村上玄一を読む(連載7)

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村上玄一を読む(連載7)

清水正

 

 

 

 『鏡のなかの貴女』が発表されたのは一九八三年二月号の「海燕」である。次作『謎謎 』は翌年六月号の「海燕」である。実に一年四ヵ月ぶりの発表である。村上玄一は次々に 作品を発表していく作家とは違って実に寡作である。はたしてこの『謎謎』という作品は 一年四ヵ月ぶりに発表される、何らかの必然性を持っていたのだろうか。

 「いつまでも待ちつづけようと思った。ここまで来て、ぼくには、もうどこへも行くあ てなどなかった」で『謎謎』は始まる。主人公は前作と同じく〈ぼく〉である。もうどこ へも行くあてのない〈ぼく〉が、いったい何をいつまでも待ちつづけようとしているのか 。そういえばベケットに『ゴドーを待ちながら』という作品があったが、まさか〈ぼく〉 がゴドーを待ち続けているわけもあるまい。

〈ぼく〉がたどり着いた〈ここ〉とは富田と いう友達のアパートで、富田の妻は〈ぼく〉が一ヵ月前に別れたばかりの美樹子である 。〈ぼく〉が半月ぶりで富田のアパートを訪ねてみると、部屋の中から美樹子の喜悦の声 が漏れ聞こえてくる。そこで〈ぼく〉は富田と美樹子のコトが終えるまで「いつまでも待 ちつづけようと思った」と、まあそういうわけである。

 作品のタイトルは『謎謎』であるが、いったい何が〈謎〉なのであろうか。『鏡のなか の貴女』の〈ぼく〉にも言えたことだが、彼には必死になって解かねばならないような〈 謎〉など何一つなかった。なにしろ〈ぼく〉の眼差しは果てしなく遠い方も、ミクロの世 界へも向けられず、ただひたすら自分が生きている現実、それも極めて狭い現実にしか注 がれていないので、彼自身の存在を震撼せしめるような神秘や謎は現れてこないのである 。

 〈ぼく〉は美樹子と十五年もつきあっている。美樹子と〈ぼく〉は学生時代に所属して いた雑誌研究クラブの同窓である。富田も同級であったが、サークルは別で、富田と美樹 子は在学中一度も口をきいたことがない。三人はそんな間柄だったのに、どうしてまた美 樹子は富田と結婚することになったのか。まずはこれが一つの現実的なナゾである。

 〈ぼく〉は三ヵ月前、同窓会が終わった夜更け、美樹子の部屋のベッドの中で彼女に泣 きながら次のように言われる「ひとりで生活していくことが恐くなったの。誰とでもいい から結婚するわ。もう三十五になるんだから。あなたとの腐れ縁にも、そろそろケジメを つけなくちゃ。誰か紹介してよ、ほんとに誰でもいいんだから、男なら。いまが最後のチ ャンスかもしれないし。もうじき誰からも相手にされなくなるわ。ヒシヒシと、そんな感 じがしてくるの。いままでの生き方を変えたいのよ」と。

 美樹子は〈ぼく〉との関係を清算し、新たな生き方をしたいと言う。この美樹子の言葉 は考え抜かれた末に口にされたのであろう、余計なところは少しもない。美樹子は実に端 的に別れの言葉を発している。 このとき〈ぼく〉は美樹子にどのような言葉を返したのか。〈ぼく〉はそうそう簡単には 記さない。〈ぼく〉は学生時代や、毎年行われる同窓会のことに触れ、同窓生の一人が「 しょせん、美樹子は男性用公衆便所にすぎん」とまで言い放ったことなどを書き記してい る。〈ぼく〉は同窓会のメンバーであるにもかかわらず、まるでその中に一人侵入した取 材記者のごとくその現場を報告する役目に徹している。〈ぼく〉は美樹子の不倫相手であ るが、そのことをみんなから隠し続けて平静を装っている。〈ぼく〉はいったい美樹子を どのように思っているのか、その思いを自らに対しても他者に対しても明らかにしない。 この曖昧な態度は〈ぼく〉に終始一貫している。

  例年、美樹子は三次会か四次会で、必ず誰かと姿を消すことが習慣となっていた。女 房が実家に帰っているヤツらが、彼女を奪い合う場面も何度かあった。美樹子は、誘われ ると断わることのできない性分ではあったが、それだけではなく、ぼくとの関係を他に隠 すための演出でもあったような気もする。ところが、今年の会では、誰も彼女を誘おうと はしなかった。気がついてみると、新宿の大衆酒場でふたりだけで呑んでいた。四次会だ か五次会だか忘れてしまったが、互いに重く沈んだ気分で、少しも酔えないでいた。おそ らく美樹子は、誰からも無視されてしまった自分の存在というものを思いつめていたのだ ろう。ぼくは、また別のことを考えていた。

