荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載61)

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荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載61)

緊急執筆!日野日出志論Ⅳ
「恐怖!地獄少女」論
生まれて来ない方が良かったのに〜地獄少女は胎内に回帰する(後編)

●追われる地獄少女〜傷ついた地獄少女が辿り着いた終末


テレビは、この連続猟奇殺人事件で持ち切りだ。目撃された少女の似顔絵も報道されるようになる。
その似顔絵を見て、動揺する男がいる。思わず、飲んでいたビールグラスを落とす。
「に、似ている・・・!!わたしがあの夜捨てたあの子に・・・」、男は青ざめる。この男こそ、地獄少女を墓場に捨てた張本人、地獄少女の父であった。

闇夜を歩くサラリーマン風の男性。物陰に潜んでいた地獄少女が飛び掛る。男は、待ち構えていたように、懐から拳銃を出し、地獄少女に向かってズドンと発砲する。男は、この連続猟奇殺人事件に潜伏捜査中の刑事だったのだ。

地獄少女は、右足を引きずって逃げる。銃弾は、右足を貫通したのだ。地獄少女は、続々と集合する警官たちに追い詰められる。
滴る血の後を追われ、公園に逃げ込む地獄少女は、その身軽さで木に登り、木から木へ飛び移るって逃れる。

そして、傷ついた地獄少女は、公園に面した一軒家を見て立ち止まる。その一軒家を見ていると、何故かあの不思議な感情が沸いて来るのだ。本能である。地獄少女の本能は、その一軒家が自分に深く関わっていることを教えているのだ。それは、血の、血縁の匂いである。

地獄少女は、一軒家の前に佇む。そして、確信するのだ、この家の中に、自分の運命の全てがあると。

ストーリーは佳境に入る。人間を襲い、人肉を食らう地獄少女。怪物、地獄少女。しかしながら、その一軒家の前に佇む地獄少女は、自分の運命に直面し、不安に震える一人の少女である。


●断ち切ることが出来ない血縁関係〜地獄少女は涙するのだ


地獄少女は、窓から家の中へ侵入する。家の中に入った地獄少女は、不思議な感情が更に強くなって行くことを感じながら廊下を進み、気になる部屋のドアを開ける。

そこには、見たこともない少女が寝ていたのだった。見たこともないはずなのに、何故か、地獄処女の心を激しく揺さぶるその少女は、正しく地獄少女の双子の妹である。地獄少女の本能は、同じ母の胎内で共に成長した記憶を呼び覚ますのだ。

その時、再びあの老婆の声が聞こえる。地獄少女の心に、直接話しかけているのだ。その声は、今、正に地獄少女が自分の運命を変える機会だと言うのだ。生まれながらに墓場に捨てられた地獄少女、そして綺麗に着飾ってぬくぬくと両親に育てられた妹。その理不尽。醜い地獄少女、可愛い妹、今ここで入れ替わり、幸せに暮らせと言う。
その方法は、安らかに寝入る妹の血を吸い尽くすことである。そうすれば、地獄少女は、妹と入れ替わり、人間として、幸せになれる。

地獄少女は、寝息を立てる妹の顔を、じっと見下ろす。そして、後ずさるのだった。

出来ない。血肉を分けた自分の妹である。地獄少女は、不思議な感情の正体に気づく。初めて、本当に人間らしい感情を持つ。地獄少女は、止め処もなく涙が溢れるのを感じる。身体を震わせ、床に伏せて号泣する。長い間自分が求めていたものを見つけたのだ。それは、血の繋がった妹であり、人間らしい感情である。

地獄少女の号泣に、妹は目を覚ます。妹は、地獄少女を見て怯え、叫ぶ。妹にとって、地獄少女はテレビを騒がせる連続猟奇殺人事件の手配犯でしかない。すぐに、父と母が妹の部屋に駆けつける。ここで、怖がる妹、母をよそに、父はこの宿命に怯え、震えるばかりである。

地獄少女は、駆けつけた二人が、自分の父と、母であることを感じる。そして、「お・・・と・・・うさ・・・ん!!」、「お・・・か・・・あ・・・さ・・・ん・・・!!」と言葉を飲み込むのだ。

本当は、声を大に叫びたかっただろう。生まれながらに、ずっと心に残っていた不思議な感情、その答えが、今、自分の目の前にある。本当は飛びつきたかったろう。
だが、地獄少女は、それを堪えるのだ。目の前にいる父、母、そして妹は、自分を見て怯え、身体を震わせているではないか。連続猟奇殺人犯の自分が、怖く、気味の悪い存在として映っているからだ。

