偏愛的漫画家論(連載54)
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偏愛的漫画家論(連載54)
日野日出志論Ⅱ
「『日野日出志のザ・ホラー 怪奇劇場』を観る」 (その⑤)
漫画評論家 荒岡保志
●「胎児異変 わたしの赤ちゃん」を読む
「わたしの赤ちゃん」は、1973年、少年画報社「少年キング」に発表された、約60ページの読み切り作品であったが、1975年に、ひばり書房から発行された短編作品集のタイトル作品となり、その際にタイトルを「胎児異変 わたしの赤ちゃん」と改めている。
それ以来、1987年にペンギン・カンパニーから発行された「赤い花・怪奇幻想作品集」、1989年に勁文社から発行された「恐怖・地獄少女」に再録された際も、「胎児異変 わたしの赤ちゃん」のタイトルを継続している。
1973年と言えば、その前年、1972年の年末に、日野日出志に待望の長女が生まれた翌年である。拙出の「偏愛的漫画家論 日野日出志論」でも書いたが、明らかに、日野日出志の中で何かが起きたのだ。ご本人も、「愛するもの、失いたくないものが出来て弱くなった」と、当時のご自身を振り返っている。
その中で描かれた「わたしの赤ちゃん」は、そのままご自身の、妻の妊娠という男性にとっては一種の神秘的な出来事に素直にインスパイアされた作品である。この前年に、同じく少年画報社の「ヤングコミック」に発表された「水色の部屋」も、同じ発想で描かれたものだ。
怪奇小説家の梅木は、妊娠中の妻と過ごしながら、ある若い夫婦に生まれて来る赤ん坊がトカゲだったら、というアイディアを思いつき、早速執筆に取りかかる。
ところが、そのストーリーが現実になる。梅木の妻のお腹で育っているのは、人間の赤ん坊ではなく、爬虫類であると産婦人科医に宣告されるのだ。
産婦人科医は、元々人間も爬虫類も胎児は同じような形をしており、今回は、何かの異変で胎児が人間の状態になる前に進化が止まってしまったと言う。
赤ん坊を死産させる方法はあったが、初産の妻にとってはそれが醜いトカゲの姿をしていても可愛い自分の赤ちゃんである、当たり前のように愛情を注ぎ、育てる事になる。
このストーリーの要素は、大きく次の三つからなるだろう、すなわち、まずは母の、子を思う狂人的な愛情。
良く、「出来の悪い子ほど可愛い」と言われる。その言葉通りと言うわけではないが、私の身近な女性に、三人の女の子を持つ若い母がいるが、彼女は、障害を持つ長女が一番可愛いと言う。もちろん、三人三様、一様にみんな可愛いという思いはあるだろうが、取り分け長女を寵愛しているように思えるのだ。
言うまでもなく、男性と女性では自分の子供に対する思いに差異がある。父も、我が子を思う気持ちは当然強いのだが、母の、子に対する思いには到底及ばない、否、原初的に質が違うのだ。
梅木は、生まれて来たトカゲの赤ん坊を殺そうとするが、妻は断固として反対する。
そして、もう一つは、このトカゲの赤ん坊が巻き起こす数々の事件である。
生まれたばかりから母乳より生肉を好む赤ん坊は、梅木の愛犬を食い殺し、ついには隣家の少年まで襲ってしまう。それでも、子を愛する妻、そして、それを隠蔽するしかない梅木。ここで、日野漫画お得意の負のスパイラルが幕を開ける。ここで、一気にスプラッター・ホラーの様相を見せるのだ。
最後に、実は、この「胎児異変 わたしの赤ちゃん」は、風刺漫画でもあるという事だ。「風刺漫画でもある」では表現が弱いか、風刺漫画なのだ。
PCBで奇形児が生まれるなど、公害の問題を大きく取り上げ、環境問題を訴えるも、世界中でその異変は発生する。それは、地球が、そして自然が作り上げた人間への復讐である。
一種の先祖還りとも思われたこのストーリーは、何と公害によるものであった。これは、この作品を発表した1973年の、社会問題が背景となっている。高度成長期の暗黒とでも言おうか。日野漫画としては、少しばかり特殊ではあるが。
●「わたしの赤ちゃん」を観る
「わたしの赤ちゃん」は、「日野日出志のザ・ホラー 怪奇劇場」の第一夜、その第二話として劇場公開される。監督は中村義洋、このオムニバス形式のホラー映画に参加した新鋭監督の中で、現在最も成功している監督である。
中村義洋、成城大学文芸学部芸術学科卒業。
大学在学中に製作した8mm映画「五月雨厨房」が、1993年の「ぴあフィルムフェスティバル」で準グランプリを受賞し、大学卒業後に崔洋一、平山秀幸、伊丹十三らの作品に助監督として参加する。
