清水正著『ウラ読みドストエフスキー』をネットで読むことができます

 

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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

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清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を下記クリックで読むことができます。

清水正•批評の軌跡web版 - ウラ読みドストエフスキー

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撮影・伊藤景

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清水正・批評の軌跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年に寄せて」展示会が9月1日より日大芸術学部芸術資料館に於いて開催されています。

展示会場の模様を紹介していきます。

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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清水正『悪霊』論の生原稿。1969年執筆。撮影・高倉慎矢

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撮影・伊藤景

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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清水正・批評の軌跡」カタログ表紙・裏表紙

目次内容は

はじめに──二〇二一年〈清水正の宇宙〉の旅へ──

ソコロワ山下聖美日大芸術学部文芸学科主任教授)

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動物で読み解く『罪と罰』の深層江古田文学」101号から再録

清水正(批評家・元日大芸術学部文芸学科教授)

清水正・著作目録

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清水正ドストエフスキー論全集」(第1巻~第10巻まで)

清水正宮沢賢治全集」(第1巻、第2巻)

林芙美子に関する著作」10冊と監修した「林芙美子の芸術」「世界の中の林芙美子

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六月一日から開催予定だった「清水正・批評の軌跡」展示会はコロナの影響で九月一日から9月24日までと変更となりました

 会期:2021年9月1日(水)~9月24日(金)

 会期中開館日:平日のみ。午前9時30分~午後4時30分(完全予約制)

 ※ご来場の際は事前に公式HP(https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki)にご確認ください。

九月一日から日大芸術学部芸術資料館に於いて清水正・批評の奇跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年記念に寄せて──』展示会が開催される。1969年から2021年まで五十余年にわたって書き継がれてきたドストエフスキー論、宮沢賢治論、舞踏論、マンガ論、映画論などの著作、掲載雑誌、紀要、Д文学通信などを展示する。著作は単著だけでも百冊を超える。

 

下記の動画は2016年の四月、三か月の入院から退院した直後の「文芸批評論」の最初の講義です。『罪と罰』と日大芸術学部創設者松原寛先生について熱く語っています。帯状疱疹後神経痛に襲われながらの授業ですが、久しぶりに見たら、意外に元気そうなので自分でも驚いている。今は一日の大半を床に伏して動画を見たり、本を読んだりの生活で、アッという間に時が過ぎていく。大学も依然として対面授業ができず、学生諸君と話す機会がまったくない。日芸の学生はぜひこの動画を見てほしい。日芸創設者松原寛先生の情熱も感じ取ってほしい。

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ドストエフスキー生誕200周年記念お勧め動画

まだ元気な頃の講義です。

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新刊書紹介

清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅 松原寛&ドストエフスキー

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A五判並製341頁 定価2000円 2021-2-28発行 D文学研究会星雲社発売)

清水正ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会A5判上製・501頁。

購読希望者はメールshimizumasashi20@gmail.comで申し込むか、書店でお求めください。メールで申し込む場合は希望図書名・〒番号・住所・名前・電話番号を書いてください。送料と税は発行元が負担します。指定した振込銀行への振り込み連絡があり次第お送りします。

 

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定価3500円 2021-5-25発行 D文学研究会星雲社発売)

下記の動画は日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。是非ごらんください。

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清水正「ソーニャの部屋 ──リザヴェータを巡って──(連載18)   〈もうおしまいになった人間〉ポルフィーリイを巡って ──「回想のラスコーリニコフ」の頃を回想して──(3)」江古田文学107号より再録

 

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ソーニャの部屋

──リザヴェータを巡って──(連載18)

〈もうおしまいになった人間〉ポルフィーリイを巡って

──「回想のラスコーリニコフ」の頃を回想して──(3)

清水正

 

 ポルフィーリイはラスコーリニコフを「信仰とか神とかを見つけさえすれば、よし腸を引き出されようと、じっと立ったまま笑みをふくんで、自分を苦しめる連中をながめている、そういう人間のひとり」と思っている。ポルフィーリイは、ラスコーリニコフは予め神によって〈命〉(жизнь)を準備された者であるから、その〈命〉に飛び込めばいい、すなわちイエスの〈甦り〉と〈命〉を信じて永遠の命を獲得し、皆から仰ぎ見られる〈太陽〉(солнца)になりなさいと言っている。まさに大胆な預言者的な物言いで、ポルフィーリイの言葉はラスコーリニコフのみならず、読者をもとまどわせ驚かせる。

 どういうわけで「もうおしまいになった人間」ポルフィーリイが預言者的な言葉を発せられるのか。この点に関して言及する前に、この〈おしまいになった〉という言葉にも触れておきたい。ポルフィーリイは二回ほどこの言葉を使っているが、米川正夫は二回とも「もうおしまいになった人間です」と訳している。『罪と罰』を米川正夫訳だけで読んでいたので、わたしは「もうおしまいになった人間に復活の可能性はあるのだろうか」という疑問をずっと抱いていた。この疑問は失恋で絶望の淵に佇んでいたわたしにとって大きな問題でもあった。ところが原典にあたって、この時も衝撃を受けた。

 最初の「わたしはもうおしまいになった人間です」(525)は〔Я поконченный человек〕(ア・352)だが、二回目のそれは〔уж совершенно поконченный〕(ア・352)で、訳せば「もう、すっかりおしまいになった」人間ということになる。〈すっかり〉(совершенно)が付いているかいないかはわたしにとって重要であった。つまりもはやポルフィーリイには〈復活〉の可能性は全くないということ、イエスの〈命〉(жизнь)に飛び込んでいくことはできない存在であることを認めざるを得なかった。江川卓は原典に忠実に「もうすっかり終わってしまった人間なんです」(下・221)と訳している。因みに、工藤精一郎は「もう完全に終ってしまった人間です」(新潮文庫)、池田健太郎は「もうすっかりおしまいになった人間です」(中公文庫)、北垣信行は「もうすっかり人生をおえた人間ですよ」(講談社)、小泉猛は「もう完全におしまいになってしまった人間なのです」(集英社)と訳して概ね江川卓訳と同じである。ところが『罪と罰』をロシア語原典から最初に翻訳した中村白葉は「もう薹の立つた人間です」(新潮社)と訳し、また米川正夫に次いでドストエフスキー全集の個人訳を完成させた小沼文彦は「もうこの世にぜんぜん用のない人間です」(筑摩書房)と訳している。

