随想 空即空(連載38) #ドストエフスキー&清水正ブログ# 清水正 内村鑑三と正宗白鳥──信仰をめぐって──

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清水正

 

内村鑑三正宗白鳥──信仰をめぐって──

 鑑三はダンテの地獄篇を読んで三十三夜ほとんど眠れぬほどの恐怖を覚えるが、白鳥は地獄篇を読んで少しも恐ろしさを感じない。同じ作品を読んでも鑑三と白鳥は対極的な反応を示している。これは感受性の問題ではない。鑑三が神経質なほど敏感鋭利な感受性を持っていたことは彼の著作を読めば分かるが、地獄篇に少しも恐怖を感じなかった白鳥の感受性が鈍かったわけではない。知的興味が優先すれば、恐怖よりは知的刺激を受けるのは当然であって、むしろ鑑三の反応の方が異質であるように思える。しかし二人の地獄篇読後の対極的反応が鑑三のキリスト教信仰と白鳥の棄教を考える上で貴重なヒントを与えてくれる。罪意識や死の恐怖感がなければ、そもそも信仰心を抱くことはない。罪を赦してもらいたい、死の恐怖から救われたい、そういった強烈な願いがなければ、ひとはキリスト教に近づくこともないだろう。

    白鳥が鑑三の講演や著作に心酔したのは「如何に生きるべきか」という自らの問いに対して、なんらかの答えを予感したのかも知れないし、またそれ以上に鑑三の熱気に当てられたのかも知れない。鑑三の熱い語り口や、熱情溢れる文章は、青年白鳥の魂を鷲掴みしたとしても別に不思議ではない。白鳥の著作を読んでも、彼が特別な〈罪意識〉に襲われていた事例を発見することはできないが、鑑三の場合はそれなりに、つまり読者が想像力を逞しくすれば彼の〈罪意識〉をそれなりに感受することができる。

 白鳥は『内村鑑三』その他のエッセイにおいて、何度も繰り返し鑑三に心酔していたことを書いている。白鳥は青春期に心酔できる人物に出会えたが、わたしの場合、白鳥における鑑三のような存在はない。ドストエフスキーの文学はわたしの生涯を決定したようなものだが、それはあくまでも文学作品であってドストエフスキーという人物ではない。それにわたしはドストエフスキーの文学に真剣に取り組んだがそれは心酔とは違う。ドストエフスキーは十七歳の時に兄ミハイル宛の書簡に「人間とは謎である。その謎を解き明かすために一生を費やすことは決して無駄なことではない」と書き送っている。まさにドストエフスキーの文学は「人間とは何か」を巡って徹底的な検証が試みられている。わたしはそのドストエフスキーの文学作品の世界に踏み込むことによってわたしなりに「人間とは何か」を追究し続けている。わたしはドストエフスキーの文学の凄さをわたしなりに理解しているが、だからと言って彼の文学の前に跪拝しているわけではない。

 ドストエフスキーとわたしの決定的な違いは、彼にはロシア正教という否定し難い絶対的地盤があり、わたしにはそれがないということである。ドストエフスキーは生涯、神の問題について悩み続けた小説家である。が、わたしはキリスト教の神に関して不信や疑問を呈することはあっても、その存在について悩んだことはない。わたしはイヴァン・カラマーゾフの神に対する疑問や抗議をよく理解できるが、神の創造した世界への入場を拒んで狂気に陥る彼を受け入れることはできない。ドストエフスキーの人神論者たちや無神論者たちは、キリスト教の父なる神やキリストの呪縛から解放されていない。父フョードルに「神は存在するか」と問われて「存在する」と答えるアリーシャも、「存在しない」と答えるイヴァンも、彼らの主語主体である〈私〉(ロシア語のЯ)は神の存在を前提とした〈Я〉であって、彼らの口にする肯定も否定も、予め神の存在を前提にしているので、要するに神の内にあるのである。ドストエフスキーほどのディオニュソス的小説家であっても、この神の領域から解放されることはなかった。ここにベルジャーエフのように既存のキリスト教の教義を深めたドストエフスキーを見るか、それともキリスト教の呪縛から解放されなかったドストエフスキーを見るかによって、ドストエフスキーの文学の見方は謂わば極端に異なることになる。

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清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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