猫蔵(日野日出志研究家・見世物研究家)による生贄論(連載2)

 

猫蔵『日野日出志体験』2007年九月 D文学研究会

 

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■生贄論
〜原罪と芸能〜 (連載2)


猫蔵


見世物小屋
 さて、「生贄」ですが、これは、人間の"神"に対する貢物の中で、考え得る最大のものです。
 取引の原型が「等価交換」にあるとすれば。神との取引において、生贄を捧げることは、人間の側が切り得る最高・最後のカードに他なりません。ただし、先に述べた『ヨブ記』の様に、そのカードを切ったからと言って、欲した応答が神の側からなされるとは限りません。それでも、息子イサクを生贄として神に差し出した旧約聖書の中の人物・アブラハムの様に、「自分にとって最も大切なもの」を捧げずにはいられない、人間のジレンマがあります。しかも、この「イサクの燔祭(ばんさい)」と呼ばれるエピソードにおいて、父なる神はアブラハムの"信仰"を試すために、彼にとって最も大切なものを捧げるよう要求するのです。ここで述べられる"神"なる存在とは、なんと恐ろしいものなのでしょう。
 結果、寸前のところで神は、息子イサクに手をかけようとしていた父アブラハムを制します。そして結果的にアブラハムは、「信仰に篤き者」として、皆からの賞賛を浴びるに至ります。
 しかしながら、これは『ヨブ記』にも通じるところですが、この「ハッピーエンド」を、どこか蛇足めいて捉えてしまう僕がいます。答えの出ない難題を丸投げされ、そのまま幕引きを迎えてしまったかの様な取り残され感が半端ありません。本音を言えば、ヨブもアブラハムも、自分にとって大切なものを奪われたにも関わらず、ひたひたと"神の沈黙"のみが続く筋書きの方が、現代の読者にとっては、遥かにリアリティをもって迫ってくることでしょう。そこに、目に見える形での"救い"は一切ないはずです。
言うなれば、世界各地に残された「生贄」を捧げた儀式の痕跡と思しきもの(文学作品であれば『ヨブ記』や『イサクの燔祭』を始め、土着的な風習であれば、この後本論でとり上げる、現存する"血を用いたインドの古い大道芸"など)とは、人類の、神に対する永遠の片想いの足跡と言い換えることができます。そのレガシーに、強烈に惹き付けられる僕がいます。そして、たとえ神の側からの応答がなかったとしても、人々が一つの"物語"を共有し、神にラブコールを送り続けてきたという事実に、心救われるのです。あるいは、神と人との溝は埋められるものであるという希望を、人類が失わずにきた証であるからかも知れません。
 僕の検証の旅はまだ始まったばかりですが、これらの全てを、僕はこの目で見、この足で踏み締め、確かめたく思います。
 僕自身、自分のこの心性を、より明確に把握•言語化し、掘り下げてみたい衝動に駆られます。そして掘り下げるに従い、「"物語"を共有する土壌」というのが、核となるテーマとして浮かび上がってきました。
 ここで僕の脳裏には、過去の個人的な原体験が思い起こされます。新宿の花園神社や九段下の靖国神社の縁日に合わせ、「見世物小屋」という仮設小屋が掛かるのですが、僕はこれに関心をもち、長年"追っかけ"をしてきました。
 見世物小屋とは、文字通り、丸太と荒縄で小屋の骨組を組んだ、縁日の風物詩とも言える土着的な興行です。実はそこの出し物に、かつて「蛇女」という面妖なものがありました。これは、赤い襦袢を着た妙齢の女性が、あろうことか、生きたままのシマヘビを頭からムシャムシャ喰い千切るという荒芸でした。
 この事例を挙げて特筆したいのは、お客を呼び込む啖呵(タンカ)において、この見世物を「蛇を喰う女」ではなく、文字通り「蛇女」として口上しているという事実です。これは、欧米などにおける見世物小屋に相当するもの(=サーカスに付属する"サイドショー"が該当)では、あまり見受けられない特徴です。日本においては、その際どい芸を見せることが主眼なのではなく、あくまで"蛇女"という実存を見せることに主眼が置かれているのです。そしてお客の側もまた、"蛇女"の実存を、暗黙理に受け入れ、木戸銭を支払う。つまり、ある種の「虚構」を通じ、見せる側と見る側とが、共犯関係で結ばれているのです(虚構と言えば、拡大解釈すれば、国家や民族、宗教ですら、ある種の「虚構」に違いありませんが)。
 見世物小屋の中では、手を伸ばせばすぐ届く先に、神に近しい存在とも言える"蛇女"(=妖怪)が、僕らと同じ空気を吸って息づいている。このような文化装置を備えた土壌が、過去何百年と受け継がれてきたことに、僕は奇跡と隣合わせたような胸の高鳴りを覚えるのです。
 そして、見世物小屋の特性について言及するのであれば、「放生夜(ほうじょうや)」について知るのが得策でしょう。
 福岡県の筥崎宮では、毎年九月「放生夜(ほうじょうや)」と呼ばれる大きなお祭りが開かれています。このお祭りの縁起(由来)は、日々、僕ら人間が生きるために殺めている動物たちの"犠牲"を自覚し、その御霊を弔うというものです。放生という風習は、捕らえた魚や亀、鳥等を、殺めることなく再び川や空へと放つことであり、タイなどにおいては"タンブン"と呼ばれ、今なお民間信仰として流布しています。この信仰の根底には、ある価値観が息づいています。それは、現世で生き物に情けをかけておくことによって、来世、自らが鳥や魚に生まれ変わった時、積んでおいた徳によって難を免れるのだという価値観です。ここには、鳥や魚といった種を越えた"他者"たちとの間にすら、緩やかな繋がりが生きています。そして、人間が生きるために殺めてしまった生き物たちに対しても、開き直るのではなく、その御霊と向き合い、弔うのです。