地獄少女は、大粒の涙を落とすのだ。


●生まれて来ない方が良かったのに〜地獄少女は胎内に回帰する


地獄少女の涙を見て、父は、何とも言い難い感情に襲われる。生まれたばかりの悪魔の赤ん坊を捨てたのはこの自分である。もちろん、それが最善であったと、今でも思う。ただ、悪魔の赤ん坊を殺そうとした時、どうしても生まれたばかりの赤ん坊を殺すことが出来なかった。醜くとも、自分の子であることには間違いはないのだ。

そして、そこで殺し切れなかった為に、今まで生き長らえた赤ん坊は、連続猟奇殺人犯となり、本当の怪物となってしまった。ここまで追い詰めたことを許して欲しい、父は、醜くも、涙を流す娘を思い遣る。

そこに、激しくドアを叩く者がいる。叫び声を聞いて駆けつけた警官たちである。地獄少女は、我に帰り、俊敏な動きで窓に飛ぶ。そして、一度だけ振り返り、妹、父、母をじっと見下ろす。

この場面が、「恐怖!地獄少女」の中で、最も切ない場面であろう。日野日出志は、じっと家族を見下ろす地獄少女を、アップにして、2コマに分けて描いている。
これは、もう二度と戻って来ることはないという地獄少女の決意なのだ。この幸せな家族を、自分の存在で破壊したくはなかったのだ。せめて、最後に、家族の肖像を目に焼きつけようとしたのである。

庭に飛び出した地獄少女は、待ち構えていた警官に再び発砲を受ける。ズドン、と鈍い音を立て、今度の銃弾は、地獄少女の胸を確実に貫くのだ。

薄れる意識の中で、あの老婆の声が地獄少女に語りかける。馬鹿な奴だ、これで自分の運命を変える機会を永遠に失ったのだ、と。

警官、そして駆けつけた親子の前で、地獄少女は柔らかな光を放ち、溶けるように消えて行く。父は、そこに崩れるように跪き、咽び泣くのだ、「うう・・・ゆ・・・ゆるしてくれ!!」と。

地獄少女が目覚めると、この世の墓場に倒れていた。鬼火は、いつもより一層激しく燃え盛っている。薄れる意識の中で、自分が今墓場に戻って来たんだと思う。身体の中には、もはや一滴の血も残っていない地獄少女は、最後の力を振り絞り、地べたを這う。もう何も思い残すことはない。父、母、妹にも会えた。長い間求めていたものを見つけた。
そして、自分の為に、あの幸せな家庭を壊すことは出来ない。

後は帰るだけだ、あの闇の中へ。

地獄少女は、何とかあのゴミの山にある穴、自分の居場所まで戻る。その入口をくぐった地獄少女に、安堵の気持ちが広がる。どこまでも静かで優しい、いい気持ちである。父、母、妹の顔が次々と浮かび、もの凄いスピードで闇の彼方へ遠ざかって行く。

やがて、無限の闇が音もなく広がって行った。


●日野漫画に見る家族の絆〜「恐怖!地獄少女」論、最後に


日野日出志は、「地獄変」で、自らの血縁関係を描き、「赤い蛇」で、血縁関係は決して断ち切れないことを描いた。そして、この「恐怖!地獄少女」では、血縁関係の尊さについて描いたのだ。
墓場で目覚めた地獄少女。彼女は、自己の存在の不安を覚え、子宮を探し始める。血縁関係こそ、自分の存在証明なのだ。

つげ義春の漫画に、「ゲンセンカン主人」という幻想的な漫画がある。映像化もされた、ある意味誰もが知っているだろう有名な漫画である。その漫画の中で、駄菓子を売る老婆が、前世がないならば、まるで幽霊ではないか、というネームがあることを思い出す。

地獄少女には、それだけで充分だった。父がいる。母がいる。妹もいる。血が繋がった家族がいる。自分は、怪物でも幽霊でもなかった。血の通った人間だったのだ。そのことだけを胸に、地獄少女は安らかに眠るのだ。

正直、これは響いた。「地獄変」、「赤い蛇」に並ぶ血縁関係をテーマにした3部作の1部として位置づけられるに充分な密度の作品である。それと同時に、これこそ、日野漫画版「フランケンシュタイン」ではないか。怪物として生まれてしまった切なさが、心に響く。「地獄小僧」、「愛しのモンスター」とは一線を引く。

「生まれて来ない方が良かったのに」、これは、ジョージ秋山が、日本中が飢えていた時代に生まれた宿業の赤ん坊アシュラを主人公にした問題作「アシュラ」の有名なネームであるが、壮絶なエンディングが待つアシュラに比べれば、地獄少女は幸せだったのかも知れない。少なくとも、家族の思い出を胸に、眠るように死んで行けたのだから。