 中村白葉訳、小沼文彦訳で『罪と罰』を読んでいたら、ポルフィーリイはわたしにとって重要な人物になりえなかったかもしれない。「薹のたつた」「用のない」という形容では、絶望の淵に佇んでいたわたしの魂をつかむことはなかったにちがいない。

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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清水正『悪霊』論の生原稿。1969年執筆。撮影・高倉慎矢

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撮影・伊藤景

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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A五判並製341頁 定価2000円 2021-2-28発行 D文学研究会星雲社発売)

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定価3500円 2021-5-25発行 D文学研究会星雲社発売)

下記の動画は日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。是非ごらんください。

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清水正「ソーニャの部屋 ──リザヴェータを巡って──(連載17)  〈もうおしまいになった人間〉ポルフィーリイを巡って ──「回想のラスコーリニコフ」の頃を回想して──(2)」江古田文学107号より再録

 

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ソーニャの部屋

──リザヴェータを巡って──(連載17)

〈もうおしまいになった人間〉ポルフィーリイを巡って

──「回想のラスコーリニコフ」の頃を回想して──(2)

清水正

 

    小林はポルフィーリイが口にした「もうお了いになった人間」について言及しない。そんなことは言及するまでもなく自明であるかのように、ポルフィーリイの言葉に立ち止まることがない。が、わたしはこのポルフィーリイの言葉にこだわり続けてきた。未だにこだわっている。

 ポルフィーリイはラスコーリニコフに「あなたはいったい何者です!」と問われて、次のように応えている。まずは前半部を引用しておく。

 

「わたしが何者かって? わたしはもうおしまいになった人間です。そりゃまあ感じもあれば、同情もあり、何かのこともちっとは心得た人間かもしれませんが、しかし、もうおしまいになった人間です。ところが、あなたは別ものです。神はあなたに生命を準備してくだすった(もっともあなたの場合だって、煙のように消えてしまって、何も残らないかもしれない、そりゃだれにもわかりませんがね)。あなたが別な人間の部類へ移ったからって、それがなんです? まさか、あなたのような心をもっている人が、コムフォート(安逸)なんか惜しむのじゃないでしょう? またあまりにも長い間、人があなたを見ないことになるかもしれないが、いったい、それしきのことがなんです? 問題は時にあるのじゃなくて、あなた自身の中にあるのです。太陽におなりなさい、そうすれば、みんながあなたを仰ぎ見ますよ! 太陽は、まず第一に太陽でなければなりません。」(525)

──Кто я?  Я поконченный человек, больше ничего. Человек, пожалуй,  чувствующий и сочувствующий, пожалуй, кой-что и знающий, но уж совершенно поконченный.  А вы──другая статья: вам бог жизнь приготовил(а кто знает, может, и у вас так только дымом пройдет, ничего не будет).  Ну что ж, что вы в другой разряд людей перейдете?  Не комфорта же жалеть, вам-то, с вашим-то сердцем?  Что ж, что вас, может быть, слишком долго никто не увидит?  Не во времени дело, а в вас самом.  Станьте солнцем, вас все и увидят. Солнцу прежде всего надо быть солнцем. (ア・352)

 

 まず疑問はポルフィーリイはいったい何をもって自分を「おしまいになった人間」と見なしているかである。わたしは勝手に失恋後の絶望を受け入れざるをえなかった自分のことを「おしまいになった人間」と見なしたが、作中でポルフィーリイはこのことについて何ら説明していないので本当のことは分からない。分かるのは、ポルフィーリイはラスコーリニコフに対して「神はあなたに生命を準備してくだすった」〔вам бог жизнь приготовил〕と言っているから、ポルフィーリイは神から〈生命〉を授けられなかった存在ということになる。

 ポルフィーリイのラスコーリニコフに対する言葉は暗示的で預言者的な趣を持っている。「──がまあ、あまり理くつっぽくせんさくしないで、何も考えずにいきなり生活へ飛び込んでお行きなさい。心配することはありません──ちゃんと岸へ打ち上げて、しっかり立たせてくれますよ」(524)〔 а вы лукаво не мудрствуйте; отдайтесь жизни прямо, не рассуждая; не беспокойтесь,  прямо на берег вынесет и на ноги поставит.〕(ア・351)などもその代表的な言葉である。

 二十歳前後のわたしは家族の皆が寝静まった深夜、ひとり起きてドストエフスキー論を書いていたから、まさにふつうの生活人と真逆の観念的な生活を送っていた。だからこのポルフィーリイの言葉を読んだとき、彼の言う〈生活〉を健全な生活者の生活と受け取って疑わなかった。

 ところが後に原典にあたってこの〈生活〉は〈жизнь〉で、これはイエスが〈ラザロの復活〉の場面で口にする「われは甦りなり、命なり」(368)〔Я есмь воскресение и жизнь〕(ア・250)の〈命〉(жизнь)を指していることを知って衝撃を受けた。以来、わたしはドストエフスキー文学を翻訳でのみ読むことの危険性を感じ、必ず原典にあたることにした。ポルフィーリイはラスコーリニコフに向かって四の五と考えずにいきなりイエスの〈命〉に飛び込んでしまえ、そうすれば必ず向こう岸へと立たせてくれると言っていたのである。

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を下記クリックで読むことができます。

清水正•批評の軌跡web版 - ウラ読みドストエフスキー

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撮影・伊藤景

 

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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清水正『悪霊』論の生原稿。1969年執筆。撮影・高倉慎矢

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撮影・伊藤景

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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ジョバンニの母親は死んでいる、イリューシャ少年はフョードルの子供、など大胆な新説を開陳しています。ぜひご覧ください。

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新刊書紹介

清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅 松原寛&ドストエフスキー

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A五判並製341頁 定価2000円 2021-2-28発行 D文学研究会星雲社発売)

清水正ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会A5判上製・501頁。

購読希望者はメールshimizumasashi20@gmail.comで申し込むか、書店でお求めください。メールで申し込む場合は希望図書名・〒番号・住所・名前・電話番号を書いてください。送料と税は発行元が負担します。指定した振込銀行への振り込み連絡があり次第お送りします。

 

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定価3500円 2021-5-25発行 D文学研究会星雲社発売)

下記の動画は日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。是非ごらんください。

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

 

 

 