 これはある意味とても興味深い文章である。まずこの文章には語り手〈ぼく〉の感情表 出が皆無である。〈ぼく〉が美樹子とどういうきっかけでいつ関係を結び、その関係性は どのようなものであったのか、こういった二人についての基本的な情報について〈ぼく〉 は語らない。〈ぼく〉は当事者でありながら、傍観者風である。二人の間に他人が入り込 めない濃密な関係性があって、しかもその関係を冷徹に見据えているといった眼差しでは ない。何か、週刊記者風の俗っぽい無責任な冷静さと言ったらいいだろうか。〈ぼく〉は 美樹子と内緒の関係を続けながら、しかし美樹子をホテルに誘う同窓生の男と並列的な存 在を自己保身的に保持している。〈ぼく〉は美樹子が自分の知っている同窓の男連中とホ テルにしけこんでそういった行為に及ぶことに対してどのように思っていたのだろうか。

〈ぼく〉は自分の感情を吐露しない。〈ぼく〉の記した文章を読んでいると、彼は美樹子 が他の男と肉体関係を取り結ぶことに関して無関心のようにさえ思える。それとも〈ぼく 〉は〈ぼく〉なりに精一杯、美樹子が他の男の誘いに答える理由を探っていたのだろうか 。否、〈ぼく〉の語りからは彼の苦悩とか嫉妬とか、どうしようもなさとかがいっさい伝 わってこない。〈ぼく〉の分析は三流の週刊誌記者並である。美樹子が同窓会の帰り「必 ず誰かと姿を消すこと」は彼女の〈習慣〉という一言で片づけられてしまう。〈ぼく〉は 、それではなぜそんなことが〈習慣〉になってしまったのか、という点に関しては少しも 踏み込んでいこうとしない。

〈ぼく〉の分析の眼差しは美樹子の内部深くに注がれること はない。〈ぼく〉の眼差しは美樹子の現象的な上っ面の次元にのみ注がれている。「美樹 子は、誘われると断わることのできない性分」「ぼくとの関係を他に隠すための演出」こ れが美樹子が他の男とホテルに消えていく理由とされる。なんとも通俗的な表層的分析で ある。もし〈ぼく〉のこの分析が的を射ているとすれば、美樹子という女そのものがまさ に〈男性用公衆便所〉ということになろう。美樹子がトイレに行った不在の時に「まだ一 度も美樹子の相手を務めたことのない冴えぬヤツ」が言い放ったこの言葉にたいし、〈ぼ く〉は「何とも非常識な発言である」とコメントしていた。が、同窓生の誰よりも〈ぼく 〉自身が美樹子を〈男性用公衆便所〉扱いしていることを見逃してはならない。

〈ぼく〉 は美樹子を自分専用の、特別の〈男性用便所〉と見なしているわけでもない。美樹子はあ くまでも不特定多数の男性用〈公衆便所〉なのだ。だからこそ〈ぼく〉は他の男が美樹子 を誘っても、その誘いに美樹子が従っても、べつに腹も立たなければ、嫉妬もしないとい うことになる。〈ぼく〉が〈冴えぬヤツ〉の発言を「何とも非常識な発言」と言うとき、 それはなにも〈ヤツ〉がそう思っていること自体を非難しているのではない。同窓会の酒 の席とは言え、そういった言葉を言い放ったことを〈非常識〉と言っているまでのことで ある。美樹子が他の男と関係を結ぶことに嫉妬もしない、怒りもしない、そのくせ美樹子 との関係を内緒で続けてきたこの〈ぼく〉こそ美樹子を〈公衆便所〉扱いしているロクデ ナシなのである。

 この週刊記者並の分析力しか持ち合わせていないロクデナシは美樹子の 沈んだ気分を「おそらく美樹子は、誰からも無視されてしまった自分の存在というものを 思いつめていたのだろう」と説明する。この説明で美樹子はますますくだらない次元にお としめられてしまう。〈ぼく〉は、どんなことがあっても美樹子の沈んだ気分を、彼自身 とのあやふやな関係性に求めようとはしない。〈ぼく〉は美樹子との関係性の淵を決して 覗き込んでみようとはしない。〈ぼく〉は曖昧な自分をいつまでも曖昧なままにしておく かのように「ぼくは、また別のことを考えていた」と書くだけで、決してその〈考えてい た〉ことを吐露しないのである。

  美樹子は、定期的な編集の仕事を請け負って、ひとりで自立した生活をしている。金 が目的でヤツらとホテルに消えるわけではない。だけど、もし、彼女が商売として男と寝 る女だったとしたら、おそらく「優しい娼婦」とでも呼ばれることになるのだろう。そう でないばかりに、美樹子は、もっとも品位を落した言葉で蔑まれてしまうことになる。  

 どうやら〈ぼく〉は自分の間抜けさに気づいていないようだ。ここでいう間抜けとは卑 劣という意味である。〈ぼく〉は自分のゴシップ記者的次元の分析を能天気に鼻にかけて いる間抜けである。美樹子が〈冴えぬヤツ〉に「男性用公衆便所にすぎん」と言われたの は「商売として男と寝る女」でなかったからではない。美樹子との関係を明らかにできな い〈ぼく〉、美樹子を誘う男と戦うことのできない〈ぼく〉、非常識な発言をしたヤツを 殴り倒すこともできない〈ぼく〉、美樹子にはっきりした態度を示せない優柔不断な〈ぼ く〉……この〈ぼく〉が十五年以上も関係している美樹子を蔑ませている張本人である。 もしこの自覚が〈ぼく〉にないのだとすればホント、この男は箸にも棒にもかからない間 抜けなロクデナシということになる。こんな男に十五年も係わってきた美樹子という女の どうしようもない性を、語り手でもあるこの〈ぼく〉がはたして表現し得るのであろうか 。

 

  シングルベッドを、いつもより狭く感じていた。泣き顔を見せまいと、美樹子は背中 を向けた。ぼくは何も付けてない彼女の尻に両手を当て、背中の黒子を見つめながら、結 婚してもらわなくてはならないと思った。十年にも及ぶ関係に、少し躊躇いはあったけれ ど、いずれは清算しなければならない時がくることは判っていた……。   富田の顔が頭に浮かんだ。ぼくの友人で独身は彼しかいない。ふたりは話を交したこ とはなかったけれど、互いに顔だけは知っている。美樹子とぼくの関係を富田が知ってい るはずもないけれど、かりに気づいていたとしても、彼がそんなことに拘泥るタイプの男 でないことを、ぼくは判っていた。

 

 先に引用した美樹子の言葉をもう一度引こう。美樹子はベッドの中で「ひとりで生活し ていくことが恐くなったの。誰とでもいいから結婚するわ。もう、三十五になるんだから 。あなたとの腐れ縁にも、そろそろケジメをつけなくちゃ。誰か紹介してよ、ほんとに誰 でもいいんだから、男なら」と言った。この言葉にたいし、〈ぼく〉が思うのは「結婚し てもらわなくてはならない」である。  

 〈ぼく〉は自ら決断し、その決断を口に出して言う男ではない。村上玄一の書く小説の 主人公〈ぼく〉はつげ義春の描く日常漫画の主人公に似ている。つまり〈ぼく〉の性格は 、わたしが受動的能動性と名付けたように、自分の内心の思いを決して自分からは口にせ ず、相手にその思いを言わせるようなタイプの男である。

 つまりここで美樹子が泣きなが ら口に出しているセリフは、すでに〈ぼく〉の中で作られていたセリフだったということ である。が、〈ぼく〉は決して自分から別れ話を持ちかけはしない。〈ぼく〉はあくまで も自分の思いを相手の口から出させるように仕組むのである。これはどう考えても自己保 身的なずるい男の手口である。が、おもしろいというか、どうしようもないというか、す でに指摘したように〈ぼく〉の分析力はゴシップ週刊誌的次元にとどまっているから、こ の受動的能動性の心理的トリックに彼本人が気づいていない節が見られる。

 〈ぼく〉はず るくて卑怯なロクデナシであるにもかかわらず、美樹子の希望を黙ってかなえてやる男気 のあるカッコイイ男だぐらいに自分を見ている可能性すらある。つげ義春の漫画「チーコ 」を批評したときにも指摘したが、こういった受動的能動的な男を好きになった女はかな りの程度においていらつくはずである。

 それではなぜ、こんなずるい卑怯者の男と美樹子は十年以上も関係を続けてきたのだろ うか。この疑問は「チーコ」の若い夫婦(あるいは単なる同棲者)に向けられたものと同 じである。つげ義春は一コマも描かなかったが、考えられるのは男の性的能力である。 〈ぼく〉と美樹子に何ら精神的な繋がりを見いだせない以上、二人を繋いでいるのは性的 な側面をおいて他にはあるまい。しかし、〈ぼく〉の性的魅力を読者が納得するためには 、そのような表現がなされていなければならない。が、〈ぼく〉は自分の考えばかりでな く、性的描写もしていない。