と子供達に囲まれて末永く幸せに暮らしました。もしこれで彼女の物語が終わるのなら、全てを捨ててまで愛する人と結ばれることはとても美しい事なのだろうと私は感想に書いたはずだ。これこそまさにハッピーエンド。だが、流石『罪と罰』の登場人物というべきか、ハッピーエンドで終わったはずの彼女の物語はそう簡単には終わらない。幸せな人生を送るどころか、むしろ彼女の人生はそれまでの幸せな時と反比例するかのようにどんどん酷い物になっていく。
まず始めに、あんなに好きだった夫には、彼がカルタに手を出した事をきっかけに暴力を振るわれるようになるのだ。妻に暴力を振るう男なんて最低だと私は思うが、そもそもカチェリーナは自分が好きになった人がそのような一面を持っている事に、駆け落ちする前に気付かなかったのだろうか。好き同士になって、駆け落ちするまでの具体的な日数が書かれていないため詳しいことはよく分からないが、もし仮に一目惚れしてそのまま駆け落ちを決めたのだとしたら、それはかなり無謀なことだと私は思う。相手のことをほとんど何も知らずに結婚しようとするなんて、馬鹿だとしか思えない。自分の今後の人生に大きく関わることなのだから、たとえ好きであったとしても、もっと慎重に決めるべきだと思う。だが日本には「お見合い」の風習があるくらいだから、ほぼ初対面の人と結婚した人達が全員悲惨な人生を送るとは思わない。だがお見合いと駆け落ちは違う。お見合いだったら、たとえ離婚したとしても支えてくれるはずの家族がいるが、駆け落ちとなると自分の家族や、家柄や財産も、全てを捨てて好きな人と遠くの地で暮らしていくのだ。カチェリーナのように未亡人になってしまったら、支えてくれる家族もいない孤独な人生を送ることになる。若気の至りなのかもしれないが、一目惚れにせよ、そうでないにせよカチェリーナ達は物事をあまり深く考えない、浅はかな人達だと思った。だから私はカチェリーナが送った人生をあまり可哀想とは思えない。
最初の夫が亡くなり、地位も名誉も無いただのカチェリーナ・イワノーヴナになってしまった彼女がそれからどれだけ苦しんだのか、私には分からない。だがマルメラードフが自分で言っているように、身分も育ちも違う彼女が彼の結婚の申し出を受けたくらいなのだから、相当追い詰められていたのだろう。カチェリーナはマルメラードフに求婚された事をどのように思ったのだろうか。「私たちの命を救ってくれる救世主が現れた」、「私はこんな男に求婚されてしまうくらい落ちぶれた女になったのか」、「本当は嫌だけど、子供達のことを第一に考えよう」、たくさん考えられるが「子供達のために」というのだけは止めてほしい。子供達がちゃんとした人生を送れるようにというのなら母親として立派だろうと思うが、「子供達のために自分の人生を犠牲にした」という考えならば、私はむしろ最低だと思う。子は親を選べないとよく聞くが、この子供達だって、別に好きで彼女から生まれたわけではない。もし選べたのならおそらく彼女ではなく他の女性を選んだだろう。それなのに「私はあなた達のために自分の人生を犠牲にしたの」なんて気持ちで育てられたら嫌に決まっている。子供は彼女が産もうと決めたことであり、彼女の責任だ。どんなに最低の人生を送ったとしてもそれを子供のせいにするのは間違っていると思う。マルメラードフも酷い人間であると思うが、子供達が飢えに苦しみ、妻も病に冒されながら働かなければならない原因は全て彼であるとは思えない。彼が死んで、みんなが路頭に迷ってしまうかもしれない状況を全て彼のせいにするのは間違っていると思う。限界まで追い詰められていたにしろ、仕事もろくにせず、お酒ばかり飲んで家族を苦しめる夫と結婚しようと決めたのは彼女自身なのだ。相手をよく知らないのに結婚しようと決めたのは彼女自身なのだ。
私は、そもそもカチェリーナは駆け落ちをすべきではなかったと思う。もし駆け落ちしなかったら、好きな人とは一緒になれなかったけど暴力を振るわれることもなかったし、地位も名誉も守ったまま酷い人生を送ることにもならなかったはずだ。全く好きでない人と結婚することになるだろうけど、心の底で一生その好きな相手を思い続ける事は美しいと思う。マルメラードフが死んで、カチェリーナはこれからどうなるのだろうと嘆いていたが、私はまた彼女たちを見るに見かねた、最初の夫やマルメラードフよりも酷い男が彼女に結婚を申し込むと思う。カチェリーナが駆け落ちを決めた瞬間、彼女と子供達はこのような最低の人生を送る事になるループに足を踏み入れたのではないだろうか。

