『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛&ドストエフスキー』(D文学研究会) の目次を紹介

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ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

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清水正ドストエフスキー論全集

 

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「新潮」掲載用の広告『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛&ドストエフスキー』『清水正・ドストエフスキー論全集』11巻

近況報告

本日、「新潮」掲載用の広告ができあがったので載せておきます。

ドストエフスキー曼陀羅──松原寛&ドストエフスキー』は来年早々には刊行の予定で作業を進めている。『清水正ドストエフスキー論全集』11巻は来年六月刊行の予定である。

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近況報告 相変わらず『罪と罰』について書き続けている

近況報告

相変わらず『罪と罰』について書き続けている。

今日は送られてきた「季刊文科」82号を開いて松本徹「輪廻転生への希求 三島由紀夫没後五十年」と勝又浩「初めにことばあり─神と神々(2)」を読む。勝又論文は西洋の神と日本の神の違いに言及したもので、わたしの関心と共通するものがあり興味深く読んだ。続けて「新潮」11月号の連載評論・大澤信亮小林秀雄」を読む。「新潮」は表2にD文学研究会発行の著作の広告を載せているので毎月送られてくる。必ず読むのがこの連載である。今回で69回ということでずいぶん長く連載しているがいつも面白く読んでいる。坂口安吾の「教祖の文学」がとりあげられている。小林批評の本質を安吾なりに鋭く指摘したもので、今日でも少しも色あせていない。

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近況報告 「文芸批評論」の内容

近況報告

大学の授業は依然として対面授業ではなく、わたしはクラスルームで受講生に指示を与える方式をとっている。今回は「文芸批評論」の内容を紹介する。

10月8日清水正
先週書いたものが消えています。うまく送信できていなかったのかもしれません。
林芙美子の『浮雲』をわたしはたいへん高く評価しています。図書館長時代には二冊の林芙美子の本を監修しました。『林芙美子の芸術』2011年11月と『世界の中の林芙美子』2013年12月の二冊です。林芙美子は外国文学をたくさん読んでいますが、ロシア文学ではチェーホフドストエフスキーの作品をよく読んでいます。日本の近代現代の詩人、小説家、批評家に深く影響を与えた作家にドストエフスキーがいます。林芙美子の師匠格にあたる川端康成もその一人です。川端にまとまったドストエフスキー論の著作はありませんが、彼が三島由紀夫をはじめとして後輩の作家たちにドストエフスキーを熱心に語っていたことが伝えられています。
ドストエフスキーの作品の中でも特に『悪霊』は葛西善蔵横光利一坂口安吾椎名麟三などに大きな影響を与えています。ところでわたしは、『悪霊』の主人公ニコライ・スタヴローギンを和製化した人物が『浮雲』の主人公富岡兼吾とみなしています。林芙美子の『浮雲』を本格的に研究したいひとはぜひ『悪霊』にも挑戦してください。
わたしは林芙美子に関しては『林芙美子屋久島』、『「浮雲」放浪記』全五冊、『林芙美子の文学 「浮雲」の世界』全二冊、『林芙美子浮雲」における死と復活の秘儀』などを刊行しています。これらの著書は林芙美子の『浮雲』をドストエフスキーの文学に関連付けて批評したもので約十年の歳月を要しました。まだまだ林芙美子の文学は本格的に研究批評されているとは言えません。わたしは『浮雲』を世界文学の地平において批評しましたが、その世界が広く理解されるには相当の年月が必要とされるでしょう。
とりあえず受講者はじっくりゆっくり『浮雲』を熟読してください。課題は11月に入ってから指示します。

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遠藤周作の『私にとって神とは』

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清水正ドストエフスキー論全集

近況報告

先日まで連載した「帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー」は連載36でとりあえず中断する。連載した原稿は2016年に日大病院退院後書き続けていたものだが、この続きは『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛&ドストエフスキー──』や『清水正ドストエフスキー論全集』第11巻に収録したり、すでに「Д文学通信」に発表してある。退院後から今日まで、ずっと原稿を書き続けているので、ブログにでも発表しないと何を書いたのかも忘れている。

