清水正「ソーニャの部屋 ──リザヴェータを巡って──(連載16) 〈もうおしまいになった人間〉ポルフィーリイを巡って ──「回想のラスコーリニコフ」の頃を回想して──(1)」江古田文学107号より再録
動画撮影は2021年9月8日・伊藤景
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ソーニャの部屋
──リザヴェータを巡って──(連載16)
〈もうおしまいになった人間〉ポルフィーリイを巡って
──「回想のラスコーリニコフ」の頃を回想して──(1)
小林は次のようにも書いている。
──空気が足りない、スヴィドリガイロフも、同じ事を、この青年に言う。空気とは何か。評家は急いではならない。主人公は、作中に於いて既に、評家達に事を欠いてはいない。ラスコオリニコフを知ろうと思うものは、先ずポルフィイリイに転身し、希薄になった空気の中で、不思議な息苦しさを経験してみる必要がある。息苦しさのなかに、希薄な空気の中に批評の極限の如きものが漂うのを感知するであろう。ポルフィイリイは、世の評家達に警告する、「私はもうお了いになった人間です」(124)
わたしが「回想のラスコーリニコフ──自称ポルフィーリイの深夜の独白──」を書きあげたのは一九七〇年十一月五日、二十一歳の時である。この批評は『ドストエフスキー体験記述──狂気と正気の狭間で──』(一九七五年五月 私家版)に収録した。すでにわたしはラスコーリニコフに対して距離を置いていた。まるで自分がラスコーリニコフであるかのような心的気分に浸っているわけにはいかなかった。わたしは『罪と罰』論を書くことで、ラスコーリニコフと自分との違いを否応なく自覚せざるを得なかった。まずラスコーリニコフとの決定的な違いは、彼は単なる屋根裏部屋の空想家にとどまらず、実際に二人の女を殺してしまった。わたしは殺意を抱いたことはあるが、実行したことはない。この決定的な違いに眼をつぶってラスコーリニコフを論じることはできない。ラスコーリニコフに親近性を強く感じた分、その違いを強く意識せざるを得なかった。
当時、わたしは二年間ほどつきあっていた女と別れ、絶望の淵に佇んでいた。『白痴』論、『悪霊』論、『カラマーゾフの兄弟』論、そして『罪と罰』論と憑かれたようにドストエフスキー論を書き続けることで狂気と死から免れた。べつに大げさな言い方をしているのではない。冗談ではなく、わたしはすべてのものに対して〈さようなら〉の五文字をあてはめ、ドストエフスキー論を書いていたのである。だからこそ小林の言う《ポルフィイリイは、世の評家達に警告する、「私はもうお了いになった人間です」》をすんなりと受け入れた。当時のわたしの口のききかた自体が予言者風饒舌で、まるでポルフィーリイが乗り移っているのではないかと思っていた。当時のわたしの絶望的気分は「回想のラスコーリニコフ」に存分に反映されている。久しぶりに読み返してみたが、まさにわたしのドストエフスキー論は〈体験〉そのものであることを再確認した。
さて、小林秀雄であるが、小林は具体的に〈息苦しさ〉や〈希薄な空気〉について書いてはいない。いったい誰の〈息苦しさ〉や〈希薄な空気〉なのか。すべてを見通しているかのように言葉を発するポルフィーリイを眼前にしたラスコーリニコフの心理状態を指しているのか。それとも「もうお了いになった人間」ポルフィーリイの心理状態を指しているのか。それとも両方なのか。さらにそれに同調する評家小林の心理状態をも指しているのか。厳密に問おうとすると、小林の言葉はたちまち曖昧の領域にすべりこんでしまうが、それでいて何か本質的なことを的確に突いているようにも感じられる。小林の言葉は肝心要のところではいつも魔術的な効果を発揮する。問おうとする精神をはぐらかす巧妙なレトリックと言ってもいい。
スヴィドリガイロフもポルフィーリイもラスコーリニコフに向かって「空気が足りない」と言うが、この〈空気〉が何を意味しているのかを誰も説明しない。はたしてスヴィドリガイロフの発した〈空気〉が、ポルフィーリイの発した〈空気〉と同じなのか、それとも違うのか。なぜ二人から同じセリフを発せられたラスコーリニコフは説明をもとめず、また作者も知らん振りを決め込むのか。わたしの批評は、作中人物や作者が沈黙を守っているその沈黙の内実に迫ろうと試みる。しかし小林はそんなことは問わない。いったい小林は敢えて問うまでもなく〈空気〉の意味を了解していたのだろうか。
清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を下記クリックで読むことができます。