マルメラードフの奥さん カテリーナについて

渡部 菜津美 

ひとつ言わせてほしい。この作品にはまともな母親が一人もいないのか!
まったく、ラスコールニコフの母親に続いて、また別の種の最低な母親がでてきた。
夫にはまだしも、子供に暴力、悲劇のヒロインぶる、全て人のせい。
悪も悪。どうして三児の母親になんてなったのか全く理解できない。
お金があったから?心に余裕をもっていたから?
そんな気持ちで産んでいいほど、子供は軽いものではない。
中途半端な覚悟で子育てしようとするからこういう結果になるのだ。
またく、自業自得ではないか。
それなのに、お金がないのも自分の人生がうまくいかないのも全て誰かのせい。
そんなのでいるから何事もいい方向に進まないのだ。
母親は根っからの最低な人間、そのうえ夫は頭のおかしい変態。
子供たちがかわいそうで仕方ない。
 これから、マルメラードフの奥さん、カテリーナ•イワーナウ゛ナの心境を想像し、私なりの解釈で書いていきたいと思う。(本当はこんな腐った人間の心なんて想像もしたくないが、カテリーナ•イワーナウ゛ナについて書かなければならないのだから仕方がない。)
裕福で由緒正しい家柄。
それこそほしいものはなんでも手に入って、奇麗なお家で健康に育ち、優秀な学校でお勉強もできる。
お偉いさんの前で踊りを踊れば、賞状や金メダルも手に入る。
きっと幸せだったのだろう。
それこそ、そういった生活が幸せなことだということに気がつかないほどに。
 カテリーナが負けず嫌いで、学校の中でもトップクラスだったことは想像するまでもなくわかりきったことだ。
持ち前の気性の激しさで自分より下の人間を蔑んでいたにちがいない。
その環境の中で幸せな青春時代を終え、歩兵士官と恋に落ちた。
カテリーナにとってそれは大恋愛だったのだろう。
「もう運命の人はこの人しかいない!」と思ったに違いない。
気性が激しく負けん気の強いカテリーナが、その男のために家を捨てたのだから。しかも、貧しくて汚い家ではなく、由緒ある裕福で奇麗な家を。
カテリーナは、「自分はもう一人で生きていける」と、そう思ったのだろう。
自分に絶対的な自身をもっている性格だ。
だから、すてきな家庭を捨て、深く愛している男と駆け落ちしたのだ。
しかしそれが間違いだった。
男は賭博にはまり、裁判沙汰になって死んでしまった。
三人の子供を残して……。
それはそれはショックだっただろう。
幸せになれると確信してついていった男にまさか不幸にされるとは。
相手を殴ったところで心の傷が癒えるわけではない。
ただ、カテリーナにとって一番の苦痛は「自分が間違いを犯した」と認めることだったはずだ。
これは私の憶測だが、カテリーナは自分の行動が間違っていたとは認めず、「夫が変わってしまった」と思い込んだのではないだろうか。
だから今でもその男のことを思って泣く。
恨んでいるからではなく、昔と変わらず深く愛しているから。
そうすることによって、「自分は間違っていない。私は幸せだったのよ!だって今でもこんなにあの人を愛しているのだから。」と自分で思うことができるから。
だからといって、それで本当の幸せが手に入るわけではないのに。
 カテリーナはその後、小さな子供を三人抱えて、身内はもちろんのこと誰も助けてくれない中で、手を差し伸べてくれた優しい男性の元に後妻に行きます。
名門の出で気性の激しい負けず嫌いのカテリーナが、自分より遥かに下級の人に泣いて手をもみしだきながら嫁いだ心境は計り知れない。
自分のプライドを、生きていくためだとねじふせたのだろう。
カテリーナの涙は嬉し泣きではなく、きっと自分の低落ぶりに涙を流したのだと思う。
そのうえ、結局すがりついた男とも前の夫と同じ運命をたどってしまった。
失業して金はなく、自暴自棄になって酒にあけくれる夫。
せめてもの収入は、家族のために体を売る義娘のソーニャが稼ぐお金。しかしそれも足らず、ご飯さえまともに食べることができない。
カテリーナは絶望の中にいるに違いない。
そして、薄々自分が間違った選択をしたことを感じずにはいられなくなっているのだろう。
小さい頃はあんなに幸せだった。毎日美味しい食事ができて、毎日清潔で暮らすことができた。家さえ飛び出していなければ……。
そんなやり場のない気持ちを、子供たちに暴力をふるい、夫に全ての責任を負わせて発散しているのだろう。
なんて惨めな人生だろう。
そしてなんてかわいそうな人間なのだろう。
自分の間違いを素直に受け止められず、自分を信じるあまり幸せになることができなかった。
そしてこれからもカテリーナが幸せになることはないだろう。
自分の過ちを認め、反省し、子供たちを愛することができないかぎり、カテリーナに幸せが訪れることは絶対にない。
それに気づくことができないところが、彼女の一番の欠点だ。
ただ、同時にそれは彼女の中で一番大事な譲れない部分、いわゆるプライドというものなのだろう


