清水正「ソーニャの部屋 ──リザヴェータを巡って──(連載15) 再び小林秀雄の「『罪と罰』についてⅡ」へ ──小林秀雄流レトリックについて──(2)」江古田文学107号より再録

 

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ソーニャの部屋

──リザヴェータを巡って──(連載15)

再び小林秀雄の「『罪と罰』についてⅡ」へ

──小林秀雄流レトリックについて──(2)

清水正

 

〈ラザロの復活〉の場面に関しては、すでにわたしは様々な視点から批評を展開した。〈ラザロの復活〉朗読の場となったソーニャの部屋に関しても様々な角度から照明を与えた。小林は〈見る〉ことの必要性を指摘しても、ソーニャの部屋を具体的に見てはいない。わたしは二年にわたって「マンガ論」の受講者に〈ソーニャの部屋〉を絵で描くことを課題にしたが、百名以上の受講生の描く〈ソーニャの部屋〉に同一のものはまったくなかった。それほど〈見た〉ことを具体的に表現することは大変なのである。

 小林は前後未曾有の一大奇跡〈ラザロの復活〉をソーニャが朗読した部屋に、淫売婦ソーニャと殺人者ロジオン、それに彼らを照らし出していた一本の蝋燭しか見ていない。評家小林の見る眼差しは、ソーニャが視ていた〈幻=видение=キリスト〉も、後に〈実際に奇跡を起こす人・神〉となった〈立会人〉スヴィドリガイロフも、隣室のカペルナウモフ一家の人々も、さらに〈蝋燭〉となって闇を照らしていた〈リザヴェータ〉の存在も見ていない。

 小林の見る眼差しは、肉眼のそれであってそれ以上でも以下でもない。もちろん、肉眼でとらえた光景のリアリテイを微塵も蔑ろにするものではない。しかし、それだけでは駄目だということである。ドストエフスキーはテキストに様々な仕掛けを予め組み込んでおり、評家は作者が意図的に仕込んだことぐらいは発見しなければならない。小林の予め〈考える〉ことを拒むような批評の方法によっては、作者が仕掛けた秘密に肉薄することはできないのである。

 小林は「ラスコオリニコフの思想を明らかにし、彼の行為を合理的に解釈しようとする、評家達の試みは成功しない。作者にしてみれば、若し諸君が成功するなら、私の方が失敗していたわけだ、とさえ言いたいだろう。作者は、主人公の行為の明らかな思想的背景という様なものを信じてはいない。そういうものに就いて、殆ど真面目に語ってさえいない」(119)と書いている。ラスコーリニコフの思想や行為に関して考察することは無意味で、そんなことにかかわるのは二流三流の通俗的な評家だと言わんばかりの物言いである。

 ところでわたしは『罪と罰』論を書き始めた二十歳の昔から、徹底してラスコーリニコフの思想と行為に注目してきた。ラスコーリニコフは紛れもなく屋根裏部屋の空想家であり思索家であり、彼の執筆した犯罪に関する論文の内容に関しても強い関心を抱いていた。わたしにはわたしの思想があり行為がある。観念的な諸問題で頭をいっぱいにしていた自意識過剰の青年にとって、『罪と罰』を読むということはラスコーリニコフと一体化するような生々しい体験であり、それは同時にラスコーリニコフの思想に深く踏み込んでいくことでもあった。

〈見る〉行為は徹底して〈考える〉行為と切り離すことはできない。いったい、考えずに見るなどという読書行為(批評)が成り立つのであろうか。小林の物言いは、かえって批評の幅を狭めることになりはしないか。わたしが学生時代、小林流の物言い(レトリック)を口にするおしゃれな文学青年もいたが、彼らのだれ一人としてドストエフスキーの文学に真剣に立ち向かい続けた者はいない。

 作者が意図的にラスコーリニコフに仕込んだ思想があり、同時に意図的に封じ込んだ思想がある。それを明らかにするためにも作品中に描かれたラスコーリニコフの〈思想〉と〈行為〉を徹底的に検証しなければならない。考えずに〈見る〉ことで、そのことが明らかになるなどというものではない。作者がテキスト中に仕掛けた〈謎〉は百年以上経ってもその姿をなかなか現さないのである。

 ラスコーリニコフの殺人を作者は〈あれ〉と書いており、決して〈老婆アリョーナ殺し〉とは書いていない。テキストを見るということは、まず第一に作者が書いていることを正確に見なければならない。そのことをきちんと押さえた上で、なぜラスコーリニコフが殺人前にまったく予期しなかったリザヴェータが目撃者として現れてきたのかを考えなければならない。ラスコーリニコフはリザヴェータを殺してしまったが、その殺した事実だけを見て、そのことの意味を考えないでもいいなどという物言いは評家としては失格だろう。

 ラスコーリニコフにとって犯行の現場に現れたリザヴェータは予想外のことであっても、作者にとっては予め決定されたことである。ラスコーリニコフの非凡人思想(非凡人は良心に照らして血を流すことが許されている)は〈社会のシラミ〉である高利貸しアリョーナ婆さん殺しには適用されても、リザヴェータ殺しには適用されない。だからこそ、ラスコーリニコフの非凡人思想はリザヴェータ殺しを含めて再検討されなければならない。要するに考えることが必要だということである。