1999年、自主制作映画「ローカルニュース」で監督デビュー。その後、「ほんとにあった!呪いのビデオ」シリーズで、多くの監修、構成、演出を務め、この「わたしの赤ちゃん」が劇場公開作品として第一作目と考えて良いだろう。
映画脚本家の梅木は、ホラー映画という不得意な分野の脚本制作に行き詰っていた。その中で、臨月を迎える妻秋子と共に検診に行った産婦人科で、脚本のヒントを得る梅木。それは、トカゲの子を身籠る夫婦のストーリーであった。
妻の妊娠中に不謹慎だと秋子から咎められながらも、脚本の出来は上々で高評価を得る。ところが、現実に生まれて来た赤ん坊は、梅木の書いた脚本通りトカゲだったのだ。
原作では怪奇小説家という設定であったが、映画では脚本家となっているが、それ以外のストーリーは、ほとんど原作に忠実である。ホラー作家の梅木を、脚本家、しかもホラーが苦手な脚本家という設定した事により、原作よりリアリズムが強くなっているとは評価できるだろう。
そのリアリズムとは、身近にホラーを体感する事のない梅木を襲った突然の異変というリアリズム、そして、脚本家という職業に設定した事により、劇中での映画撮影の進行と、この映画のストーリーが同時に進行する、言わば劇中劇のリアリズムである。
トカゲの赤ん坊を可愛がる秋子も原作通りで、その赤ん坊は、梅木の愛犬を食い殺し、更には隣家の少年を襲うのも原作通りである。
ここで、大きな相違点は、梅木は、何とかこのおぞましい赤ん坊を亡き者にしようとするところだろう。原作でも、梅木が赤ん坊に包丁を向けるシーンがあるが、それは指を噛まれた為の衝動的なもので、映画にある殺意とは一線を画す。
また、もう一つの大きな相違点は、公害により世界中でこの胎児異変が発生するという風刺的なエンディングの原作に対し、梅木がトカゲの赤ん坊を殺してしまうという、これもリアリズムなエンディングの映画、というところだろう。この事は、原作が発表された1973年と、映画が制作された2004年の、社会性の相違によるものだ。その為、中村監督は、敢えて風刺色を抑え、ホラー一色で演出したわけだ。この事自体は正解であった。
また、今まで批評した「日野日出志ザ・ホラー 怪奇劇場」の5作品、「爛れた家」、「恐怖列車」、「怪奇!死人少女」、「オカルト探偵団 死人形の墓場」は、出演者の年齢層が低過ぎて、安心して観ていられなかったものが多かったが、この「わたしの赤ちゃん」の登場人物はしっかりした演技力を持ち、非常に安心して観る事ができた。そこも評価できる。
ただし、このトカゲの造形は如何なものか。予算の都合としても釈然としないのは私だけではあるまい。UFOキャッチャーの景品のぬいぐるみ、と言うのは大袈裟だが、それに近いいい加減さである。せっかくリアリズムにこだわったものが台無しだ。トカゲ、爬虫類というグロテスクさがまったくと言って表現されていない。そこは残念であった。
日野日出志ご本人の、「わたしの赤ちゃん」へのコメントを見てみよう。
マンガと実写映画は全く違う表現世界である。特に私の作品は実写にするのが難しいと思う。へたをすればチープなものになるからだ。しかし、この作品においては、脚本と演出の力でそれを見事にクリアーしたと思う。またキャスティングの俳優の演技によって、作品にリアル感がうまく出ている。脚本家である主人公の妄想なのか?あるいは現実の出来事なのか?観客は最後まで、この作品に流れる緊張感に引っ張られてゆくことになるだろう。なぜなら原作者である私自身ですらそうであったからである。
相変わらずお優しい人柄が伺えるコメントである。全体的には悪くはなかったとは思うが、この映画は「へたをして」、「チープ」になったいい例だと思うが。
中村監督は、2008年に海堂尊原作で、竹内結子、阿部寛主演の大ヒットミステリー映画「チームバチスタの栄光」、2009年に、その続編に当たる、これも大ヒットした「ジェネラル・ルージュの凱旋」を監督、2010年には伊坂幸太郎原作で、堺雅人、竹内結子主演の「ゴールデンスランバー」を監督し、今年度、2011年の年末に、藤子不二夫原作、嵐出演の娯楽超大作「怪物くん3D」の公開が控えている。現代日本映画を代表するトップクラスの監督の一人と言っていい。
デビュー間もない中村監督の劇場公開作品「わたしの赤ちゃん」であるが、今現在、再び観る機会があったとすれば、ご本人も、まるで子供の頃の出来事のような懐かしい感覚に捉われるに違いない。
荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。