カチェリーナについて

大崎帆南

カチェリーナは気性が激しく、口うるさい、高飛車な女だけれど共感できるところがたくさんあった。なぜなら私も人一倍プライドが高いのだ。
 幼い子供たちと困窮に陥り、途方にくれていたカチェリーナ。もうこの時点で彼女のプライドはズタズタにされていただろう。良い家柄に生まれ、貴族女学校で教育を受け、卒業時にショールダンスを踊って金メダルをもらったこの私が、何故このような境遇に陥っているのか。なにもかも投げ出したくなる心情だったと思う。自分1人ならばプライドを捨てて体を売りお金を稼ぐこともできただろうが、彼女には子供がいたのだ。どうすることもできない。
そんなときに手を差し伸べたのがマルメラードフだ。同情から伸ばされたその手をカチェリーナは受け取ることしかできなかったのだろう。プライドなんかもう捨ててしまおう。そう思ったはずだ。
しかし貧乏ながらも生活のできる環境が手に入り、カチェリーナのプライドは少しずつまた沸き上がり始めるのだ。同情からのプロポーズを受け、こんな男と結婚してしまったけれど、私がどうにか頑張ればまだ立ち直せるのではないかと。
だからマルメラードフの告白で描かれた、気が強く、口うるさいカチェリーナは自分の地位と、家庭環境の向上を目指した心持のいい奥さんだったのではないかと私は好意的に受け取った。
もちろんやり方がよかったとは思わない。子供を叩く、夫の髪の毛を掴んで引きずりまわす。愚痴は多いし、卑屈っぽいし。さすがに私も呆れたとこはある。そのような態度が結果、マルメラードフを追い詰め、酒に溺れさせ、家族はさらに貧困生活を強いられることになってしまったのだが…。しかし、プライドの高いカチェリーナがどうにか現状を打開しようと必死にもがいていた姿だと思うと、私はカチェリーナを否定的には捉えられない。
それに、マルメラードフはカチェリーナの愛情を受け取ったことがないような風に酒場で話していたが、私には愛があるように見えるのだ。プライドが高い故、同情からプロポーズを受けた男性に好意を見せることができなかっただけなのではと。本当は手を差し伸べてから、自分の子供達のこともソーニャ(マルメラードフの連れ子)と同じように愛でてくれて、新しい仕事を見つけてきてくれて、そういったマルメラードフの行為に感謝していたのだと私は思うのだ。それにカチェリーナは子供達にはとても優しく、ソーニャが身売りをすると言いだしたとき、彼女は必死に止めようとしていた。自分のようになってしまうことを恐れてのことかもしれないが、私は子供を思う母親の愛溢れる場面だったと思う。
大概好意的にカチェリーナを捉えすぎなのかもしれないが、きっとそれはマルメラードフが馬に踏んづけられて帰ってきたあの場面を読んでからだと思う。
マルメラードフが瀕死の状態で家に帰ってきたとき、カチェリーナは最初ひどく取り乱していたけれど、マルメラードフのそばに駆け寄って、タオルで血や汗を拭ったり、別の場所に住んでいたソーニャを呼びに行かせたりと、愛情に満ちた行動を幾つもしていたように思う。のんだくれてろくに家にも帰ってこなかったマルメラードフが今更帰ってきて、さらに瀕死の大怪我まで負って。このまま死んでしまえばいいんだ。なんてカチェリーナは叫んでいたけれど、きっとそれは本心ではなく本当は、ようやく帰ってきた夫がどうしてこんな姿なのだ。と嘆いていたのだと思う。このまま死んでしまえばいいんだ。という言葉はとても悲痛な叫びに聞こえ、その場面で私は泣きそうになった。
マルメラードフがとうとう息を引き取ろうとするとき、カチェリーナは野次馬に最後のときくらい静かにしてやってと言ったが、もし野次馬もいない、ラスコーリニコフや、医者もいない部屋でマルメラードフの最後を看取っていたら、カチェリーナは感謝の気持ちを最後に伝えてあげられたのだろうか。それは誰にもわからないけれど、カチェリーナは最後に優しい言葉をかけられる女性であると私は信じている。
もしマルメラードフが一命を取り留めて再び生活を共にすることになったら、1人で頑張ろうとせずにプライドにこだわることなく、素直にマルメラードフと共に新しい生活を始めていたらきっと彼女たちは良い家庭を築けたのではないかと思う。
カチェリーナは決してただプライドが高く、口うるさい、気性の激しい女性ではなく、夫や子供のことを大切に思える、頑張り屋さんの女性なのだ。
私もプライドが高く、自分の中で決めたことを何も言わずに頑張ってしまうことがある。結果、空回りしてしまったり、失敗してしまったりするのだ。カチェリーナが自分の中で思ったこと、決意したことをマルメラードフに話せていたら。感謝の気持ちを伝えることができていたなら。この家族は違う人生を歩めていたかもしれない。