「清水正・批評の軌跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年に寄せて」展示会が9月1日より日大芸術学部芸術資料館に於いて開催されています。
展示会場の模様を紹介していきます。
※学生の入構制限中は、学外者の方の御来場について制限がございます。
詳細のお問い合わせにつきましては、必ず下記のメールアドレスにまでご連絡ください。
yamashita.kiyomi@nihon-u.ac.jp ソコロワ山下聖美(主催代表)
目次内容は
はじめに──二〇二一年〈清水正の宇宙〉の旅へ──
ソコロワ山下聖美(日大芸術学部文芸学科主任教授)
停止した分裂者の肖像──清水正先生の批評について──
上田薫(日大芸術学部文芸学科教授)
動物で読み解く『罪と罰』の深層「江古田文学」101号から再録
清水正・著作目録
※購読希望者は文芸学科研究室にお問い合わせください。
「清水正・批評の軌跡」web版(伊藤景・作成)を観ることができます。清水正•批評の軌跡web版 - 著作を辿る
「林芙美子に関する著作」10冊と監修した「林芙美子の芸術」「世界の中の林芙美子」
下記をクリックしてください。
六月一日から開催予定だった「清水正・批評の軌跡」展示会はコロナの影響で九月一日から9月24日までと変更となりました。
会期:2021年9月1日(水)~9月24日(金)
会期中開館日:平日のみ。午前9時30分~午後4時30分(完全予約制)
※ご来場の際は事前に公式HP(https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki)にご確認ください。
九月一日から日大芸術学部芸術資料館に於いて『清水正・批評の奇跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年記念に寄せて──』展示会が開催される。1969年から2021年まで五十余年にわたって書き継がれてきたドストエフスキー論、宮沢賢治論、舞踏論、マンガ論、映画論などの著作、掲載雑誌、紀要、Д文学通信などを展示する。著作は単著だけでも百冊を超える。
下記の動画は2016年の四月、三か月の入院から退院した直後の「文芸批評論」の最初の講義です。『罪と罰』と日大芸術学部創設者松原寛先生について熱く語っています。帯状疱疹後神経痛に襲われながらの授業ですが、久しぶりに見たら、意外に元気そうなので自分でも驚いている。今は一日の大半を床に伏して動画を見たり、本を読んだりの生活で、アッという間に時が過ぎていく。大学も依然として対面授業ができず、学生諸君と話す機会がまったくない。日芸の学生はぜひこの動画を見てほしい。日芸創設者松原寛先生の情熱も感じ取ってほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=awckHubHDWs
ドストエフスキー生誕200周年記念お勧め動画。
まだ元気な頃の講義です。
ジョバンニの母親は死んでいる、イリューシャ少年はフョードルの子供、など大胆な新説を開陳しています。ぜひご覧ください。
銀河鉄道の夜&カラマーゾフの兄弟 清水正チャンネル - YouTube
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新刊書紹介
清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅 松原寛&ドストエフスキー』
『清水正・ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会)A5判上製・501頁。
購読希望者はメールshimizumasashi20@gmail.comで申し込むか、書店でお求めください。メールで申し込む場合は希望図書名・〒番号・住所・名前・電話番号を書いてください。送料と税は発行元が負担します。指定した振込銀行への振り込み連絡があり次第お送りします。
下記の動画は日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。 これを観ると清水正のドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。是非ごらんください。
https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk