荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載5)

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清水正の著作   D文学研究会発行本

偏愛的漫画家論(連載5)
日野日出志へのファンレター
荒岡 保志漫画評論家
そして1979年より、作品の発表のほとんどが漫画誌の掲載から書き下ろしの単行本に移って行く。立風書房に「黒猫の眼が闇に」、大陸書房に「ミイラの魔境」、1980年に入ると、同じく立風書房に「吸血!黒魔城」、1981年に再び立風書房に「ゴゴラ・ドゴラ」などを書き下ろす。
発表の舞台を、ひばり書房から立風書房に移したのは、単純に原稿料が高かったからである。立風書房レモンコミックスのシリーズは基本的に少女向けであり、さらに、書き下ろし前に担当者と綿密な打ち合わせが必要だったため、今までは比較的自由に作品を描いてきた日野日出志にとって思わぬ苦労もあったろう。その上、一気に200ページを書き下ろさなければならない単行本では、コマ割やデッサン、絵柄の質だけではなく、ストーリーまで雑になってしまうのは仕方のなかったことであろう。
ご本人も、あのシリーズで納得できたものは一冊もない、ことごとく失敗作だったと、今となっては語っている。

我孫子の小料理屋「なごみ」で飲み仲間と談笑する荒岡保志さん。撮影・清水正(2010.9.14)
その中で、やや迷い始めたのか、日野日出志は、竹書房の「スポコミ」に、何とゴルフ漫画である「Oh!ナイスバーディ!」を発表したり、奇想天外社の「奇想天外パロディマンガ大全集」に「ドラえもん」のパロディ漫画「日野日出志の銅羅衛門」を発表したりもする。

ただし、この「日野日出志の銅羅衛門」の出来はなかなかなもので、あの日野漫画の独特のムードを持った「銅羅」と「のぶた」が何とも言えない。
人を呪えば穴二つ、「シャイアン」、「ソネ夫」を、銅羅が出した地獄マシンに甚振り殺す「のぶた」が、自分も地獄マシンに落ち釜茹でにされるという破天荒なストーリーで、どの単行本にも収録されておらず、今となっては読む事すら困難な作品となってしまった。
また、この「日野日出志の銅羅衛門」は、今もなおカルトな日野漫画ファンより絶大な人気を誇り、掲載された「奇想天外パロディマンガ大全集」は各オークションで価格がかなり高騰しているらしい。

ここで、日野日出志は、第三の転換期というか、過去最大と言っていい巨大な壁にぶつかる。
日野日出志がぶつかった最大の壁の一つは、今まで描いて来た自分の作風はもう受け入れられないのではないかという、これは一種の強迫観念、自信の喪失であり、もう一つは、ここ数年は書き下ろしを中心に作品を発表し続けていたが、一冊200ページに及ぶ書き下ろし漫画はせいぜい年間二冊描くのが限界で、それだと結局生活が出来ないという経済的な理由である。
精神的にも、経済的にも苦しい時期であったのだ。

そして日野日出志は一つの決意をする。
「蔵六の奇病」を執筆した時期の決意にも似た、しかしながらそれより深刻な決意である。それは、最後にこれを描いて漫画家を辞めようと思える傑作を描こう、そして漫画家を辞めよう、という決意であった。
些か乱暴な決意ではあったが、当時はそこまで切羽詰ったものがあったのだろう、そしてその傑作は、約一年間に渡って修正に修正を加え発表される。
1982年に、ひばり書房から書き下ろしで発表された、あの「地獄変」である。

登場する日野日出志は、自分の身体を切り刻み、流れた血を溜めてキャンバスに絵を描く地獄絵師である。毎日のように首を落とすギロチン刑場、底無しの地獄川、死刑囚の火葬場、墓場など、自分の部屋から見える地獄の風景ばかりを描く。
子供は姉の狂子と、弟の狂太、二人とも怪奇なものを好み、動物の死骸を写生したり、死んだ豚の目玉を刳り抜いて集めたりして遊んでいる。
美しい妻は、夜な夜な墓場から這い上がる亡者を相手に酒場を経営し、毎晩大繁盛で賑わっている。
祖父はやくざで、全国の賭場から賭場へ渡り歩く流れ者の博打打で、背中に大蛇の刺青を入れていた。盆と正月だけ家に戻り、博打に勝った時はたくさんのお土産を持って上機嫌だが、負けたて帰って来た時は、飲んだくれて祖母に暴力を振るう毎日だった。そんなある雪の日、博打のイザコザに巻き込まれ、祖父はやくざ者に斬られて死んでしまう。自ら裂いた腹の中から、無数のサイコロが溢れ出たという。博打打の最期であった。
その春、祖母も変質者の手にかかり惨殺されてしまう。残された、父、そして父の姉はやむなく別々に奉公に出されることになる。
だが、父の奉公先は酷い所であった。頭のおかしいせがれに毎日のように甚振られる父は、ちょとした弾みでそのせがれを殺してしまう。奉公先を追い出された父は、離れ離れになった姉を訪ねるが、身体の弱かった姉は一足違いで肺炎で亡くなってしまう。
父は、背中に蝙蝠の大きな刺青を入れ、祖父と同じ道を歩むようになるが、祖父の死に様を知る父は、一念発起してやくざから足を洗い、一旗挙げようと満州へ渡る。
満州で所帯を持ち、死に物狂いで働いた父は、養豚場を経営し、漸く人並みな生活が出来ると安堵したのも束の間、第二次世界大戦が勃発、徴兵に駆り出される。
戦争も終結し、満州から引き上げる地獄の中で妻は発狂し、そして内地に帰ってからは父は酒に溺れ、何かにつけてまだ少年だった日野日出志に暴力を振るうようになる。その時は、必ず背中の蝙蝠が膨れ上がって自分を見下ろしているのが見えたという。父は近所の屠場で働いていたが、以前、狂ったように豚を殺し続ける父の後姿にも、あの蝙蝠が笑いながら踊っているのを見ているのだった。