ここ二週間ほど校正に追われて原稿を書く暇がなかった。相も変わらず『罪と罰』に執拗にこだわっているのだが、少し時間を空けるのもいいかもしれない。

先日、図書館から借りている本の返却要請が大学からあったので、マンションから歩いて三十秒ほどの自宅の書斎にしばしこもって本を探すことにした。倉庫状態の書斎から借りている本を発見するのも一仕事。帰り際、本の山の上に遠藤周作の『私にとって神とは』が目についたので持ち帰って読み始めた。キリスト教のことや、なぜ信者になったのかなどやさしく書いてある。まあ、一言でいえば遠藤周作の宗教観は母親教のようなもので、ユダヤキリスト教の厳しい父性的な側面は真正面から取り上げられていない。親鸞悪人正機説マルメラードフの愛と赦しの神学に似ている。離婚した母親がカソリックに入信、遠藤少年はその母親の悲しみに限りなく寄り添うようなかたちでキリスト者であり続けたと言えようか。母親から一方的に与えられた、からだにぴったりしない洋服を、精一杯自分のからだに合わせるように和服化していった遠藤周作の姿に、悲しみの母親に対する限りのない慈愛を感じる。遠藤における宗教は母性的な愛と赦しであるから、別にキリスト教でも仏教でもよかったということだろう。

この際、もう一度遠藤の『イエスの生涯』『キリストの誕生』『死海のほとり』を読み直そうと思い、記憶にある書斎の棚を妻に探してもらったが、三冊とも箱しかなかったということである。いったい中身の本はどこへ行ったのやら。そのうちひょっこり顔を出すかもしれない。

ということで、『罪と罰』を通して執拗に信仰の問題を考えることにしたい。

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帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載36) 清水正 

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清水正ドストエフスキー論全集

帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載36)

清水正 

    ここで、シベリアの監獄で労役についていたロジオンが、早朝六時、小屋のそばに積んである丸太に腰掛けて、眼前に広がる荒涼とした川面を眺めていた場面を見てみよう。

 ラスコーリニコフはじっとすわったまま、目をはなそうともせずにながめていた。彼の思いは、やがて幻想へ、瞑想へと移っていった。彼は何も考えなかった。ただそこはかとない哀愁が彼の心をさわがせ、うずかせるばかりだった。
  ふいに、彼の横にソーニャが現われた。彼女は、ほとんど物音を立てずに近寄ってきて、並んで腰をおろした。(下・399~400)
 Раскольников сидел,смотрел неподвижно,не отрываясь;мысль его переходила в грезы,в соверцание;он ни о чем не думал,но какая-то тоска волновала его и мучила.
   Вдруг подле него очутилась Соня.Она подошла едва слышно и села с ним рядом.(ア・421)

 ロジオンが〈幻想〉(грёза)から〈瞑想〉(созерцание)へと入り込んで行ったことに注意しよう。江川卓が〈瞑想〉と訳したсозерцаниеは〈観照〉という意味もある。この語からすぐに連想するのは、イエス・キリストの〈幻〉を視ることのできるソーニャが観照派に属していたことである。ソーニャが〈ラザロの復活〉を朗読した時、その傍らにいたロジオンはソーニャとイエス・キリストの秘儀を知ることはできなかった。ロジオンは未だ不信と懐疑の思弁の人にとどまっていた。しかし、今、ロジオンは〈瞑想〉(созерцание)の次元に入り込むことでソーニャの〈信仰〉の領域へと参入することになる。と、〈突然〉(вдруг〕、ロジオンの傍らにソーニャが現れる。このソーニャは実在するソーニャであると同時に、ソーニャに化身したキリストでもある。
 ロジオンは遂に〈思弁〉(диалектика)からイエス・キリストの〈命〉(жизнь)へと飛び込んだ。作者は「ふたりを復活させたのは愛だった」(Их воскресила любовь)と書いた。この〈愛〉(любовь)はロジオンにとっては実在するソーニャであると同時に、そのソーニャに化身したキリストでもある。いずれにしてもロジオンは〈徐々に〉ではなく、〈突然〉復活の曙光に輝いた。
 ドストエフスキーは『罪と罰』という〈物語〉(рассказ)のエピローグにおいて〈殺人者〉が〈突然〉信仰を獲得する場面を読者に報告した。が、同時に「彼は、新しい生活がけっしてただで手にはいるものではなく、これからまだ高い値を払ってあがなわなければならぬものであること、その生活のために、将来、大きないさおしを支払わねばならぬことも、すっかり忘れていた……。」とも書いている。ロジオンの〈復活〉は決して絶対不動を意味しない。ロジオンは再び〈信仰者〉から〈思弁の人〉へと戻る可能性をも秘めているのだ。はたして作者のうちには、ロジオンに対する不信と懐疑はもはや微塵も残ってはいなかったのであろうか。作者の眼差しは〈ひとりの人間が徐々に更生していく物語〉の方へと向けられている。が、ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』に至るまで、この〈新しい物語〉を書くことはできなかった。これは何を意味するのか。
 ロジオンは復活の曙光に輝くことで〈永遠の命〉を獲得した。これでロジオンの〈経歴〉と〈物語〉(историяとрассказ)は幕を下ろした。ロジオンの復活を絶対とするためには、彼が徐々に更新していく〈新しい物語〉など用意されてはならないし、もともとできないのである。少なくとも、ロジオンの実存にもっともふさわしくないのが〈徐々に〉という時性である。ロジオンの運命はあくまでも〈突然〉の時性に支配されていたのであるから。
 『罪と罰』で描かれたロジオンの〈история〉(経歴)の突出事項は〈殺人〉と〈復活〉である。この殺人と復活の間にソーニャによる〈ラザロの復活〉の朗読場面とロジオンの殺人告白(厳密に言えば報告)と大地への接吻、自首などがある。わたしはこのロジオンの〈история〉に素直に頷けない。屋根裏部屋の空想家ロジオンに最もふさわしい〈история〉は、殺人と復活に至る筋書きを彼の空想(蒸し暑い夏の日の夢)と見なすことである。この観点からすれば、『罪と罰』はロジオンの〈история〉(殺人を犯さない屋根裏部屋の空想家)に虚構(殺人から復活に至る全場面)を交えた物語(рассказ)ということになる。
 ドストエフスキーはロジオンの〈斧〉による〈殺人〉によって過激な革命家の一つの典型を示した。が、この巧妙な仕掛けを看破できる読者は存在しなかった。ロジオンは高利貸しアリョーナを殺すことによって皇帝殺しを実現した。目撃者リザヴェータ殺しはロジオンの革命理論(ネチャーエフの革命家理論)の揺るぎなき遂行である。ドストエフスキーは〈ロジオン=過激な革命思想家〉をある意味、完璧に隠し通した。読者はドストエフスキーの思惑通り、『罪と罰』をロジオンの〈思弁〉から〈信仰〉へと至る物語(рассказ)として読み続けてきた。
 ロジオンは単独者として皇帝殺しという革命を果たした。が、作者はロジオンに革命成就者としての栄光を授けることはなかった。革命を果たした後のロジオンに魂の救いはない。ドストエフスキーが予め用意していたのは偉大なる罪人ソーニャである。革命によっては人間の魂を救うことはできないという確信が作者にあったのであろうか。ロジオンは淫売婦ソーニャの前にひざまずく。ロジオンにキリストの姿〈幻=видение〉は見えないが、キリストを体現しているかのようなソーニャの、その全人類の苦悩を一身に背負ったかのような姿の前には、まさに思弁を超えた次元でひざまずかずにはおれなかった。
 人類にとって望ましい未来の社会は革命によっては成就できない。否、社会の制度は変革できても、魂の問題はそれによっては解決できない。ロジオンが果たした過激な革命実践によってもレベジャートニコフの穏健な革命思想によっても、ソーニャが引き受けざるを得なかったような苦悩は解消しない。殺人後、ロジオンを絶え間なく襲った苦しみは、信仰者ソーニャと共に歩むことでしか解消しない。
 ドストエフスキーが『罪と罰』で用意した回答は革命ではなく信仰であった。彼はエピローグでその保証人となった。が、『罪と罰』の読者の何人が、この作者の保証書を素直に受け取ったのであろうか。ロジオンの斧による過激な革命にも、ソーニャの狂信にも納得できないものが残る。