 元政治犯として死刑執行寸前の体験とシベリア流刑の体験を持つドストエフスキーは、ラスコーリニコフの〈あれ〉に〈皇帝殺し〉を潜ませていたが、もちろんこのことが当時の検閲官や読者に見破られてはならなかった。こういった点に関してはすでに詳細に論じたので繰り返さないが、要するにテキストの奥深くに踏み込むためには、テキストに様々な疑問を投げかけ、ゆさぶり続けることが必要である。

 テキストを前にして懐疑的思索を続けることなしには、作者が秘め隠した謎を発見することはできないし、さらに言えば、作者にそれを促しているなにものかの働きを感知することもできない。見ることは、決して考えることを拒むことではない。考えて考えて、見る。見て見て、再び三度繰り返し考える。そのことを通して新たな光景が見えてくるのである。

 

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を下記クリックで読むことができます。

清水正•批評の軌跡web版 - ウラ読みドストエフスキー

清水正・批評の軌跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年に寄せて」展示会が9月1日より日大芸術学部芸術資料館に於いて開催されています。

展示会場の模様を紹介していきます。

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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清水正『悪霊』論の生原稿。1969年執筆。撮影・高倉慎矢

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撮影・伊藤景

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9月1日(高倉慎矢・撮影)

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撮影・伊藤景

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撮影

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撮影

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撮影

※学生の入構制限中は、学外者の方の御来場について制限がございます。

詳細のお問い合わせにつきましては、必ず下記のメールアドレスにまでご連絡ください。

yamashita.kiyomi@nihon-u.ac.jp ソコロワ山下聖美(主催代表)

 

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清水正・批評の軌跡」カタログ表紙・裏表紙

目次内容は

はじめに──二〇二一年〈清水正の宇宙〉の旅へ──

ソコロワ山下聖美日大芸術学部文芸学科主任教授)

停止した分裂者の肖像──清水正先生の批評について──

上田薫日大芸術学部文芸学科教授)

動物で読み解く『罪と罰』の深層江古田文学」101号から再録

清水正(批評家・元日大芸術学部文芸学科教授)

清水正・著作目録

※購読希望者は文芸学科研究室にお問い合わせください。

清水正・批評の軌跡」web版(伊藤景・作成)を観ることができます。清水正•批評の軌跡web版 - 著作を辿る

清水正ドストエフスキー論全集」(第1巻~第10巻まで)

清水正宮沢賢治全集」(第1巻、第2巻)

林芙美子に関する著作」10冊と監修した「林芙美子の芸術」「世界の中の林芙美子

下記をクリックしてください。

https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki/event?fbclid=IwAR2VgV-FLHqrgbmgSV8GH631V8pbxE9CI65MMi93Hzf-IQxCSG283KCPrLg#h.flc3slpstj7p

sites.google.com

六月一日から開催予定だった「清水正・批評の軌跡」展示会はコロナの影響で九月一日から9月24日までと変更となりました

 会期:2021年9月1日(水)~9月24日(金)

 会期中開館日:平日のみ。午前9時30分~午後4時30分(完全予約制)

 ※ご来場の際は事前に公式HP(https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki)にご確認ください。

九月一日から日大芸術学部芸術資料館に於いて清水正・批評の奇跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年記念に寄せて──』展示会が開催される。1969年から2021年まで五十余年にわたって書き継がれてきたドストエフスキー論、宮沢賢治論、舞踏論、マンガ論、映画論などの著作、掲載雑誌、紀要、Д文学通信などを展示する。著作は単著だけでも百冊を超える。

 

下記の動画は2016年の四月、三か月の入院から退院した直後の「文芸批評論」の最初の講義です。『罪と罰』と日大芸術学部創設者松原寛先生について熱く語っています。帯状疱疹後神経痛に襲われながらの授業ですが、久しぶりに見たら、意外に元気そうなので自分でも驚いている。今は一日の大半を床に伏して動画を見たり、本を読んだりの生活で、アッという間に時が過ぎていく。大学も依然として対面授業ができず、学生諸君と話す機会がまったくない。日芸の学生はぜひこの動画を見てほしい。日芸創設者松原寛先生の情熱も感じ取ってほしい。

https://www.youtube.com/watch?v=awckHubHDWs 

ドストエフスキー生誕200周年記念お勧め動画

まだ元気な頃の講義です。

ジョバンニの母親は死んでいる、イリューシャ少年はフョードルの子供、など大胆な新説を開陳しています。ぜひご覧ください。

銀河鉄道の夜&カラマーゾフの兄弟 清水正チャンネル - YouTube

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新刊書紹介

清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅 松原寛&ドストエフスキー

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A五判並製341頁 定価2000円 2021-2-28発行 D文学研究会星雲社発売)

清水正ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会A5判上製・501頁。

購読希望者はメールshimizumasashi20@gmail.comで申し込むか、書店でお求めください。メールで申し込む場合は希望図書名・〒番号・住所・名前・電話番号を書いてください。送料と税は発行元が負担します。指定した振込銀行への振り込み連絡があり次第お送りします。

 

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定価3500円 2021-5-25発行 D文学研究会星雲社発売)

下記の動画は日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。是非ごらんください。

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk