清水正  村上玄一を読む(連載8)

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村上玄一を読む(連載8)

清水正

 

 

〈ぼく〉は美樹子の結婚相手に富田を選ぶ。〈ぼく〉に「誰か紹介してよ」と頼む美樹 子も美樹子だが、すぐに富田を思い浮かべる〈ぼく〉も〈ぼく〉である。この二人の関係 のなかには〈愛〉とか〈恋〉とかそういった言葉に当てはまる感情は当初からなかったと しか言いようがない。美樹子は〈ぼく〉と十年以上も関係していながら、他の男とセック スすることに何の抵抗もないようだし、〈ぼく〉もまたそのことで美樹子を責めたてたり することはない。ドライと言えばこれほどドライな関係はない。それならいっそのこと二 人の関係を公開してしまってもいいようなものの、この二人はそのことに関しては厳しく 秘密を守ろうとする。この二人はお互い自己保身的なずるさにおいて共通している。

  事は簡単に運んだ。美樹子の不満は、一六六センチもある彼女より、富田が五センチ ほど背が低いという一点だけだった。

 「それは富田の責任じゃないよ。君の背が高すぎるだけだよ。そんな贅沢を言ってると 、せっかくのチャンスを逃がしてしまうぞ。富田はその気になって、君さえ承知すればと 言ってるんだ。変った男かもしれないけど、収入はいいし、頭もいい、顔も悪くはない。 ヤツは、いま会社では労働組合の責任者だけど、裏では社長から特別手当てを貰ってるん だ。実際には会社側の重要な人間なんだから、いずれ出世もするよ。それに出張も多いか ら、気が楽だし、日常生活の些細なことに口出しするような男でもないし」

  ふたりは親に相談するわけでもなく、密かに入籍し、新しい部屋を西荻窪に見つけて 住むことになった。

 「事は簡単に運んだ」。この小説においては何も複雑で厄介な問題は起こらないようだ 。〈ぼく〉は美樹子の内部に踏み込まないし、〈ぼく〉は美樹子のことで嫉妬も怒りも感 じないのであるから、とうぜんのことだ。はたしてこんな人物の性格付けで小説としての 展開が可能なのか。〈ぼく〉から結婚話をされてすぐに美樹子と入籍する富田という人物 のどこに魅力を感じたらいいのだろう。こんなことでは〈ぼく〉も美樹子も富田も、同じ 程度の俗物ということ以外のなにものでもない。〈ぼく〉の視点からとらえられるとすべ ての人間は〈ぼく〉と同程度の俗物に化してしまう。

 おそらく〈ぼく〉には、人間などと いうものはすべて俗物であるという確固たる信念があるのだろう。〈ぼく〉は他人を尊敬 したり愛したりすることはないだろう。〈ぼく〉がかろうじて信じているのは、この世に 信じられるものなど何ひとつない、ということぐらいであろうか。〈ぼく〉が抱え込んで いる〈虚無〉はニヒリズムではない。〈ぼく〉は或る絶対的なものの存在を始めから信じ ていないので、それが倒れてもそのことでニヒリズムに陥ることはない。〈ぼく〉の世代 はニヒリストにさえなれない時代を生きてきたと言っても過言ではない。それにしても〈 ぼく〉はあまりにも現実の表層をのみ生きてはいないか。ここで言う〈表層〉とは無限の 垂直軸と交差するような〈無〉の表層ではない。単なる上っ面という意味である。

 〈ぼく〉は富田のアパートを訪ねた理由を「急に、お前と話したくなって」と説明する 。その後の〈ぼく〉と富田の会話場面を見てみよう。

 

「じつは、きのう珍しくオフクロから手紙がきたんだ。オヤジが危いと書いてあった。 今年いっぱい、長引いても二、三か月。直腸癌らしい」

「なんだ、なんだ、やっぱり暗い話だぜ。それで?」

「ま、そういうことだけど」  

「人間なんてのは、誰だっていずれ死ぬんだよ。気にしたって仕方ないだろう。オヤジ に死なれて、何か困ることでもあるのか?」

「何もないよ。ただ、その時に田舎に帰らなきゃいけないだろう?」

「親が死んだ時ぐらいは帰ったほうがいいぜ。死ぬ前にも一度ぐらい顔を見せておいた ほうが、財産分与のときなんかには得をするかもしれないし」

「そんなものはないよ。それに九州の最果てだから、交通費を使った分だけ損するよ」  「金なら貸してやるぜ」

「死ぬまで帰る気はないよ」

「それもいいだろう。俺の母親だって、もう二年間も寝たきりだ。きょう死んだって、 おかしくないんだぜ」

「なるほど、そういうものか」

「お前には悩みごとが少なすぎるんじゃないのか? そんなことで考えこむなんて」  「悩んでるわけじゃないけど、ただ、いますぐ九州に帰る気にはなれないんだ。仕事の こともあるし。できるだけ長引いて欲しいと思ってるわけだよ」