 
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帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載35) 清水正 

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清水正ドストエフスキー論全集

帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載35)

清水正 

  ソーニャは神を信じることで救われているのか。救われているとして、その救いとは何を意味するのだろうか。淫売稼業で残された義理の弟妹たちを面倒みなければならない、この状況のただ中にあって何をもってして救いというのだろうか。ソーニャの内的苦悩は計り知れない。現実的になんの解決にもならない信仰による救いを、はたして救いと言えるのだろうか。思弁的見地からは何もしてくれない神を狂おしいばかりに信じているソーニャの内面において、救いは成就されているのだとでも言うのであろうか。『罪と罰』に描かれたソーニャは、彼女自身が紛れもないキリストに見えてくる。ロジオンもそう感じたからこそ、突然ソーニャの前にひれ伏したのである。ロジオンは、すぐに起きあがって「ぼくは人類のすべての苦悩の前にひざまずいたのだ」と言う。この時の、思弁の人ロジオンの行動は〈突然〉の時性に支配されている。思弁は思弁本来の性格によって信仰そのものの領域に踏み込むことはできない。ロジオンは孤独な屋根裏部屋の思弁家であるが、時に彼の行動は思弁や自意識を越えた〈突然〉(вдруг)の時性に支配される。
 ロジオンは書斎派のアポロン的な哲学者にはなれない。ロジオンが求めているのは思弁の持続(はてしなく続くおしゃべり)ではない。が、ロジオンにおける〈突然〉は、思弁から信仰へと彼の背を押すが、すぐにまた信仰から思弁へと突き戻す作用を持っている。ここにロジオンの信仰という一義に徹しきれない悩ましい実存の本質が潜んでいる。結果としてロジオンは作者ドストエフスキーによって復活の曙光に輝いているが、この曙光が永遠に輝き続ける保証はない。

 「思弁の代わりに生活が登場したのだ」と書いた後、ドストエフスキーは次のように続けてペンを置いた。

  彼の枕の下には福音書があった。彼は無意識にそれを手にした。この本は彼女のだった。彼女がラザロの復活を彼に読んでくれたあの福音書だった。徒刑生活の最初のころ、彼女が宗教で自分を悩まし、福音書の話をはじめ、自分に本を押しつけるのではないか、と考えたことがあった。だが、まったく驚いたことに、彼女は一度もその話をしようとせず、一度として彼に福音書をすすめようとさえしなかった。病気にかかるすこし前、彼は自分から彼女に頼んだのだった。彼女は黙って聖書を持ってきた。今日まで、彼はそれを開いて見ようともしなかった。
  いまも彼は、それを開こうとはしなかった。ただ一つの考えが彼の頭をかすめた。『いまや、彼女の信念がおれの信念となっていいはずではないのか? すくなくとも彼女の感情、彼女の願望は……』
  彼女も、この日は一日興奮していて、夜になると、また病気をぶりかえしたほどだった。けれど彼女は、自分のしあわせがむしろ空怖ろしく思われるくらい、幸福感にひたっていた。七年、わずかの七年! 幸福をえた最初のころ、ときとしてふたりは、この七年間を七日のように見ることもあった。彼は、新しい生活がけっしてただで手にはいるものでなく、これからまだ高い値を払ってあがなわなければならぬものであること、その生活のために、将来、大きないさおしを支払わねばならぬことも、すっかり忘れていた……。(下・403~404)

 