清水正「ソーニャの部屋 ──リザヴェータを巡って──(連載16)   〈もうおしまいになった人間〉ポルフィーリイを巡って ──「回想のラスコーリニコフ」の頃を回想して──(1)」江古田文学107号より再録

 

www.youtube.com

動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

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ソーニャの部屋

──リザヴェータを巡って──(連載16)

〈もうおしまいになった人間〉ポルフィーリイを巡って

──「回想のラスコーリニコフ」の頃を回想して──(1)

清水正

 

小林は次のようにも書いている。

 

──空気が足りない、スヴィドリガイロフも、同じ事を、この青年に言う。空気とは何か。評家は急いではならない。主人公は、作中に於いて既に、評家達に事を欠いてはいない。ラスコオリニコフを知ろうと思うものは、先ずポルフィイリイに転身し、希薄になった空気の中で、不思議な息苦しさを経験してみる必要がある。息苦しさのなかに、希薄な空気の中に批評の極限の如きものが漂うのを感知するであろう。ポルフィイリイは、世の評家達に警告する、「私はもうお了いになった人間です」(124)

 

    わたしが「回想のラスコーリニコフ──自称ポルフィーリイの深夜の独白──」を書きあげたのは一九七〇年十一月五日、二十一歳の時である。この批評は『ドストエフスキー体験記述──狂気と正気の狭間で──』(一九七五年五月 私家版)に収録した。すでにわたしはラスコーリニコフに対して距離を置いていた。まるで自分がラスコーリニコフであるかのような心的気分に浸っているわけにはいかなかった。わたしは『罪と罰』論を書くことで、ラスコーリニコフと自分との違いを否応なく自覚せざるを得なかった。まずラスコーリニコフとの決定的な違いは、彼は単なる屋根裏部屋の空想家にとどまらず、実際に二人の女を殺してしまった。わたしは殺意を抱いたことはあるが、実行したことはない。この決定的な違いに眼をつぶってラスコーリニコフを論じることはできない。ラスコーリニコフに親近性を強く感じた分、その違いを強く意識せざるを得なかった。

 当時、わたしは二年間ほどつきあっていた女と別れ、絶望の淵に佇んでいた。『白痴』論、『悪霊』論、『カラマーゾフの兄弟』論、そして『罪と罰』論と憑かれたようにドストエフスキー論を書き続けることで狂気と死から免れた。べつに大げさな言い方をしているのではない。冗談ではなく、わたしはすべてのものに対して〈さようなら〉の五文字をあてはめ、ドストエフスキー論を書いていたのである。だからこそ小林の言う《ポルフィイリイは、世の評家達に警告する、「私はもうお了いになった人間です」》をすんなりと受け入れた。当時のわたしの口のききかた自体が予言者風饒舌で、まるでポルフィーリイが乗り移っているのではないかと思っていた。当時のわたしの絶望的気分は「回想のラスコーリニコフ」に存分に反映されている。久しぶりに読み返してみたが、まさにわたしのドストエフスキー論は〈体験〉そのものであることを再確認した。

 さて、小林秀雄であるが、小林は具体的に〈息苦しさ〉や〈希薄な空気〉について書いてはいない。いったい誰の〈息苦しさ〉や〈希薄な空気〉なのか。すべてを見通しているかのように言葉を発するポルフィーリイを眼前にしたラスコーリニコフの心理状態を指しているのか。それとも「もうお了いになった人間」ポルフィーリイの心理状態を指しているのか。それとも両方なのか。さらにそれに同調する評家小林の心理状態をも指しているのか。厳密に問おうとすると、小林の言葉はたちまち曖昧の領域にすべりこんでしまうが、それでいて何か本質的なことを的確に突いているようにも感じられる。小林の言葉は肝心要のところではいつも魔術的な効果を発揮する。問おうとする精神をはぐらかす巧妙なレトリックと言ってもいい。

 スヴィドリガイロフもポルフィーリイもラスコーリニコフに向かって「空気が足りない」と言うが、この〈空気〉が何を意味しているのかを誰も説明しない。はたしてスヴィドリガイロフの発した〈空気〉が、ポルフィーリイの発した〈空気〉と同じなのか、それとも違うのか。なぜ二人から同じセリフを発せられたラスコーリニコフは説明をもとめず、また作者も知らん振りを決め込むのか。わたしの批評は、作中人物や作者が沈黙を守っているその沈黙の内実に迫ろうと試みる。しかし小林はそんなことは問わない。いったい小林は敢えて問うまでもなく〈空気〉の意味を了解していたのだろうか。

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を下記クリックで読むことができます。

清水正•批評の軌跡web版 - ウラ読みドストエフスキー

清水正・批評の軌跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年に寄せて」展示会が9月1日より日大芸術学部芸術資料館に於いて開催されています。

展示会場の模様を紹介していきます。

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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清水正『悪霊』論の生原稿。1969年執筆。撮影・高倉慎矢

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撮影・伊藤景

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

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撮影・伊藤景

※学生の入構制限中は、学外者の方の御来場について制限がございます。

詳細のお問い合わせにつきましては、必ず下記のメールアドレスにまでご連絡ください。

yamashita.kiyomi@nihon-u.ac.jp ソコロワ山下聖美(主催代表)

 

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清水正・批評の軌跡」カタログ表紙・裏表紙

目次内容は

はじめに──二〇二一年〈清水正の宇宙〉の旅へ──

ソコロワ山下聖美日大芸術学部文芸学科主任教授)

停止した分裂者の肖像──清水正先生の批評について──

上田薫日大芸術学部文芸学科教授)

動物で読み解く『罪と罰』の深層江古田文学」101号から再録

清水正(批評家・元日大芸術学部文芸学科教授)

清水正・著作目録

※購読希望者は文芸学科研究室にお問い合わせください。

清水正・批評の軌跡」web版(伊藤景・作成)を観ることができます。清水正•批評の軌跡web版 - 著作を辿る

清水正ドストエフスキー論全集」(第1巻~第10巻まで)

清水正宮沢賢治全集」(第1巻、第2巻)

林芙美子に関する著作」10冊と監修した「林芙美子の芸術」「世界の中の林芙美子

下記をクリックしてください。

https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki/event?fbclid=IwAR2VgV-FLHqrgbmgSV8GH631V8pbxE9CI65MMi93Hzf-IQxCSG283KCPrLg#h.flc3slpstj7p

sites.google.com

六月一日から開催予定だった「清水正・批評の軌跡」展示会はコロナの影響で九月一日から9月24日までと変更となりました

 会期:2021年9月1日(水)~9月24日(金)

 会期中開館日:平日のみ。午前9時30分~午後4時30分(完全予約制)

 ※ご来場の際は事前に公式HP(https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki)にご確認ください。

九月一日から日大芸術学部芸術資料館に於いて清水正・批評の奇跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年記念に寄せて──』展示会が開催される。1969年から2021年まで五十余年にわたって書き継がれてきたドストエフスキー論、宮沢賢治論、舞踏論、マンガ論、映画論などの著作、掲載雑誌、紀要、Д文学通信などを展示する。著作は単著だけでも百冊を超える。

 

下記の動画は2016年の四月、三か月の入院から退院した直後の「文芸批評論」の最初の講義です。『罪と罰』と日大芸術学部創設者松原寛先生について熱く語っています。帯状疱疹後神経痛に襲われながらの授業ですが、久しぶりに見たら、意外に元気そうなので自分でも驚いている。今は一日の大半を床に伏して動画を見たり、本を読んだりの生活で、アッという間に時が過ぎていく。大学も依然として対面授業ができず、学生諸君と話す機会がまったくない。日芸の学生はぜひこの動画を見てほしい。日芸創設者松原寛先生の情熱も感じ取ってほしい。

https://www.youtube.com/watch?v=awckHubHDWs 

ドストエフスキー生誕200周年記念お勧め動画

まだ元気な頃の講義です。

ジョバンニの母親は死んでいる、イリューシャ少年はフョードルの子供、など大胆な新説を開陳しています。ぜひご覧ください。

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清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅 松原寛&ドストエフスキー

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A五判並製341頁 定価2000円 2021-2-28発行 D文学研究会星雲社発売)

清水正ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会A5判上製・501頁。

購読希望者はメールshimizumasashi20@gmail.comで申し込むか、書店でお求めください。メールで申し込む場合は希望図書名・〒番号・住所・名前・電話番号を書いてください。送料と税は発行元が負担します。指定した振込銀行への振り込み連絡があり次第お送りします。

 

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定価3500円 2021-5-25発行 D文学研究会星雲社発売)

下記の動画は日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。是非ごらんください。

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清水正「ソーニャの部屋 ──リザヴェータを巡って──(連載15) 再び小林秀雄の「『罪と罰』についてⅡ」へ ──小林秀雄流レトリックについて──(2)」江古田文学107号より再録

 

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ソーニャの部屋

──リザヴェータを巡って──(連載15)

再び小林秀雄の「『罪と罰』についてⅡ」へ

──小林秀雄流レトリックについて──(2)

清水正

 

〈ラザロの復活〉の場面に関しては、すでにわたしは様々な視点から批評を展開した。〈ラザロの復活〉朗読の場となったソーニャの部屋に関しても様々な角度から照明を与えた。小林は〈見る〉ことの必要性を指摘しても、ソーニャの部屋を具体的に見てはいない。わたしは二年にわたって「マンガ論」の受講者に〈ソーニャの部屋〉を絵で描くことを課題にしたが、百名以上の受講生の描く〈ソーニャの部屋〉に同一のものはまったくなかった。それほど〈見た〉ことを具体的に表現することは大変なのである。

 小林は前後未曾有の一大奇跡〈ラザロの復活〉をソーニャが朗読した部屋に、淫売婦ソーニャと殺人者ロジオン、それに彼らを照らし出していた一本の蝋燭しか見ていない。評家小林の見る眼差しは、ソーニャが視ていた〈幻=видение=キリスト〉も、後に〈実際に奇跡を起こす人・神〉となった〈立会人〉スヴィドリガイロフも、隣室のカペルナウモフ一家の人々も、さらに〈蝋燭〉となって闇を照らしていた〈リザヴェータ〉の存在も見ていない。

 小林の見る眼差しは、肉眼のそれであってそれ以上でも以下でもない。もちろん、肉眼でとらえた光景のリアリテイを微塵も蔑ろにするものではない。しかし、それだけでは駄目だということである。ドストエフスキーはテキストに様々な仕掛けを予め組み込んでおり、評家は作者が意図的に仕込んだことぐらいは発見しなければならない。小林の予め〈考える〉ことを拒むような批評の方法によっては、作者が仕掛けた秘密に肉薄することはできないのである。

 小林は「ラスコオリニコフの思想を明らかにし、彼の行為を合理的に解釈しようとする、評家達の試みは成功しない。作者にしてみれば、若し諸君が成功するなら、私の方が失敗していたわけだ、とさえ言いたいだろう。作者は、主人公の行為の明らかな思想的背景という様なものを信じてはいない。そういうものに就いて、殆ど真面目に語ってさえいない」(119)と書いている。ラスコーリニコフの思想や行為に関して考察することは無意味で、そんなことにかかわるのは二流三流の通俗的な評家だと言わんばかりの物言いである。

 ところでわたしは『罪と罰』論を書き始めた二十歳の昔から、徹底してラスコーリニコフの思想と行為に注目してきた。ラスコーリニコフは紛れもなく屋根裏部屋の空想家であり思索家であり、彼の執筆した犯罪に関する論文の内容に関しても強い関心を抱いていた。わたしにはわたしの思想があり行為がある。観念的な諸問題で頭をいっぱいにしていた自意識過剰の青年にとって、『罪と罰』を読むということはラスコーリニコフと一体化するような生々しい体験であり、それは同時にラスコーリニコフの思想に深く踏み込んでいくことでもあった。

〈見る〉行為は徹底して〈考える〉行為と切り離すことはできない。いったい、考えずに見るなどという読書行為(批評)が成り立つのであろうか。小林の物言いは、かえって批評の幅を狭めることになりはしないか。わたしが学生時代、小林流の物言い(レトリック)を口にするおしゃれな文学青年もいたが、彼らのだれ一人としてドストエフスキーの文学に真剣に立ち向かい続けた者はいない。

 作者が意図的にラスコーリニコフに仕込んだ思想があり、同時に意図的に封じ込んだ思想がある。それを明らかにするためにも作品中に描かれたラスコーリニコフの〈思想〉と〈行為〉を徹底的に検証しなければならない。考えずに〈見る〉ことで、そのことが明らかになるなどというものではない。作者がテキスト中に仕掛けた〈謎〉は百年以上経ってもその姿をなかなか現さないのである。

