帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載36) 清水正 

   清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

  清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

f:id:shimizumasashi:20181228105220j:plain

清水正ドストエフスキー論全集

帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載36)

清水正 

    ここで、シベリアの監獄で労役についていたロジオンが、早朝六時、小屋のそばに積んである丸太に腰掛けて、眼前に広がる荒涼とした川面を眺めていた場面を見てみよう。

 ラスコーリニコフはじっとすわったまま、目をはなそうともせずにながめていた。彼の思いは、やがて幻想へ、瞑想へと移っていった。彼は何も考えなかった。ただそこはかとない哀愁が彼の心をさわがせ、うずかせるばかりだった。
  ふいに、彼の横にソーニャが現われた。彼女は、ほとんど物音を立てずに近寄ってきて、並んで腰をおろした。(下・399~400)
 Раскольников сидел,смотрел неподвижно,не отрываясь;мысль его переходила в грезы,в соверцание;он ни о чем не думал,но какая-то тоска волновала его и мучила.
   Вдруг подле него очутилась Соня.Она подошла едва слышно и села с ним рядом.(ア・421)

 ロジオンが〈幻想〉(грёза)から〈瞑想〉(созерцание)へと入り込んで行ったことに注意しよう。江川卓が〈瞑想〉と訳したсозерцаниеは〈観照〉という意味もある。この語からすぐに連想するのは、イエス・キリストの〈幻〉を視ることのできるソーニャが観照派に属していたことである。ソーニャが〈ラザロの復活〉を朗読した時、その傍らにいたロジオンはソーニャとイエス・キリストの秘儀を知ることはできなかった。ロジオンは未だ不信と懐疑の思弁の人にとどまっていた。しかし、今、ロジオンは〈瞑想〉(созерцание)の次元に入り込むことでソーニャの〈信仰〉の領域へと参入することになる。と、〈突然〉(вдруг〕、ロジオンの傍らにソーニャが現れる。このソーニャは実在するソーニャであると同時に、ソーニャに化身したキリストでもある。
 ロジオンは遂に〈思弁〉(диалектика)からイエス・キリストの〈命〉(жизнь)へと飛び込んだ。作者は「ふたりを復活させたのは愛だった」(Их воскресила любовь)と書いた。この〈愛〉(любовь)はロジオンにとっては実在するソーニャであると同時に、そのソーニャに化身したキリストでもある。いずれにしてもロジオンは〈徐々に〉ではなく、〈突然〉復活の曙光に輝いた。
 ドストエフスキーは『罪と罰』という〈物語〉(рассказ)のエピローグにおいて〈殺人者〉が〈突然〉信仰を獲得する場面を読者に報告した。が、同時に「彼は、新しい生活がけっしてただで手にはいるものではなく、これからまだ高い値を払ってあがなわなければならぬものであること、その生活のために、将来、大きないさおしを支払わねばならぬことも、すっかり忘れていた……。」とも書いている。ロジオンの〈復活〉は決して絶対不動を意味しない。ロジオンは再び〈信仰者〉から〈思弁の人〉へと戻る可能性をも秘めているのだ。はたして作者のうちには、ロジオンに対する不信と懐疑はもはや微塵も残ってはいなかったのであろうか。作者の眼差しは〈ひとりの人間が徐々に更生していく物語〉の方へと向けられている。が、ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』に至るまで、この〈新しい物語〉を書くことはできなかった。これは何を意味するのか。
 ロジオンは復活の曙光に輝くことで〈永遠の命〉を獲得した。これでロジオンの〈経歴〉と〈物語〉(историяとрассказ)は幕を下ろした。ロジオンの復活を絶対とするためには、彼が徐々に更新していく〈新しい物語〉など用意されてはならないし、もともとできないのである。少なくとも、ロジオンの実存にもっともふさわしくないのが〈徐々に〉という時性である。ロジオンの運命はあくまでも〈突然〉の時性に支配されていたのであるから。
 『罪と罰』で描かれたロジオンの〈история〉(経歴)の突出事項は〈殺人〉と〈復活〉である。この殺人と復活の間にソーニャによる〈ラザロの復活〉の朗読場面とロジオンの殺人告白(厳密に言えば報告)と大地への接吻、自首などがある。わたしはこのロジオンの〈история〉に素直に頷けない。屋根裏部屋の空想家ロジオンに最もふさわしい〈история〉は、殺人と復活に至る筋書きを彼の空想(蒸し暑い夏の日の夢)と見なすことである。この観点からすれば、『罪と罰』はロジオンの〈история〉(殺人を犯さない屋根裏部屋の空想家)に虚構(殺人から復活に至る全場面)を交えた物語(рассказ)ということになる。
 ドストエフスキーはロジオンの〈斧〉による〈殺人〉によって過激な革命家の一つの典型を示した。が、この巧妙な仕掛けを看破できる読者は存在しなかった。ロジオンは高利貸しアリョーナを殺すことによって皇帝殺しを実現した。目撃者リザヴェータ殺しはロジオンの革命理論(ネチャーエフの革命家理論)の揺るぎなき遂行である。ドストエフスキーは〈ロジオン=過激な革命思想家〉をある意味、完璧に隠し通した。読者はドストエフスキーの思惑通り、『罪と罰』をロジオンの〈思弁〉から〈信仰〉へと至る物語(рассказ)として読み続けてきた。
 ロジオンは単独者として皇帝殺しという革命を果たした。が、作者はロジオンに革命成就者としての栄光を授けることはなかった。革命を果たした後のロジオンに魂の救いはない。ドストエフスキーが予め用意していたのは偉大なる罪人ソーニャである。革命によっては人間の魂を救うことはできないという確信が作者にあったのであろうか。ロジオンは淫売婦ソーニャの前にひざまずく。ロジオンにキリストの姿〈幻=видение〉は見えないが、キリストを体現しているかのようなソーニャの、その全人類の苦悩を一身に背負ったかのような姿の前には、まさに思弁を超えた次元でひざまずかずにはおれなかった。
 人類にとって望ましい未来の社会は革命によっては成就できない。否、社会の制度は変革できても、魂の問題はそれによっては解決できない。ロジオンが果たした過激な革命実践によってもレベジャートニコフの穏健な革命思想によっても、ソーニャが引き受けざるを得なかったような苦悩は解消しない。殺人後、ロジオンを絶え間なく襲った苦しみは、信仰者ソーニャと共に歩むことでしか解消しない。
 ドストエフスキーが『罪と罰』で用意した回答は革命ではなく信仰であった。彼はエピローグでその保証人となった。が、『罪と罰』の読者の何人が、この作者の保証書を素直に受け取ったのであろうか。ロジオンの斧による過激な革命にも、ソーニャの狂信にも納得できないものが残る。

 
    ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

f:id:shimizumasashi:20181228105251j:plain

 清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

 

(人気ブログランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします)

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 https://www.youtube.com/watch?v=KuHtXhOqA5g&t=901s

https://www.youtube.com/watch?v=b7TWOEW1yV4