  しかし、ここにはすでに新しい物語がはじまっている。それは、ひとりの人間が徐々に更生していく物語、彼が徐々に生まれかわり、一つの世界から他の世界へと徐々に移っていき、これまでまったく知ることのなかった新しい現実を知るようになる物語である。それは、新しい物語のテーマとなりうるものだろう。しかし、いまのわれわれの物語は、これで終わった。(下・404
  Но тут уж начинается новая история,история постепененного перерождения его,постепененного перехода из одного мира в другой,знакомуства  с новою,доселе совершенно неведомою действительностью.Это молго бы составить тему нового рассказа,ーно теперешний рассказ наш окончен.(ア・422)

 文字通り読めば、ロジオンは初めて福音書を読む気になったらしい。はたしてロジオンは〈踏み越え〉(アリョーナ、リザヴェータ殺し)の前に福音書を読んだことがなかったのであろうか。子供の頃、母プリヘーリヤから読み聞かされた程度の福音書の知識しか持ち合わせがなかったのであろうか。もしそうだとすれば、ロジオンはソーニャの小部屋で初めてヨハネ福音書中の「ラザロの復活」を聞いたことになる。注意すべきは、ロジオンが自らの目で読んだのではなく、狂信者ソーニャの声を通して聞いたことである。活字を通して読むことは思弁の働きを活発にさせる。ましてや神に対する不信と懐疑のただ中にある者にとってはなおさらである。さらに注意すべきは、ロジオンは〈踏み越え〉た後に「ラザロの復活」の朗読(ソーニャの信仰告白)を聞いていることである。
 ロジオンは高利貸しアリョーナ婆さんのアパートに瀬踏みに立ち寄った後、地下の居酒屋で酔漢マルメラードフの告白を聞くことになる。ロジオンはこの告白でソーニャの存在を知った。ロジオンはこの時、踏み越えた〈後〉で、ソーニャにそのことを報告しようとする。踏み越えた後でなければ、ロジオンはソーニャと同一の次元に立つことはできない。これはロジオンが逃れることのできない運命として直覚したことで、この書かれざる直覚を共有できない読者は、ロジオンとソーニャの神秘的な合一のドラマに参入できない。
 いずれにしても、ロジオンは福音書に書かれた数多くのイエスの言行のうちから、「ラザロの復活」の場面を最初に聞いたことを忘れないようにしておこう。ロジオンはこれから七年間の獄中生活のただ中で福音書を読み続けることになる。ドストエフスキーは四年間にわたるシベリアの監獄生活においてデカブリストの妻から贈られた福音書を読んだ。この死の家で福音書を読み続けたドストエフスキーが、ロジオンにおける〈新しい物語〉ーー〈ひとりの人間が徐々に更生していく物語、彼が徐々に生まれかわり、一つの世界から他の世界へと徐々に移っていき、これまでまったく知ることのなかった新しい現実を知るようになる物語〉を約束している。

 ドストエフスキーはこの〈新しい物語〉(новая история)に揺るぎのない確信を抱いていたのだろうか。ドストエフスキーは『罪と罰』のエピローグで「それは、新しい物語のテーマとなりうるものだろう」(Это могло бы составить тему нового рассказа,)と書いた。ロジオンの〈新しい物語〉(новая история)、その「将来、大きないさおしを支払わねばならぬ」現実的な歴史は、ドストエフスキーによって〈新しい物語〉(новый рассказ)として描かれなければならない。が、ドストエフスキーはこの約束を果たさぬままに生を終えた。
 〈突然〉の時性に支配されていたロジオンの〈踏み越え〉と〈復活〉の〈物語〉(история)に立ち会ってきた読者にしてみれば、ドストエフスキーがエピローグで約束したロジオンの〈更生〉〈生まれかわり〉〈一つの世界から他の世界への移行〉が〈徐々に〉(постепенный)成し遂げられるということに妙な感じを覚える。
 ロジオンの行動は突然に支配されている。もしロジオンがこの突然の時性から解き放されていれば、彼の殺人という踏み越えも、ソーニャの前の跪拝も、ソーニャとの性的合一も、そして復活の曙光に輝く瞬間もないことになる。わたしは屋根裏部屋の思弁家にとどまり続けるロジオンにリアリティを感じ続けているので、『罪と罰』本編、及びエピローグで伝えられるロジオンの〈経歴〉(история)そのものにも作者の〈物語〉(рассказ)を強く感じる。何度でも指摘するが、わたしはおしゃべりし続けるロジオンに現実性を感じるので、二人の女を殺すロジオンにはどうしても違和感、というか虚構性(рассказ)を感じてしまうのである。わたしの『罪と罰』テキストに対する不信と懐疑は執拗で、その執拗な力をエネルギーにして批評行為を続けている。わたしが二十歳の昔から疑問に思っていたことは、ロジオンによる第二の殺人リザヴェータ殺しと、殺人の道具に使った斧であった。この謎の解明には五十年近くの年月を必要とした。
 ロジオンは最初の場面から思い惑っている一人の青年として登場していた。しかし、ロジオンのこの思い惑い自体に照明を与えた批評研究はなかった。ロジオンの惑いは高利貸しの老婆アリョーナ婆さんを本当に殺すことができるかできないか、そういった彼の非凡人思想に重ねた〈踏み越え〉の次元にとどまっていた。しかし、〈踏み越え〉の対象をアリョーナにだけ限っていたのではリザヴェータ殺しの秘密は解けない。ドストエフスキーはきわめて巧妙な書き方で当時の優秀な検閲官の眼をくらましている。ましてや発表誌「ロシア報知」の編集者はもとより、大半の読者がその作者の巧妙な手口を看破することはできなかった。
 作者ドストエフスキーがまず第一に隠したのはロジオンの内なる〈過激な革命思想〉であった。『罪と罰』の読者で、主人公のロジオンが過激な革命思想を抱いた青年と見なす者はいない。『罪と罰』の舞台は一八六五年七月である。ロジオンが大学に入学する一八六二年以前、ペテルブルグ大学の進歩的な学生たちが制度改革を求めてデモをしたりチラシを配ったりしていた多数の者たちが逮捕、監禁、追放の憂き目にあっていた時代である。その時代にあって、ロジオンが革命思想の洗礼を受けないはずはない。しかし社会の根源的な悪は皇帝による専制君主制度そのものにあり、従ってそれはどんな手段を使ってでも打倒しなければならないと認識していた、いわば正当な革命思想を抱き、革命のためには自らの命をも顧みなかった純粋な革命家は『罪と罰』の世界に一人も登場しない。過激な革命家の代わりにドストエフスキーが登場させたのは、ロシア最新思想の感染者として、思う存分に戯画化されたレベジャートニコフのみであった。 『罪と罰』表層のテキストを読む限り、主人公のロジオンも、また作者ドストエフスキーも〈革命〉思想を潜めているとは思えない。が、すでに指摘した通り、ロジオンが殺人の道具として〈斧〉にこだわったことは、彼の潜めた革命思想の発露以外のなにものでもなかった。〈斧〉で殺した相手は〈高利貸しアリョーナ〉を装った皇帝であった。革命の為には手段を選ばず、革命のために邪魔なものは容赦なく始末される。第二の殺人〈リザヴェータ殺し〉はそのことを端的に語っている。つまり、ロジオンの中に潜む革命思想とその体現の為には〈斧〉と〈リザヴェータ殺し〉は必須であったというわけである。
 ロジオンの深い思い惑いはつまり「革命か神か」の二者択一にあったということになる。しかし、ドストエフスキーは『罪と罰』のこの重要なテーマを隠した。政治犯として死刑執行寸前の体験とシベリア流刑の体験を持つドストエフスキーは、『罪と罰』の主人公ロジオンが実は過激な革命思想を抱いていたことが検閲官に看破されることを極力恐れていただろう。それにしてもドストエフスキーは〈皇帝殺し〉を企んでいた〈一人の青年〉を〈高利貸しアリョーナ婆さん殺し〉の次元で描ききり、百年以上にわたって読者をもだまし続けていたのだからそうとうなものである。謎を解く鍵は〈斧〉と〈リザヴェータ殺し〉にあったわけだが、おそらく『罪と罰』にはまだまだ謎が仕掛けられているに違いない。
    ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

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