そして祖父と同じある雪の日、父は地獄川に浮くのだが、背中から蝙蝠の刺青が消え、背後を見上げると、電線に泊まりクックックと不気味に笑う、少年を見下ろす大きな蝙蝠を見る。
弟もやくざ者で、祖父、父と同じく背中に刺青を入れていた。飲んでは毎晩のように血みどろの喧嘩に明け暮れていたが、これもまた祖父、父と同じように雪の日に地獄川のほとりで雪に埋まっているのを発見される。
子供の頃の弟は、飲んで暴力を振るう父から兄を庇ったり、また近所の不良兄弟に絡まれていた時も兄に代わって殴られたり、本当に兄思いで優しかった。兄の描く絵を見て、一番初めに評価してくれたのも弟だった。
弟は、奇跡的に一命は取り留めるが、植物人間状態になり、退院をして来た時は一塊の肉と化していた。その肉の塊には昇り竜の刺青だけが残っていた。
母は狂人である。広島に落ちた地獄の大魔王の閃光が、はるか満州に届いて母を襲い日野日出志を懐妊するが、満州からの引き上げ、生まれたばかりの日野日出志を連れ、雪の中での飢えと寒さの行進の毎日に、疲労と恐怖で正気を失ったという。内地に帰ってからは、母は未だ子供だった日野日出志を、髪を毟り、鞭で打ち、針を刺していたぶり続けた。老婆となった今は、肉の塊になった弟を鞭で打ちいたぶってている。
そして自分はと言うと、子供の頃から、トカゲやカエルなど近所の小動物を処刑したり、野良犬の腹を鋸で割いて、内臓と弄んだりしていた。
ある日少年は、粘土であの広島に落ちた大魔王を作り、動物たちの生き血を注ぎ、そして、その大魔王に願いをかけるようになる。あの、自分を苛める近所の不良兄弟の家が火事になり、兄弟も家族も燃えてしまえと願うと、それはそのまま実現され、少年は自分に素晴らしい能力がある事を知って狂喜する。
現在を迎え、日野日出志の願い、呪詛は次第に大きく膨れ上がり、鉄道事故、航空事故、船舶事故、地下鉄工事事故などの大惨事を起こし、何十万人も殺し続ける。そして、その地獄絵を描き続けてきたわけだ。ここで日野日出志は、この程度では満足できず、「この地上のすべての核兵器のボタンを押させる、未だ過ってこの世の誰もが見たことのない本物の地獄絵を実現する」と叫ぶ。
日野日出志は斧を振り下ろし、愛する者たちをも破壊する。初めに、少年時代の自分、そして張りぼての妻、腹話術の人形になった自分の子供たち、からくり人形になった母、弟は豚の死骸と化しているが、斧を振り下ろしすべてを破壊する。
興奮して表に出ると、雪である。祖父を殺し、父を殺し、弟を再起不能にした雪だ。
そして目の前に聳え立つ壁を壊す。そこには血の海が広がり、血の中に呻く人間たちがもがいている。この素晴らしい光景に狂喜する日野日出志だが、その中に血の走馬灯が浮かび上がる。そこには、父が、母が、弟も子供たちも、妻もみんなが居る。
日野日出志は叫ぶ、「巨大な地獄がやって来るのだ、その大地獄を僕は描く、誰もいなくなったこの地上に、地獄絵だけが限りなく続く、僕は地獄の悪鬼だ、あの巨大な地獄の大魔王こそ僕の本当の父だ」、そして続ける、「だから僕は死なない、だがきみは死ぬ!あなたも死ぬ!おまえも死ぬ!きさまも死ぬ!」と。そして、「みんな死ね!」と叫び斧を投げつける。
その斧の鋭い刃の向き先は、読者である。

これもまた壮絶である。
まる一年かけてじっくりと下書きを完成し、頭の中が真っ白になるまで夜中に酒を浴び、一気に描き上げる、そうして完成した「地獄変」である。
これを描いて漫画家を辞めようと思える傑作、それは、今目の前にある、これで、漫画家が辞められる、日野日出志は心からそう思い、胸をなでおろす。

ストーリーを読んで頂いて分かる通り、ベースになっているのは「地獄の子守唄」である、否、寧ろ「地獄の子守唄」のセルフリメイクである、と言っても過言ではない。もともとは「地獄の子守唄」をもっと掘り下げて描く、という発想が起点であるがため、当然ディティールは断然細かく、作品によりリアリティが増していることは間違いない。
「毒虫小僧」の件で、初めて書き下ろし作品を発表した、「その事が今後の漫画家日野日出志にも大きな影響を与えている」と記したが、私はこの「地獄変」、後に発表する「赤い蛇」を指して記した。

この「地獄変」の大胆な構図を見て欲しい。そしてふんだんに使った見開きページのダイナミックさを感じて欲しい。傑作中の傑作と評した「地獄の子守唄」だが、比べて読んで見ると、随分こじんまりと纏まった作品に思えるではないか。勿論、十二年の歳月は、その絵柄、構図にも格段の上達をもたらしただろう。ただ、ふと考えてしまうのは、もしこの「地獄変」が、少年誌に連載されていたものだとしたらここまで描き切れていただろうか、ということである。そしてもう一つ、ひばり書房だからということも付け加えたい。
書き下ろし作品であったから、ひばり書房であったから、200ページという枠の中で、本当に描きたいものが徹底的に描き切れたのである。
荒岡 保志プロフィール
荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)、漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。
現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。