「癌は苦しむだけだ。早く死んだほうがいいぜ。田舎に帰る気がしないといっても、い ずれ、その日は来るんだ。いつだって同じさ。大変な仕事を抱えこんでいる時に死なれる より、いまのほうが、まだ、ましかもしれないし」

 

 〈ぼく〉のオヤジに対する感情はいったいどうなっているのだろうか。富田との会話を 読むかぎり、〈ぼく〉はオヤジに対して冷たいというよりも、余りにも事務的である。富 田のセリフも〈ぼく〉と同じレベルで発せられている。〈ぼく〉と富田は、〈ぼく〉と美 樹子以上に似たもの同士である。自分の父親が癌でいつ死ぬかもしれないという状況にお かれているのに、ここで話題になっているのはオヤジに死なれても困ることは何もないと か、財産分与とか九州までの交通費のことである。息子にとってオヤジの〈死〉とはどう いうことなのか。そこから〈オヤジ〉の存在が、〈死〉自体が問題にされることはない。 ここでも〈ぼく〉と富田は通俗的な次元にとどまって、一歩も深みへと降りていくことは ない。

 ことの表層だけをなぞりながらも、人物の抱えている苦悩や悲しみが感じ取れる表 現がある。しかしこの会話場面からは〈ぼく〉の苦しみや悲しみはまったく感じ取れない 。これは〈ぼく〉がストイックに自分の感情を隠しきっているというのではない。どうも この〈ぼく〉にはオヤジに対する特別の感情などそもそものはじめからなかったように見 える。

 これはおそらく〈ぼく〉のオヤジに対してだけの感情ではない。〈ぼく〉は何事に 関しても感情を烈しく表に出すタイプではない。なにしろ〈ぼく〉は美樹子の要求を素直 に受け入れて富田との結婚を斡旋した男なのだ。しかも〈ぼく〉は一ヵ月前に結婚したば かりの富田と美樹子のアパートに富田と話をしたいという理由だけで何の連絡もなくとつ ぜん訪問することのできる男なのである。

 こういう男の性格は何と言ったらいいのだろう か。美樹子との関係を知られまいとしてびくついている男が、ここでは図々しい無神経な 男のようにも見える。平気な顔で富田のアパートを訪ねることのできる〈ぼく〉は、富田 をなめきっているのか、それとも甘えきっているのであろうか。

 いずれにしても〈ぼく〉のオヤジに対する思いは肉親愛とかいうものとは途方もなくか け離れた感情であり、それは感情とすら言えないようなものである。

 いったい何のために〈ぼく〉は富田のアパートを半月ぶりで訪れたのであろうか。その 必然性がいったいどこにあるというのだろうか。富田と話がしたいというのであれば、富 田だけを呼び出して話をすればいいことであって、なにも別れたばかりの女がいるアパー トにわざわざ足を運ぶ必要はないだろう。ドアの前で美樹子のよがり声まで耳にしたとい うのに、〈ぼく〉は執拗に事が終わるまで待ち続けるのだ。〈ぼく〉は富田と話もしたか ったが、同時に美樹子の顔も見たかったと素直に書いている。なんて未練たらしい破廉恥 漢だろう。これでは単にバカな恥知らずの男二人と女一人の会話場面になってしまうので はないか。先の場面の続きを見てみよう。

 

 「相変らず冷たいのね」

 美樹子がテーブルに紅茶を運んで来た。可愛いペンギンのアップリケの付いたエプロ ンをしている。しかし、よく見ると、そのペンギンの顔は泣いている。嬉し泣きなのだろ うか? 美樹子を、見知らぬ女だと錯覚しかけるほど、それは彼女とアンバランスだった 。

 「もうコーヒーは飲んだでしょうから、紅茶にしたわよ」

 「どうして、そんなことが判るんだ?」

  とっさに、ぼくは美樹子に聞き返した。

 「あら、あなたのことじゃないわよ。この人に言ったんじゃないの」  

 「あ、なるほどね。紅茶、いいねえ。……オヤジの話は、もういいけど、富田にも知ら せておこうと思って、ほら、沢井原って、いつだったか高円寺で一緒に呑んだヤツがいた ろう? あいつ、自殺したよ」

 

 美樹子の「相変らず冷たいのね」は「癌は苦しむだけだ。早く死んだほうがいいぜ」云 々の富田の言葉を受けてのものだが、これは〈ぼく〉の言葉に対して発せられていたと言 っても過ちではない。富田も〈ぼく〉も肉親の不治の病に対して余りにもそっけない。い ったい彼らは父親や母親とどのような関係性を取り結んできたのだろうか。そこに血の通 った関係性を見ることはできない。それにしても結婚してまだ一ヵ月しかたっていないと いうのに富田に対して「相変わらず」というのはどういうことだろう。この言葉は十年以 上の関係を取り結んできた〈ぼく〉に対してのみ有効な言葉と思えるが。