 ラスコーリニコフの殺人を作者は〈あれ〉と書いており、決して〈老婆アリョーナ殺し〉とは書いていない。テキストを見るということは、まず第一に作者が書いていることを正確に見なければならない。そのことをきちんと押さえた上で、なぜラスコーリニコフが殺人前にまったく予期しなかったリザヴェータが目撃者として現れてきたのかを考えなければならない。ラスコーリニコフはリザヴェータを殺してしまったが、その殺した事実だけを見て、そのことの意味を考えないでもいいなどという物言いは評家としては失格だろう。

 ラスコーリニコフにとって犯行の現場に現れたリザヴェータは予想外のことであっても、作者にとっては予め決定されたことである。ラスコーリニコフの非凡人思想(非凡人は良心に照らして血を流すことが許されている)は〈社会のシラミ〉である高利貸しアリョーナ婆さん殺しには適用されても、リザヴェータ殺しには適用されない。だからこそ、ラスコーリニコフの非凡人思想はリザヴェータ殺しを含めて再検討されなければならない。要するに考えることが必要だということである。

 元政治犯として死刑執行寸前の体験とシベリア流刑の体験を持つドストエフスキーは、ラスコーリニコフの〈あれ〉に〈皇帝殺し〉を潜ませていたが、もちろんこのことが当時の検閲官や読者に見破られてはならなかった。こういった点に関してはすでに詳細に論じたので繰り返さないが、要するにテキストの奥深くに踏み込むためには、テキストに様々な疑問を投げかけ、ゆさぶり続けることが必要である。

 テキストを前にして懐疑的思索を続けることなしには、作者が秘め隠した謎を発見することはできないし、さらに言えば、作者にそれを促しているなにものかの働きを感知することもできない。見ることは、決して考えることを拒むことではない。考えて考えて、見る。見て見て、再び三度繰り返し考える。そのことを通して新たな光景が見えてくるのである。

 

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を下記クリックで読むことができます。

清水正•批評の軌跡web版 - ウラ読みドストエフスキー

清水正・批評の軌跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年に寄せて」展示会が9月1日より日大芸術学部芸術資料館に於いて開催されています。

展示会場の模様を紹介していきます。

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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清水正『悪霊』論の生原稿。1969年執筆。撮影・高倉慎矢

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撮影・伊藤景

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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撮影・伊藤景

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撮影

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撮影

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撮影

※学生の入構制限中は、学外者の方の御来場について制限がございます。

詳細のお問い合わせにつきましては、必ず下記のメールアドレスにまでご連絡ください。

yamashita.kiyomi@nihon-u.ac.jp ソコロワ山下聖美(主催代表)

 

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清水正・批評の軌跡」カタログ表紙・裏表紙

目次内容は

はじめに──二〇二一年〈清水正の宇宙〉の旅へ──

ソコロワ山下聖美日大芸術学部文芸学科主任教授)

停止した分裂者の肖像──清水正先生の批評について──

上田薫日大芸術学部文芸学科教授)

動物で読み解く『罪と罰』の深層江古田文学」101号から再録

清水正(批評家・元日大芸術学部文芸学科教授)

清水正・著作目録

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清水正ドストエフスキー論全集」(第1巻~第10巻まで)

清水正宮沢賢治全集」(第1巻、第2巻)

林芙美子に関する著作」10冊と監修した「林芙美子の芸術」「世界の中の林芙美子

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六月一日から開催予定だった「清水正・批評の軌跡」展示会はコロナの影響で九月一日から9月24日までと変更となりました

 会期:2021年9月1日(水)~9月24日(金)

 会期中開館日:平日のみ。午前9時30分~午後4時30分(完全予約制)

 ※ご来場の際は事前に公式HP(https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki)にご確認ください。

九月一日から日大芸術学部芸術資料館に於いて清水正・批評の奇跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年記念に寄せて──』展示会が開催される。1969年から2021年まで五十余年にわたって書き継がれてきたドストエフスキー論、宮沢賢治論、舞踏論、マンガ論、映画論などの著作、掲載雑誌、紀要、Д文学通信などを展示する。著作は単著だけでも百冊を超える。

 

下記の動画は2016年の四月、三か月の入院から退院した直後の「文芸批評論」の最初の講義です。『罪と罰』と日大芸術学部創設者松原寛先生について熱く語っています。帯状疱疹後神経痛に襲われながらの授業ですが、久しぶりに見たら、意外に元気そうなので自分でも驚いている。今は一日の大半を床に伏して動画を見たり、本を読んだりの生活で、アッという間に時が過ぎていく。大学も依然として対面授業ができず、学生諸君と話す機会がまったくない。日芸の学生はぜひこの動画を見てほしい。日芸創設者松原寛先生の情熱も感じ取ってほしい。

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ドストエフスキー生誕200周年記念お勧め動画

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A五判並製341頁 定価2000円 2021-2-28発行 D文学研究会星雲社発売)

清水正ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会A5判上製・501頁。

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定価3500円 2021-5-25発行 D文学研究会星雲社発売)

下記の動画は日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。是非ごらんください。

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清水正「ソーニャの部屋 ──リザヴェータを巡って──(連載14)   再び小林秀雄の「『罪と罰』についてⅡ」へ ──小林秀雄流レトリックについて──(1)〈」江古田文学107号より再録

 

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ソーニャの部屋

──リザヴェータを巡って──(連載14)

再び小林秀雄の「『罪と罰』についてⅡ」へ

──小林秀雄流レトリックについて──(1)

清水正

 

 この論は、まずは小林秀雄の「『罪と罰』についてII」のある箇所から始まった。ソーニャがロジオンに請われて〈ラザロの復活〉を朗読する場面に関しての小林秀雄の言説である。先に引用した箇所をご覧いただきたい。

 小林秀雄の文章は立ち止まって考えるといったい何を言っているのかさっぱり分からない。〈読者の通俗なお人よし〉が分からない。〈作者の説教〉が分からない。〈評家の通俗な人の悪さ〉が分からない。〈作者の恐ろしい皮肉〉が分からない。従って〈説教、皮肉、そんなものは幻である〉と書かれても、何を言っているのかさっぱり分からない。小林秀雄の文章は分かったような気持ちにさせるが、立ち止まって検証のまなざしを向けるとたちまち曖昧なレトリックと化してしまう。小林はこういった曖昧な言葉で、自分を通俗なお人よしの読者でもないし、通俗な人の悪い評家でもないのだと言いたいのだろうか。ずいぶんと自分を高見に置いた言い方にみえる。小林が自分の書いている文章に説得力を持たせたいのであれば、まずは〈通俗なお人よし〉ぶりを発揮している〈読者〉を、〈通俗な人の悪さ〉を発揮している〈評家〉を明確に示すべきであろう。彼らの名前や、彼らが発表した感想なり論文なりを明示しなければ、小林の読者は小林の言っていることを具体的に検証することができない。