 このお祭りに赴いて、僕は度肝を抜かれた経験があります。それは、この放生夜の片隅に掛けられた見世物小屋の中において、前出の「蛇女」が、まさに生きたシマヘビをムシャムシャと喰い千切る光景に出くわしたことです。「一体何だ、このとてつもない矛盾は?」。そして、混乱と同時に、凄まじい瞬間に居合わせることができたのだという想いが湧き起こりました。ある意味、大らか過ぎるこの土壌の懐の深さに惚れたのです。この矛盾をどう咀嚼するべきか、問いを突きつけられたのだという想いが芽生えました。
 蛇女たちの見世物小屋は、蛇を殺め、それを僕らに見せるという"罪深きこと"を生業としていました。空腹のため、食うや食わずで生き物を殺めている訳ではありません。ですが、彼女たちはこれを"芸"として、代々飯を食べてきたことは動かし難い事実です。(それを指して、「無益な殺生は止めるべきだ」と声高に叫ぶことに、正直僕は違和感を禁じ得ません。
 僕がこのエピソードを口にすると、往々にして相手から「見世物小屋って、要するにエログロ芸を見せるショーでしょ?」というご意見を頂きます。確かに、見世物小屋が好き=エログロ芸が好きということは、決して否定はできません。ですが、この見世物芸の本質は、もっと別のところにあると感じます。それは、見世物小屋とは、99%の部分でエログロ芸を開示することを主眼を置きつつも、残りの1%の部分においては、僕らが他の生き物の犠牲なしには生きられない存在であることを顕在化させる文化装置としての役割を担ってきたという事実です。そしてその1%こそが、他の芸能にはない見世物小屋の真髄なのだと感じます。
 忘れ難いエピソードがあります。
 去る2006年の6月、北海道で大寅興行(現存する最後の見世物興行社)の芸を見ていたときのこと。蛇女に丸齧りされる蛇を見て、あるとき観客の中年男性が、「蛇がかわいそう!」と野次を飛ばしました。これに対し、見世物小屋の女将さんは、「あんたたちだって普段お刺身食べるでしょ」と切り返したのです。これは見ていて痛快でした。
見世物小屋は、由緒正しい宗教儀式でも何でもありません。ただの一民間芸能です。しかし、僕らが自覚し得ない「原罪」とでも名付けるべきものを、キャーキャー騒ぎつつも学べる場所でもあったのです。だからこそ、若かった僕の胸に深く突き刺さるものがありました。
 更に言えば、「蛇女」以外の見世物小屋の芸についてもこれは当てはまります。例えば、かつて「見世物小屋」の代名詞だった「因果見世物」。これは、いわゆる"奇形"見世物(具体的には「小人」や四肢のない「牛娘」などを開示する演目。ただしこの場合、出し物が正真正銘の奇形である必要はない)をお客は目の当たりにし、木戸銭を払います。その行為には、"このような姿"で生まれついてしまった因果に対する、一種の心付けというニュアンスがありました。また同時に、因果の巡り合わせで、次は他ならない自分の子供が同じ様な姿で生まれついてしまうとも限らない、漠然とした不安。この不安を、目の前の"奇形"見世物に喜捨し、間接的に徳を積むことによって晴らすという価値観。これが、昭和54(1979)年の生まれである僕自身の、辛うじて一つ前の世代辺りまで、ごく一般的なものとして社会で共有されていたのではないでしょうか。だから、"奇形"見世物も、自分自身と無関係ではいられないという一種の身近さ、生々しさをもって訴えかけてきたと思えるのです。そしてもはや、蛇女の芸は2013年を最後に、自主規制を理由に行われなくなりました。"蛇女"とは、存在そのものが、神と人とが繋がっていた時代の残滓を感じさせてくれた、最後の記念碑たる見世物芸だったのです。
 たとえ、神の側からの応答がなかったとしても。その場に居合わせた人々が、同じ「虚実被膜」(=虚構と事実とが、一枚の薄い膜を隔てて共存しているという意味)の物語を共有しているという事実に、心救われる僕がいます。「物語」とは本来、実生活から乖離した娯楽用のフィクションなどではありませんでした。神と人のみならず、人と人をも結び付ける機能をも帯びた、日常に根差した原初的なものだったのです。かつてはそんな「物語」を共有する土壌が、世界には豊富にありました。それを言語化し、自覚する以前から、僕はそれが息づく土壌に惹かれ、探し求めていたのかもしれません。だから、見世物小屋に魅せられ、"追っかけ"をするようになったのです。

清水正著『日野日出志を読む』の出版記念会。池袋「嵯峨」にて(2004年11月24日)
画面右より猫蔵・副島信太郎・日野日出志清水正・原孝夫



猫蔵(プロフィール)

1979年我孫子市に生まれる。埼玉県大利根にて育つ。日本大学芸術学部文芸学科卒。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。見世物学会会員。日野日出志研究家。日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。単著に『日野日出志体験』(2007年 D文学研究会)、共著に『「ガロ」という時代』(2014年 創林社)がある。本名 栗原隆浩。