随想　空即空（連載165）兵役拒否を巡って

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有即無　無即有　有無即空　空即空　空空空　正空　（清水空雲）

随想　空即空（連載165）兵役拒否を巡って

清水正　　

こういった危機的な情勢の中にあってニコライ主教はロシアに帰国するか日本にとどまるかの二者択一を迫られることになる。中村健之介は『宣教師ニコライと明治日本』（岩波新書）において次のように書いている。

　　好戦的な演説会が開かれ、ニコライを「退治」せよと演壇で叫ぶ者が現れるようになっていた。街にはしばしば号外の声が走るようになった。ロシア公使に対し日本退去命令が出された。ロシア人は母国へ引き揚げる準備をしていた。

　　「いかにすべきか。利己心からいえば、ロシアへ帰りたい。もう二三年も帰っていない。長い単調な仕事から離れて休みたい。しかし、教会の利益は、ここに残ることを命じている」（二月六日）

　　ニコライがまず思ったのは「教会の利益」であった。

　　日本人信徒の間に不安が広がるのを見抜いてニコライは、直ちに教団本部の教役者四五人を集めて祖国に忠実たれと教え、全国の教会に「神に祈りて爾等の皇軍に勝利を賜はんことを求めよ。凡そ愛国の促す所は一切之を尽せ。蓋愛国心は心情の聖なる者なり。然れども地上の郷国の外、我等には亦天の郷国あり、民族の種別に由らずして衆斉しく之に属す云々」という主教教書を発する。

　　駐日ロシア公使ローゼン男爵は、公使館員全員の日本退去決定をニコライに伝え、一緒に帰国するよう勧めていた。（175～176）

　ニコライ主教は日本にとどまることを決意する。ロシアに帰れば自分の身の安全は保障されるが、しかし日本ハリストス正教会の維持は困難を極めることになる。日本の信徒たちの不安と動揺はますます高まり、信仰から離脱する者も続出するだろう。ニコライ主教が「教会の利益」を考えれば、日本にとどまることが何よりも優先されることになった。この判断が最良であったかどうかは誰も判断できない。戦局が日本に不利となり、国民のロシアに対する反感が増大すればニコライ主教は実際に殺されてしまったかも知れない。いずれにせよ日本政府はニコライ主教の身の安全を保証し、彼を身の回りを警護し続けた。当時の日本政府は日本ハリストス正教に限らず、プロテスタント各派、カソリックの宣教師たちの保護を前提としている。明治憲法は信仰の自由を保証していたのであるから当然の処置と言える。敵国ロシアの正教徒たちの何人かはスパイ容疑者として逮捕されているが、ニコライ主教および正教会自体の警備保護に関してぬかりなく務めている。日本ハリストス正教会を弾圧したとなれば、イギリス、アメリカ、フランスなどのキリスト教国全体を敵に回す恐れがある。日本政府は日露戦争下において、キリスト教に対し紳士的な態度を一貫することで国際的な信用を獲得する必要もあった。この国策は見事に成功し、ロシアはイギリス、フランスの宣教師たちから野蛮国のレッテル張りをされることになる。

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