 小林は臆面もなく〈説教、皮肉、そんなものは幻である〉と書くが、この言説そのものが根拠のない〈幻〉ということになる。小林の批評に惹かれる読者は、この〈幻〉に幻惑されているのではないかと思うほどである。出典を示さず、根拠を示さず、高見に立って独断的に裁断する批評の〈説得力〉など〈幻〉に過ぎない。小林が自らの批評の〈幻〉性にどこまで自覚的であったかは分からない。しかし、この〈幻〉に説得力を付与するために、小林が彼流のレトリックを駆使したことは確かである。小林流のレトリックに酔いしれる読者は、教祖の言葉に魅了される信者と同じで、そのレトリックの内実に迫ろうともしないし、その根拠を問おうともしない。

 小林秀雄はロジオンの殺人に触れて「読者は、凶行の明らかな動機も目的も明かされてはいない。そんなものが一体必要か。そんなことはどうでもいい事ではないか。よくなくっても後の祭りだ。殺されて了ったのではないか。現に私はこの眼で見た。そうだ、見る事が必要なのである。だが、評家は考えてしまう」(119)と書いている。これもまた典型的な小林流レトリックである。小林は「見る事が必要だ」と強調し、「考えてしまう」者など評家失格で、作品の本質に迫ることなどはなから不可能だと断言しているような物言いである。小林流レトリックにはベルグソンの本質直観の思想が色濃く反映している。対象の本質を把捉するためには、いくら視点を増やして解釈してもだめで、直観によるほかはないというのがベルグソンの考えであるが、小林の〈批評〉(見る事)はこの〈考え〉(直観)を忠実に受け継いでいるということである。

 さて、小林は「現に私はこの眼で見た」と書いているが、いったい何を見たというのか。小林が自分の眼で見たものを具体的に書いてもらうのでなければ、彼の言うことは分からない。小林の見たものが作者の描いた殺人現場であるなら、読者は作品を読めばいいので、べつに評家の言説など必要としない。小林は「だが、評家は考えてしまう」と書いて、評家が〈考える〉ことを否定するかのような物言いをしている。作品批評はもちろんテキストを徹底的に見る必要があるが、この〈見る〉ことと〈考える〉こととは別のことではあるまい。テキストの森に踏み込むためには様々の方法を駆使する必要がある。その謂わば考古学的な発掘作業を遂行することで、テキストが全く新しい光景を浮上させることがある。小林は見ずに考える評家を明示していないので、彼らの書いた批評を具体的に検証することはできない。また小林自身も自分が見たものを明示していないので、そもそも議論にならない。

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を下記クリックで読むことができます。

清水正•批評の軌跡web版 - ウラ読みドストエフスキー

清水正・批評の軌跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年に寄せて」展示会が9月1日より日大芸術学部芸術資料館に於いて開催されています。

展示会場の模様を紹介していきます。

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9月1日(高倉・撮影)

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9月1日(高倉・撮影)

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9月1日(高倉・撮影)

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9月1日(高倉・撮影)

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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撮影・高倉

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清水正『悪霊』論の生原稿。1969年執筆。撮影・高倉

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撮影・高倉

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撮影・高倉

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撮影・伊藤景

※学生の入構制限中は、学外者の方の御来場について制限がございます。

詳細のお問い合わせにつきましては、必ず下記のメールアドレスにまでご連絡ください。

yamashita.kiyomi@nihon-u.ac.jp ソコロワ山下聖美(主催代表)

 

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清水正・批評の軌跡」カタログ表紙・裏表紙

目次内容は

はじめに──二〇二一年〈清水正の宇宙〉の旅へ──

ソコロワ山下聖美日大芸術学部文芸学科主任教授)

停止した分裂者の肖像──清水正先生の批評について──

上田薫日大芸術学部文芸学科教授)

動物で読み解く『罪と罰』の深層江古田文学」101号から再録

清水正(批評家・元日大芸術学部文芸学科教授)

清水正・著作目録

※購読希望者は文芸学科研究室にお問い合わせください。

清水正・批評の軌跡」web版(伊藤景・作成)を観ることができます。清水正•批評の軌跡web版 - 著作を辿る

清水正ドストエフスキー論全集」(第1巻~第10巻まで)

清水正宮沢賢治全集」(第1巻、第2巻)

林芙美子に関する著作」10冊と監修した「林芙美子の芸術」「世界の中の林芙美子

下記をクリックしてください。

https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki/event?fbclid=IwAR2VgV-FLHqrgbmgSV8GH631V8pbxE9CI65MMi93Hzf-IQxCSG283KCPrLg#h.flc3slpstj7p

sites.google.com

六月一日から開催予定だった「清水正・批評の軌跡」展示会はコロナの影響で九月一日から9月24日までと変更となりました

 会期:2021年9月1日(水)~9月24日(金)

 会期中開館日:平日のみ。午前9時30分~午後4時30分(完全予約制)

 ※ご来場の際は事前に公式HP(https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki)にご確認ください。

九月一日から日大芸術学部芸術資料館に於いて清水正・批評の奇跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年記念に寄せて──』展示会が開催される。1969年から2021年まで五十余年にわたって書き継がれてきたドストエフスキー論、宮沢賢治論、舞踏論、マンガ論、映画論などの著作、掲載雑誌、紀要、Д文学通信などを展示する。著作は単著だけでも百冊を超える。

 

下記の動画は2016年の四月、三か月の入院から退院した直後の「文芸批評論」の最初の講義です。『罪と罰』と日大芸術学部創設者松原寛先生について熱く語っています。帯状疱疹後神経痛に襲われながらの授業ですが、久しぶりに見たら、意外に元気そうなので自分でも驚いている。今は一日の大半を床に伏して動画を見たり、本を読んだりの生活で、アッという間に時が過ぎていく。大学も依然として対面授業ができず、学生諸君と話す機会がまったくない。日芸の学生はぜひこの動画を見てほしい。日芸創設者松原寛先生の情熱も感じ取ってほしい。

https://www.youtube.com/watch?v=awckHubHDWs 

ドストエフスキー生誕200周年記念お勧め動画

まだ元気な頃の講義です。

ジョバンニの母親は死んでいる、イリューシャ少年はフョードルの子供、など大胆な新説を開陳しています。ぜひご覧ください。

銀河鉄道の夜&カラマーゾフの兄弟 清水正チャンネル - YouTube

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新刊書紹介

清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅 松原寛&ドストエフスキー

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A五判並製341頁 定価2000円 2021-2-28発行 D文学研究会星雲社発売)

清水正ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会A5判上製・501頁。

購読希望者はメールshimizumasashi20@gmail.comで申し込むか、書店でお求めください。メールで申し込む場合は希望図書名・〒番号・住所・名前・電話番号を書いてください。送料と税は発行元が負担します。指定した振込銀行への振り込み連絡があり次第お送りします。

 

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定価3500円 2021-5-25発行 D文学研究会星雲社発売)

下記の動画は日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。是非ごらんください。

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

 

 

 

清水正「ソーニャの部屋 ──リザヴェータを巡って──(連載13)   ソーニャの部屋におけるリザヴェータの役割(2)」江古田文学107号より再録

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ソーニャの部屋

──リザヴェータを巡って──(連載13)

 ソーニャの部屋におけるリザヴェータの役割(2)

清水正

 前に書いたことと多少重なることを承知の上で論を進めていく。わたしは『罪と罰』を半世紀以上読み続けているが、ソーニャが住まいとしている三階建ての建物のどこにトイレがあるのかを知らない。描かれた限りで判断すればソーニャの部屋のどこにもトイレや洗面所や炊事場はない。それではそれらはいったいどこに存在していたのだろうか。トイレに関しては持ち運びができる簡易トイレ(お丸のようなもの)、洗面に関しても簡便なものが部屋の片隅かベッドの下に置かれていた可能性もある。が、炊事に関してはそれなりの場所が必要であろう。そんなこんなを考えると〈小さな玄関〉と表現されてはいるが、この一角に簡単な炊事場が設けられていた可能性もある。

 疑問ついでにもう一点あげておくと、ロジオンは靴を履いたままソーニャの部屋に入っているが、当時のロシア人は〈玄関〉で靴を脱ぐ習慣はなかったのであろうか。作者は世紀を隔てた異国の読者の疑問などにいちいち頓着することはなかった。ソーニャはこの時どういった部屋着を着ていたのか、どういう靴を履いていたのか、首には十字架をつけていたのか、雑木の箪笥の中には商売用のドレスや下着や派手な帽子、そしてパラソルなどがきちんと収納されていたのか。作者は見事にこれらについて触れない。

 ロジオンが初めてソーニャの部屋を訪れたこの夜、最も重要なことは〈ラザロの復活〉をソーニャが朗読し、ロジオンが黙って聞いたことである。もし、ロジオンが箪笥の上に置かれた新訳聖書を発見しなければ、この重要場面は存在しなかったことになる。言い方を変えれば、ロジオンが必ず新訳聖書を発見するように設定したのは作者だということである。つまり、ロジオンは一本の〈蝋燭〉が照らし出す薄暗い部屋で〈新訳聖書〉のみを発見するのである。

 この夜、ロジオンはたまたま発見した〈新訳聖書〉にのみこだわり、淫売婦ソーニャの不断の服装やベッドに特別の注意を向けない。当然、ロジオンの眼差しからはなれて、こんなことにいちいち注意を向ける読者もいないだろうが、わたしの眼差しにはソーニャの部屋にスヴィドリガイロフの影が見え隠れする。この影は、壁一枚隔ててソーニャの部屋での出来事に聞き耳をたてているスヴィドリガイロフのことを指しているのではない。この日、ロジオンがソーニャの部屋を訪れる前に、すでに上客としてスヴィドリガイロフがソーニャの部屋を訪れていたというのが、わたしの〈読み〉の一つである。

 少女や幼女に特別の関心を示す海千山千の淫蕩漢スヴィドリガイロフが〈おとなり同士〉の淫売婦ソーニャを見逃すはずはないし、すでに女衒のレスリッヒ夫人と話がついていたとみる方が説得力がある。なにしろソーニャは、マルメラードフの葬式や法事で予期せぬ金が必要なのである。

 わたしの脳裏には、ロジオンと入れ違いにソーニャの部屋を出て行ったスヴィドリガイロフの黒い姿が浮かんで見える。ロジオンがいきなり進入した〈玄関〉の隅の暗闇にスヴィドリガイロフが潜んでいた可能性も捨てがたい。スヴィドリガイロフは夜十一時過ぎ、ソーニャの部屋を訪れたロジオンを知っていたからこそ、隣室から立ち聞きすることもできたということになる。この〈読み〉でいくと、ロジオンが部屋に入ってから〈一分ほど〉して、ソーニャが蝋燭を手にして自分の部屋に入ってくるわけだが、この描かれざる〈一分〉が恐るべき秘密を隠していたということになる。知っているのはソーニャと〈蝋燭〉のみである。この〈蝋燭=リザヴェータ〉が照らし出していたのは、一人の〈殺人者〉と一人の〈淫売婦〉だけではないのである。

 ここで想起しておきたいことはレベジャートニコフとルージンの対話場面である。ロシア最新思想の信奉者レベジャートニコフが「共産団の団員は、他の団員の部屋へ、それが男であろうと女であろうと、いつでもはいる権利がある」(419)云々と言った時、ルージンは皮肉たっぷりに「じゃ、もしそのとき、その男なり女なりが、欠くべからざる要求の遂行中だったら、どうするんです、へ、へ!」(419)〔Ну а как тот или та заняты в ту минуту необходимыми потребностями, хе-хе!〕(ア・284)と言い返している。

 ロジオンはソーニャとスヴィドリガイロフの〈欠くべからざる要求の遂行〉直後にソーニャの部屋を訪れていた可能性もあることを、レベジャートニコフとルージンのこの対話場面がほのめかしていたと見ることもできる。レベジャートニコフはソーニャとロジオンの《嵐》(буря=性的結合)の直後にソーニャの部屋を訪れたが、ロジオンもまたソーニャとスヴィドリガイロフの〈欠くべからざる要求の遂行〉直後にソーニャの部屋を訪れていたということになる。

 ペテルブルクに来て三日目のスヴィドリガイロフにとってソーニャは自分の〈欲求〉(потребность=需要)を満たす格好の相手であり、貧困に喘ぐソーニャにとっては上等の客であったことになる。要するに二人の〈欠くべからざる要求の遂行〉(性的結合)は経済的原則に叶った需要・供給の関係にあり、この〈遂行〉(занятие)は淫売婦ソーニャにとっては〈営業・仕事〉(занятие)そのものに他ならなかった。

 ソーニャの部屋にいるのは〈ラザロの復活〉を朗読したソーニャと、それを黙って聞いているロジオンの二人に違いない。が、すでに何回も指摘したように、この部屋には〈幻=видение〉として顕われるキリストや、二千年の時空を超えてベタニア村の墓場で〈ラザロの復活〉に立ち会ったマルタ、マリア、多くのユダヤ人、そして前後未曾有の奇跡を起こしたイエス、蘇生したラザロなどが現出してくるのである。さらにソーニャの九号室の仕切りを取っ払ってしまえば、カペルナウモフ一家九人がおり、隣室の八号室に続く壁を取っ払えばそこにスヴィドリガイロフが潜んでいる。カメラをさらに引けば作品世界に姿を現さなかった女衒のレスリッヒ夫人もいるということになる。〈ソーニャの部屋〉を時間・空間の枠を取っ払って見れば、肉眼がとらえる侘びしげな佇まいが一挙に重層的厚みと多義的な象徴性に満ちたスペクタクルな時空間と化すことになる。

 わたしが『罪と罰』の映画監督を請け負えば、壁一枚隔てて聞き耳をたてているスヴィドリガイロフの顔を映し出すであろう。ドアに一ミリ程度の隙間があれば、〈蝋燭=リザヴェータ〉の明かりを通してスヴィドリガイロフの肖像が怪しく浮かび上がってくる。ソーニャが視る〈幻=видение=キリスト〉、二千年の時空を超えてソーニャの〈部屋〉に現出する〈ラザロの復活〉の場面なども映し出さずにはおかない。夜十一時過ぎのカペルナウモフ一家の姿も映し出すことになろう。こういった演出によって、現実的な狭い空間的枠組みの中で展開されたソーニャとロジオンの〈ドラマ〉は一挙に壮大なスペクタクル劇へと変容を遂げるのである。わたしは、〈ソーニャの部屋〉で激しく熱く展開された殺人者と淫売婦の〈ラザロの復活〉をめぐる〈対話ドラマ〉に見得る限りのものをみた上で、再び現実の二人きりの侘びしい〈部屋〉へと回帰したいのである。

 とりあえず、今のところ〈ラザロの復活〉朗読の場面にポルフィーリイ予審判事の登場はない。が、わたしの批評の視野の内には彼の出番もしっかりと用意されている。それは、わたしが今まで批評で描いてきたスペクタクル劇のすべてを俯瞰的な眼差しで眺めているポルフィーリイである。ポルフィーリイの背中を眺めているのが作者の眼差しだが、その作者の背中が見えなければ批評は成り立たない。この地点からしか批評は始まらないと言っても同じことである。

 

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を下記クリックで読むことができます。

清水正•批評の軌跡web版 - ウラ読みドストエフスキー

清水正・批評の軌跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年に寄せて」展示会が9月1日より日大芸術学部芸術資料館に於いて開催されています。

展示会場の模様を紹介していきます。

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9月1日(高倉・撮影)

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9月1日(高倉・撮影)

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9月1日(高倉・撮影)

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9月1日(高倉・撮影)

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

※学生の入構制限中は、学外者の方の御来場について制限がございます。

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目次内容は

はじめに──二〇二一年〈清水正の宇宙〉の旅へ──

ソコロワ山下聖美日大芸術学部文芸学科主任教授)

停止した分裂者の肖像──清水正先生の批評について──

上田薫日大芸術学部文芸学科教授)

動物で読み解く『罪と罰』の深層江古田文学」101号から再録

清水正(批評家・元日大芸術学部文芸学科教授)

清水正・著作目録

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清水正ドストエフスキー論全集」(第1巻~第10巻まで)

清水正宮沢賢治全集」(第1巻、第2巻)

林芙美子に関する著作」10冊と監修した「林芙美子の芸術」「世界の中の林芙美子

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 会期:2021年9月1日(水)~9月24日(金)

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九月一日から日大芸術学部芸術資料館に於いて清水正・批評の奇跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年記念に寄せて──』展示会が開催される。1969年から2021年まで五十余年にわたって書き継がれてきたドストエフスキー論、宮沢賢治論、舞踏論、マンガ論、映画論などの著作、掲載雑誌、紀要、Д文学通信などを展示する。著作は単著だけでも百冊を超える。

 

下記の動画は2016年の四月、三か月の入院から退院した直後の「文芸批評論」の最初の講義です。『罪と罰』と日大芸術学部創設者松原寛先生について熱く語っています。帯状疱疹後神経痛に襲われながらの授業ですが、久しぶりに見たら、意外に元気そうなので自分でも驚いている。今は一日の大半を床に伏して動画を見たり、本を読んだりの生活で、アッという間に時が過ぎていく。大学も依然として対面授業ができず、学生諸君と話す機会がまったくない。日芸の学生はぜひこの動画を見てほしい。日芸創設者松原寛先生の情熱も感じ取ってほしい。

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ドストエフスキー生誕200周年記念お勧め動画

まだ元気な頃の講義です。

ジョバンニの母親は死んでいる、イリューシャ少年はフョードルの子供、など大胆な新説を開陳しています。ぜひご覧ください。

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清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅 松原寛&ドストエフスキー

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A五判並製341頁 定価2000円 2021-2-28発行 D文学研究会星雲社発売)

清水正ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会A5判上製・501頁。

購読希望者はメールshimizumasashi20@gmail.comで申し込むか、書店でお求めください。メールで申し込む場合は希望図書名・〒番号・住所・名前・電話番号を書いてください。送料と税は発行元が負担します。指定した振込銀行への振り込み連絡があり次第お送りします。

 

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定価3500円 2021-5-25発行 D文学研究会星雲社発売)

下記の動画は日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。是非ごらんください。

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk